★2023年12月26日更新 文章論10本勝負~eBook / 電子書籍についての考察~著者になるためには【紙上講座⑥・電子書籍論】

【ブログ新規追加227回】

● コンテンツを持っていれば、文章力や知名度に関係なく出版できるのがeBook

● 紙の本を出版する場合~現在

出版業界に転職して12年。この出版不況の中、もう、書き手としての「紙の本」へのこだわりは、気え失せてしまった。

なぜなら、書店にうず高く積まれる小説などの書籍は、ほぼ知名度があり、置けば一定数売れると分かっている本だけを、取次と呼ばれる仲卸業者から新刊配本という形で入るのが普通だ。

要するに、原稿料を頂きながら、書店の一番良い場所に平積みしてもらえるのが可能なのは、そういった極一部の知名度などの条件を充たした人だけなのだ。

世間では、「ブログなどのコンテンツを持っていて、自分で文章も書ける人」が、SNSの発展で無数に存在している。

いくら、強力なコンテンツを持っていても、知名度がないとか、無冠だということになると、出版社に持ち込んで、自費出版で出して、わたしのような出版営業が初回から数か月の間プロモートをかけても、無名の著者の紙の本が広く長く、世間に流通することはまず無い。

一瞬(2週間程度)書店で積まれたり、棚差しされたりするが、たいがいは見つけてもらえず、売り上げポスに数字が上がらず書店から出版元に返品されていく。

それでも書店で「積まれた!」「棚に入った!」という事実が大事ならば、高額な自費出版費用に耐えられる人もいるだろう。

しかし、それは、生涯書き続けていくためにはならないのは一目瞭然ではなかろうか?

わたしは、執筆した暁の思い出と返品の山(3年で版元は処分する)を抱きしめて生きていきたくはない。

まあ、未だ厳しい出版メディアの壁がある。しかし、書きたい人、本を出したい人は、どんどん増えているのだそうだ。

次に、そんな出版の世界を夢見る人への提案をしていこう。

● 紙の概念を180度変えてしまったeBook=電子書籍の存在

ブログや小説などのコンテンツをある程度、一冊の書籍になる分量の文字数さえあれば、0円で出版することができる。

※ 自分一人で編集、校正できれば、kindle出版電子書籍を出すことが可能だ。

kindle出版のアレコレ→https://kdp.amazon.co.jp/(資料元)

これを利用して、まず、一冊作成してみるのがいい。なぜ、そう思うのかといえば、著名なブロガーのだいたいは、kindle出版で自分の書房を持つ場合が多いからだ。

例えば、イケハヤ書房→https://www.google.com/

ちきりんkindleブックス→https://amzn.to/3mT9viS

※ この方々の場合は、先に大手出版社から書籍を出してベストセラーとなっている。それでも、kindleと契約することで、WEBでも販路を拡充し、最近では、kindle出版で出すように変わってきた経緯があるのでここに記しておいた。

kindle出版では、自由に執筆・編集して、ブログやSNSで発信する→ブログ本体やAmazonアソシエイトで販売するというのがメインの執筆から販売までのルートになる。

これなら、棚から消えることもなく、売れ残りを処分されることもない。何しろ、制作費用は0円だ。

闘病日記のような、記録史などは、もっともkindle出版に向いているのではないだろうか。

● WEB出版社での書籍出版を果たした話

わたしはこれまでの5年で、電子書籍2冊(紙版1冊含む)を某出版社でお声をかけて頂き、出版した。版元はWEB上で、軽くプロモートして下さり、後は自分のコンテンツで流通させる「形」を取ってきた。

kindleとはまったく違う畑で、編集者の元、しっかりとした「テーマ」や内容の資料集めやリサーチに約一ヵ月ほどかけた。

執筆期間は20000文字程度で一ヵ月。一気に熱量の高い状態で仕上げて行けるのが、このぐらいの期間かもしれない。

そして入稿後、一ヵ月の間に、本のデザインや様々なプロモートスケジュールの確認をして、出版社との契約に望む。

今年の場合は、依頼から約半年間の設定だった。

在庫も無く、制作費もなし。kindle出版ではない、商業出版として出版ルートやWEBの露出で宣伝もでき、原稿料や印税も頂けて、何のストレスもない。

印税も売り上げに対して、その都度入るのがある意味魅力でもある。作品の価値が長く続くのが印税が入ることで実感できるのだ。

WEB制作会社または、WEB出版社に原稿を持ち込むのも、著者への道としては王道だろうと想像する。

わたしはまだ、持ち込みは未経験。

● kindle出版のネックとは?

