経験の積み重ねは智慧という魔法だ~常に今が人生のピークだと思える【暮らし・経験値】

【ブログ新規追加717回】

年をとって、何がありがたいか?って。

それは、「経験」があるってことなのだ。

「経験」を重ねると味わい深い「知恵」という副産物が溢れてくるものだ。

「経験」を財産だと考えたら、何憶円も持っていることと同じだろう。(すでに大富豪かも・笑)

困った時、これまでの経験を総動員して考え尽くすでしょ?

そして、たいがいは冷静沈着になって、慌てず、騒がず、問題解決するハズよ。

この溢れる「知恵」そのものが若い人の持ち得ない「魔法」なんだ。

ま、魔法って言っても、怪しい行動や怖い祈祷をするわけじゃない。

長く生きて試練を乗り越えてきた「数々の経験」のことを魔法って言うのよ。

だから、魔法使いっておばあちゃんなんだ!って気づいた。

(不思議なのだけど「おじいちゃん」には魔法使いは似合わない・笑)

良いことも、悪いことも経験をいっぱい重ねてきている分、すぐに飛んでくるぐらい身軽なのも魔法使いの条件だろう。

だから、身体を鍛えておくのもとっても大事なのだ。

ほら、よくいるじゃない?というか未開の地ならではの土地の神様みたいな人が。

ヒマラヤの麓やアフリカの村には床屋のような場所に、歯医者や理髪師、整体師、薬草で身体の不調を直すオールマイティな療養士とか。

しかし、文明が進んでスマホを持つ未開の地の人になっている。

ただ、経験したことのすべてが今に応用できなくったって、その人にすれば、その経験値だけが拠り所だっただろうし。

こういった、未開の場所には経験を魔法に替える優れた村人がいっぱいいたんだろう。

自分が経験して良かったことや助かったこと、恵をもたらした話など、その人が持つ大事な経験から得た知恵を、惜しみなく授けるのが優れた魔法使いなのだ。

(観光客相手の怪しい偽魔法使いは別だよ)

さて、わたしも魔法使いになれるかしら?

経験はそれなりに積んできたけど、何かが足りない気がする。

足りない何かがわかるまで、生き続けて経験を重ねて行こうっと。

経験=魔法だって話よ。

★2024年5月15日更新 97歳看護師の映像に感激~働き続けるということ【仕事・生涯青春】

【ブログ新規追加716回】

97歳でも、仕事に向き合うマインドは超一流な女性を見つけた。

理路整然とした語り口が、97歳という年齢を忘れさせる。

なんと知的な女性だろう。

池田さんにとって「働く」とは?

多くをわたしが語るより、ぜひとも動画を観てほしい。

そこに彼女の働く意味が語られているから。

求められている間は、身体が動く間は「働き続ける」のだそうだ。

小さな、腰の曲がったおばあちゃんが、一生懸命「働く」ことで幸せになっている。

元気をもらった1本の動画だ。

                   ★

2021年に池田さんが出された書籍も紹介しよう。

• 書籍レビュー

戦前から看護婦、保健婦として活躍し、75歳のとき三重県最高年齢でケアマネジャー試験に合格。88歳でサ高住「いちしの里」に勤務、97歳の今も現役で働き続ける池田きぬさん。

こんな年まで仕事続けるとは思わなかったけれど、3日家にいると外に働きに出たくなってしまうと。週1〜2回、人手が足りない日に朝から勤務に入る。


年だからと甘えてはあかんですね。できることは自分でせな、若い人のサポートをするのが年寄りの役目ですと、きっぱり話される。

やっぱり体はえらくなる(=疲れる)けれど、仕事中は休まず。きびきびと動き、入居者1人1人に親身に声をかける。

お世話する入居者はほとんどが自分より年下。みなさんが元気になり、家族の方が喜んでくれるのが何よりの喜びだそうだ。


夫が先立ち20年、ひとり暮らしを今も続ける。家のことも、できる限り自分で。庭で花や野菜を育て、料理を楽しむ。自転車にも乗る。


「人生100年時代」が叫ばれる今、「いつまで働かなくてはいけないのか……」と暗くなる向きも多い。そんな中、きぬさんの存在は大きな希望。

「高齢になっても働く」ことを前向きにとらえる──そんなメッセージを発信。きぬさんの仕事観から、これまでの人生、日常生活、上手に生きる知恵まで、心温まる写真とともに語りおろす。

