趣味を持つこと~熱中できる幸せはカメラが教えてくれた【暮らし・趣味編】

              「人に会うのが、私にとって最大の趣味だと思う。」
                  田原総一朗 ・ジャーナリストの情報術より 2016年 BRUTUS 6/1号 

職場での休憩時によく出る話、「最近、何かやってる?」「趣味は何だっけ」「何かそこそこ続けられる趣味が1つほしいんだけど」等、
何か、やりたいけど、これと言って思いつかないみたいな話に花が咲く。

画像を拝

時間を忘れるほど熱中できる趣味が見つかった。それは一昨年のこと。

ブログを書くために、スマホで自前の写真を撮り歩いていた。毎日、営業で出歩いているから、撮るものに困ることもない。そんなわたしを見て夫が、そんなに写真が好きだったら、今、使っていないセミ一眼を貸してあげるよと。

貸す?それはもらったも同然だ。小さめのボディが仕事にも持って行きやすかった。カメラマンではないから、大きなレンズやボディはどことなく気恥ずかしい。

ここから、わたしのマイ・カメラ生活が始まった。ブログに載せるためだけに撮るベストショット。

本当の趣味を持ちたいから、こだわり続けることとは

自分のブログや、SNSの投稿ページを一生懸命飾る楽しみに毎日興奮冷めやらず。しかも、わたしのこだわりは、あくまでも趣味の範囲に留まること。

ここを逸脱してしまうと、本来の物書きになるという願望に対して熱中度が下がることや、文章に親しむ時間が減ってしまうという恐れもあった。

だから、躍起にならず撮りたい時に撮って、自己満足の視点で充分だと考えていた。


しかも没頭できることへ。一つ抜きん出たねえ、なんて褒められながらやれたらいいなぁと思うのはわがままかな。


そして、何事もできるようになるまで修行に時間がかかり、好きになるにもちょっと大きな山になるものがいいなと感じていたからカメラはピッタリだった。

ある程度上達したら、他人に提供でき、共有できて一緒に楽しめる時間を持てたらいいとずっと考えていた。

ある日、ふっと2015年にアカウント登録してまったく死んでいた「note」というコミニュケーションサイトを思いだした。

そして、3月24日から自宅待機となった。いったいこの先、どうなるんだろう・・・と、不安が募った。鬱々とした気分を払拭してくれたのは、早朝散歩で撮る一枚の写真だった。

朝の露や霧、朝日なんかをカメラに納めるのが自粛中の日課になった。

そんな時、「note」の企画のひとつに、みんなのフォトギャラリーというものを発見した。昨年から、今、毎日撮っているものと撮りだめてきたフォトを、WEBサイトのnoteに出展するようになった。

無数に存在するクリエイターさんが、作品のタイトルバックに選ぶ一枚になる企画だ。出展数も見切れない枚数が出ている。綺羅星を探すように見つけ出してもらえたら嬉しいな・・・と、こんな心境だった。

予想に反して、3月末から5ヵ月間21枚のフォトで、141作品を飾った。こんな形で趣味のカメラ撮影にもわずかだが、やりがいと他者との作品の共有とコミニュケーションを持てるように変わったのだ。

今は現状に満足してはいるが、趣味って本当に熱意がいるもの。

しかもわたしの場合はコスパ一択なんで。

雨の日を活かす術~カラダもココロも休んでいい日【暮らし・雨の効用】

雨に図書室
図書館にて

● もうすぐ梅雨明けか~でも大雨がふるらしい

今週頭に帰ってきた息子。この一週間ずっと雨降りで仕事(営業職)がきついと漏らしていた。わたしも、毎日雨の中、意を決して出るのだが、帰ってきてぐったり。

それもそのはずで、一日中マスクしてるじゃない。あれが、かなりキツイのだ。サングラスの視界が狭くなるみたいな感じで、完全に自分の世界に浸りながら仕事をしている。

最近では、くぐもった声にも慣れてさほど会話にも不自由しなくなっている。慣れってすごい。

 来週半ばからの連休。まだ梅雨明けしそうにない。今朝のTVで26日頃・・・とか。来週の連休は、事前の天気予報をよく見て無理な外出予定を立てずに、家で楽しく過ごせるように準備している。

とか言って、準備している物は、何冊かの小説や美味しいお菓子、ワインやビールなどで、いつもの週末と何にも変わらない。毎日外へ出ている分、休日はドップリと家にいたい。

だから雨続きでも、雨の日は雨の日なりの過ごし方を徹底的に堪能したいと思案を重ねている。例えば、恒例の10時間睡眠を実施すると、どれだけ心やカラダを癒せるか・・・それはもぅ、計り知れないぐらいだもの。

ちょっといい美容液やサプリメントを取り、これでもか!と良~く寝る、美容のために栄養を存分に与える、それが連休最大の楽しみ♪

雨のカフェ

 ほんとのところ、わたしは意外にもの日が好き。なぜか?と自問自答してみたら、雨の日は自分自身を身近な自然と同調させ、疲れた心とカラダを癒して力を蓄えることが可能な、要するに”恵みの雨”なんだと気が付いたからなのだ。

なので雨の日は、自分のカラダをすみずみまで愛する時間を与えてもらったと思って、せっせとお手入れもしている。

 先日、こんな話を病院の待合いで、あるご婦人から聞いた。婦人曰く、「雨が降ると、休んでもいいんだよ~~~!って神様に言われている気がして、気兼ねなく休めてホッとするわ」と。

