ミニマリストになろうと思った~なぜなら母のことがあったから【暮らし・片づけエッセイ】

【ブログ新規追加640回】

7年前の2月3日、節分に母を亡くした(享年79歳)

余命宣告から、たった2週間で母は旅立ってしまった。

余命宣告の知らせがあったのは、母を介護するために母の家のすぐそばに引っ越して6か月目。

母の病気は「肝細胞癌」で、4度の放射線治療でも癌が消えず、すぐに身体中に逡巡してしまう恐ろしい病気だった。

この病との戦いが始まる数か月前に、母と同居の話しあいをしたのだ。

しかし、母は「自分は最後までひとりで生活したいの」と、強烈に言われてしまい結果、わたし達がすぐそばに住んで介護することとなった。

マンションを引き払い母の家の近所(車で5分)の場所に引っ越した。その間たった2週間。

この時にはまだ「ミニマリスト」という生き方は知らなかった。

ミニマリストとは→不要な持ちものを減らして自分に必要な最小限のものだけで暮らす人のことを指す。 「ミニマル:minimal、最小限の」という言葉から派生したとも言われている。(資料先;https://www.manpowerjobnet.com/haken_guide/improving-skills/minimalist/ミニマリストでスッキリ暮す)

たった2週間で大型3LDKを処分するのは至難の業だった。しかし母のそばで看病する!と決めたわたし達夫婦はこの間、仕事も全部休んで、引っ越し作業と各種手続きに没頭したのだった。

まず、手始めに引っ越し先(2DK)への荷物の選別。全体の3分の1まで持ち物を減らすというチャレンジを始めた。

これには一週間もかかった。

物への愛着(執着ともいう)がある中、毎日真夜中まで物の選別や引っ越し先のサイズに合わせる家具や電化製品の採寸を続けた。

さらに小さな家のすべてにWIFI環境を張り巡らせる準備なども徹底してやった。

この間、新しい物はほとんど買わなかった。なぜなら、物を減らすために物を買う矛盾にさいなまれそうだったから、あえて避けたんだ。

専門のメーカーや引っ越し業者には頼まず、できることはすべて家族だけでやった。最後に大物だけを引っ越し業者にお願いしただけ。

小さく、小さく、必要な物だけを持って身軽に引っ越しをすることが叶った。

それもこれも、これから長くかかる介護費用の捻出と母の病状改善を助ける「その時一番大事なことに集中する」ことができたからだと思っている。

だから、やみくもに(適当に)物を移動するのではなく、徹底的に「手放せるものは手放す」という信念の元に突き進んだようなものだった。

そして、引っ越して6か月目に母が亡くなり、わたし達の介護という旅も終わった。

身体の水分を使い果たすぐらいに泣いたけど、弟夫婦と母の家をかたずけて家じまいを終えた時、「ああ、母はひとりで丁寧に暮らすことをとことん楽しんだのだな・・・」と、爽快な気持ちがムクムクと沸きあがってきた。ちなみに、隠し財産などまったくなかった(泣笑)

大切な人の荷物をすべてかたずけて一軒の家をしまう。

大切な人達の生活をしまうのは、何とも寂しい作業だとばかり思っていたが、そんなことはない。

反対に一切を任せてもらえて、とことん幸せを感じる数日間だった。

母の思い出を話ながら片づけるんだけど、アルバムはやっかいそのもの!だって片づけの手を止めてしまい、延々見続けてしまうから。

次にヤバイのが日記。

母の日記が出てきた。薄い大学ノートに「〇〇子の育児日記」と書いてあった。

わたしは、母がわたしを生んだ瞬間の喜びから母としての責任、わたしへの願いを書いたその1ページだけを読んで、苦しく辛い想いを受け取り、何ごともなかったようにノートを処分した。