これからも、素晴らしいworking womanを見つけてここに取り上げて行こう。

死ぬまで、働く』池田 衣・著

★2024年5月13日更新 こころの中に引き出しをいっぱい持つしあわせ【健康・エッセイ】

【ブログ新規追加714回】

こころの中にいっぱい引き出しを持っている?

わたしは持っている。

15年前の闘病の時にいっぱい持つ訓練をした。

例えば、人生で見てきた様々な花を季節ごとに「こころの中の引き出し」に入れていく。

今日のTOP写真はそんな、こころの引き出しの中から拾い出した花だ。

家の裏に咲く「八重咲のドクダミ」5月13日撮影

匂いがキツイから摘んだりしないで、サッと一枚撮ってきた。

と、こんな「こころの中のお花の引き出し」には、季節ごとに、いつ?どこで?などがぎっしりと詰まっている。

病気で倒れた時、毎日、毎日、リハビリしかやることはなく、それでも時間を持て余すのは絶対にイヤだったので、ありとあらゆる事がらを考え続けていた。

そのひとつ、ひとつをメモにしたかったのだけれど、身体のあちこちが麻痺していて文字はまったく書けなくなった。

だから、頭とこころにタンスを作って、引き出しをいっぱい用意したんだ。

そして、入院中、大好きなモノやコト、ある時は花や食べ物、ある時は旅、ある時はお金とか、ひたすら考えては入れる、考えては入れるを繰り返していた。

だから、忙しいったら、ありゃしない!

(ちなみに、こういった思考を司るメニューはリハビリにはいっぱいあるのよ。それを自分なりにカスタマイズしたってわけ)

ありとあらゆる事がらを考える」本当にこれは、阿呆みたいに時間が溢れている時しかできないよ。

だから、時間を作って、ひたすら考え事ができるなら絶対おススメする。

いざ、困った時、退屈で死にそうな時(笑)、不安で仕方がない時、こんな時にいっぱい作った引き出しを開けて、中身をひとつ、ひとつ取り出してみるの。たぶんそれだけでかなり癒されるんじゃないかな?

わたしは、こういった妄想というか、考えるクセがとても強くて、頻繁に考えていないと不安になっちゃう。

そして、引き出しを開ける楽しみは自分だけのもの。

こういった考え事って、わたしは夜、使った食器を洗い、グラスなどをひとつ、ひとつ丁寧にふきんで拭いて行く時にやっている。

最近、夫に言われて気づいた。「洗い物、すごく長くない?」だと。

要するに、水の使い過ぎを指摘されたようだ(笑)

だから、食器を丁寧に洗いはするが、水の使い過ぎには気をつけよう!って思った。

素直でしょ?

グラスを丁寧に拭いて、まだ、こころの中の引き出しを楽しみたかったら、PCや社用PCの画面の指紋をきれいにふき取るとかするね。

こんな、ささやかな考えるための時間ってしあわせなもの。

しかも、今では、ブログの小噺という重要な役目さえもっている、こころの引き出し。

ささやかなモノやコトであればあるほど、引き出しいっぱいに持っていれば、気持ちが安定するのだ。

そして、自分を自分で機嫌よくさせる技だとも思う。

というわけで「こころの引き出し」をたくさん作ったらとてもしあわせだったという話を書いてみた。

ぜひ、たくさんの引き出しを意識的に作ってみてはいかが?