なるほどね。仕事の外回りで雨に濡れたわたしを見て、いかにもちょっと休みなさいよ-と、言わんばかり。その時はただただ黙って聞いていたのだけれども。

恵みの雨
画像を拝借した
雨のドライブ
画僧を拝借した

雨のもたらすカラダへの良い影響とは

 雨の捉え方一つでも、ずいぶんと気持ちが違うもの。雨がしとしとと降り続くなか、雨音を聞きながらの読書はなんとも心の落ち着くもの、夢見心地でついうたた寝してしまう。

 雨の降る音のリズムには、人に安らぎや快感を与える 1/fゆらぎ になっているものらしい。そして、雨の降る音は雑踏をうまく掻き消すマスキングの役目も果たし、人の交感神経への刺激も減るのだそう。

そうそう、小川のせせらぎ音滝の音なんかも同等だと。行く場所も、できることも限られてしまいがちな雨の日だが、そのぶん集中した最良の時間が手に入る。

 雨だからうっとうしい。洗濯が乾かない!とか色々ネガティブになりやすいものだけど、ちょっと視点を変えて、雨の日を最高のリラックス日・癒しのインプット日にすることで、いつもの喧騒から一時的にでも解放してくれるのが雨の効用だ。

雨の一風景
猫画像を拝借した

雨について、何だか改めて書いてみると、とってもありがたいものに思えてきた。雨の日は、雰囲気も変わり、自分を変えるまたとないチャンス!自分自身のために有効活用したい。
 これからもまる1日休めるんだったら、やっぱり雨音を聴きながら思いっきり昼寝かな~。(笑)

ピアノを愛す~変わらぬクラシック音楽で生老病死の苦悩も超える【暮らし・音楽エッセイ】

わたしは音楽大学でピアノを専攻して最初の職業がピアニストだった。クラシック音楽を幼いころから湯水のごとく聴き、弾き続けてきたが、未だにまったく飽きない。それどころか、もっと、もっとと、深淵なる世界への誘いを求めてしまう。

そんな愛すべきクラシック音楽は300年もの時を経て今でも音楽家たちを魅了し続ける。

基本的にクラシック音楽は楽譜に沿った忠実な演奏が求められる。また、その演奏方法が何百年も変わらないのだ。

それでもたいがいの演奏家は口を揃えて言う。変わらないのが面白いと。演奏家の端くれであるわたしもそう思う。

クラシックの名曲には、偉大な作曲家のが込められている。その魂の力で300年前の楽曲が、現代でもまったく色褪せないのだろう。

長い時を経ても衰えない。迫力がある本物の世界。一方で変化変化の渦中に生きるわたし達。インターネットが普及してからは、新しい環境、新しい製品が簡単に手に入るようになった。

しかし、今では最新の情報や製品でさえも、すぐに古くなる。しかもそのサイクルはどんどん速まっているのだ。

ここで、変わらぬクラシック音楽を生業にしてきたわたしが感じることは、いかに技術が進歩しても、人間の生き様に関わる生老病死みたいな根本的な悩みはなくならないということなのだ。

だからこそ思うのは、生きた哲学にも通じるクラシック音楽を生活の中に取り入れてみたらどうか・・・という提案だ。

出身の音大ホール

誰でも、一曲ぐらいは、親しみのある名曲がきっとあるだろう。300年もの間、人々に愛され続けた曲。苦しみや悲しみを癒す曲など。

たった一曲持つだけ。これで深淵なクラシック音楽の愛好家になれるはず。

ちなみに、わたしの究極の一曲 バラードOp,2 ショパン作だ。これを弾くために音大へ進んだ。卒業演奏では、恩師の勧めでポロネーズを弾いた。これも時の運。

いつまでも憧れが尽きないクラシック音楽。ぜひ、一曲どうぞ。

ここで、以前のブログからエッセイを1本。

~ピアノを愛す~

●10年前の脳出血での後遺症による体の麻痺で、最近はピアノも前ほど弾かなくなっている私だが、演奏家としてだけでなく教育者としても弾けなくなってしまったあの大病。あの時、私の人生の支えだった音楽家としてのポジションが、心の中でがらがらと音を立てて崩れ去ったのだった。

突然の失意だったが、ハッと!気が付いたことがある。わたしは改めて見直すと、音楽にしみついていただけだったのではないかと。しかもその当時は、生活の糧でもあり、質より量をこなしていた。

音楽教室の運営にも刷新が必要な時期だったこともあり激務をこなす毎日。しばらくして、まったく別の出版社の営業職という形で、ビジネスウーマンとして働くことに決まった。そして発病。

それからは音楽が自分にとって純粋に精神的な支えとなってきたと感じている。

● もう、音楽の仕事にはしがみつかなくてもいいんだ、演奏を自由に楽しもう!と肚に落ちた事だったから、悔しくても後悔することは、当時ほとんど無かったと思う。それからは、毎年、秋には新しい曲を弾くために楽譜を用意する習慣ができた。自分だけの楽しみ。誰かに聴かせるわけでもなく、一人難曲に挑戦する至福の時間だ。

● 楽器が演奏できるということは、言葉にならない自らの思いを音楽に乗せて表現できる事だ。そうする事で、人生をより一層、豊かに魅力的に輝かせてくれるもの。

まるで、野に咲く花のようである。自分の手元になくても、そこにいけば厳然とある。決して摘んだりせずに眺めて楽しむことで十分な世界。音楽も手に取れない。でも音だけが流れる時間がそこにはあって所有しなくても躍動している。