例えば、本は一番大事なことは全体の始め20%に書かれている。残り80%はすべて説明なのだ。

薄いノートにびっしりと几帳面に書かれたノートの始めの1ページだけを写真を撮るように読み込んで鮮明に心に焼き付けた。

家具も荷物も何にも無くなった母の家で茫然としながらも、母の大切な物をきっちり処分できた爽快感に包まれた。

本当に不思議な経験だった。

母が本当に大事にしていたものは、物じゃなくてわたし達家族だ。その想いは物を処分しても消えやしない。

「自分を大切にする、家族はもっと大切に思う」という母の気持ちを受け継いで生きている。

こんな想いで迎えた7年目だった。

これこそが、自称ミニマリストとなったわたしから母へ贈る供養なんだろう。

★2024年2月26日更新 お金を使わないで楽しむコツ~休みの日をどう使うかがキーポイント♪【暮らし・休日の有効利用】

【ブログ新規追加639回】

休日は、夫婦で市場に行き、食品や雑貨を買い出しに行く。ほぼ、毎週。

買い出し後、洗濯、掃除、家具や家電の修理、大方の家仕事を終えたら、近くの都立公園へ軽くウォ―キングをする。

このごろは、「歩きながら瞑想する」とかに挑戦しているよ。歩くために外に出ているから余計なことは考えず、歩みと呼吸を合わせることに集中するの。

あっ!昨日山でも呼吸法やってるって書いたばっかりだった(笑)

しかし、空気は「只」0円。命を繋ぐために一番重要なものが0円とはスゴイ!こんなことを感じながら呼吸法を繰り返していると、何とも言えない充実感に包まれるのだ。

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休日のランチや夕食もごく適当に。前の週、使い切れなかった食材を使い切る日になる。

もちろん、買い出しで仕込んだワインやビールと残り食材で作る超適当なご飯がいい。

そういった日は、白米は炊かない。パンやお好み焼きとか粉もんに尽きる(笑)

夫は広島出身でだんぜん「おたふくソース派」で東京出身のわたしは「ブルドックソース」で。両方いつでもスタンバイしてある。

ここでも、郷土の味を大切にするお互いの嗜好品を用意するだけで満足な食事が頂ける。

さらに、予定のない雨の休日は、お家cafeの出番。

気になっていたお菓子を買い込み、家で入れる深煎りコロンビアコーヒー(たまにエチオピアにもなる)は、コロナで外国に行きにくくなったからせめてコーヒーで外国気分を味わおうってわけ。

しかも、外cafeじゃなくって、お家cafeがいいのよ。家で好きな音楽を聴きながら飲む、深煎りブラックコーヒーはいつもより香りが充満していて、いっそう美味しく感じる。

わたしの小さな幸福。

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若いころは、買い物が大好きだった。

しかし、今、歳を重ねて心地よくやっていることは、ほとんど「お金」のいらないことばかり。

ちょびっといいコーヒー豆を買うぐらいで。あとは、何もお金を使わないという休日が実現している。

わたしは、「特別なことは何もないような休日」に、この上ない幸せを感じている。

何もしない、どこにも行かない時間は、とても豊かで贅沢なものだったんだ・・・と、いうことを実感している。

これこそ、ゆとりでしょ(笑)

※ TOP写真は2月の山野草「節分草」そろそろ、近所の里山で可愛く咲き始めた。

わたしの考えるシンプルライフ【暮らしエッセイ】

【ブログ新規追加638回】

この数年「ミニマリスト」「ナチュラルライフ」「「ロハス」など、様々なシンプルライフを体現され追及される人がどんどん増えた。

では、わたしは?このどの言葉にも当てはまるようで、まるで当てはまらない。

わたしの現在の暮らし方はそこまでミニマムでもナチュラルでもない。要するに何でもないんだ(笑)

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わたしにとって、一番今興味があって大事なものは「自然」だ。この「自然」をできる限り無理なく満喫できる山や高原へ出かけるのが自分をもっとも満足させる行動になっている。

これは、脳と身体が欲求しているから、別に何かの肩書に見合う道を追求しているわけでないのよ。

そして、さらに大事なのが、今の自分と家族がどのような状態で何を必要としているのか?をよ~く考えて食事を用意したり、衣類の手入れや家の隅々まで丁寧に掃除をしたりすることだ。

だから、不要な物を増やす消費に走らず、シンプルな隙間の多い部屋で深呼吸したり、山登りやキャンプで自然を求めていると、少ない物(安価なもの)と近い場所で充分満足できる。

どうすれば健康で、心地よく楽な暮らし方ができるか?

