【ブログ新規追加191回】
すごい朝焼けの今朝6時、これまた素晴らしい記事の紹介をする。
90歳で博士号、尽きぬ探究心 神大大学院で横浜の建築士;神奈川大学/カナコロニュースより。
【記事概要】
● 仕事と両立 がん闘病も経て
横浜市神奈川区に住む白井正子さん(90)が9月末、神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科で博士の学位を取得した。
一級建築士として長年、設計の仕事を手掛ける中で、重要文化財の背景にある人々の営みや歴史に興味を抱き、73歳で同大学院に入学。病気やコロナ禍などを乗り越え、350ページに及ぶ博士論文を書き上げた。
「学びたい気持ちは尽きない」。卒寿を迎えてなお探究心を失わないその胸の奥には、「論文を本にしたい」という新たな目標が掲げられている。(カナコロニュースからの抜粋)
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なんと、御年齢90歳の女性が建築の世界で博士号取得と。
この人の前では、年齢も病気も苦難も「よし!きたきた!全部力にするぞ!」みたいなものじゃないか?と感じた。
本当にすごいし、素晴らしいお手本を見つけた気持ち。
記事を読み込む中で、ふっと、湧き出てきたことがあった。それは、「この人の強さってなんだろう?」って。
文中には、「やりたいことをやろう!」と決意してはじめた歴史的建造物の研究。
たしかに一級建築士の資格を持つそれ自体が大変な勉強を重ねられたのだろうが、建築事務所を持ち、強面の男性をまとめながらの現場監督・・・筆舌を尽くせぬ日々だったであろう。
その中で、彼女を支えた一点は、「国内の歴史ある建物の研究」だった。そのひとつがあったから、これまで頑張ってこれたのだと。
すきなこと、本当にやりたいことを見つけて、そこに邁進するまでにどれだけの時間を費やしたんだろう?無駄や無理もたくさん重ねてきたんだろうな。
彼女の中では、きっと人生ってこんな感じなのではないか?と思い描いてみた。
● 無駄なことの積み重ねが強さを作る
私が思うに人生には「無駄なことに全力を使う」これこそが大事で、底力がつく根拠だと考える。
「そんな無駄なことをやって何になる!?」と、他人の比類なき声はスル―して、無駄なことの積み重ねを続けるのだ。
例えば、わたしのブログとか(笑)稼ぐことに躍起になっていない、ごく自然体で毎日、楽しく雑感めいた文章を書き綴っている。
他人から見れば、「稼げないブログに価値はない!」と、見向きもしないだろうとよく思うけれど。
でも、続けていると、ある日ある時、突然の不測の事態に陥ってもカバーできる強靭さを自然に持つことができそうだと考えている。
わたしは、これまで効率の良さばかりを求めて色々なものを切り捨ててきた。だから、いざ必要なときにまた取り戻すところから始めなければならない。
それでは、かえって非効率だとやっと気がついた。
そもそも、無駄かどうかは人様に決めてもらうことじゃないし、知的好奇心を満たすことに関して無駄かどうかは己が判断する領域だ。
教養とは、すなわち、今すぐには役に立たない知識の泉。
しかし、身につけておくと、いざ必要なときにすぐ取り出すことができ、役に立つことがある。
人生とは、少しの運とたゆまぬ努力で切り開いていくものなのだ。
たとえ、教養を身につける時間的余裕がなくても。世の中のスピードが速すぎてそれを待ってくれなくても、継続という努力をする。
こんなことを考えながら毎日、ブログを書き続けている。
無駄な教養の泉を持てば、表現したいことが列をなして現れる。
つい最近、来年やりたいことが見つかった。今はそれの調査中。これも無駄かもしれない。
う~ん、楽しみ♪
「一枚の 命に酔うて 木の葉ふる」 清流
一枚の葉にも命があって、徐々に育ったもの。同等に色々な経験が積み重なって、人生は成り立っている。無駄なものはなにもなく、あらゆる組合せにこそ可能性ありと言える。
葉っぱを見る目が変わる~(^^♪