もちろん0円(笑)

勤務先の移転で新オフィスに行く【仕事・オフィス移転】

【ブログ新規追加713回】

曇天の今日、勤め先の移転後、初めての会議に出席した。

五反田。これまで市ヶ谷~品川と移転を経験してきたが、こんなにタイトなスケジュールでの移転は初めて。

新オフィスはやはり駅近の高層ビルだ。

しかし、オフィス内は、木がふんだんに使われたそれは、美しい空間だった。

コロナ禍で都心のオフィスが地方に移転するニュースが頻繁にあるなか、出版事業だからか、都心にこだわって、移転を遂げたようだ。

今までとはまったく指向を変えたオフィス。見せてもらったら、今では個人のスペースや机は存在せず、自由にPCを携えて移動する方式になっていた。

テレワークやオンライン会議が主流になった昨今では当たり前かもしれない。

で、カフェスペースでは、今までなかった、癒しのお茶がいくつもあり、わたしは、ミルクティーを作って、会議スペースへ行った。

コーヒーサーバーは有料で美味しいのが飲めるし。そっちは次回に。

目的の会議にびっちりと参加しつつ、終わり頃はコロナで会えなかった別の部署での交流が楽しい。

これから、毎月、会議の日の外食をアップできそうで嬉しい。

ちなみに、「牛すじカレー専門店」を同僚が発見!

帰りに幾度も誘われたが、断固スル―したよ。

だって、会議の日、我が家はほぼ「カレー」なんだもん(笑)

ビジネス街に居酒屋、夜には目黒川沿いに屋台が出現する五反田。

観光客の多い品川とは全く違う風情が面白い。

さて、行きつけの飲み屋とかができるかな?

それだけが楽しみよん(笑)

※ 五反田の由来→田の広さに由来する 「反」は面積を表す単位(1反=約300坪)で、田の面積が5反であったことに由来する。 1911年(明治44年)、JR五反田駅が開業したのを契機に「五反田」は駅周辺の総称となり、また目黒川岸の低地で小さな集落であった町は急速に発展した。(資料元;https://www.google.com/)

会議終わりで、同僚がスマホで撮ってくれたんだけど、下手だねえ(笑)

やっぱりソロギターはいいよね~2022グラミー賞でのこぼれ話【暮らし・ソロギター】

【ブログ新規追加711回】

初夏を思わせる晴れ上がった日。一日中、運転しながら営業先を回る。

そんな時、運転のお供は、ソロギターのカッコいい曲。

例えば、イーグルス(結成からすでに46年!)とかシカゴとか、渋いところではサンタナ(ゲームオブラブ最高!・笑)とか日本ではキリンジとか、もういくつでも挙げられるんだよ。

全部、運転中に聴くと気分が上がる。

そして、イーグルスの「ホテル カリフォルニア」のツインギターで始まるイントロにグっとくるのはわたしだけじゃないでしょう?!

今日は何度もリピートして、これを聴いていた。とにかく懐かしいったらない。

ここで、ちょっと昔の旅話を。

わたし達の初ロサンゼルス旅行(かれこれ38年ぐらい前!)では、このアルバムの場所に行くのが目的だった。そこはビバリーヒルズ。

夕方、夫とふたりで現地コンダクターのダットサン(四駆)で連れて行ってもらったのけど、あっという間にRodeo Drを走り抜けちゃった。その時のボケボケ写真も大事に取ってある。

そして、ホテルの名前が「ホテル カリフォルニア」だとばっかり思い込んでいたら、コンダクターはそれって「ホテル ビバリーヒルズじゃない?」と。

で、気づくのが遅くって、レコードジャケットのあのホテルが車のミラーに写ったところをやっと、1枚の写真に収めた。

わたしは、ホテルをこの目で見られた感激で名前が違うとかどーでも良かったんだけど。ドライバーに正しく伝えられなかったのがちょっと悔しかった。

このころから、先走って考えるのがクセで、思い込むのも悪いクセだった(笑)