この視点を考えて実践に移すのがわたしの考えるシンプルライフなのだ。

山登りを頻繁にするようになって、時おり山道でバランスを崩してしまう場合もある。心ここにあらずで「ただ登りたい!」という欲求だけで挑戦してしまった時にバランスを崩しやすいのだなと、最近知った。

ただ、登ればいいんじゃなくて、「ブレス=息継ぎ」がリズム正しく行われているか?「身体の中心がブレない」で歩けているか?こんな2点だけをチェックするために低い山を登っているんだ。

もしバランスを崩してしまったら、状況をよく把握して振り返りをしておくし、身体の中心がブレていたら、ブレている自分を靜かに見守る。

こういったひとつ、ひとつの行動の中に、「自分を静観できる心」を鍛えているんだなあ~と、山登りを始めた頃より一段上の心境に至っている。

                    ★

シンプルライフ~わたしの5箇条

1、心の余裕を目指す

2、自分の時間を家族に使う

3、変化には身軽に・柔軟に

4、お金や情報にとらわれず

5、急な予定にも対応できる

今のわたしが目指すシンプルな暮らしはこの5つがあれば叶うハズ。

無理なく、いいさじ加減でしょ(笑)

※ 今日、今月の仕事が終わって、ちょっとご褒美を。 山パーカを買ったの。3月はこれを着て山に登ろうっと。(夫が先にブルー(35%off)を購入していた。わたしも欲しくなっちゃってオレンジ(なんと70%off!)を衝動買い・笑)

ブログの記事構成と例文を公開~別に特別なやり方じゃないけど~覚えておくと書くのが簡単になるよ♪【紙上講座・ブログの記事構成】

【ブログ新規追加637回】

ブログの毎日更新を始めて637日。

ここまで、夢中で更新し続けてきたが、改めて記事構成を書き出してみようと思い立った。

別段、特別なやり方をしてはいない。

ただ、わたしのブログはほぼ、自身の「経験や体験」から編んでいる。

物販ブログならいざ知らず、ただの日記風ブログや自分語りでは、まず、誰も読んではくれない。

そこで、これまでの経験や体験の成功談、失敗談、誰にでもあるあるな話を取り上げた。

「手の平に乗るほどのちっちゃな話」を、自身の経験や著名人の話、書籍などの情報を織り交ぜて話を拡大し、読み応えもあり?少々役に立つ記事やエッセイを更新し続けている。

                    ★

さて、記事構成だが、ざっと順番に書き出してみよう。

① 話(テーマ)の結論

② ① の理由

③ 自身の経験や体験 A

④ ③ の理由

⑤ 自身の経験や体験(失敗談とかあればなおさらいい・笑)B

⑥ ⑤ の理由

⑦ 自身の経験や体験(経験や体験からの心情や感想がベター)C

⑧ ⑦ の理由

⑨ 記事の伝えたかったことのとりまとめ(結論としての提案や改善など前向きな話にする)

こんな感じでだいたい2000文字前後でまとめてきた。

                     ★

経験や体験をふんだんに取り入れて書くのがわたし流。

ちょっと、このテンプレ通りに一文(話はほぼ展開させない)を書いてみるね。

タイトル「エッセイは朝、書くのが一番いい

① (結論)エッセイや小説などは毎日書くのがいい。しかも朝が一番いい。

② (結論の理由)朝は、使える時間が限られているので、メリハリの効いた文章が書ける。

③ (自身の経験や体験 A)ブログにエッセイを書き始めてもう7年。しかもこの2年は、毎日更新するために早朝に書くようにしてきた。

④  (自身の経験や体験 A の理由)朝、出勤前のわずかな時間にザっと、テーマを決めて書いてしまうのだ。もちろん、構成や推敲はせず。それでもザっと書いてあるという安心感がなんとも気持ちがいい。

⑤ (自身の経験や体験 B) ブログ更新が身についてきた2年目あたりで、そろそろネタ(経験や体験)が底を尽きかけたのだ。どーも、同じような内容が増えて来ちゃった。心の中で「少しぐらい休んでもいいだろう・・・」とか考えるようになるり、精神の自堕落に陥っちゃったのだ。

⑥ (自身の経験や体験 B の理由)だって、週3日も書いてたら、誰だってネタ切れするんじゃない?という一般常識(笑)にとらわれてしまっていた。何とかネタ切れを起こさない解決策を練らなくては!

