【ブログ新規追加264回】
わたしの住む街には「八王子城址」を始め、7つの山城が点在している。お屋敷も5つある。
山城好きのわたしは、今年も改めて、一城址づつ、山城トレッキング攻めをしてみようと計画中。これはワクワクするね(笑)
昨日、急に思い立って、お隣の日野市と八王子にまたがる多摩丘陵の北部に位置する「都立長沼公園」へ午後一番で出向いた。
ここは、昭和55年開園当時に父親と登った丘陵だ。意外と急な登りに大変だった記憶がある。
もう、大人だし、ちょろいはず・・・と、軽率にも普通のハイキングみたいな恰好で出かけた。
過去の記憶をたどりながら、都立長沼公園の駐車場までやっとたどりついた。
昔ながらの農家の用水路が両脇にあるあぜ道を、落ちないようにゆっくりと車を走らせて、約5台ほど停められる駐車場(無料)に入れて早速、丘陵トレッキングへ。
もうね、ウソみたいな急斜面を登るルートを選んでしまったために少し気持ちが萎える。
急斜面には木で作られた階段があるけれど、それ自体が急でちょっと怖いかも。それでも、どんどん登って行った。
30分ほど、登った場所に別の道が現われた。
「平山口」それは、多摩丘陵北部のクライマックス「平山城址」へ抜ける道だ。
● 平山城(ひらやましろ)とその由来・・・平山城(ひらやましろ)は、平山季重に関連すると考えられる城で、現在、日野市平山城址公園となっている。
この平山季重(ひらやますえしげ)は鎌倉時代の武士で、武蔵七党・西党の最大勢力として平山氏(日野市)を名乗り、一ノ谷の戦いでは熊谷直実と先陣争いをしたことで知られる。
本姓は日奉(ひまつり)。武者所と呼ばれた。
横山党の八王子と領地が近いということもあり、横山党とは仲が良い。
平山季重は1156年、保元の乱の際に源義朝に従い、1159年の平治の乱では源頼朝の長男・源義平に従った。
この時は、待賢門の戦闘で平重盛の軍勢500騎に対して、17騎で戦いを挑む言う武勇が見受けられた。
この後の戦いは省略する。
さて、「平山城」があったとされるのだが、築城年代は鎌倉初期頃と推定され、城と言うよりは高台からの「見張り場」のような機能を持っていたと考えられている。
資料先;https://sirotabi.com/2030/
この源氏の土地を見守った人たちが通った道か・・・なんて源平合戦当時のいにしえを感じながら、やっと、長沼公園最大の見どころ、「展望園地」に着いた。
ここは、多摩丘陵200mを登り切ったところにある見晴らし台だ。遠くに見えるのが秩父山地、奥多摩十座、ぐるっと見渡せば富士山も見つけることができる絶景の場所。
その絶景の一部には、わたしの住む街とひよどり山も見える。
あまりの眺めのよさに思いつきでも来てよかったと、40年ぶりの訪問を心から楽しんだ。
途中で休憩時に近くを飛んでいた野鳥(ヤマガラ)もカメラに可愛く納まった(笑)
この都立長沼公園から隣の都立平山城址公園までは多摩丘陵の山道を縦走できる。次は縦走に挑戦しよう。
【ミニポイント】
※都立長沼公園→都立平山城址公園までは約7,9キロの道のり。
※都立平山城址公園には駐車場はなし。都立長沼公園に停めての縦走をおススメする。
※都立長沼公園は非常に切り立った登りがある丘陵。トレッキングシューズを履いて歩くのがベター。一旦多摩丘陵内に入ったら自販機などない。飲み物はあらかじめ持って登ろう。
【都立長沼公園の概要】
長沼公園の冬は木々の葉が落ち、一見寒々しい景色に見えるが、この時期ならではの見通しが効いた丘陵地らしい景観を見せる。
展望園地から北側に日野・八王子の町並みを望みながらの多摩丘陵トレッキングは人知れず人気がある。
京王線・長沼駅から徒歩5分。
広大な雑木林は元々そこにあったものだそう。東京都の手入れがされた木道もややあるが、どちらかと言えば原風景に近い。
そのためか、昆虫や植物の宝庫。また、関東ローム層など、古代からの地層を持つ地でもある。
所在地 / 東京都八王子市長沼町・下柚木・堀之内(番地なし)
「懐っこい 冬の山雀 恋しけれ」 清流
多摩丘陵のトレッキングはなかなか険しい。でも束の間の休憩時、懐っこい小鳥がすぐ前に何羽も現れ疲れた心を癒してくれる。これだけで日頃のストレス解消となるからいいね。
やまがらちゃん!( ´艸`)