★2024年2月9日更新 肩の力を抜いてみている~文章を書きたいのに書けない時、どうするか / 発想を自分発にする【紙上講座・ブログ執筆術】

【ブログ新規追加265回】

2月になって、素晴らしいお天気の日ばかり。着々と春に向かっている。

こつこつと地味な更新というルーティンが必要不可欠なブログ。

SNSは別に不定期であってもいい。第一仕事じゃないのだから。

しかし、ブログは若干の仕事モードに切り替えた2020年。仕事と見立てているから毎日書く。

春の訪れに、トレッキングや山歩きに出たくて、ソワソワな毎日だ。あれほど本気で読んでいる本も、2月に入ってからはまだ5冊程度の読了。

ただ、読書もやみくもに読了を目指してはいない。

ルーティンでもノルマでもないから、ここも外に出たい気持ちを抑えてまで無理やり詰め込もうなんていうのは絶対にしないんだ。

そんなわけで、2月はゆるゆると「好き」を詰め込んでいる真最中(笑)

                   ☆彡

春はわたしが一番好きな季節。

しかも、今の家から低い山や丘陵地帯と自然公園まで徒歩5分。自然公園自体は、低山なのだが、その頂上の草むらに「四つ葉ばかりのクローバー」が茂る場所がある。

息子が小学生の頃通った、学童保育クラブで教わった秘密の場所。

当時、遠足で登った時、四つ葉をたくさん摘んだのよ。そこまででも、今の家から徒歩30分という危険な立地(笑)

なぜ、危険か?といえば、毎日でも行けちゃうから。四つ葉それだけで、仕事や他の用事を潰すつもりはない。

でもね。その四つ葉の場所があれから一度も見つからない。それを探しにいくハンティング欲が異常に漲ってくるの。

そして、いつかは書きたい20年越しの「四つ葉のクローバーだけが咲く丘」の短編。

わたしの書く話は基本的に「自分の経験・体験」から書く。

あまり創作を好んでいないのかもしれない。

そして、他人の疑似体験や追体験を書く事も多分、ないんじゃないかな。

どうしてないのか?これについては、またそのうちに。

                  ☆彡

さて、

ブログの持つ習慣性の話をしよう。

以前のブログの頃にあるブロガーさんと非公開でメッセのやり取りをした。彼女はよく、書けなくなるらしいの。その時、筋トレの筋肉を思い出すという話をしていた。

わたしは、書けなくなるとか、あまりそういうことはないのだが、彼女は、書く頻度が下がり続けるとどうなるか?といえば、筋トレと同じで、ブログ筋=文章筋が弱くなってしまうのだと話していた。

ブログ筋=文章筋が弱ると、まず、書くスピードが遅くなり、アイデアが湧きにくくなる。また、無理をして書いてみても、思うような表現がスッと出てこない。

で、このループに入ると「書く意味」を見いだせなくなり、どんどん億劫になって、「もう、いいや!」と、ますます書かなくなる負の循環が待っている。

そういう時に危険な思考は、書けないくせに「きちんとした文章を書こう!」と、自分の肩に負荷をかけるのだ。そしてさらに書けなくなるのだそうだ。

そして、わたしへの質問「こんな時どーしたらいい?」と聞かれた。

とっさにわたしは、普段の自分の執筆スタイルの基本をお話しした。

それは、日記や雑文、短編小説でも、すべて、「自分が体験したエピソードだけ」で書いているのよ・・・と、話し、書くのに行き詰ったら、「自分を掘り下げてみて!体験を書いて!」と、背中を押したのだ。

                ☆彡

軽い日記でも、雑文でも、その内容が「本人の体験」から出て来たものだったら、ちゃんと書けないわけはないし、反対にスッと書けてしまうんじゃないかな?

体験をていねいに抽出する。コーヒーをゆっくり豆から落とすように。

~事実は小説より奇なり~だもの。

書けないからって、どこかの有名な誰かみたいな文章など真似ても仕方がない。

書けなくなった時には、ウォーミングアップかリハビリのつもりで、体験エピソードを文字にすることを目いっぱい楽しむのが一番。

書けない・・・この状況を味わい尽くそうと、話をまとめた。

わたしはずっと、この体験を書くという「自分発」思考で、書き続けてきた。

最近では、脳の回転とキーボードを打つ指の速度までも一つの回路として成り立っている(気がする・笑)

ブログの持つ習慣性の凄さを実感する毎日だ。

春浅い間に肩の力が抜けて、気がついたら

「快心の文章」が書けていたとか・・・夢だね。

★2025年2月7日更新 季節ものの記事を書く・更新する楽しみ~これまでのブログ記事の更新もどんどんするとよい理由【紙上講座・ブログ更新術】

【ブログ新規追加263回】

日本人で本当に良かったなあ~と思うのが、四季の存在。

ただ、昨年からの新型コロナウイルスの影響で、現在でも緊急事態宣言下の東京に住むわたし。

しかし、確実に春は迫ってきているから、万全のコロナ対策をし、趣味であるトレッキングや山歩きにはボチボチ出かけている。

● ブログ記事を活き活きさせる方法は「更新」に尽きる読者には常に新しい情報を提供

わたしのブログの大元にあるコンセプトのひとつに「」がある。コロナで仕事にも影響が出て、遠くへの旅も基本的には禁止。

では、「」のコンセプトをどう更新するか?そこで考えたのが、今まで書いてきたブログの旅編で、

① 思い立ったらすぐ行ける!