 わたしはそこに深い価値を見出せたから、心豊かに人生を奏でられる音楽を愛おしくずっと携えていける財産だと心から思えるのだ。

● わたしの母は、わたしが学校に行っている時間にひとり弾けないピアノを良く奏でていたと、晩年になって本人から明かしてくれたことがある。

 そういえば、子どもの頃「いいねぇ みーちゃん(私の呼び名)はピアノが弾けるんだもんね」と、良く言っていた。それは自分が弾きたかったんだと思うし、でもだったら習えばいいじゃない!とは、一度も言えなかったわたし・・・。

 多分、厳しい練習やレッスンの現場を、わたしを通して長い間見てきたから自分には到底無理なことだと思っていたよう。また、父が副業で作った零細企業の雇われ社長を任されていて、人も雇っていたから時間的にも無理と諦めてしまったのかも知れない。

もうすぐ新盆なので母のことを思い出して加筆した。

● わたしにとっての楽器とは、特にピアノは弾く楽しみだけでなく、聴く楽しみも与えてくれるもの。偉大な作曲家の書いた楽譜を新たに一から勉強すると、また一つ新しい世界が開けてくるのだ。

 一生かかっても弾ききれない曲の数々。そこから新たに弾きたい曲を、仕事とは関係なく自由に選んで勉強できるだけの素養を、音楽大学で学ばせてもらった。本当に両親には感謝してもしきれない。

 私の専攻したピアノは一人で合奏できる多様な楽器、とても雄弁だな~とつくづく思う。自分の自己表現の手段としても、大切にして行きたい数少ないわたしの無形財産だ。

 6歳から初めて、もう約50年近くも一緒に生きてきた私のピアノ。今でも始めの1音を出すと全身の毛穴が全開するような錯覚に陥る。

そこから始まるわたしだけの音は、やっぱり誰にも譲れない最高の自分時間なのだ。

名言は自分を勇気づける言葉を選ぶ~宝物の名言たち【暮らし・智慧】

「知恵の殿堂にいたる道は、自分の無学を知るところから始まる」
                    ベンジャミン・フランクリン(米国・科学者)の言葉より

雨だからこそのフォトを撮る

座右の銘や名言を好む人、人生の指針にする人など様々だが、わたしは名言に関して思うことは、言葉や名言は機知だと考えている。機知とはその場に応じてとっさに働く鋭い知恵でありウイットに富んだものだとも言える。

例えば、ムーミンの最高のともだちはニヒリズム全開なミィ。彼女のひねり出す名言は誰の心にもチクっと刺さるものばかり。

誰にも真似できないミィの名言を拾ってみる。

画像を拝借

● ミーの名言

~時々、誰かに言われた言葉がチクッて刺さってイラッてするときあるじゃない。それね、本当のこと言われてるからよ~

~見てるわよ、あなたがしていること。あのね、神様じゃないわよ。もうひとりのあなたがよ。もうひとりのあなたがあなたをみているのよ。見放されないようにね。嫌われないようにね~

もうね。ぐうの音も出ない(笑)他の仲間だちの名言も秀逸だ。

名言に気づき、励まされる日々

人には誰でも、本来言い尽くせないほどの様々な人生経験があるはずで、土砂降りの雨にあったり、晴天の晴れ間が覗いたりとそれこそ人生色々だ。

思うにわたしなど、実に弱い生き物で逆風が吹けば「どうやって逃げようか?」また、失敗をすれば「どうやってごまかそうか?」などと、困難に遭遇した時、ついつい思いめぐらせてしまう。

それでも立ち止まることなく、なんとか歩き続けることができてきたのはなぜか?それは、自分を勇気づけ、ときには自分を律するような言葉を持つようにしてきたからだと感じている。

例えば、人の話を聞いて感動した言葉、哲学者の言葉、宗教からの言葉、歴史的人物の言葉などをいつもメモしておき、常に参照し、自分を鼓舞していくように仕向けながら毎日を送っているのだ。

 ● わたしが今まで書き残してきた 「名言」と「言葉」を紹介

◇ 楽観的であれ。過去を悔やむのではなく、未来を不安視するのでもなく今、現在の「ここ」だけを観るのだ。   A・アドラー(オーストリア・心理学者)

◇ 煩悩を断つのは大変だ。でも、逆に煩悩を断ってしまうと、エネルギーがなくなってくる。煩悩はいい意味で利用することが大切です。   梅原猛(哲学者)

◇ 高みに登る人は皆、螺旋階段を使うものだ。   F・ベーコン(英・哲学者)

◇脱皮できないヘビは滅びる。   ニーチェ(独・哲学者)

◇生きることは呼吸することではない。活動することだ。  ルソー(仏・哲学者)

● 言葉や名言はどんな栄養剤よりも効く

梅雨の晴れ間が待ち遠しい

言葉名言が自分を支え、元気をくれることに気づいてからは、意識的に仕事の現場や生活の上で口に出すようにしている。

人から教えてもらった言葉、本やメディアからのヒントになる言葉、自分の中からささやかだが血のにじむような体験から生まれた名言など、ただ、頭で思っているだけでは効果は半減である。

