【ブログ新規追加396回】
写真の靴は、わたしにとってこの数年の足の痛みを一瞬で開放してくれたもの。よ~するに初めて出会った長時間履いても痛くならない靴だ。
しかし、数年前と今ではもう骨格が変わり、少しづつ合わなくなってきている。
で、人生で一番大事かもしれない「靴探し」の話を書いてみた。
• 高齢者になると、靴は日増しに合わなくなっていくもの~母の場合は
わたしの母が、生前良く言っていた話がある。
「あたしはねえ、物心ついた頃から、どんな靴を履いてもどこか足に合わないんだよ」
「買ったばかりの靴を下ろした日、たいがい泣かされたんだもの」と。
「靴って素敵じゃない?大好きなのに歩きやすい靴に出会ったためしはないんだから!」
もう、何十回も聞いてきたこのセリフ。覚えちゃってる(笑)
そんな母との「歩きやすい靴・足にあう靴」を探す買い物はだいたい、年金が入る偶数月。
少々お高い靴ショップの「うさぎや」から靴量販店のABCマートまでざざっと回る。これで半日。
おしゃれな母にはスニーカーは似合わない。だから選び抜いた「おしゃれでかわいい」靴を探すのに目的を絞り込む。
ランチを挟んで午後は目当ての一足を買い付けに行く。それこそ、足に合おうものなら何足も買い占めるんだもの。ほんと驚いたよ。
そのぐらい高齢になったら、足に合う靴探しは重要な案件で、これこそ人生最大の買い物合戦だと心底思った。
そんな靴の困難を極めた母を看取った時、最後に履かせてあげた靴は、小ぎれいなサンダルだった。
終末医療を受ける直前、大学病院からの帰りに母は「どーしてもサンダルが欲しいんだよね」と言い、その足で通りすがりの靴やで簡単な赤いサンダルを買ったの。
真冬の1月にサンダル?
さて、どーしようか?通りすがりの店で探す。
その時、店先のワゴンに「ちょっと履きに相応しいアウトドア風の赤いサンダル」があったのを母は見逃さなかった。
赤いサンダルを履いて最後の病院に入院した。
母いわく「このサンダルを履いて退院するんだから」といって。
• さて、わたしの場合は?やっぱり足に合う靴を探す日々が続いている
少し前、営業中に足首をひねってしまい、歩行が思うように行かないことがあった。
わたしは、外営業だから歩けなくなったらおしまい。小さな怪我でも歩行困難で思うように歩けなくなったのには、一瞬だが、心底落ち込む気分だった。
だって、仕事とはいえ、おしゃれに背筋を伸ばして颯爽と訪問営業がしたいと願うから。
だから、その時は心を決めて、2日間で治そう!と家庭内入院でひたすら安静に務めたのだ。
毎日、酷使している体は、こんな困難に見舞われなければ一旦休止ができない。
無理を重ねるわたしへの警告なんだろうね。
だいたいは「捻挫」「湿疹」「花粉症」など、半年に一回はこうして、数日間仕事を一切やめて、ひたすら安静を貫く家庭内入院を敢行している。
いい毒出しになってる(笑)
で、今、仕事に履いているこの柔らかい皮と少しだけ厚底の靴はやはりウレタンソールが足の運びを滑らかに、楽にしてくれるのだ。
お店で勧められた靴職人さんの靴。トレッキングシューズも実は少し合わない。そろそろ、足に合うものを探さなきゃね。
歳を取るということは、骨格がどんどん変わっていくことに他ならない。
一年一年と、足に合う靴を探しつづけなければならなくなった。
あっという間にわたしの母と同じ心境になっちゃった。
人は、失ってみなければわからないものって多い。
でも、探せば助けは向こうからやってくるのだ。
さ!今日も相棒と出かけよう。
「気持ちよく 過ごせる時間 白夜かな」 清流
相性の良いものや人と遭遇すると、自分まで感性が上がった気になります。それはまるで心の中まで薄明るく照らす、北欧の白夜のようです。