【ブログ新規追加668回】
レジリエンスとは、困難や脅威に直面している状況に対して、「うまく適応できる能力」「うまく適応していく過程」「適応した結果」を意味する言葉である。近年は特に「困難な状況にもかかわらずしなやかに適応して生き延びる力」とも解釈されている。
※ レジリエンス→資料元:https://www.kaonavi.jp/dictionary/resilience/カオナビ
現在、世の中が戦争、自然災害、コロナ感染など未曽有の出来事によって、「メンタルを壊してしまう人が大変多い」と、とあるWEB記事で読んだ。
わたしは、この一派ひとからげ的な「世の中の想定外での出来事でメンタルを壊す」といった言葉の使い方に違和感が生まれたんだ。
今日はその違和感をレジリエンスで解決してみよう!と、思い書いている。
まず、引っかかったのが「想定外の出来事に驚きメンタルを壊す人が多いいそうだ」という表現。
「多いいそうだ」という表現はとても他人事に感じた。その他人事から「メンタルを壊す」という破壊的な言葉に結び付けてしまう、一種の言葉の暗示をも感じたのだ。
「世の中の大変な出来事を日常的に受け入れていると、そのうちメンタルを壊しかねない!」こんな風にも読み取れた文章だった。暗示には誘導されないぞ!と、変に、身構えてしまった(笑)
一方で、自らの振舞いで大きく心情を表現した素晴らしい方もいる。
わたしのささやかな「メンタルが最強な人との出会い」を例に取り上げてみる。
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以前、こんなことがあった。
わたしは、音大出身という背景を持ってることから「演奏会事業」を起業した経験がある。
年間、約40回の演奏会を企画し運営プロデュースしていた。そんな時、あの東日本大震災が起こった。未曽有の災害だ。
その年の春に、個人でピアノ教室を運営されている先生の発表会を企画運営真っただ中だった。
たったひとりの先生で、発表会に参加される生徒さんの数は60人強!
素晴らしい多数の生徒さんに囲まれた先生の発表会企画は、30人づつ午前と午後に分けて2部構成にする大規模なものとして舞台進行も順調に進めていた。
しかし、その大規模発表会は開催されなかった。
理由は「東日本大震災に被災した方々を想うと、胸が苦しくてとても自由に仕事をするなんてできない。自粛せねば!と、強く感じてしまったから」だと先生から言われた。
わたしは、その時初めて「自粛」という言葉を知り、メンタルと自粛の深い結びつきを感じとったのだ。
発表会を直前で取りやめた先生の心情は「自分だけ、やりたいことをやるのは自己満足。未曽有の出来事には畏敬の念を払うべき」というお気持ちだった。
わたしは、この「畏敬の念」という、慎みを持ち畏れ(おそれ)て敬う心情を使った先生に驚きと共に、深い人間性を感じた。
困難に寄り添う優しい気持ち・・・これこそ、レジリエンスの極みであろう。
未曽有の出来事に対して自らが真剣に向き合い、利害を超えて心から支え合いたいと願われたことから中止になった発表会。
わたしも先生の発表会を中止することになった時には、利益にも影響が出るし、多方面に謝りと、先生のお考えを丁寧に説明するなど、異例の収拾をした思い出深い仕事になった。
その後、わたし自身の発表会事業は今現在も休止したまま。また、その先生も大きな病気と向き合いお暮しになっている。
わたしは、東日本大震災があったことで、音楽の発表会事業を大きく自粛したが、心底いい経験をさせて頂けたのだと、今でもこの先生には感謝の念が尽きない。
人の振舞いから、生き方を学んだ出来事だった。
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毎日、本当に「えっ?!」って思う出来事があるよね。
先週だと、首都圏の大規模停電の危機とか、ロシアのウクライナ侵攻による株価暴落、北朝鮮の弾道ミサイル発射など。
何だか、世間が騒々しい。
しかし、わたしごときであっても、情報の整合性を常に持ちつつ、毎日を楽しんで生き抜いている。
せっせと働いたあとは、気の置けない友人に会い、それまでの不義理を埋める対話で心を健やかに回復させている。これこそレジリエンスだ。
山に登るのは、自分との小さな挑戦だし。とにかく日々忙しい。
冬が終わり春になり、「山や森や海や太陽の自然に抱かれに出かける日々の到来」にわくわくする。
今日は、この一週間、良く働き、良く人に会えた自分に休息を与える。
丁寧な野菜たっぷりの料理を作り、靜かに読書し、早く寝よう。
と、こんな風に日常の暮らしに「レジリエンス」の考えを取り入れている。
疲れても、行き詰まっても「再生・復活・回復」を繰り返して、わたしは最強になるんだ(笑)