で、その日泊まったのはビバリーヒルズからほど近いダウンタウンのシェラトンユニバーサル。

古い家具が素敵なお部屋で高層階から見えたホテルのプールとビバリーヒルズの夜景は今でも忘れられない。

そんな思い出を思い出しながら、運転中に聴くのはソロギターの調べ。

なんとも心地よいものだ。

                    ★

思い出話はさておき、昨今、ソロギターの楽曲がグラミー賞から消えたのだそうだ。(選考の段階でスルーされているとも言われているらしい)

今朝、そんな情報を小耳に挟んだ。

別にソロギター曲がグラミー賞から消えてもご飯が食べられないというわけじゃないけれど、なんだか寂しいというか、音楽の幅が狭まったような気がしたし、何しろ残念だ。

ダンス中心のBTSとかより、渋いソロギターの楽曲を取り上げて欲しいよ。グラミー賞には。

なぜ、無くなったのかな。地味にスル―されてるだけかしら。

ギターという楽器やギタリストは、限りなくカッコいいものなんだけど。

まあ、そのうち時代が真っすぐになって、ソロギター元年が訪れるのを期待していましょ。

そうそう、家で聴く一番好きなソロギター曲はこちら。

ノラジョーンズ。(Best Norah Jones)

すてきよね。

※ 文章中のプレイヤーには代表曲のリンクを埋め込んであるのでぜひ聴いてみて。

いつも健康でいたいから毎日の過ごし方を改めて検証した~歩くと毎日が発見ばかり♪【健康・日々の過ごし方】

【ブログ新規追加710回】

わたしはとても良く歩く。

もちろん、仕事で歩くのが一番多い。歩くことが目的になってはいないかな。

でも、週末や休日もちょっと、時間ができたらすぐに歩きに行っちゃう。いわゆるウォ―キングをしに行くんだ。

なぜ、平日も仕事で歩いているのに、休みの日まで歩くのか?

それは、休みの日には「仕事以外の考え事」をするって決めているからなの。

普段、仕事の時はほぼ、運転中もバスに乗っている時も、電車に乗っている時も仕事のことだけを考え続けている。

この切り替えが長年の習慣になっている。

だから、休みの日には、徹底的に「夫婦の今後」や「息子の今後」「弟夫婦の今後」など、親族のことを考え続ける。

この先、巡ってくるであろう、「老後のこと」もそのうち考えはじめるのだろうね。

歩きながら、こういった少々逃げたいような課題に向き合うと、頭の中がシャキッとしてくる。

もちろん、登山中も。

いつも「今日は山で何を考えるか」決めて登っているのだ(笑)自分なりの考察に自問自答しながら大筋の回答を導きだすのよ、山頂までの間に。

歩く行為は、身体の隅々にまで新鮮な空気や血流を送り、まったく考えもしなかったようなことを、思いつくこともあるから、歩くのが楽しみで仕方がない。

何が出て来るのか?ちょっとワクワクする。

気分転換だけの日もあるし、徹底した頭の中の整理整頓の日っていうのも良くあるのよ。

というわけで、なんでもないウォ―キングを宝の発見に変えてる・・・という話を書いた。

歩いて見つけた宝は数知れず。

ちょっと前に書いた「トレッキング・ポールを使った散歩」とか、日々の健康に役立つアイテムとかを見つけられたり。

これこそ、小さな宝じゃない?