② お金をかけない 

③ 近い

この3点(安・近・短)がある記事の更新をきっちりやって行こうと考えた。

ブログ記事も2~3年すると、すでに古くなっている状況も多々ある。

特にコロナの影響で今ではやっていないとか、立ち入ることができないなどの現地情報など、必然的に更新が必要であろう。

なぜ、更新が必要なのか?

それは、ひとえに「古い情報は読者に対してマイナスなもの」だからだ。

これはひとつの例だが、あるブロガーさん(30代男性)の記事で、トップに固定されている格安SIMとWifi環境の記事がある。

もう、何ヵ月も更新されていない。

格安SIMの現在の状況も更新せねばいけないよね。しかもその記事にはおススメ商品として、もうなくなってしまったWifi商品が載せられている。

情報通信関係専門のYou Tuberやブロガーはとにかく、記事更新の回転を速くしなければいけない。

もう無くなくなってしまったサービスを載せている場合は、削除せずとも、現在の状況を鑑みて、その他のサービスを追加するなどの付加価値をつけて再登場させるのがベター。

ここで言いたいのは、自分のブログ記事は大切に愛でて、手入れをする、まるで我が子のように扱うものなのだ。

たかがブログ、されどブログって、書いた以上は責任があるとも思っている。

                 ★

 四季折々の記事は再度読み返される得点がもっとも高い~毎年更新する価値あり!

わたしの「安・近・短」で行く旅では、おもに現地まで車で行ける場所が多い。車を置ける駐車場が完備されているか?を徹底的に調べるのが検索では一番重要だ。

きっと、同じように行動する人は多いだろうから、わたしの記事では出がけから現地までのルートや車の置き場、付近の情報を少しだが必ず入れるように書いている。しかも最新情報で。

季節ごとに込み合う道や場所、そこの名物なども自分が食べた、飲んだものはしっかりと伝える。間違っても行ってないお店の案内は書かない。

だって、味わからないもん(笑)

これがガイドブックとは違う、生きたブログの魅力なのだ。

だから、毎年、「ここはおススメ!」と言える場所を選んで記事を書き、毎年同じ頃に訪れて更新するとかって、バラエティが豊富で楽しいと感じている。

書き手が心底楽しんでいる!とか、旅先でのトラブルを回避した記事とか、読者目線で役に立つ記事が良く読まれるものなのだ。

そして、手前みそだが、きちんと更新されているブログは検索数も増えて、SEO順位も上がりいいこと尽くめ。

Web記事の更新は大鉄則だという話を書いた。

最後に。

ブログはやってないから関係ない?

いいや、どんなモノゴトも「更新」という思考や作業は意外なほど、生活を豊かにするもの。

もう春だし、身のまわりの更新をどんどんやってみてはいかが?

【ちょっと、目先の変わった季節モノ絵本の紹介】

※ 父親が本を出版したことに刺激を受けた小学生が自分の本を出す!

しょうがこうがだいすき」うい/えがしらみちこ(著)学研

絵本の概要・・・小学2年生のせんぱいから、これから小学生になるみんなへ。

「さけばないようにれんしゅうしよう」など小学校生活を楽しく送るための16のアドバイスを、ういさんが自分の力で書き上げた。

不安と楽しみがいっぱいの入学を控えたお子さんに送る一冊。




★2024年2月2日更新 Googleアドセンスとのつきあい方~やっと、個人識別番号が届く【紙上講座・Googleアドセンス】

【ブログ新規追加256回】

昨日、米Google社より、アドセンスの個人識別番号が届いた。

コロナで遅れるとの通知が来ていた識別番号。

これが届いて、中に表示されているコードをアドセンスに登録すると、

やっと、わたしのアカウントに正式な認可が下りる。

要するに、住所、人物の特定、収益の支払い先など、

すべてこのコードがなければ何も始まらない。

しかも、紙の書類で届くというアナログさだ。一種の驚き!