声に出して自分に言い聞かせ、実践に応用することで、トリガーとなる生きた言霊として胸に響くようになるものだ。

そうしていくとその振る舞いを見て、周囲にも少なからず良い影響が出てくることが多いと感じる。

楽しむために生まれてきたのだった

 最近は哲学的な言葉が好きになってきている。

歳を取り、古今の英知が少し分かってきたんだろうか・・・最近、とくに強く思っていることは、うまく行っているときほど従来のやり方を捨てることが肝心だと感じている。

こんなふうに先見の目を養いつつ、自分の将来を思い描いている。

まだまだ、新型コロナウイルス感染にも予断が許さない昨今だが、せめて名言を自分に与える行為で、気持ちの余裕を持とう!という提案だ

 ともかくも、「人生は楽しむためにある」のだから。




きのこ料理とブティックワイン~高価なワインほどカリフォルニア産に惹かれる【暮らし/健康・ワインのあれこれ】

2016年10月。わたしはカリフォルニアワイン協会の会員となった。会員の特権でカリフォルニアの名立たるワイナリーのブティックワイン約600種が一堂に会しての大試飲会(グランドテイスティング)が東京で開催され、意気揚々と参加した。

バイヤーズデーには、西海岸の56社からなるメーカーが来日して、あの手この手で輸入代理店契約を交わすのが目的だ。

新参者のわたしはチーズとアイフォン片手に飲み、喰い、撮りを繰り返す何ともせわしない様相。それでも飲みながら聞かせてもらった生産者の話は、ワイン造りに対する情熱や奥深さに溢れていた。

気に入ったブティックワイナリー2社と話をして、いつでもナパへ来て!と言って頂き名刺交換もした。これで将来はブティックワインの代理店もできるかもしれない(笑)※対話は英語オンリー通訳付き。

銘柄・ワイナリー名・値段が表示されている

この日、生まれて初めて、2万円以上もする高級ワインばかりを数十本ほど試飲でき、もう死んでもいいくらい幸せだった。高級ワインといえば、わたしにはカリフォルニアワインなのだ。

この試飲会から一年後、あのナパバレーの自然大火災が起きた。数々のワイナリーが焼失。あれから、もう日本では簡単にブティックワインを頂けなくなった。しかも今年は新型コロナウイルス感染の大流行。もう海外へも出かけにくくなってしまった。

ブティックワイン&ブティックワイナリーとは

ブティックワイナリーとは、1970年代のアメリカ・カリフォルニア州で使われるようになった言葉で、少量高品質ワイン造りを目指しているワイナリーを指す。


ブティックワイナリーのブティックという言葉はフランスの「小さな店」を意味するブティックから由来しているとされている。

家族経営であることが多く、多くのカルトワインがこのブティックワイナリーから生み出されている。例えば、ナパバレーのオーパスワンなど。


1970年代までのアメリカのワイナリーでは量産型のワイン生産が一般的だったが、ロバート・モンダディに代表される、生産規模を最小限に抑えて高品質のワイン生産を追求する動きがカリフォルニア州、特にナパ・ヴァレーのワイナリーで見られるようになったのだ。

● カラダに優しいパゥエリタル・ワインとは

滅多に飲まないシャルドネはフォンデュしたチーズと頂く

単一品種で一切混ぜ物のないもの~サンフランシスコ近郊のソノマ、ナパ、モントレーの3箇所のブティックワイナリーのバリウェタルワインは、おもにアメリカン・オークという固い木樽に詰められて熟成される。

● パゥエリタルワインに欠かせないアメリカン・オーク

ホワイトオークとも呼ばれるアメリカンオークは木目がこまかく、バニラ香をもつバニリン香が発生しやすい木材。

アメリカンオークでの熟成は、スパイスのようなニュアンスがつくのが特長。渋味とは違った刺激はマリアージュの幅を広げてくれる。

ココナッツやディルシード(刺激的な芳香で、ピリッとした辛味をもったスパイス)のような風味があり、価格も新樽で3~4万円とフレンチオークよりも安い値段で購入できるのがアメリカンオークのメリットだ。

カリフォルニアワインとの出会いと最も合う料理の紹介

さて、わたしとカリフォルニアワインとの出会いは35年前の新婚旅行先のサンフランシスコはモントレー。どんな料理にも合わせやすく、単一醸造の所以だろうか、かなり飲んでも一切悪酔いはしなかった。

その時から一気にカリフォルニアワインの虜になった。

さて、最もカリフォルニアワインに良く合うきのこのスープを村上龍氏の作品で紹介する。作品の中ではオーパスワンに合わせていた。

きのこ類の軽いクリームスープ エリタージュ風


 マッシュルームとセージをバターで炒め、ゆっくりと煮だして濾したものに、生クリームを加えて火にかけ塩で味つけをし、再び濾してスープを作る。

さらに別に炒めておいたジロル、しめじ、トリュフなどのきのこ類をパイで包み、オーブンで焼いた物を加える。

パイ皮を割るとプーンときのこの香りが口いっぱいに広がる。
  料理小説「はじめての夜 二度目の夜 最後の夜」 村上龍・著(集英社)

ポイ活チャレンジ始めた~個人の経済圏に導入することで面倒をことごとく減らす方法【暮らし・ポイント活用】

● ポイ活始めた理由

4月に楽天アンリミットの通信回線を導入した。通常利用料金2980円のところ、1年間無料の大盤振る舞い!早速申し込んで、7月からは回線無料期間で快適だ。

そこへ、追加投入したのは、楽天モバイルの楽天ミニ。これも本体は1円で1年間通話通信料無料!どこまでも太っ腹な楽天(笑)