さて、簡単にできることばかり書いてきたkindle出版だが、kindle出版のネックは年数が経つと、読み放題キャンペーンなどでほぼ0円で表記、取引されてしまう点だ。(kindle annrimiddなどのキャンペーンに準ずる)

出版社ルートだと、そういったことはなく、あくまでも作品=商品としての価値で少額であってもちゃんと値段がついてずっと長い間売られ続けていく。

かたや、kindle出版で0円であっても、作品として、日本国会図書館にはデータ保存されるので、作品の著者になったことには、なんら変わりはない。

例え、kindle出版であっても、自分のコンテンツで大切に販路を拡充して行ければいい。書店の棚に入っても、ネット販売のように、気軽に毎日、ポロポロと売れ続けては行かない。

毎日、売れる可能性も秘めるkindle出版。

● わたしが考えている執筆活動の先(メディア出版からkindle作家まで)

わたしは、今後も、ひたすらブログ執筆を切らさず更新を続けていくことで、どこかの出版メディアに見つけてもらことを願う。

eBook出版の話が頂けたら、ブログ毎日更新のご褒美だと素直に思う。

で、気が向いたら、kindle作家の道もあるかも。

来年もいいご縁がつきますように。

ざっくりとDTP出版の経緯を書いてみた。

また、機会を作って公開していこうと考えている。






 

★ 2023年12月25日更新 文章論10本勝負~第五回 /もやもやしないためには文章構成を立てて書こう【紙上講座⑤・構成論】

【ブログ新規追加226回】

文章を書く一番の理由は、「伝えたいこと=メッセージを相手にわかりやすく伝える」ために書くものだ。

よく、人と話している時に、文脈がバラバラで話の筋があっちこっちにいっちゃって、よくわけがわからなくなってしまうことってあるよね。

あれを、文章でやってしまうとどうなるか・・・。

当然、伝えたいメッセージは伝わらない。それが、不特定多数のWEB公開であれば、まず誰にも読まれず、メッセージは沈没するだろう。

じゃあ、伝わりやすい文章の構成とは、どんなものだろう。

● 伝えたいメッセージを決める(何を伝えるかを明確にする)

● 伝えたいことがらをアレコレ工夫して(段落や改行、図式を使って)書く。

と、こんなことなのではないだろうか。

PCを立ち上げて、いきなりばあ~~~っと、書くのがわたしのスタイルだが、文章論①でも書いた通り、前日の夜に頭の「中」でネタと構成をずう~~~っと、考えている。

そして、朝、起きたら一気に書き上げるのが習慣になっている。

わたしの書き方は、自分がリアルで出会った人やことがらの衝撃を書いているのが主だ。

だからこそ、熱がこもるわけだが、ここで注力するのが、「伝えたいメッセージを起点として書く」この一点だ。

人と、同じ体験をしても、伝えたいメッセージは人によってまったく異なるわけで、仮に伝えたい箇所が誰かと被ってしまっても、使う語彙や文章構成、表現の方法は人それぞれ。

