【ブログ新規追加375回】
「純文学を読まないと人として成長しないよ!」と、言われてしまったのは藤原和博氏。(元公立中学校校長、著述家、教育改革実践家。 東京都初の中学校の民間人校長として杉並区立和田中学校の校長を務めた。)
藤原氏がリクルートで営業として働いていた頃、ある編集プロダクションの社長が話の途中で、
「ところで藤原君、純文学、読んでる?」と、社長が聞く。
当時の藤原氏、ほぼ読んではいなかった。なんと答えたのか。
「誰の作品ですか?」と、返す。直感的にこの場面では「本を読む習慣がないことをごまかさなければ!」と、藤原氏。
社長は「そうだなあ、今は宮本輝か連城三紀彦とかかな」
藤原氏は、名前は聞いたことがあっても、もちろん読んだことなどなかった。そして、言い訳がましく、「いやあ、僕、営業ですからねえ、お客さんの資料や企画書を作るために参考になるようなビジネス書を読むのがやっとで、そこまで手が回らないんですよ」と返した。
その言葉を聞いた社長は真顔になって、キツ~イ一言を発した。
「純文学を読まないと、人間として成長しないよ」と。
藤原氏は、読んでいないうしろめたさを棚に上げ、その決めつけるような言い方にムっとした。
さて、その後、ムッとした藤原氏が取った行動は・・・翌日、銀座の旭屋書店に飛び込んで、宮本輝氏の「青が散る」(文藝春秋)と連城三紀彦氏の「恋文」(新潮社)2冊を買い、すぐに、喫茶店で貪るように読み始めたのだそうだ。
結果は、「なんということはない、無条件に面白かった。純文学とはなんたるものかということすら気にならない、エンターテイメントとして最高の作品だった」と。
そこから、宮本 輝氏、連城 三紀彦氏、宮部 みゆき氏、重松 清氏、藤沢 周氏、島田雅彦氏の作品を渡り歩いた。
気に入った作家の作品はすべて読んだ。そこから学んだのは。
~純文学は、現代社会を生きる人間の心模様を活写するものなのだ。人間の醜い部分も含めた、人の本質をこれでもか!とえぐり出す。そういった文章の表現は、たいがい、まだるっこしさを感じながらも、重厚な作品へと成長するのだ。読み手とともに~
わたしは、藤原 和博氏の、この文章を読んで、ハッ!とした。
「そうか。やっぱり、文学から離れちゃいけないのね」と、気づかされた。
確かに「青が散る」の青春文学では、「三日三晩、エリートの中年オッサンに身を委ねてしまう女子大生」このあたりの描写が凄かったな。あれこそ一級の純文学。
また、女流作家では大好きな宮部みゆき氏の作品では「レベル7」が忘れられない。「ある日、目が覚めたら部屋に2000万円があった。その金は誰のもの?」医療とサスペンスが交錯する。
というわけで、純文学は、しっかり読むとそのストーリーや描写が頭にちゃんと残る。これって凄いことだ。
作家の思考や脳みその一部がストーリーとなって、自分の頭に移植されるんだから。これが「小説には敵わない」と、思わせる書き手の技なんだろうな。
※ おすすめ現代純文学作家→村上春樹、村上龍、川上未映子、平野啓一郎、村田紗耶香、又吉直樹、中村文則など。
わたしは、村上龍氏の作品はほぼ読破してきた。超長編小説をひとつ紹介しよう。
『半島を出よ 』(幻冬舎)簡単レビュー;北朝鮮が本気で戦争を起こすとしたら、まず、日本の長崎(佐世保)を占領し上陸を果たすだろう。その時に使う薬物兵器はなんと、ヤドクガエルという猛毒を持つカエル。カエルを使うコマンド(兵士)の驚きの訓練とは?村上氏10年の構想期間を経て発刊された。第58回(2005年) 野間文芸賞受賞
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しかし、わたしは無類のエッセイ好き。
今、読んでいるのは「星の王子さま」で著名なサン・テグジュペリ作『人間の土地』だ。
この作品は、映画監督である宮崎 駿氏が、映画の題材に使ったことで有名になった一書だ。
簡単にレビューすると、「飛行機好きのサン・テグジュペリが、サハラ砂漠のど真ん中に飛行機で不時着遭難し、三日後に奇跡の生還を遂げる」エッセイだ。
サハラの乾きと疲労にどう、打ち克ったのか・・・。そこが最大の読みどころだ。
まだ、そこまで読んでいないので、レビューはここまで(笑)
★
久しぶりに純文学にハマりたい。
読み倒して、大成長を遂げる物語が書けるかもしれないしね(笑)
邪推だけども、正直な気持ち。
今、ここから試してみる。と、勢い選んだのは夏目漱石『硝子戸の中』
あれ?この名作もエッセイじゃん!
無類のエッセイ好きの周辺にはエッセイが無数に転がっている。小説の道は遠いよ(泣笑)
● 最後に
決めつけないで、読みたい本を読もう!
その行動がすでに成長路線なのだから。