Googleアドセンス保有者数などは、一切公表されてはいない。

全世界でどのくらいの保有者数があるのだろう。その数すべてが仕事となっているわけではないいだろうが(笑)

● 毎日更新の理由

わたしが、毎日更新にこだわる理由のひとつには、

今、使っているWordPressというソフトウエアの手入れを必然的にしなければならないから。

毎日記事更新を日課にすれば、自然とプラグインの更新や、中に貼るGoogleアドセンスの広告内容の確認などができる。

読者数などもきっちりと教えてくれるのが有難い。昨今、他サイトの仕組みで、PV数とインプレッションを混同させるような表示が見受けられた。

サイトを開き読みに来てくれた(であろう)人と、Web上でスクロール時に(表紙を)チラっと見た人・・・では違いは一目瞭然だ。

これを混同させて、安易に読者数が増えているかのように見せかける、サイト側のマジックだ。そこへ行くと、Wordpressは結構厳しい。

サイトのメンテもしながら、数字も見ていなければならない。だから単純に毎日更新をしながらサイトが良好に動くように手入れをするのを習慣にしてきたのだ。

● Googleアドセンスの広告を自動にせず、内容重視にしているのには理由がある

わたしは、早期の段階でGoogleアドセンス内の男女の関係に既存するグッズやコミックでもいわゆる「エロやBL]などの広告をすべて排除した。

わたしの書くブログ内容に一切関係のない広告は貼りたくはないもの。それに、そういった広告で人を誘導するのは、わたしのルールではNGだ。

こうした小さな手入れを少しずつ、この7か月間淡々とやり続けてきた。

● 今後の話

現在、使っているサーバも、もっとSEOに強い信号を持つ物に替えるかもしれない。

SNSとの連携はTwitterとFacebookのみにしているから、そこからの流入はさほどでもないけれど、Web上で公開されているブログ本体への流入がかなり見込めてきた。

SEO対策もちょっとだけ考えるの(笑)

わたしは、存分に手入れして書ける自由な独自サイトが欲しかった。

そこに、ちっちゃい、バッジとして、GoogleアドセンスやAmazonアソシエトを貼る権利を獲得。

毎日、我が子のようなブログサイトを運営しながら、存分に書籍の紹介をしたりできる、ずっと願っていた小さな仕事の実現が果たせつつある。

手元で小さく丁寧な作りに始終するのが何とも心地よい。

という、Googleアドセンスの小さな一歩を書いてみた。

連休3本「読書の価値を考える」インプットとアウトプット~ネットに読書感想を上げる意味は?/よりよいアウトプット法【紙上講座③・インプット&アウトプット論】

【ブログ新規追加239回】

わたしのブログでは「本」のアレコレを主体にした記事が中心だ。

で、この連休は、「本の価値」を上げる内容の記事を3本書き起こした。

第3回は、ネットを使う場合の感想や紹介の書き方を、簡単にまとめてみた。

ネットでの読書感想とか、本の紹介のいわゆる、アウトプットの本意は、フォロワーなど他者に対して「わたしはコレを読んだ」「こう感じた」などを伝えるのが第一目的だ。

なぜ、そうするのかといえば、今「コレ」を読んでいる人との共有や、「コレ」については話ができる、よもやま講義ができる?用意があるよ…と、自己開示しているようなものだからだ。

特に、同じ「コレ」を読んだ人に出会いたい、という強い思いを感じる投稿もまま見受ける場合がある。読み手であれば、あるほど、共有・共感を求めているのだと感じる。

ここで、せっかく読んだ本の「よりよいアウトプットの方法」を2つあげてみよう。

● 読書感想&本の紹介~こうすればもっと伝わる!

読んだ本の共感を得たい!・・・本の具体的な紹介(著者・出版社・値段・表紙)などの表記と「具体的に、どう感じたのか?」の点をアウトプットしよう。

(本の表紙をアップする場合に気をつけたい点は表紙の載せ方。全部を見せずに部分的に切り取る。著作権に引っかからないようにしよう)

意外だが、「どう感じたのか?」を自分の言葉で書くことが、実は一番読者には刺さる。

ただ、どこが良かったとか、どこが印象的だったとか(最近では、エモいとかいう・笑)という本の場所だけを表示するのは「まったく伝わらない」のだ。

※ 自分の言葉で、「どう感じた」を、キッチリ書いてみよう。

(ブックレビューという本を紹介し購入を促す文章では主観はご法度だが、感想の場合は、反対に自分の主観がないと伝わらない。また、いくら主観であっても好き嫌いを上げる行為は共感度を著しく下げる)


② 本文の引用にはご注意を!・・・ある書評ブログに、その本自体の内容を丸抜きして、文字数を埋めている記事があった。

これは、その本に棒線をラインマーカーで引いただけの記事。わたしは本にラインは引かない。

書評ブログにある本文丸抜きは、ここは!と思う部分に棒線を引く、一種の作業の一環だろう。そこを後で自分で読んで、ブログのネタにしているのがよくわかる。

しかし、なぜ、そこを取り上げたのか?「自分にとって大事だったから?」それとも、「不特定多数の人に大事そうだったから?」これが、曖昧になっている場合がある。

この観点の違いは大きい。

読書感想や本の紹介であれば、「どうしてこの本なのか?」「なぜ、皆に知らせたいのか?」など、書き手の目的がそこには必ず潜んでいる。

そこを、しっかりと自分の言葉で抜き出せれば必ず読者に伝わる。

結局、ネットのスクロール「0,2秒の世界」で読者が欲しているのは、「あなた自身のなぜ?」が、かいま見えるか?どうかだけだ。

本の全文掲載は著作権法違反にあたる。歌の歌詞なども同様。文章のスタイル、長短は関係ない)