ここで、言いたいことは、自分のした体験をテーマにして書く時は、「起点」を決めて、そこを伝えきる工夫をすれば、記事のもやもやした曇りは避けられるってことだ。

要するに、あれも、これもと盛り込まないとも言える。

暗に、自分流の語り口にとらわれず、読み手思いの文章を書きたいね。



文章論10本勝負~第四回 / ショートエッセイ「クリスマスは奇跡を尊ぶ日」【紙上講座④・エッセイを書く】

【ブログ新規追加225回】

ショートエッセイ 

クリスマスは奇跡を尊ぶ日

先週末、出勤する息子を駅まで車で送っていた時、こんな話をした。

息子「ねえ、覚えてる?」

わたし「何?」

息子「ほら、小学校の時、交通事故にあったじゃん?」

わたし「えっ?誰が」

息子「なんだ忘れちゃった?俺がだよ!」

わたし「うん?、なんだかそんなこともあったような?」

息子「自転車で爆走中に突然、路地から出てきた車に当てられて自転車ごとボンネットに乗り上げて、飛ばされたあれだよ!」

わたし「あああ~~~、あった!あった!法外な修理費を要求されたけれど、あんたは無傷だったのよね」

息子「本来、9対1ぐらいで相手の過失だけれど、お母さんが相手に向かって、息子は無傷でした。だから示談に応じます・・・とか言って、ことを納めてくれたんだよ。あんなのは、いくらでも粘ってしぶとく請求を続けて絞りとることも可能なのにね」

息子「だから、お母さんは、脳出血発病の時も、寸でのところで助かったんじゃない?きっと、人を追い込まずに逃げ道を用意するようなところがあるからさ」

息子「そういう人は生かしておいた方が世の中のためになると、神様は判断したんだろうねえ・・・」

 その間、2~3分。わたしは息子から、忘れていた奇跡の話を聞けたんだ。これが、ちょっと早いクリスマスプレゼントでなくて何なんだろう。

何でもない日常が最高な日に変わった瞬間。

クリスマスに忘れていた奇跡を思い出す。

それだけで、充分幸せになれるよ。


★2024年12月23日更新 文章論10本勝負~第三回「だ・である」と「です・ます」に今でも悩む理由/まぜちゃってもいいとは言われないから【紙上講座③・文末論】

【ブログ新規追加224回】

今年、ある大手出版社の書籍原稿を書く機会を得た。

猛然と、一本書き上げて、意気揚々と編集に提出したところ、

編集者から、こんなメッセージを頂いた。

編集者「熱のこもった原稿を早くに入れて下さり感謝です。ただ、ひとつ、気になるのが、文体が混在しているところがあります」と。

「そこを修正頂ければOKです」

文体の混在・・・要するに「です・ます」と「だ・である」が混じっちゃっているということだ。

なんだか、こんなことを言われるようじゃ、書籍を出す著者としては「う~ん???どうなの?わたし」となった。

でも、素直に言われた通り、手入れをしたという経緯がある。

                 

一方、動画配信のセミナーなどでは、この文末混在に関しては、「どんどん、混在しちゃってください!」と言われる。

口語体が主体だから、なお混在しやすいのだろう。

                 ★

ブックレビューライターを約3年間請け負った。その仕事では、最初から、すべて「です・ます」調でお願いします!と求められていた。

ブックレビューは、自分の考える主張を「一切」書かない。ひたすら、書籍の内容をありとあらゆる言葉を使っで文章で伝えるのが仕事なのだ。

やはり、書く場所によって、書き換えなければいけないね。

                ★

● です・ます・・・敬体。丁寧語で表現する場合に利用する文体。社会的な場面ではほぼ、こちらが優先される。

● だ・である・・・常体。強く印象付けたい場面や自己主張や創作をメインに表現する場合に適応する。

わたしのブログに関しては、最初から口語体に準ずる常体で書こうと決めていたから、あまり悩まずにどんどん書き続けてきた。

そのせいか、書籍の原稿などでは、勢いづいて書いていると、無意識にこの文末混在が発生してしまっていたのでは?と、自己反省した。

だって、「ですます」調だけで書いていると語尾が重複してリズムが悪くなってしまうから。


「である」調で言い切ってテンポ良く文章を書きたい!と、常に考えているのよ。

わたしの思考の先に文末混在などは、すっかり忘れてしまうから冒頭の書籍執筆では、そこをやんわり指摘されたのだ。

ブログは、勢いと熱の高さが必要だから、である調でいいのだろう。

社会的文章は、完全にですます調。

創作やそれに準ずる書籍の執筆には、混在もありなのかもしれないね。

実際に著名作家の作品には混在がとても多いし。でも、考えなしに真似てはいけない。

さて、大作家の名タイトルからひとつ。

「吾輩は猫です」じゃあ、タイトルにならないよ。(笑)

吾輩は猫である」(上・下巻)

さすがのキレ!