しかし、これだけではなかった。2つ分の契約時に楽天期間限定ポイントがつく。2つで6300ポイントになる計算。

そこで、今週入った最初の3300ポイントでファクスコピーのトナーインクをセット買い。次の3000ポイントは多分、夏用ダウンケット(少々加算して数枚買うかな)とか、生活必需品の投資に使える。

(※通信基本料を事前に1回線3300円振り込むと、同額のポイントが帰る仕組み)

すごい、ポイント生活。ふだんでも買い物の時に自然に貯まる行きつけスーパーのポイントも最近ではコロナの影響から、クレカでまとめるようにキャッシュレスにしていたところ、スーパーとクレカとで2倍に貯まっていた。

イオン系カードでのスーパー買いでは、現金買いのみポイントが貯まるから2重にはならない。クレカの機能や利用状況も見据えながらポイ活推進するべき。

現在、利用中のクレカでスーパーの買い物だけでJALマイレージが貯まっていた。これはすごく嬉しい~(^^♪ 久々に空の旅も考える楽しい時間をポイ活で得たのだ。

● ポイ活の面倒くささを解消するには

ポイントで頂く本格中華

以前、一度ポイントを貯める節約術に目覚めた時期があったが、なんだか面倒くさい。あっちのポイントをこっちへ移してとか、考えただけでグロッキーだった。そこまでしてポイントの守銭奴にならなくてもいい!と自分をなだめて知らんふりしてたのだけど。

そこで考えてみた!面倒を解消する方法・・・1点集中というのはどうだろう。たとえば、新たにクレカを申し込むという場合は、楽天クレカを申し込む→楽天は生活用品、光熱費、旅、銀行、証券、モバイルなど生活に必要なモノコトをほぼ網羅している。

この状態が生活経済圏をまるっとまとめられるサービスなのだ。あらゆるお金のかかる部分でしっかりとポイントを稼いで、こまかなモノやコトをまかなうように誘導する方法だ。

1点だけだったら、面倒くささも軽減できると思うが。楽天だけでなく、今、携帯しているクレカの特典をよ~く調べてみよう。買い物先でダブルでポイントがつく!とか、普通1ポイント1円が多いのだが、2~3円なんてカードもあるらしい。使い勝手でクレカは持つ時代なのだ。

● 巷で売れているお金の本は?

6月に入って、いつもの書店営業に戻った。現在の書店頭では雑誌は風前の灯・・・コミックかノウハウのムックが主流だ。そのムックの中に異常に売れているシリーズを発見した。

それはお金に関するムックたちだ。その売れ行きが半端じゃない!ポイ活をやる気にさせるカードケースなどの付録と、初心者向けのどんどん貯まるポイント攻略などの特別記事がついているお得なムックだ。

● ネット情報はお金の専門家の記事を読むべし!

五穀米もポイントで頂いたもの

ただ、ポイ活のネット情報を検索すると、ポイ活で100万円稼いだとか、月3万円のおこずかい発生とか、月5万円稼いで今の生活を変えよう!などのパっ!と稼げるかのような記事が百花繚乱だ。(※現金化できるものはわずかで、ポイントで戻るが基本だということをわかっていないといけない)

やっぱり、ネット記事を参考にする場合は、ポイ活だったら、最低でもお金のスペシャリストが書いている記事を参考にするのが基本。そういった専門家の記事は、ものごとの本質にきちんと触れている。例えば、節約アドバイザーの丸山晴美氏の記事では、お金にも流行りすたりがあるとか、ちょっと他では書かれていない切り口の記事が読める。

経済専門家の記事は、ビットコインなどの仮想通貨=暗号資産の世界の話などにも触れ、内容の濃い記事が多く大変勉強になる。ポイ活なら、面倒な手順を何なくクリアする方法を様々伝授している。

無料記事であっても、すごいお宝記事の可能性も秘めている専門家の記事。ぜひ、見つけて読み込んでみよう。簡単に稼げます!とかほとんど書いていないはず。

すべての仕事に言えることだが、簡単に稼げると謳うものはだいたいが詐欺。

踊らされないようにしたいものだ。

● お金の流行を知ってコツコツ貯めよう!

中華といえば烏龍茶

そうそう、Tカードで貯めたポイントでビットコインが購入できるそう。これはお財布が痛まない程度の400円ぐらいから始められるのだと知った。貯まったポイントで早速試したい。

株主優待券は投資額が無理だったし、チケットショップで安価に売られているものを必要に応じて買えば済む。そして、投資にはまとまった現金と鬼勉強が必要だ(笑)

ハガキの投稿応募も全然やらなくなった。すでに時代遅れ感あり。

やっぱり、お金の関係の流行って知っていて損はない。

数字の秘密にハマる~四柱推命でバイオリズムを占う【暮らし・占い】

数字で、自分自身への理解が深まる??

dav

久しぶりに名編集者 服部みれい女史の著作自由な自分になる本を引っ張り出して、読みまくった。からだ・こころ・たましい この3点を浄化して、新しい自分を獲得しよう!という内容の本だ。

昔、勢いで購入した本。おしゃれなイメージからは想像しにくい、話ことばのまんまで書かれたスピチュアルな内容。超リアルを好むわたしは、馴染めなくてポイ!してしまい、ほとんど読み込んではこなかった。