● 感動を要約して伝えるには~自身の体験と重なる部分をアウトプットする

TVで、素晴らしいコメントに出会った。

1月10日、昨日TBSテレビ「サンデーモーニング」の人気スポーツコーナーで元野球選手の張本勲氏が新年第98回箱根駅伝の話を振られてのコメント「創価、2位。さぞ、悔しかっただろう!」と。

なぜなら、張本氏自身が、現役時代、「2位」という立場に長く苦しんできたからだそうだ。

張本氏、続けて「あの日は、泣いたね。あっぱれ!!」と、締めくくった。

どうだろう。

わたしは、通りいっぺんのコメント「駒沢大がゴール200m手前で創価大を抜き去った!あっぱれ!」と口々に語られる中、張本氏は自身の体験を要約し尽くしたコメントを一瞬で披露。超要約が心底響いた。

もちろん、関口弘氏の名ファシリテーター役が、上手く「張本さんも2番で苦しんだんだね」と、良い返しをしてくれたのが機縁だが。

そうそう、コーナーの始めにこんなことも言っていた。

張本氏「勝負にはまさか!があるからね」とも。

お見事。

一流は勝負師でなければならない!とこれまた一瞬で語られた。

どんな文章でも、ダラダラ説明しがちな場合は要約しよう。時には言いたい部分をあえて捨てるのも大事なのだ。

                ☆彡

3連休、「読書の価値」をテーマに、ちょっとためになる記事を書いてみた。

① つまらない本に出会った場合のこなし方

② 読みずらい?小説を読了するには著者のエッセイで興味を倍増しよう。

③ ネットに読書感想&書籍紹介を上げる~伝わる書き方

読書を今まで以上に楽しめるように注力した。

本の価値は、誰もが子どもの時から知っている。

しかし、今は、なんでもネットで「検索」できるし、娯楽だって山のようにある。

それでも、本を読むことでしか得られないものは無数にあるのだ。

次回があるなら、「本選びの極意~大切にすべきただ1つの原則/出版営業の視点」とか、

シリーズで書いてみようかな(笑)


★2024年1月10日更新 連休3本「読書の価値を考える」エッセイを読む~他人の思考をのぞき込む体験/小説の前に作家自身のエッセイを読んでみよう【紙上講座②・読書論】

【ブログ新規追加238回】

昨日は、のっけから「つまらない本」のこなし方などを滔々と述べてみた(笑)

今日は「小説を最後まで読み切る最良の方法」をお伝えする。

またまたぁ~~~~そんなことが簡単にできるの?

はい!できます。

それは、読もうと思っている作家自身の書いた、エッセイをまず読むのだ。

できれば、2~3冊ぐらいがいいだろう。

● なぜ小説の前にエッセイを読むのがいいのか~人の思考を覗き見て相手を知ることで興味が倍増するから

エッセイ(随筆)とは、何か特別なテーマがあるわけではない。その時、思いついたことや考えたこと、妄想などをつれづれに書く、という文章だ。

私は、エッセイ好きだが、その昔は、他人の書いたつれづれの散文というか雑文を読む価値があるのだろうか・・・?などと、生意気に思っていたものだ。

ただ好きな小説家、例えばわたしの場合、「スローなブギにしてくれ」の著者・片岡義男氏や「西郷どん」の著者・林真理子女史など、小説自体も抜群に面白いのだが、彼らの書いたエッセイはさらに群を抜いて面白い。

そこから作家の日常を知りたくて、「エッセイ→小説」を読む読書方法をひたすら続けてきた。

で、気づけば、片岡義男氏と林真理子女史の小説作品はほぼ、全巻網羅するぐらいの読書数となった。

別に全巻読破!を掲げていたわけではないし、それを誰かに話したり、共有することもなかった。

あえて言うなら、ブックレビューライター時代に、「レビューが読みやすいのは、何か書き方に秘訣があるのでしょうか?」との編集者の問いかけに、「エッセイを読みまくってきたからかしら?」と答えた記憶がある。

一方で、エッセイにハマった小説家も何人か(笑)おひとり上げるとすると、この方だ。

村上春樹氏。氏の名立たる小説の多くは、未だ未読だ。ただ、氏の書く日記のようなエッセイが、それはそれは面白い。

職業としての小説家

【書籍概要】

いま、世界が渇望する稀有な作家──
村上春樹が考える、すべてのテーマが、ここにある。
自伝的なエピソードも豊かに、待望の長編エッセイ。

「目次」

第一回 小説家は寛容な人種なのか

第二回 小説家になった頃

第三回 文学賞について

第四回 オリジナリティーについて

第五回 さて、何を書けばいいのか?