★2023年12月22日更新 文章論10本勝負~第二回は「文章の長さに潜むトレンド」を読み解く/今の流行りは?【紙上講座②・長文論】

【ブログ新規追加222回】

今では、誰でもがSNSを使い、適当に文章を連ね、共有共感できる楽しみが普通に手に入る。今日のテーマは文章の長さについて。

言わずと知れた、Twitter140文字の制限や、インスタグラムの文章は写真のキャプションだから25文字程度だと言われるように、文章は発表する場所において一番合うスタイルを取らねばならない。

例えば、タレントの土屋太鳳さんのインスタグラムでは、写真のキャプションを大幅に逸脱した、1500文字もある記事なのだそう。

著名な人だからこそ、「何を書いているんだろう?」と興味を持って無数の人に読まれるだろうが、毎回同じような内容だったりすれば、すぐに読者も底をついてくるだろうな・・・と、感じる。

スマホの小さな画面いっぱいの文字は、相当負担になるだろうから。書き手の自己満足に陥る前に、自分の文章スタイルを見つめ直すのもありかと。

             ★ ★ ★

さて、長い文章と言えば小説全般だ。

なぜ、小説は長いのか?

それは、その物語の背景、登場人物など、それぞれ長さに準ずるストーリーがあり、その物語の幅がそうさせるものだからだ。

作家の片岡義男氏が、公開講座の席上、読者の質問に答えているシーンが印象的だったので、ここで文字に起こしてみる。

読者「小説を書きたいと思っています。ただ、どのくらいの長さであればいいのか?よくわかりません」

片岡氏「あはは~~~。それは簡単」

読者「ええ~~~簡単なんですかあ」

片岡氏「じゃあ、書き方の秘訣をひとつ」

ここで、その会場にいた人全員が固唾を呑む場面が公開される。

片岡氏「僕もね、長編小説などまったく書いたこともない新人の時代に、長編小説の依頼を受けてしまったんだよ」

片岡氏「そこで、僕は考えた~同じ人で、同じ時間軸~それを場所移動させて行けばいいのではないか~それをどんどんと繋げていけば、自然に長編小説となるんだ」

片岡氏「要するに短編小説をたくさん書くようなものなんだよ。長編小説ってのは!」

会場、騒然!

「なるほど」の嵐絶賛だったワンシーンだ。

昨今、なぜだか小説家がミニブームらしいのでちょっとだけ、長編小説の書き方について触れてみた。

              ★ ★ ★

著名な作家だから、長くても割合抵抗なく読むのではなかろうか?そこへ行くと、無名の自称小説家は一番分が悪い。

時間に限りがあるから、よほどのことがなければ、通りすがりのSNSなどでは簡単に開いてはもらえない。

わたくしごとで恐縮だが、先日アップした児童書の記事はすごく読まれた。それは、作家含む業界人が読みにきてくれたことが所以する。

こういった流れがある場合は、多少長い文章でも読んでも興味を持って読んでもらえるが、まったく無名の一小説家の書いた長文は果たして読まれるか?否か?

大半はまず、読まれない。偶然に文面にたどりついても、スクロールの多さにすぐに離脱されてしまうだろう。

せっかく書くのだから、読まれやすい、書き手のコミュニティで書き続けて、一定のファンを持つのが、一番手っ取り早い。

わたしは、以前のライブドアブログの時代に、読者の離脱をアバターを使って見ていたが、その離脱の速さには、本当にびっくり!

あれを見てから、文章を書く手順をまったく変えてみた。

● わたしのブログスタイル

① タイトルから内容がわかる(含みや比喩はなし)

② 導入リード文は25文字程度で(一回ですべてが視界に入る)

③ 長くても一章は500文字前後で3~4章仕立て(適度な読み応えがある)

④ かならずまとめ文も書く

と、こんなルールを決めてブログを書いていたら、やはり読みやすかったのか、PV数が急激に増え続けた経験がある。

書くことで今すぐ仕事を得る!仕事をエンジョイできる文章術

 

読み手思いでなければならない。

やはり、昨今、長い文章離れは続いているようだ。でも、それにおもねるだけでなく、

暗に長い文章は、せめて何を書いているのか?ぐらいは導入リード文で示すのがいいのではないだろうか?