しかし、占いがあったことを急に思い出した。だから紙の本って大事なのだよね。かゆいところに手が届くのが素晴らしい。

今月、仕事が始まったとはいえ、元通りではなく、かなりの自由時間がある。現在叶えたいことはいくつもあるが、悩みに苦しんでいることは特にはない状態だ。

せっかく思い出したんだから、この本に書かれていた、中国の四柱推命で占う9年分のバイオリズム占いをやってみよう!と、思いたった。自分の人生サイクルを知りたい!そんな人はぜひTRYしてみて。

四柱推命のやりかた

そのやりかたとは、西暦+自分の誕生日をすべて、1つ、1つ足してゆくのだ。

今年のわたしは・・・2+0+2+0+3+3+1=11(2020年3月31日)

11という数字が出たので、一桁になるまで足す。1+1=2

わたしの今のバイオリズムはだという。

さて、9年バイオリズムの中でのという位置は何を示すのだろう。

まず、9年単位のバイオリズムの示す方向を書き表してみよう。

● 9年サイクル表

1・・・力強く一歩を踏み出す年(発展)

2・・・陰に回って支える年(協調) ⑪覚悟が試される年(動揺)

3・・・芽が出るのが一進一退の年(創造)

4・・・踏ん張って地道に続ける年(安定)㉒予測不能の大波に翻弄される年(大波乱)

5・・・新たな流れが生まれる年(変化)

6・・・愛情。身近な人間関係がカギを握る年(波動) ㉝大きく動く年(激動)

7・・・ひとりで仕込みを準備する年(休息)

8・・・恩恵・ラッキーが降り注ぐ年(充実)

9・・・不要なものを見極め手放す年(完結)

※⑪、㉒、㉝は2桁になったところで当てはまったら読む。たとえばわたしは⑪でした。

さて、わたしの今年はの年。しかも⑪だそうだ。陰に回って支える年であり、覚悟が試されている年だ。

たぶん、わたしの今年は、表立って目立つことをしようとしないとか、じっと裏側で勉強を続けるとか、そんな風に感じられた。果たしてそういうように行動するかな?今はわからない。占いに従うとか本意じゃないからありえないかも。

要するに身体と精神と心のバランスを9年単位で、ぐるぐる意識的に回していくという法則のようなものだ。わたし的には知っておけばいいものと気持ちを片づけた。

全部をこれに当てはめて生きていくわけではない。でも、ごくたまにこんな風に自分のバイオリズムを数字で出してみるのもいい。中国の古い智慧から新しい発見があるかもしれない。まさに温故知新。

以前のブログで唯一、占いのことを書いた記事もここへ貼っておこう。

http://miikostyle.blog.jp/archives/19281660.html

アリエスの乙女~星占いの話

格安SIMを好んで使う理由~2020年我が家のネット環境【暮らし・通信環境】

昨年7月に書いたブログから。(記事の抜粋)

「令和新時代はお財布小さめで」

突然だけれど、お財布は大きい?それとも小さい?

わたしは3年前からカードサイズの小さな物に替えたの。旅先でフラフラ~っと入ったDFSで、真っ赤なかわいいジッパー財布を見つけて、ありえないけど衝動買いしたのよ。

 

 今、時代はキャッシュレスに歯止めがかからないぐらいだ。1日中仕事で外に出ているけど、ほぼ現金を使わない。ポイントのつかない買い物もしない。

ただし、何でもカンでもクレカ1枚、スマホ1台にまとめているわけじゃない。だから、この赤い財布の中にはクレカ1枚、スイカ1枚🍉(笑)、ポイントカード数枚と、千円札1枚、小銭1000円ぐらいが通常入っている。


 元々、2つ折り財布を使っていたから、長財布派ではなかったんだけど、今、世間ではキャッシュレス&デジタル管理で現金要らずになってきたから、脱・長財布らしい。

長財布派の意見では、お札を折らずに入れられて、小銭も取り出しやすい。そんな長財布がお金上手の必須アイテムだったのは平成まで。令和時代は明らかにキャッシュレス化が消費の原動力になり、よって財布も軽量&小型化してるってワケ。

今じゃこの小さい財布で何にも不自由しないよ。まあ、これまでもお金持ってなかったから(笑)

家計簿はちゃんとつけているとはいえないけど、キャッシュ決済やカード支払い、諸々のこまごました収支を毎日Googleカレンダーに内容詳細と数字だけ記入している。

月末決済で仕事での支出や、いつくかある収入口別にお金の流れを把握しておくことが重要。レシートもクリアファイルの小さいものに種別で保存している。

お金周辺の話を少し。2018年10月、もう我が家の経済も終わりかと思うほどじりピンだった。この4年の間に私達両方の親3人の介護~3人すべての看取り、葬儀、家3軒の家じまいと後始末、息子の独立、一番厳しかったのが夫の病で3年間に入院+手術6回。

そんな時こそ、淡々と窮地を抜け出す仕組みを考え続けてきた。2018年の10月にやった事は、持っているすべてのクレジットカードやポイントカードの見直し。

そこで今までの残債を洗い出してすべてを翌年2月までに完済してカードもクローズした。新たに年会費無料の最新のクレジットカードを限度額最小にして、2枚だけ申し込んで今はお財布代わりに使っている。


 今、年会費のあるクレカの申請をしようと考え中。会社員のうちにやっておきたいワンランク上の自己投資だと考えている。マイルの貯まり方がすごいし、まずは年会費7000円ぐらいから始めようかな。