第六回 時間を味方につける──長編小説を書くこと

第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み

第八回 学校について

第九回 どんな人物を登場させようか?

第十回 誰のために書くのか?

第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア

第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出

あとがき

「MONKEY」大好評連載の<村上春樹私的講演録>に、
大幅な書き下ろし150枚を加えた長編エッセイだ。

物書きを目指す人も、そうでない人でも誰でも楽しめる内容に驚き。

                   ☆


小説という、ある意味「風景や情景をことごとく説明する文章」を面白い!と感じて最後まで読み終えるのは、実はすごく大変なことなのだ。

だから、せっかく読もうと思う小説家の作品があるのであれば、その作家が書いたエッセイを読み、その人の思考を覗き見る楽しさをプラスするといい。

すでに、作家の日常をかいま見る楽しさを知っているからこその、充実した読了が叶うかもしれない。

さあ、読了を習慣にしよう!


連休3本「読書の価値を考える」読書というパラダイスをさらに磨く「つまらない本」をどう読むか?の攻略【紙上講座①・読書論】

【ブログ新規追加237回】

新年仕事初めを難なくやり通せた今週。

今後、1都3県に発出されるであろう、2度目の「緊急事態宣言」の内容にヤキモキしつつも、現場では、新年の挨拶を毎日、元気に淡々と繰り返してきた。

「ああ~、これがわたしの仕事の現場だわ~~」と、客先への訪問を一件、一件終わらせるたびに、喜びを噛みしめる。

この先、コロナ禍だろうと、出版不況だろうと、抗い続けて仕事に邁進する腹づもりでいるのだ。

さて、七草粥も終わった(実は食べず・(´;ω;`)ウッ…)今週末、3連休だと?何だか、あんまり仕事もしてないのに、休んでばかりじゃあね・・・。

せめて、このブログでは「読んで役に立つ」「あなたの時間をムダにしない!」とか、普段から言っているのだから、連休3日間は、「読書の価値」を考える記事を書いてみよう。

せっかく買ったのに「つまらない本」だったら~「つまらなさ」の料理法

「つまらない」という負の感情は、人との関係とかにも良く似ていると思わない?

大昔、こんなことがあった。

友人の結婚式の二次会での出来事。友人が、あの人、この人と色々考えて、より良いと思う席順を決めていたのだが。

当日になって、丸いテーブルに8人の男女。わたし達夫婦とその他3人づつの独身男女。

もちろん、知らない人も数人含まれていた。

友人のかなり近しい友達だと思われる男性から突然発っせられた一言。

「この席、つまんない!どーしてこんな知らない人ばっかりの席にしたんだよ!」と、友人に文句の矢を吹いた。

友人は、自分をよく知る人間だから、知らない人同士でもエピソードなどを交えながら気軽にムードメーカーになってもらいたかったんだと言っていた。

しかも、その「つまらない」発言の彼は、その後、他の席を渡り歩き、すべての席で「つまらない」を繰り返して結局、元の席へご帰還(笑)

何が「つまらない」だったのか。そんなに人のお祝いに自分を投影したかったのだろうか。

とても哀れな幕引きだった。

彼が回遊中に、わたし達の席では、7人がみんなで友人夫婦のエピソードを順々に語り合いながらとても話が弾んだ。

さて、本題の「つまらない本」だが、せっかく身銭を切って買った本が最後まで読めないことは、わたしにも良くある。

人との関係に似ていると言ったのは「たまに生理的に合わない人」がいるのと同じで、本の場合も「嚙み合わない本」というのが、存在してるのだ。

しかし、人間関係と決定的に違うのは、本の場合は「つまらなければ、即シャットアウトできる」ということだろう。

いとも簡単に、というかお手軽に。だって、本を、またはネットを閉じるだけだから。

わたしも年間300冊は目を通す書籍。その中の約10%は、そういった肌の合わない本がある。

では、「つまらない本」の価値の見い出し方を書き出してみよう。

                ☆彡

① まず、何が「つまらないのか?」を5秒で考える。(文章の語り口、文体が合わない、紙の質、厚さ、タイトルが本文の表すのとの相違、電子書籍の場合はデザインの好き嫌いなど)

② 続けて読むか決める(再度、目次に目を通す)

③ 続けて読まないと決めた本は、せめて大見出し、中見出し、小見出しまでざざ~~っと目を通す。

④ 続けて読まないと決めた本の表紙、カバー、奥付、帯や最終ページ、あとがき、値段などすべてをこれまたざあ~~~っと見て終了。

お気づきだろうか。①~④まで、すべて読んではいない。「見ている」のだ。(笑)

ここまでで、ものの5分とかからないだろう。

これで、読みたかったけど「「つまらない本」に格下げされた本の成仏ができるのだ。

                ☆彡

どう?何だかスッキリしない?