自己満足に陥らない、読み手思いの文章をサッ!っと書けるようになりたいものだ。

精進・精進あるのみ(笑)




文章論10本勝負~第一回目は「ネタ切れ」について/簡単な克服法【紙上講座①・ネタ克服論】

【ブログ新規追加221回】

年末までの10日間、わたしの考える文章についての考察や、ちょっとした継続のコツなんかをまとめてみようと思い立った。

なにしろ、ブログの中であれば、縦横無尽に好き放題書けるから、ここに今の「書く」ことのすべてとまでは行かないにせよ、ひとつのテーマに沿って書いていこうかと。

さて、この一年、「書く」ことで仕事をしたのは、実はたった4ヶ月。

一月から4月まで、書籍の執筆だけだ。

それが終わったところで、Wordpress構築に着手→新ブログスタート→新刊発売→Googleアドセンス取得までで年頭から7か月。

それから、今日まで伸び伸びとブログを書いて、アドセンスでちょこちょこおこずかいを貯める毎日が実現した。

とりあえず、今年のやりたいことはほぼ完遂できたのではと考えている。

そして、ブログに関しては、アドセンスのSEO効果も考慮し、基本的に毎日更新することを決めて公開を続けてきた。

そこで思う継続の秘訣とは・・・。

~ネタは思いつくものでもなく、絞るものでもない。考え尽くすもの~ 

こういった考えがわたしの根底にはある。

いつも、いつも考え続けている。例えば、昨日ラジオで竹内まりやさんの、ベタな恋愛ソングを3曲も続けて聴いたら、もう、おなかいっぱい。

要するに、今のわたしには「ベタな恋愛は飽きてしまい発見が少なくネタにならない」というのがよ~くわかった。

反対に昨日、出会ったある書籍から「思考とセンスの導き方」という「行動心理を見抜くセンス」の話のほうが完全に「ネタ」にるものなのだ。

日頃、考えていることをまとめてサッと出すのがブログの真骨頂だ。あまり寝かせすぎは新鮮味に欠ける。

ブログは鮮度が命だから、こうしてネタと思えることがらを頭の「引き出し」いっぱいに入れておけば、いつでも取り出せる。

その取り出すコツが「考え続ける」ことなのだ。

                 

~継続には時間確保が最重要~

次に、続けるために必要な時間確保の話をしよう。

一日の生活スケジュールを洗い出してみよう。(わたしの場合はこんな)

5時 起床

5時半~7時前 ブログ執筆 ⦿

7時~9時 家事

9時~4時 外営業ないし会議など

4時~6時 仕事の事務処理や読書、ネット閲覧など ★

6時~9時 家事全般 お風呂とか

9時~11時 ネット情報を集めたり、電子書籍を読む ⦿

11時頃 就寝とまあ、だいたいこのルーティンで回っている。

★マークの時間は、突発的なことがらに対応が可能な時間だから、いつもスカスカにして体を休めたりしている。

⦿マークの時間は、唯一の創作とそれに準ずる時間で割合と、楽しみにしている。前日の夜に考え尽くして、朝一気にブログを書きあげると、一日がすんばらしく充実するのだ。

後手はごてごてなだけ(笑)

と、継続するためのコツ2点を書いてみた。

● まとめ~ブログ(さまざまな文章に対する)継続を続けるコツ

① ネタは思いつくのではなく、考え続ける中で生まれるもの。(オリジナリティはこうして出来上がる)

② 書く時間をしっかり確保する(その時間内に仕上げることで一日充実)

こんな感じで継続を続けている

毎日を味方につけよう!