⑦ (自身の経験や体験 C) そこで、思いついたのが「ネタを多角的に見る=因数分解する」という方法だ。

これなら、たった一つのテーマでも可能な限り、視点をずらしつつネタを増やせるし、しっかりとしたテーマが背景にあるから、文章のキレも悪くなりにくい!

わたしの言う因数分解は、数学的見地からはズレているのだろうけど、一般に因数分解はできるだけ(各因数がそれ以上因数分解できないまで)分解することが普通であるのだそうだ。(資料先→https://kotobank.jp/word/ コトバンク

だからこれでいいのだ(笑)

⑧(自身の経験や体験 C の理由)そうそう、芥川賞作家の綿矢りささんが以前話されていた「文章をいつかくのか?」では、やっぱり早朝(5時起床)にがが~~~っと、書き始めてしまうのだと。

お子さんが小さいので、早朝しか集中できない!という切実な話だった。

この話を聞いてから、わたしも!っと、完全に綿矢りささんのように、早朝ダッシュでザザっと書き始めるようになったってわけ。お手本が素晴らしいでしょ?!(笑)

⑨ (結論・この話で読者さんに伝えたかったことは?)ブログ更新もエッセイや小説も、朝書いてしまおう!いや、朝書くべきかも。

それは、朝はダラダラできないから限られた時間で集中できるようになる。

そして、一晩眠ったあとの脳細胞は朝、最高の働きをするのだそうだ。

最高の脳を使うには朝が一番いいのだ。

文章を書く人に強くすすめたい。

「朝、一番に書こう!朝は脳の働きが最高だから」とね。

                  ★

どう?こんなスタイルで毎日書いているの。

話を膨らませたり、端折ったりするにも、こういった構成があれば安心なもの。

さあ、わたしもまだまだ書くわよ(笑)

★2024年2月21日更新 挨拶をすることはどんなことより基本中の基本だとつくづく思う話🎶【仕事・挨拶をしよう】

【ブログ新規追加633回】

メールの「件名」ってどんな挨拶で書く?

えっ?何にも書かないの?

そりゃあ、失礼じゃない?

先日、こんな話を友だちとメールでしたばかり。

「件名なし」ってさ…どう思う?

会社勤めで良く聞く話に「最近の新人さん(新入社員)って、スマホばっかり見ていて、挨拶さえまともにしないよね~~」みたいなことを電車の中で漏れ聞いたことがある。

まあ、新人研修ひとつとってみても、かつては「仕事」や「技術」を教える場だったはず。それが最近では「挨拶」や「一般常識」を教えてもらえると思われている。

で、仕事先では、わたしのような出版営業で来ている人がかなりいて、そういった営業さんでも、挨拶をしない方が意外と多い。(男性営業マンに挨拶を無視されることもあり・泣)

わたしは、児童書や実用書、学習参考書など同ジャンルで営業に来ている方には必ず、自分からすべて声をかけて、名刺交換させて頂いてきた。

しかし、中には急いでいるのか?話を長びかせたくないのか、避けていくなんて方もいる。

なんて!もったいないことをするんだろう!

情報満載の他社さんと話せるチャンスを逃すなんて。

営業の風上にもおけないね(笑)

たとえ、ライバル会社かもしれないけど、「自分から挨拶する」くせをちゃんとつけて来た人はたいがい信用ができるもの。しかも、より良い情報を流してくれたりするのだ。

これが、営業職の醍醐味だと思うんだけどね。

挨拶するか?挨拶しないか?で人の評価って決まっちゃう。

朝、起きた時から会社に着くまで誰にも挨拶せず、誰とも口をきかない・・・こんな人ばかりになったら世の中不安になるでしょう?!