こんな独自の本の読み方=見かたもあるってことをいつか、書こうと思っていた。

冒頭に触れた、「つまらない!」を連発して、周りからひんしゅくを買ってしまった彼も、すぐにシャットアウトせずに、周りへの興味を発揮して「つまらなさ」の攻略ができたら、良かったのにね。

結局、「つまらない」と感じるのが悪いのではなく、簡単に自分の嫌い!という思いを発したために損をしてしまった。

本でも「買った金額を取り戻せ!」ということではない。

食わず嫌いは結局、大損」をするから、本が好きならば、本の価値を上げるためにも、自分なりの攻略方法を持っていた方が断然よいだろう。

● 最後に

つまらない本も最後まで目を通す努力が、寒いこの3連休にやりがいに変わるかも(笑)





★2024年12月30日更新 文章論10本勝負 第10回~2021年に挑戦することを決めた【紙上講座⑩・来年への展望】

【ブログ新規追加231回】

文章論10本勝負も今日で終了。10本に文章にまつわる様々な気づきを詰め込んでみた。

しかしながら、わたしの頭の中では、「次は何処へ行こう?」このことばかり考えていた。

WordPressを習得して、Googleアドセンスも取得し、ブログの収益化を果たすことができた2020年。

あとは、成長路線に載せるだけだ。

わたしにとっては、WEB上で文章を基軸に「仕事を作る」のが、一番やりたいことなのだとわかった。

で、色々と模索中であるが、「kindle作家」として、年に数回のセルフ出版を果たそうと考えている。

やりやいことをしっかりと捉えてやりがいに昇華し、あわよくば仕事になるよう執筆環境を整えようと考えた。

※ 電子書籍と電子出版全般の詳細は、「文章論10本勝負 第六回」で取り上げた。ここに記事を添付する。

わたしの強みは、「一度決めたらよほどのことが無い限りやり通す」という習性だ。そこを重視してこの案件に集中してみたいと思い立った。

kindle出版の一冊目の審査が通り、無事出版となったら、ブログのお知らせで発表する予定。

まだ、構成も内容もまったく絞り込んではいない。

頭に汗をかく毎日を手に入れるのが、目下の目標なのだ。

                ☆彡

2020年のことを、どうこう言うつもりもない。ただ、まだまだコロナの終息には時間がかかりそうだ。

先行きが見えないのなら、自分の先行きぐらいはしっかり決めておこう。

【お知らせ】

ブログ読者の皆様、常々本当に感謝しております。

今後の予定ですが、12月31日~1月3日まで、ブログはお休みとなります。

2021年1月4日より投稿を始めます。

また、明年もどうぞ、お付き合いください。

2020年12月30日    Miiko

★2023年12月29日更新 文章論10本勝負 第九回~文脈理解の醍醐味は圧倒的読書で得る / わたしの読書パフォーマンスとは【紙上講座⑨・読書論】

【ブログ新規追加230回】

わたしの年間読書数は約300冊。紙の書籍は8割、電子書籍は2割ぐらい。

しかし、仕事以外で読むのがわたしの指す読書だ。

仕事に準ずる書籍は毎日、仕事の前にざざっと読んで、ホットな情報を先方に伝えるのが、わたしの仕事の真骨頂だ。

ここで、重要なのが「要約力」だ。回りくどく説明の多い、営業マンは大抵嫌われる。だって、話が長いから。

文章でも、たまに見かけるが、恐ろしく長い文章を書いて、自分の文章は長いから・・・と事前申告している人。

これは、自ら読者を減らすものだ。

人の時間は限られているのだから、大切な時間を割いて読んでくれるのだと思って書けば、読者思いの文章になり、最後まで読み進めて下さるだろう。

とにかく、「言いたいこと」をどれだけ「要約」できるか?が書き手の腕の見せ所だ。

                 ☆彡

さて、文章理解というか、文脈を捉えるための読書眼を磨き、鍛えるためにわたしがとり組んできた読書法をお伝えしよう。

● 一度に読む本は3冊

わたしは、毎週10冊の本を読書のために用意する。その内容はこうだ。

重い内容の本・・・思想・哲学など2冊

中くらいの軽さの本・・・生き方・戦術・経済・医療・福祉・環境(SDGsなど)3~5冊

軽い内容の本・・・趣味のトレッキングや自然、植物、暮しの全般的な内容 3冊

番外・・・小説を2冊

と、こんな感じで揃えて、一度に3冊を読むのが習慣になっている。

この「一度に読む」という行為は本当に一度に読むんだよ。

まず、重い本、例えばちょっと難解な哲学書を30分読んで、脳内が疲れたら、中ぐらいの軽さの本を1時間読んで、最後に仕上げで趣味の本や気になる小説などを1時間30分。