Amazon Academyセミナーを視聴して【紙上講座・DX論】

【ブログ新規追加214回】

テーマ「デジタル・トランスフォーメーションが拓く日本の未来

日本政府が提唱する「Society 5.0」によるデジタル社会推進の動きや、近年発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響に伴い、デジタル・トランスフォーメーション(DX)の重要性がこれまで以上に注目されている。

6回目となる今回のAmazon Academyでは、人々の生活と政府の戦略が、ともにデジタル化へと変容していく中で、日本のデジタル・トランスフォーメーション、デジタル社会の推進に焦点を当て、政界・学術界・民間企業が今できることをあらためて問いかけるとともに、日本の将来に向けてどのように協創できるのかを議論する。

● Amazon JAPAN / ジャスパー・チャン 

三方よしを語る・・・現代は、人と人を繋げるのはデジタルであり、デジタル社会が支えている。これはまさに三方よしだろう。

Good例・・・広島県のある畳屋のAmazonネット販売が大成功。

※「さんぽうよし」とは、「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」。

売り手と買い手が共に満足し社会貢献まで繋がること。(コトバンクより)

● デジタル改革担当大臣 / 平井卓也

デジタル庁は、明年スタートに当たり、スピード&スピードを合言葉に準備に邁進している。

人に優しいデジタル社会の実現(高齢者・障害を持つ人が使いやすいデジタル)

パネルディスカッション

● 牧島かれん(自民党衆議院議員)・・・デジタル敗戦した日本の巻き返しを図る。定額給付金などのドタバタ・・・いっせのせ!でデジタルできないDXの現状。読み仮名問題など。

今までにないアジャイル開発を追及。

● 落合陽一(筑波大学准教授)・・・ウイズコロナとDXとは。テレワークも実際は4割程度。4割の就業時間が減った分、別の方向の仕事を生み出すのが必須。国民の関心事、地方移住、民芸(ものづくり)、祝祭(オリンピック)のありかたなど。

悲しいのが、日本は20年前のデジタル移行(オンライン会議はすでに20年前から施行されていた)がコロナでやっと叶った。非常に遅れている。

アジャイルに行けるところと行けないところの整理。

● ジャスパー・チャン(Amazon Japan社長)・・・常に自分のやり方を追求する行為を「amazon チャレンジ」といい社内でイノベーションの機会を持ってきた。

小学校で、欠席届けを電話でなくWEBのプラットホームでできないか?高齢者がもっと簡単で使いやすいデジタル機器の開発とか、あれもこれもと幅広の議論だった。

医療の現場で命を守るためのDX(5G)、国会のオンライン開催や投票など、どこまで取り組めるかダイバーシティ(多様化)の現代には急務。

アナログをどこまでデジタル移行できるかが大元の議論だった。

セミナー配信を聴きながら簡単にかいつまんで書いてみた。(読みにくくてスミマセン・泣笑)

               ★ ★ ★

わたしは、これまで2冊の電子書籍を発刊したが、制作費用は0円だった。紙版はAmazonオーダーシステムで「購入決済されたら刷る」という工程で、在庫を一切持たない創作が実現できた。

ひいては、2冊目の出版社との契約には、すべてデジタル決済でGMOのアプリ契約で終えられた。要するに紙、ハンコ、郵便が一切必要なかった。これは、出版社にとっても作家にも、環境にも三方よしだ。

今までの価値観が大きく変わった体験だった。

トータルなエコシステムを考え続けて行こう。

価値観の変換を恐れず、ワクワクする未来を創るのは今。

第6回配信先→https://youtu.be/rwfr-ZkhXTM 

デジタル・トランスフォーメーションが拓く日本の未来

小説ってこんなふうに書くのか! 片岡義男と江國香織が惜しげもなく明かす「最高の小説のつくりかた」~再読して目を覚ます【紙上講座・小説の書き方】

【ブログ新規追加204回】

画像を拝借

2016年に発表されたWEB記事。当時、ブログを始めたばかりで、大好きな作家の対談で、ずっと引き出しに大切にしまってきた。

蔵出し(笑)

見出しを抜き出してみよう。

● 小説をどこからはじめるか

● ディティールの詰め方(紙カップひとつから見えるもの)

● 小説の中に「時間」を流す方法

● あれではなくコレが正解(何が正解かは書いてみてわかる)