⦿ 3月、クレカの件が済んだら次はスマホの通信費だ。3年前にandroidスマホに替えた時、2年後には格安SIMの利用で通信費をこれでもか!という限界まで下げる事を予定していたからそれを敢行した。


 大手通信会社を解約し、格安ナノSIM(docomo)をイオンモバイルで2枚購入。サービスでもう1枚は無料。計3枚のSIMが手に入った。サービス期間が切れる8月から正規の使用料金だが、1枚860円×2枚で1720円。毎月これだけで超激安。3枚目はパッド用で無料品。年しばりもなく、格安な値段でごく普通に使えるのだからいう事はない。(2019年7月の記事から)※2020年、現在はSIM3枚で4580円。

2020年6月、ADSLを辞めた

たしか、20年前ぐらいだった。ヤフーのADSLが当時、最も格安の通信回線だった。以前の家からずっと引き継いで更新を続けてきた。

あの高額高速光回線には絶対に近づかない・・・夫がネットワーク技術SEだったことから常に我が家は家中にLANが張り巡らされていた。毎朝6台のPCを一斉に更新する。

インターネット回線の維持に高額な光回線を引かず、独自の構築方法で激安インターネット環境をこれまでずっと手に入れてきた。(ADSL月額2000円前後)

その激安ADSLももうすぐ終了となることを3月に知った。さて・・・激安回線はないものか・・・と考えていた矢先、第4のキャリアとして楽天モバイルから1年間無料でしばりなしの楽天アンリミットが登場!

さっそく契約を終え、今月からとうとうインターネット環境が無料となった。(翌年5月からは月額2980円)

インターネット環境とスマホ環境を整えるのは今では必須の時代。スマホのSIMとインターネット回線用のSIMとで現在4枚のSIMを契約中。新しく購入した楽天miniは外用ルーターにもなる。

まあ、先見性の高いYou Tuber の最新動画をいつも見ている事と、通信ネットワークに詳しい夫がすべてを取り仕切っている。わたしはなんにもわかりません(笑)

ただ、新しいインターネット環境を手に入れてどんどん使えば、自然と暮らしの無駄な圧迫もなくなる。激安なモノやコトはまず、情報を大量に仕入れて吟味しつつ、ネタにもしつつ、楽しんでいる今なのだ。

3月にchrome Bookを半額で量販店購入、つい最近は楽天miniを1円(利用料1年間無料)で購入。激安生活はいつでも身の回りに転がっている。

約半額で購入したchrome Book
5月購入の楽天mini

というわけでインターネット環境についてのまとめでした。

電子書籍で読みたいジャンル~紙書籍でなくてはならないジャンルとは【暮らし/紙上講座・本の読み方】

業界では拡大、拡大を続けていると言われる電子書籍市場。

すべての書籍と国立国会図書館との関係

電子書籍に向いているジャンルと紙書籍に向くジャンルとは

まとめ~本の読み方が変わる!電子書籍と紙書籍の読み分けをしよう

電子書籍業界が沸騰中らしい。それは、紙の本での蒐集が追いつかない古文書や出版数の少ない作家の本などは、ある一定期間を過ぎると、どんどんこの世から消えて行く運命にある。なぜなら、書店から売れずに返品された本や期限切れで返本された本は、バッサリと細断されて焼却される運命だから。

そこを、あらゆる手を尽くし早めに入手して、対価のほぼかからない電子書籍として蘇らせるビジネスが存在している。それは作家にとっても出版元にとってもデジタルで半永久的に残せるのだから幸せなことだろう。

その中にはいわゆる、レア本と呼ばれる大変に希少な本や古文書も混ざっているらしい。現場で絶対にお目にかかれることのないレア本がなぜ、電子書籍では存在するのか・・・?


わたしは古文書等の古い本には興味はないのだが、昨日、ある大学の図書館にお邪魔する機会があり、そこで国立国会図書館デジタルコレクシなるサイトを発見して、貴重で希少な本であればあるほど、ここでは電子書籍で保存されているのだということを知った。

すべての書籍と国立国会図書館の関係


国立国会図書館では、国内のすべてのあらゆる出版物を限りなく保存し続けているということはかなり前から知っていた。たとえば、紙版のすべての書籍、毎日多数出版される電子書籍、スーパーのチラシや無料のミニコミ紙、同人紙のたぐいまで。本当!?どうやって?と、不思議なくらいに思う蒐集力なのだ。一度、足を運んで自分の目で確かめてみなくてはいけない。

電子書籍に向くジャンル 紙書籍に向くジャンルとは


4年前に初出版をした時、電子書籍だから売れてなんぼ、売れなくてもここ(国立国会図書館)で作品を保存、著者の索引(末席)に入れてもらえた事で充分満足していた(笑)

さて、はたして、わたしの書いた初版本は電子書籍での発売で良かったのだろうか?電子書籍のスタイルは、今では盛んにジャンル分けがされている時世だから。

わたしの書いた本は、自己啓発・ビジネスで比較的読みやすく、少々テキスト調だったが、概ね電子書籍にマッチする内容だった.。

電子書籍に向いているジャンル・・・エッセイ、漫画、ビジネス、自己啓発、コアなマニア本など。

従来の紙書籍が向くジャンル・・・小説、実用論文、専門書など。

これで、はっきりわかることは、頭に汗をかくような書籍は電子版には向かないということだ。サッと読める電子版は概ねライトな内容で消費されるものが合う。なぜなら、かさばらず、最速で最新の情報が手にはいる紙版より安価など。