トータルで3時間の読書クルーズをする。

これを週3~4回はやりながら、文脈理解のための読書眼を日々育てている。きっとずっと続けていくであろう、「本を読みながら本を読む」という読書法だ。

実は、この読み方は、希代の作家の多くが取り入れている読み方なのだ。

わたしはメモも取らないし、線も引かない。せっかく読んだのに・・・って思われるかもしれないが、読んだことを忘れてしまっても、不思議と脳内の引き出しに詰まっているもので、出したい時に出せればいい。

ただ、本当に忘れてしまわないために、新年から、読んだ本と出版元、作者、内容の「要約」をブログのギャラリーに連ねて行こうと考えてる。

文章術とは、書くだけでなく、読み方にも一工夫が必要だ。

そして、読書であらゆる教養が得られる。これが、書き手の視点を広げ、豊かな表現になるのは必然だ。

それでは、また!


文章論10本勝負/第八回~ブログのモチベーションアップに大事な2つの視点(雑記)【紙上講座⑧・ブログ継続論】

【ブログ新規追加229回】

わたしの執筆現場はブログ一本だ。

「元々、紙の日記をつけてはいなかった。ネット上のブログに書いておけば場所を取らないな、日記も買わなくていいし」くらいの感じ。

自分の発言を誰かに読んでもらいたい!とかまったく考えたこともなかった。

それでもSNSの発展に乗って、特定されない状況なら、誰かに読んでほしいという気持ちがムクムク湧いてきた。

そこで、ブログを開設した当初、長く続けていくためのモチベーション設定を徹底してやった。

1、日本の総人口から推定する読者層→ブログを読んで欲しい人数をざっくり割り出す

私のブログを面白いと思って読んでくれる人は想定で1000人に一人ぐらいと想定。

そこから、読者数の設定を詰めるのだ。例えば、

2020年1月の日本人総人口が1億2713万8033人。(総務省2020年1月1日発表)

15~64歳人口は 7464万5千人くらい。(総務省2020年月発表)

SNS含むネットを見る可能性のある年代の人口から推測すると、1000人にひとりという単純な計算でも約8万人?という数字になる。

でっかいことを言うようだが、ネットのリーチ数とはこういうものだろう。

実際、昨日「#シチューかけご飯」というTwitterKWを使った投稿では、インプレッション56386,プロフ閲覧38と、たった3時間で一気に人目に触れたのだ。(いいね!数は判断せず)

このことからも、わたしにとっては、ブログのリーチする数が8万人対象でもその中のコア1000人に「読まれる・面白い・ためになる」と、感じてもらえるブログ作りをずっと考えてきた。

無名の記事や写真があっという間に流布するネット社会。

だからこそ、いい加減な書き方はできない。そこのところは、最初から「他者に向けた文章を書く」ことで完結する、というスタイルを持つブログと定義づけてきた。

そして、その「他者」が、面白い!とか、ためになる!とか、感じてもらえる「読者視点」だけを見つめて書いているんだ。

だから、避けるべきソースは「愚痴、誹り、貧困、暴力」など。

自分が面白いと思うものを楽しんでくれる人が全国に8万人はいると想定し、その人たちに向けて書く。

8万分の1000人のなかの1人にピンポイントで面白さを伝えられればいい。

2、文章のスタイルを確定する

社会の動向をネタに書く時もたま~にあるが、ほぼ、わたしの日常体験からくる雑文が基本。決して怖くないし、それほど嫌な気持ちにもならないだろう。

読後、津々と沁みてくるみたいな滋味深さをブログで体験、伝えるのが目標かな。

思うに、日記風な書き方ではなく、雑誌の小さなコラム・・・といったような立ち位置で書いている。こういった立ち位置は重要だと考えている。

最後に

書き続けるモチベーションがぼんやりしないために、リーチするのは数字だけで、特定のペルソナを想定しないぶん、ストレスはない。

ざっくりと読者数を設定したり、大好きな雑誌の構成を使ったブログ構成を立てるなど、小さく、小さく戦略をいっぱい立てて、虎視眈々と書き続けている。

これが、楽しくて、楽しくてやめられない。

完全にハマってる(笑)

~目線は大きく、取り組みは足元から~

★2024年12月27日更新 文章論10本勝負 第七回 / 記事の内容が難易か、文章が難易か~読み手にわかりやすい文章がやはり大事【紙上講座⑦・わかりやすさとは】

【ブログ新規追加228回】

2020年1月5日、年頭のブログから抜粋。700本の我がブログ過去記事を読み、そこから考えたものだ。

                  ☆彡

これまで5年あまり文章を書き続けてきた。

そのおおもとの軸(着地点)はどこにあるのか?