● 現実と小説の関係は

● 小説になるという確信の由来

● 小説に必要なものは、外からやってくる

● 小説の終わりかたについて(物語が行きたいところへ行かせる)

● 物語は放し飼いに限る

以上、まさしく小説の書き方が凝縮された圧巻の対談。この書き方で「スローなブギにしてくれ」片岡義男・作 「冷静と情熱のあいだ」江國香織・作が生まれたのだ。

                                                            ★                                

昨晩から猛然と記事を読み返している。

2016年から今まで、わたしは正統派小説には一切、手をつけてはこなかった。なぜなら、ブログの面白さに完全にハマったからだ。

わたしはブログで作るWEB雑誌のひとり編集という作業が、ことのほか好きだ。

だから、今年立ち上げたこのブログは、テーマを「東京・多摩地域を~行く・撮る・書く・食べる・学ぶ」の5つの視点から雑誌風に仕上げてきた。

で、わたしが思うに、WEBで文章を表現するのであれば、2つの道しかなかろう。(SNS系のサービスを除く)

① 雑誌みたいな作りをしたブログを運営し、多種多様に作品を投稿する。

② 自らを作家と名乗り、小説やエッセイを書き綴ってファンを集める。

この2点のやり方はSNS連携での場合。

①の性質上、雑誌のような編集をしたブログは、わたし自身のことがらであっても、発表したものはブログのものだ。

だって、雑誌の編集長が誰か?なんて、誰も知らないし、気にもならないはず。

だからわたしの顔はなし。

一方の②は、小説などの文章中心で発表をする場合。これは、その人なりの名前と顔で勝負する世界。どっちが、自分に向いているのか?

そこを考えた時、この「小説ってこんなふうに書くのか! 片岡義男と江國香織が惜しげもなく明かす「最高の小説のつくりかた」に出会った。

記事を読んで。

ああ~~わたしは、作家のように、細かな描写は到底できないな・・・と。それに、そういった心象風景的な場面は小説家が書くもんでしょ!と、即座に雑誌編集を好むわたしの書き方というか、ブログ中心の路線が決まったのだ。

この立て訳がわかってから、むやみに小説を書くことに憧れることもなくなった。自分の書き方の軸を持てたと、確信したのだ。

翻って、上記の9ポイントを小説の書き方テキストとして、思いっきり真似すれば小説は書けるのかもしれない。

この対談記事で作家が一番伝えたかったのは、きっとこれだ。

~小説は文章の完成形だと。俳句や短歌同様に

そして厚みのある内容豊富な小説の書き方の基本は、こんな風に読み取った。

「小説を支えるすべての風景や要因を、選び抜いた言葉で表現する」これが小説の書き方なのだ。

全部書いてなんぼの話。手抜きはすぐに読者に見抜かれてしまうだろう。

まったく、気の遠くなる仕事だ。

わたしには、まだまだまったく小説を書く覚悟ができない。

それがわかっただけでも、記事を再度読んだ価値があった。

「今、この時点で、書いちゃうほど身の程知らずじゃない」と。

                 ★

※ 下に記事を貼っておきました。ご興味があればぜひ!