挨拶は人と人を繋げる基本のコミュニケーションだ。

たとえメールであっても「件名」は書こう!という話。

1分もかからないじゃん!(笑)

※ TOPの写真は、夕べのおつまみ(トッポッキスナック)とハイボール。

★2024年2月19日更新 小さな貯金をいくつも始めている2022年~心が喜ぶ費用に使う金額はほんの少しでいい🎶【暮らし・健全な貯金】

【ブログ新規追加625回】

実は、昨年12月から、お給料の中からわずかな金額を取り分けて小さな貯金を始めた。

例えば、車の点検費用(タイヤ交換分も入れて毎月3000円)とか。夫の定期健診と投薬費用他の医療費も入れて(毎月5000円)とか、かれこれ5つぐらいの小さな貯金を始めた。

一見、その月に頂いたお給料で翌月やりくりすりゃあいいのだけれど、「あっ!今月は定期健診だった!」とか「今月は車の6ヶ月点検だった」こういった、端々の出費って、すごく家計の負担にならない?

実際には、家計というよりか家庭を円滑に回して行くには「必要経費」が最も大事だ。

その内訳は、住居費、食費、水道光熱費、保険料・各種税金・交通費、(教育費)、通信費・(交際費)、最低限の貯蓄など・・・などetc。(我が家の場合、子ども教育費の負担がないので、夫婦のPC代や各種勉強費となる。交際費もコロナでほぼ付き合いがない分、冠婚葬祭費になる)

小さな一個人にとっては「必要経費」が稼ぎの行先のほぼすべてじゃん!と言える(笑)

でも、待てよ?!

必要経費と貯蓄を取り分けて、わずかに残った数万円。「これを因数分解(笑)すりゃあ、不意の出費に貯蓄を取り崩さずに済むかも!」と、やっと、長年のストレスを解決する方向にシフトできた2021年の年末だった。

今までだったら、余剰金があればストレス解消とばかりに、買いたい物を買っちゃったり、ご褒美とか言って旅行費につぎ込んだりしてたのよ。

足りなければ「もっと働けばいい!」とか本気で考えていた。能天気だよね(泣)

そこのところを一刀両断!して、不定期に起きる出費に備えようと、小さな貯金を名目ごとに始めたのだ。(夫に言わせれば、そんなの支出の基本でしょ!とそれこそ一刀両断されたわけさ・笑)

ただ、一点、この貯金を運用するのは2022年11月からなのだ。約一年間、しっかり貯めておいた数々の貯金を2023年には大いに利用する算段。ワクワクするぅ♪

一ヵ月3000円でも一年で36,000円でしょ。意外とある感じ(笑)2000円、3000円(2つ)、5000円、10000円など5つの名目別貯金は、達成感がありで先々楽しみだわ。

これで、わたしも「お金はないけど豊かに暮らしている人」になれるかな?

今までみたいに、必要経費以外での余剰金をばかすか浪費しない賢明な家計に変身するのだ!

そして、毎月2000円の小さな貯金は「わたしの夢活動費用」となる。夢は大金がなければ叶わないとか全く思っていない。

わたしの夢活費は今のところ、「国内で最高に景色の良い場所を訪れる」ために使われる。しかも2023年以降でね(笑)

それまでは、貯めたポイントを使ってのホテルステイや、無料で利用できる施設を使い倒して存分にレジャーする予定。

わたしの考える、豊かな人の定義は。

生活の工夫でやりくりしつつ、自分本来の夢を持って生きる人

また、世間の流行り物は知っているけど、そこにフォーカスはしない人かな。

さて、週末はささやかに🍺

潔癖症になってない?~自分を追い込み過ぎる場合は~少々ズボラになってみよう🎶~【暮らし・除菌は基本】

【ブログ新規追加624回】

年かさを増したわたしと同じ世代の人ならたいがい共感されるだろう。

人間、垢(あか)や埃(ほこり)では死なない」という迷信(笑)
もうね。ずう~~~っと、そう思い込んでいたよ。

しかし、今では、そーでもないらしい。

新型コロナウィスルも第7波や最新株も出て来て、もう終息がわからないぐらい長引いている。

このウイルス騒ぎが、人類総潔癖症を引き起こしているんだよ。


今じゃ、コロナだけでなく、花粉症もあるから埃(ほこり)に関しては最も、気をつけるべきである。

このコロナ禍で2年間マスクを常用していたら、小学生の花粉症発症率が半分になったのだそう。
コロナ云々以前に、この先、コロナの終息を見ても、小学生のマスク常用の流れがあるのだと聞いた。