★2024年5月8日更新 母の日は亡き母の友だちを尋ねる~先輩たちはみんな母~毎年会いに行くわたしの小さな習慣【暮らし・母の日】

【ブログ新規追加710回】

5月8日 母の日。

自分も母だが、自分はさておき、これまで様々な場面で優しく接して下さった、一人暮らしの年配女性を尋ねてきた。母の日に会いに行くのは、もう7年続く習慣になっている。

わたしの母が60代で知り合った、引っ越し先の大地主で工務店の女性社長だ。

今では、お商売は息子夫婦に引き継ぎ、立派な日本庭園と多くの野菜が収穫できる畑の手入れに追われる毎日。

今日も、会うなり「もう、腰がダメだわ」と。

あまりに大きな日本庭園の手入れは、ほぼ造園業者に任せてはいるが、やっぱり自分で手入れがしたいのだそう。

そこに大きな畑もあるのだが、畑は3人のご近所の方々が代わるがわる手伝ってくれているのだ。

その畑の前に納屋があるのだが、今朝、そこで大きなかまどに薪を入れて、採れたてのたけのこをがんがん炊いていた。

薪の燃える匂いとたけのこのアクの薫りが混じり、なんともいい雰囲気だ。キャンプブームなど知らない彼女には、こうして家の畑で火を使い季節の恵みを料理するのは当たり前なのだろう。

しかし、近隣に気を使う彼女は「本当は、今のご時世では火を民家で焚いてはいけないのよね…という。

そういった、周辺の方々への気配りが大事なんだと感じた。

そうするうちに、暇を持て余した娘さんのお子さんもたけのこを見に来たりして、かまど仕事がいいコミュニケーションの場所となっていた。

彼女も嬉しそうにそばに寄って火の加減をみたり、外国帰りの娘夫婦にあれやこれやと、気づかいながら忙しそうに「母」として立ち振る舞っている。

わたしにも夫にも、もう母はいないから、こうして、わたしの母の友だちを尋ねて、昔懐かしい母の思い出話に花を咲かせてもらい、最高の「母の日」を過ごせたのだ。

わたしも母だけど、自分のまわりの母を敬い、大切にできる幸せを味わえる年齢になった。

みんなを大切にする気持ちは、きっと周り回って一番嬉しい形で還って来るに違いない。

そんな、小さな遺産を持っていることに気づかせてくれる「母の日」って、本当に大切よ。

結局、モノに頼らない最高の贈り物は「会いに行く」ことだ。

今年もそれが叶ってとても嬉しかった。

さ、わたしも自分のために?買ったクリームたっぷり「マリトッツォ」を頂いて、今日を終えよう。

おなかいっぱい、マリトッツォ食べる母の日かな(笑)

94歳 おばあさんのファッション映画~『アイリス・アプフェル!94歳のニューヨーカー』特別編の紹介~アクセサリー収集コレクションがすごい!【暮らし・おしゃれの神髄】

【ブログ新規追加708回】

GW最終日。以前から約束していた「夫の衣類の整理」をする日なのだ。

我が家では、夫のほうがわたしより断然おしゃれさんだ(笑)

わたしは、合理的で山ファッションで仕事でも、どこでも行くが、主人はそうではない。

明日のミッションは「減らさず、すぐに出せるように収納する」これだそう。たぶん1日かかっちゃいそう(泣)

で、その前に。

以前、観た映画を思い出した。ファッションとアクセサリーに人生をすべてつぎ込んだ、鬼才を紹介した映画だ。

アイリス・アプフェル!94歳のニューヨーカー』ここには特別編で短縮バージョンを載せる。

94歳のアイリスというおばあさんのファッションと、物凄い洋服やアクセサリーのコレクションを縦横無尽に使かう、何ともゴージャスな企画展の一部始終をフイルムに収めた一作だ。

一目みただけで、「すんごい黒縁メガネ・・・ふざけてんるんじゃない?」と、罵声を浴びそう。

とにかく外見が派手で、派手で(笑っちゃう)ただ、しゃべり方に知性が漂う。

しかも、人生の大半をファッションやアクセサリーを集めまくることに集中した。

そのコレクションを収納するために6つの家を持つという。

名言は「ハリー・ウィンストン(HARRY WINSTON)を買うより、4ドルのプチプラアクセサリーにどれだけワクワクするか!?わからないわ!」というもの。

しかし、映像を見る限りは、彼女のコレクションは限りなくハイブランドばかりだということだ。

プレーンなイブ・サンローランのサマードレスに4ドルで買ったサンゴ色のロングチェ―ンを合わせてご満悦など。

ハイブランドの素材やカッティングの良さを知り尽くしているからできる、「崩しの美学」だろう。

旅行先で集めたものを、次から次へと首にかけたりして楽しんでいる姿は、なんとも可愛らしい。

ブルーグリーンの大粒ネックレスも1本じゃなく、いくつもいくつも同時につけるのよ!