小説ってこんなふうに書くのか! 片岡義男と江國香織が惜しげもなく明かす「最高の小説のつくりかた」

記事リンク先→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49143

★2024年11月25日更新 「365日書く」を一年続けた結果~「書く自信」と「呼吸するように書くが」叶った 【紙上講座・連投の秘訣】

【ブログ新規追加195回】

「365日書き続ける」を続けて一年。

毎日の生活に「書く」をしっかり落とし込んできた。

やってみて「呼吸と一緒」だと知った時は驚きだった。

呼吸」は、疾患がない普通の状態であれば、まったく気にならない。

書く」も同じ状況に変化したのはつい最近。

わたしは、まったく頭の中に何も無い状態で、PCを立ち上げるのが常だ。

それでも、すう~っと、書きたい「こと」が溢れてくる。

これが、毎日続く。

こんな幸せなことはない。

で、たったひとつ、「365日書き続ける」ために意識し続けたのが、

「一発当てるという根性を持たない」

これだけだった。

当てる、狙う・・・そんなことばかり考えていたら怠け者になる。書き続ける筋力も絶対につかないだろう。

無名であっても「本物志向」でありたい。

そして、「365日」書くために必要な「こと」がもうひとつ。

「書いたものを発表し続ける」

他人に読んでもらう、無意識に読んでもらう、これが一番いい刺激になる。

例えば、わたしは、不特定多数の目に触れる文章は「である」調で書く。相対して、仕事でのビジネス文書は「です・ます」調で書く、というように完全に切り分けている。

そして、どの場合も無意識に目に入るものだ。

そのなかで、書き手の自分が「どうしても伝えたい!」と願う部分を顕著にするための、書きやすさなのだ。

また、呼吸をするようにスラスラと流れる文章は、誰にでも読める。

「読みやすいはわかりやすい」のだ。

こうして、毎日、文章に対するハードルを下げ続けた結果、「呼吸をするように書く」が叶い、心底気持ちのいいものだと受け止められた。

この感覚が得られたのが一番の収穫じゃないだろうか。

● 最後に

わたしの「365日書く」を支えているのは、豊富な読書量だ。

読み方は「深読」もあれば「流し読み」もあるし、「見出しだけ読み」や「写真、イラストの挿入画」だけを見る場合もある。

ただ、ただ、楽しい「読書」の世界。これがあり続ける限り、わたしは書き続けるだろう。

365日書いているが、常に問い続けているのは、「他人に読んでもらえる文章の極意は、その文章に教養があるかどうか?」だ。

教養」だけは、積み上げなければ身につかない努力の賜物だ。

わたしは、多大な読書量で精いっぱい努力して、小さな己に一生懸命「教養」という栄養を与え続けている。

そして、「入れたら出す」を繰り返すためにブログというツールを使い始めたのよ。

「365日書く」は、今のわたしにとっては「ケ」でも「ハレ」でもなく、地味に普通のものになった。

これってかなり幸せ。

★2024年11月15日更新 文体が好きだから読む~もはや好きな文体がみつかったら文章とかどうでもいいのかも  【紙上講座・文体論】

【ブログ新規追加186回】

旅先でなぜか、文体のことをずっと考えていた。

わたしは、片岡義男氏や村上龍氏の作品の大ファンである。もう30年以上も。

それでも、そういった作品たちを肌身離さず読み続けてきたか?といえばそんなことはない。

だって、人の好みは日々移り変わるもの。無数に存在する作家の文体にたくさん触れて、好みの文体を見つけていくことは、わたしの一生をかけてのささやかなライフワークなのだ。

 文体とは

文章の様式。和文体、漢文体、あるいは書簡体など

筆者の個性的特色が見られる、文章のスタイル

と。

また、文体とは、文章を書くスタイルのことで、物語であれば主人公や作者の着眼点によって差が出てくるものだといえる。

この簡単な説明で文体のすべてを語れるわけではないが、要するに、個性的な文体を持つ作家なり書き手を見つけるのが、読者の最大の楽しみであるのは間違いないだろう。

ここで、「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」村上春樹(著)新潮文庫 からの一節を取り出してみよう。

~旅行というのはいいものだなと思う。

人の心の中にしか残らないもの、

だからこそ何よりも貴重なものを、

旅は僕らに与えてくれる。

その時は気づかなくても、

あとでそれを知ることになるものを。

もしそうでなかったら、

いったい誰が旅行なんかするだろう?~

村上春樹

わたしは、この数年、村上春樹氏のエッセイをかなり読み込んできた。それは、独特な乾いたというか、ストレートな表現がピタっと心に刺さったから。

無駄のないストレートでクリーンな文体。「僕ら」と言い切ることで、仲間、共有を図る憎い表現のしかたなど。

あらためて、独自の文体を持てる書き手の幸せを共有する、いうなれば、読み手=こちら側の幸せ感を村上春樹氏の作品が与えてくれた。

これこそが、「旅」であり「貴重な体験」だろう。

どうぞ、お好きな文体を見つけてみて。

きっと幸せ感が倍増するから。