                    ★

さて、埃(ほこり)の話に戻すが、埃(ほこり)は長い間放っておけば、目に見えてくるはずよね。

「ヤバイ!これは、そろそろ掃除しなくっちゃ!」となるけれど、コロナみたいな市中感染を含む菌などは、目には見えない。

だからか、あまりにも潔癖すぎるかな?ってほどに見えない敵に除菌という武器を使って、命を燃やしてしまうんだ。


そんなに、除菌したってかかる時にはかかるんだよ・・・とか思いながら、除菌剤を今日も2本補充した。


やっていることと心の中が裏返し(笑)
でもね。こうやって、気持ちの上でのバランスを取っているんだろう。

                   ★

わたしの友だちに超潔癖症の女性がいる。


彼女は、電車のつり革、握り棒には絶対に触らない。誰が入ったかわからない温泉も入らないし、他人の家のご飯も食べられない・・・。すごいでしょ?

でも、わたしは彼女の一個性だと思って付き合っている。ただ、人生の醍醐味を失いがちかもしれないとも思う。

大きなお風呂にワイワイとみんなで入るとか、友だちの家でのお呼ばれでワイワイと大皿料理を取り分けるとか、思い出に直結する楽しみを潔癖症で失いたくないかなあ。

わたしだって、混雑した電車に乗って帰ってきたら、玄関で除菌スプレーをシュッシュ!して、そのまま洗面所でうがい、手洗いをするという一連の流れがすっかり板についた感じ。


例えば、大浴場や温泉も湯船に入る前にはエチケットできちんとシャワーを浴びてから入る。もちろん出る時は今度は自分のために除菌を兼ねてシャワーを浴びて出る。


これは、コロナ禍だからというより、前からやっていたエチケットの範囲での習慣だ。


温泉などは、温泉通の人に言わせれば、温泉成分をお肌に残したまま出るほうがいいのだそうだが。エチケットと除菌の上ではNGでしょう?

最後に。

潔癖症かもと思う人。上手に息抜きしましょうよ。

あんまり潔癖症じゃないか?と、思う人は、ラーメンをお鍋のままで食べるとか、一日中パジャマで着替え知らずとか、要するにズボラ生活をしてみるといいよ(笑)


実は、わたしもこの2つは一年で数回やっちゃうズボラなの。

潔癖に目盛りが動きすぎたら、まずズボラをやって調整しよう!
これはバランス学じゃあよ(笑)

フットワークは軽い?~「すぐやる」は一番結果を出しやすい方法~後回しぐせはもったいない!【仕事・軽くフットワーク】

【ブログ新規追加632回】

ちょっと、意味を調べたりするのに「検索」というツールのなんと便利なことか!今ではググらない人っているんかな?

わからないことや、知りたいことをそのままにしてしまうと、たいてい何が知りたかったのか?忘れちゃう。

そこで、わたしは「すぐに調べるクセ」をつけてきた。

例えば、ブログに使っている無数の言葉のひとつひとつを丁寧に調べるなんていうのは、毎日茶飯事だ。

だって、おかしな表現はできないでしょう?(笑)

