猛暑の仕事三昧も今日で3日め。
「歩く」をテーマに書きたいのだけど、毎日の暑さにいかんせん外に出て歩きたくはない。
そこで、「歩き」関係の記事を載せる前に、「わたしの本当に好きな時間の過ごし方」を書いてみた。
※ トップの写真はスイカ模様が可愛い「ミニ・ぺぺロミア」
光を求めてどんどん伸びる観葉植物。風水効果も期待できるんだそう。
テーブルでもベランダでも勝手に育つ、わが家で一番手のかからない子よ(笑)
• わたしの好きな時間と過ごし方
わたしが、今、本当にしたいことは「家で3時間ぐらい、自分のためだけに使う」というタイムマネジメントなのだ。
その「3時間」のくくりだが、とにかくWebを見ながら情報を集めたり、ひたすら好きなだけ本を読んだり、これまたイヤというほど考えごとをしたりするのに「3時間」というくくりが必要なのだ。
特に、深い目的があるわけではないのだが、考えごとも一から順を追って考え続けると途中で止められないものだし。
Webの記事を読んでいても、ひとつのことから次のことへどんどん関連づけてシャワーを浴びるように読みたいのだ。
まあ、こんな感じで「見る、読む、考える」をやっていると、あっという間に時間が過ぎてしまうじゃない。
その速さには驚きだもの。
だから、「自分のための3時間」という空白の時間が毎日取りたい。しかし、なかなか3時間ってまとまった時間は取れないものなのよね。
せいぜい夏休みの間は「自分のための3時間」に挑戦しよっと(笑)
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• 「歩く」は散歩からはじまる~「すぐそこにある旅」2016年9月のブログより
すぐそこにある旅(全文紹介)
家の中で一番好きな場所はどこですか?と、聞かれたたら迷わず、「台所!」そう答えるでしょう。〜中略〜私にとって台所は料理をするだけの場所ではありません。スープを煮ている間、本を読んだり、床に座り込み考えごとをすることだってある。時にはスタンディングバーになることも!
「台所のホニへト」 伊藤まさこ・著(新潮社)より
9月になって、秋の入り口に立った。いつも朝は早く起きているけれど、ほとんど外に出ることはなかった。今朝は思い立って、静まり返った住宅街を抜け、いつものセブンイレブンまでそぞろ歩いて買い物に。
紫色に広がる空が輝き始めてきた。先週からの台風のせいで、低気圧の時には頭痛がするし、急に雨が上がり、晴れ上がれば、気持ちがいいはずだが、どこか落ち着かない気分。泣きたくなるような美しさの朝。
遠くに出かけなくても、いつもの散歩道や公園など、目先を変えてみれば「すぐそこにある旅」が可能だ。早朝、見慣れたいつもの慣れた道なのに日の出前のうんと早い時間には、見たこともないような景色が広がっていた。思い立って出掛けてみると、それだけで見知らぬ土地を訪ねたような新鮮な刺激が感じられる。
朝焼けに照らし出されたコンビニのポールが隣りのビルに映り新鮮。
毎年、春先になると欲しくなる、「日本の植物図鑑」。きれいな花を眺めることは心和む一時だが、名前を知るだけで、急に親近感がわくものだろう。樹木はさしずめ「彼」、花たちは「彼女」。それらの名前を植物図鑑で調べるなんて、素敵だな、っとず〜っと思っている。
来年は忘れずにやろうと思う。忘れずにね。(笑)
オレンジ色の朝焼けに映える信号が清々しく感じる。(5時14分)
もうひとつ、多分やらないだろうな、と思うけれど、たまにやろうかな?と思うことがある。それは「自分史」を書いてみる、ということだ。30代〜40代当たりの頃、何者かになりたくて焦っていた頃の自分。はたまた、はちゃめちゃな人間関係を自分なりに消化して楽しんいた20代。すべての道が輝くことだけを望んで過ごした10代。
そういった今までの歩みを時系列に並べて、A4の紙、一枚に箇条書きにして書き出す・・・といった作業を文豪みたいに、「山の上ホテル」でわざわざ1泊して書く、とかね。PCから離れて、アナログで書く。今の自分にたどりつけるかどうか?ちょっと面白いかもしれない。
遠く富士の峰にも朝日が当たり、勇姿を見せている。(5時30分)
旅の定義は本当に様々。自分が旅だと思えば、キッチンでこうして原稿やブログを書くことも一種の旅だと感じる。頭の中で別の空間があって、そこに行くことで始めて書くことが始まるような感じ。
書き終わって一杯のワインやビールの美味しいこと。正に至福。不特定多数の人に向けて書いていることがほとんどだが、誰かに向けて書くこともあるかも。時折、「ブログ楽しみに読んでいます」というメッセージを頂く。ほんとに、嬉しい。
「井戸水を 流し西瓜や キンキンと」 清流子
幼少の頃、ルーツの田舎のいなかへ帰ると、お祖母ちゃんが冷やした西瓜やトマトを出してくれた。流れ出た井戸水で大きな桶に入った西瓜が回転し冷やされ、何とも言えない気分だった。
井戸で冷えたスイカはご馳走( ´艸`)