これを探すのが我がブログ全読破の大きな目的だった。

どんどん読み進めて行くうちに、ブログを始めた当時、

よく考えていたことを思い出した。


「誰が読んでもわかりやすく、読みやすい文章。難しい表現を上手に言い変えられるように、言いたいことが簡単に伝わるように」と。

「難しいことを、短く、わかりやすく書く」

これがわたしのスタイルだし、目指す文章なのだ。

文章が上手だとか、表現がきれいだとかではなく、誰が読んでも大筋、理解できるような文章を目指してきたのだ。

難しさの持つ、独特の言い回しや単語・表現などに文章が埋もれてしまわないように、解釈の間違いを起こしやすいものは気をつけて書いた。


 文章を書く人がこの先、どれだけ増えようと構わない。

わたしの着地点はここにあることで、ある意味、どんな素晴らしい文章に出くわしても、腐らず自信を持って書き続けられる。

                   ☆彡

と、こんなことを新年早々、書き綴っていた。では、より具体的に「誰にでもわかりやすく書く」方法を挙げてみよう。

● 内容の難易と文章の難易の立て訳

まず、4種類の文章と内容の難易はこれ。(以前、WEB記事の書き方講座で学んだもの)

① 難しいことを難しく書く

② 難しいことを簡単に書く

③ 簡単なことを難しく書く

④ 簡単なことを簡単に書く

わたしの場合は、明らかに②と④だわ(笑)

ごくたま~に「難しいことをわかりやすく書いてますね」と、褒められたり励まされたりするが、それは、一重に、「難しいことを書くのが苦手」なだけ。

自分の頭の中を基準にすると、自然と簡単な書き方に帰着するのだ。だから、人真似の文章だと、すぐにバレるよね。

これは怖い。

要するに、自分の持つ思考やそれまでの教養がすべてだから、それ以外は異質なものになっちゃうのだ。

WEB記事などで「自分の語り口で書く」のを、著しく推奨するのは、盗作やその違和感を避けるのが狙いだろう。

そのぐらい独自の言い回しは重要なものなのだ。

で、話を戻すと、内容と文章の難易を合わせるのが大事だと考えるのだが、①から、簡単に説明しよう。

① 「難しいことを難しく書く」とは。

この3つが揃っている文章が、基本的には難しいと言われる文章だ。

1、単語自体が難解

2、抽象度が高い・・・抽象とは、思考における手法のひとつで、対象から注目すべき要素を重点的に抜き出して他は捨て去る方法である。(ウイキペディアより)

3、止揚度が高い・・・アウフヘーベンのこと。小池百合子都知事が多用して話題となった、問題提起の仕方。下記にウイキペディアの引用を載せる。

  • あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。
  • 矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。(ウイキペディアより)

という二つの意味を有するのが止揚という。

論文など、どこまで難しく書けるか?が勝負のような場合は、この3点に注力して書いていくのがベストだろう。

まあ、わたしには論外だよ(笑)

② 「難しいことを簡単に書く」とは。

これは、わたしの得意分野かもしれない。

では、軽くひも解いてみよう。

①の3点を例にとってみる。

1、単語自体の難解さを上手く避けるには→漢字を減らし、熟語も減らすことで、より簡単に説明する。こうすると、次の展開へ行きやすい。

2、抽象度を上げずに表現するには→できるだけ、自分の体験したなどの具体例を使う。オリジナリティはここで表現するのがベター。

3、止揚度の上げかたは?→問題のひとつ、ひとつに対して短く簡単に自分の言葉で説明することで丁寧な優しい文章となる。(人に寄り添う文章には必須)

ただ、段階を追わなければ、アウフヘーベンは敵わずだ。

例えば、自分の専門分野を、まるで何も知らない素人が書く文章にするには、反対に事例や検証が必要となり、時間がかかるものだから、やりすぎは賛否両論かも。

こんな、1~3の方法で、書籍の執筆でも、ブックレビューでも、雑多な記事でも、ブログでも何でも書くことで、自分なりの「ちょい難かし簡単文章」の実現に努めている。

③「簡単なことを、難しく書く」とは

ここは、少しええっ?!って思われるかも。

作家であれば、「人を欺くため」に使うことが多い書き方だから。

例えば・・・

1、自分がすごいんだ!ということを知らしめたい場合

2、ある問題の内容が正しいと欺きたい場合

と、こんなところではないだろうか。

よくあるのが、政治や思想と利権を訴える団体などの文言とか、実は簡単なのに、難しく解説をして、畳みかけていくような、要は「胡散臭い」文章のこと。

だから、説明ぐせが文章に出てしまいがちな場合は要注意だ。わたしも気をつけよう。

④「簡単なことを簡単に書く」には

子どもの日記を思いだして!

今日あったこと、自分が体験したことしか書いていないはず。

この視点が大事だ。

● 最後に

文章をかっこつける前に、自分の帰着点を決めて、思い通りの文章を書いて行こう。

より、簡単に。

より、読み手に寄り添う、

より、わかりやすく、

こんな文章は誰からも好かれるよ。