ちょっと某〇パホテルの女性社長を思い出しちゃった(笑)

ただ、彼女アイリスのファッションの何が凄いのか?

それって、それはただの奇抜さを狙っているのではなく、生き様そのものになっているし、ファッションが好きで好きで仕方がないと画像から強く感じとれたのだ。

「こんなコーディネートができるわ。これにはこれはどうかしら?これにはこれを合わせましょう!!」と、こんなコーディネート魂がさく裂する場面を観て、幸せな気分になった。

まるで己をオブジェとして、アート作品を創作しているかのようだ。

アイデアを考える時の彼女の目は光輝いているんだもの。

すんごい大きい黒縁メガネ。

整形はしたことはないそうだ。

顔や首はしわくちゃなまんまで(笑)

でも、頭の中は誰よりもクールだ。

で、このドキュメンタリーは丸4年をかけて作成されたそう。

この映画を撮っていた当時、彼女には最愛の夫(100歳!)がいたのにも

たいそう驚いたわ。

(2022年 国内春夏コレクション から引用。これなら着てみたいし、パンツとサンダルが素敵🎶)

 

アイリスの略歴はNYのビジネスマン(父)とブティック経営(母)の元に生まれる→NY大学(美術史専攻)→大手出版社に就職(編集者となるが雑用多し)→一念発起してインテリアデザインを学ぶ→最終的には、世界中のアクセサリー収集家として名を馳せる(多くのメディアが彼女のコレクションを利用してきた)

と、こんな豪女を取り上げてみた。

とっても健康だったらしい。体力もあり丈夫な身体と頭を持っていたから、ファッションを思う存分楽しめたんだろう。

上手く行ったね。ファッションと生き方の関係が(笑)

カレンダー通りのGWを終えて~やっぱり普通が一番!っと、思った話【仕事・GW終わり】

【ブログ新規追加707回】

今週、2日と6日は普通に仕事に出ていた。

GWの谷間の平日は、かなり世間的にもお休みモードな雰囲気。

ま、そんなお休みモードにさらされながらも、関係ないわ・・・と、

それなりに頑張ってみるが、社会のエネルギーが巨大なうねりとなっているうちは、

抗わず、寄り添うのが一番だと思い、ちょっとだけ仕事をするというモードに変換した。

明日、明後日まではお休みモードに沿ってゆっくりとものごとを進めようと思っている。

                ★

実際、10連休とか取ろうと思えば取れたんだけれど、そんなに休みたくないよ(笑)

根っからの貧乏性かもしれない。

根性モノが大好き過ぎて、遊ぶ前はしっかりと仕事や家のことなんかをやり切って遊びに行きたいんだ。

だから、なっがい休みが超苦手だ。

完全オフが10日も続いたら、逆に身体の具合が悪くなっちゃうかも(笑)

そうなると、復帰に時間がかかってしまうのが嫌よ。

営業職は本当に「身体と頭を上手に使うクリエイティブな仕事」だと、この頃良く感じるのだ。

だから、仕事して、休んで、詰め込んで、休んでの繰り返しが心身共に健康的じゃないか?と。

そして、心身共に健康的になるには、限られた時間のお休みには仕事を忘れるのがいい。

切り替え上手になって、仕事も休みも充実させよう!