頭に汗をかく書籍は、じっくり参照するのが基本だ。手元に置いておくために紙版がよいのだ。そもそも専門書の場合は電子版が出版されていないという場合も未だ多くある。

また、電子書籍をストレスなく読めるのがkindleなどの書籍専用端末リーダー。つい最近も新バージョンのkindleが発売されたばかりだ。

最近では、音声で聴く読書なども、専用アプリが出ていて、読書がライフスタイルの中で、衣・食・住と並ぶ重要なジャンルになったのだと、新型コロナウィルス感染予防対策での、自粛生活から新たに気がついた視点だ。

まとめ~本の読み方が変わる!電子書籍と紙書籍の読み分けをしよう

電子書籍は今では、普通の生活に馴染んでいることだろうから、改めて電子書籍で読みたい本と紙書籍で手元に置いておきたい本と分けてコレクションするのが今風なのだ。

ちなみに、わたしのブログ【書評】で紹介してる書籍は、すべて紙版だ。末永くいつまでも手元に置いて、何度でも読み返す本を選書してレビューをしている。

まだまだ、探求深堀りできる書籍の世界。最後に、珍しい書籍を探す3つの方法を紹介して終わろう。


~珍しい書籍を探す方法~
① 国立国会図書館デジタルコレクションを利用。
② 電子書籍ストアを活用する。
③ 神田などの古書店街で探す。


地域のフリマなどでも古書や絶版本に出会えるかもね。

愚痴を言う友より、一緒に喜ぶ友がいい【暮らし・友だちエッセイ】

愚痴を言う友より、一緒に喜ぶ友がいい

勤務先のある品川にて


 孤独の楽しみは、簡単に言ってしまえば、美味しい物を一人で食べて充実、美しい景色を見に行って満喫、それで心も体も英気を養えれば本望だと。

しかし、人間の心の奥底には承認欲求なるものが潜んでる。家族があっても友達じゃなければダメとか、友達じゃあ自分の子供じゃないしとか、この件ではこの人に認められたいといった、要するにわがままな解決不能な意識の問題になってる。

常に誰かと一緒でなければ!というクセを多くの人が抱える事ともなっているらしい。


 わたしが本当の寂しさと孤独を感じたのは、11年前の8月に脳出血で突然倒れ、緊急搬送されて、なんとか一命をとりとめた時だった。ICUの外に続々と集まってきた家族や友人たちの声が聞こえるのだけど、わたしはもう、あの仲間には入れないんだな・・・と、心底がっかりしたのだ。

もちろん、そんな感傷に浸る間もく、体がどんどん勝手にマヒし続けていた。わたしのマヒはかなりひどく、32か所に及ぶ重症だった。それでも元来前向きな性格なので、泣いている暇はない!となんとか早めに退院して、家から毎日バスでリハビリセンターへ通う日々を約半年間続けた。


 なぜ、前向きな性格のまま生きてこれたのか?それは、今の仕事に出会って、気のよい同僚に囲まれて、ちょっとボケてる愚痴のない素敵な上司にも可愛がられた事だと思う。なんと10年以上も営業職を続けて来れたのもみんな、上司や同僚、家族がいてくれたからだ。言語障害の残るわたしの営業時には書店側担当者のだいたいが皆、手を止めてわたしの話を耳をそば立てて聞いてくれる。みんな優しい。


 緊急入院した時はまだ入社1年。わたしの心境は「あ~あ、もう辞めさせられちゃうんだな」と思っていた。夫を通じて会社には、”倒れた今もこの仕事は天職”と思っていることを伝えてもらっていたが、上司たちが見舞いに来てくれた時は「退社の話だろう」と思った。

ところが意外にも「半年で治せるか?車には乗れるように、電話がかけられるように、文字が書けるように・・・」などなど、細かい指示を出して、それを半年間メールで進捗せよと。わたしの営業先には10名の社員が代わりに営業して支援すると、万全の体制だった。


 その時の「治れば仕事を続けて良い」という言葉に、驚きと半年のオフタイム、ただただびっくりしてるわたしに女性の上司が目に涙をためながら、「体を治すことが一番!仕事なんてどうにでもなるよ」と。

わが社にも、何人もこういった厳しい状況を受け入れてもらって今でも、勤務する同僚も割りといるのだそうだ。今回のコロナ休業でもサッとマスクの配給や2か月の自宅待機を出され、安心して、ことの収束を待つのみだった。会社には感謝しかない。

話を戻そう。半年後、復職した事を誰よりも喜んで迎えてくれた上司や同僚たち。ああ、ずっと粋がっていたのはわたしの方、この時ほど心のたがが解れたと思った事はなかった。

自分の身体が動かなくなった時こそ、人の心が透かしたように見える事がわかる。今にして思ってもほんわりする、でも激動の始まりの日の思い出。

 それから11年、その女性上司も昨年定年を迎えた。一緒に働けないのは寂しいけど、友情や恋愛、趣味や文化も寂しさというスパイス無しでは、味気ないただの経験になってしまう。

寂しさ=孤独こそが豊かな感性を生む源になるのだと感じる。ついでに1歩進めて考えると、この寂しさを味方につける事が本当に豊かな人生なのだ。

長期休暇が終わった昨日。久々に営業に出て思い出した話。