さあ、明日は呑むぞ(笑)

(平日禁酒を続けているから)

※ 2日にPCのシステムから大事なアプリを消滅させてしまった件だが、今日無事に復活させられた。

もうね~~~生きた心地がしなかったGWだったわ。

まったくこの件は、休みであっても、ずしんと心の底に横たわっていた。

で、5日ぶりに復活できてスッキリしたってわけ。

あまりに嬉しいのでここに書いておこう(笑)

ひらめきのかけらをあつめた雑記~これがわたしのブログ~毎日更新を続けて2年~まだまだ成長中【紙上講座・ブログ論エッセイ】

【ブログ新規追加706回】

ブログは日記?

それとも防備禄?

そんな個人的な文章を日々連ねても、一旦SNS上に投稿してしまえば、「きっと誰かが読んでくれるだろう・・・」という希望的観測がわたしの中では湧き上がるんだ。

そして、気持ちの優しい多数のフォロワーさんに囲まれて、わたしのブログもすくすく成長を遂げてきた。

ブログは日記なんだから、辛いことや悲しいこと、怒っているなどをあけすけに書くのがいいとは、まったく思っていない。

ブログは日記かもしれないが、世界中、無料で誰でもが読める「必殺の文章」だから、大きく変わる可能性も秘めているものだ。

そんな公開度の高いものに、あけすけにどーでもいい話や人の悪口や嫌な出来事を書いてばかりいたらどーなるんだろう。

一時的には、「なんだか過激で面白そう!」と、人も寄ってきてくれるだろう。しかし、気づけば過激な発言を好む人が増えれば当然のごとく炎上も避けられないし、そういった面々に忖度するのもイヤなものだ。

だから、今まで通り、「愚痴・嫌み・嫉み」という三毒のないブログ記事を書き続けて行く。

そして、コンセプト(それを貫く概念)は~「ひらめき」と「好き」を集めた雑記~で。

                   ★

3年前、当時ブックレビューライターをやっていた頃、毎日大好きな書籍のレビューを書いていた。

いくら大好きなレビュー仕事でも、報酬を生活費の一環に充てていた。

要するに「ライスワーク」をやっていたんだ。(ライスワークとは文字通り食べるためにやる仕事。家庭のために使う費用も含む)

しかし、ある程度、まとまった原稿料を頂けていたので、すべてを生活費に充当せず、おもに旅の費用として、自分自身と家族の息抜きのために使っていた。

で、今、仕事で原稿を書いてはいない。

ここが肝心で、「ブログを書く」という行為を仕事と位置づけるブロガーも多いが、わたしは「本物の趣味」が持てた感覚でいっぱいなんだ。

だって、書くという行為が「ライフワークにまで引き上げられた」のだから。

確かにGoogleアドセンスやAmazonの広告料は有難いことに毎日入ってくる。

ただ、それが無ければ生きていけないわけじゃない。

広告先に気兼ねせず、好きなひらめき雑記文を書いて、わずかでも利益が出ている。

Googleなどの広告先の唯一の条件は「毎日更新」することだ。

それがやってみたら、ことのほか楽しい!毎日、何を書こうか?考えるだけでワクワクするんだもの。

たぶん、毎日更新というルーティンが性に合っているとしか思えない。

物書きとして、ずっと願っていた境地だ。

                  ★

さ、連休も終わる。GWに始めたブログが丸2年経って、今の心境を書き連ねてみた。

食べるためにど~しても書かなければならないという仕事もしていないし、死ぬまでにこれだけは書いておきたい!という願いもない。

目の前にある日常を、ただただ丁寧に取り上げて、手を抜かずに書いて行きたいだけだ。

これが、今のわたしのすべて。

そして、続ける過程でもご褒美があるとすれば、どこかの誰かが見つけて拾い上げて、書く仕事を与えてくれるかもしれない。

そんな幸運を夢見ながら、ひらめきと好きなことだけを書いて毎日更新する。

ああ、幸せ。