今朝も「おとむらい」という言葉を使ってある文章を書いていた。ハタ?っと、思い立って「おとむらい=お弔い」の意味を調べてみたの。

お弔いとは→① 人の死をいたみ、その喪にある人を慰めること。 弔問。 くやみ。 ② 死者の霊を慰め冥福を祈ること。

書いていた文章はもうすぐ七回忌を迎える同級生のご家族様へのお手紙だ。

正確でなければならない、しかし堅苦しくなく自分の気持ちを傾ける丁度いい言葉が「弔う」だったから、よ~く調べて失礼のないように認めて送った。

だから、調べることひとつにしても、パッとすぐにやるのが大事。検索など便利なものはどんどん利用すべき。

蛇足かもしれないが、そういう検索のベースには賢人の言葉などが類語として並んでる場合もあるよね。

検索でネットサーフィンしているうちにまったく知らなかった言葉が己の琴線に触れる・・・ネットの大海原に流されていても、そういった知りたい!欲求が満たされる副産物もある。

日常的に自分の行動が「すぐやる派」か「後で派」かで、得られる情報や事がらの数の違いは歴然だろう。

よ~く考えてからやったほうがいいことって全体の2割ぐらいじゃない?

わたしは、フットワークをとことん軽くし、「すぐやる!」「急いで取り組む姿勢」があれば、難しい問題も危険な状況も上手く切り抜けられると、ずっと信じて疑わない。

例えば、人から「〇〇さん!ぜひ書いてみて!」と、ある文章のおすすめをされたとする。それが、芥川賞でも直木賞でもわたしは必ず書くだろう。

今年の1月に、「あなたもぜひ!書いて!」と、ある方から唐突に薦められたのだ。猿もおだてりゃ木に登るんだよ。

わたしは、その日のうちに、その方がお薦めしてくれた「とある文章」を書き送ることで、その方の願いを果たせたのだ。

別に、スル―するのもありだった。でも、わたしはせっかく声をかけてもらったのだから、小さな約束を果たしたくなったんだ。

こういった行動って、すぐに結果が出るわけではない。

しかし、「すぐやる・すぐに取り組む」という行動を繰り返して行けば、いつかまだ見ぬ景色が見られる日が来ると信じている。

まあ、敵は「やる気を封じ込めるもうひとりの自分」だろう。

というわけで、フットワークはいつでも軽く!という話を書いてみた。

最後に。

軽いフットワークが習慣になったら、もうひとつ、フィールドワーク(現場での探訪や採取を必要とする野外活動など)という現地調査をしてみよう。

例えば、ネットサーフィンで琴線に触れた言葉が「ビーガン」だったとしよう。食文化のひとつである「ビーガン」用の食事が摂れるcafeなどの調査とかしようと思い立ったら・・・。

※ ビーガンとは、完全菜食主義の食生活を実現させている人を指す言葉で。彼らは動物性の食品を一切摂取しない。

食物アレルギーに悩む人は、無我夢中で調べている。そういった世間の関心事を自分ごとにすれば、誰かの役に立てるかもしれないし、貢献と言う名の境地が開けるかもしれない。

こうした食文化などは丁寧な下調べ(フットワーク)と徹底した現地調査(フィールドワーク)の融合で、美味しさや身体を守る食べ方などがしっかりと、自身に沁み込み一生の財産になる。

フットワークとフィールドワークが仕事や暮らしにズシンと、手ごたえを与えるものだと思っている。

★2024年2月16日更新 約束を忘れて気がついたこと~「とりつくろわない・嘘をつかない」ことでかえって固い友情が生まれた話【暮らし・約束エッセイ】

【ブログ新規追加631回】

人は、毎日いくつもいろんなところで約束をしているものだ。

昨日も、仕事関係者から、わたしに「じゃあ、すぐにSNS先に申請しますね!」と、言われた。
しかし、まったく申請は来ない。
すぐに・・・とはいったいいつのことだろう?

約束だとは思っていないのだろうね。いいや、忙しいだけかも?とか妄想ばかりが膨らんじゃう(泣)

仕事に関する契約や取り決めも重要な約束の一つだし、仲良しの友だちたちとのランチだって大事な約束だ。

今日は、「約束をすっかり忘れた一日」という失敗談を書いてみよう。

                  ★

以前、こんなことがあった。
まだ、ブックレビューライターを兼業していた頃で、毎週5本の記事を2年半の間書き続けていた。

常に、頭の中は「締め切り」でいっぱい。

ちょっとでも、スキマ時間があれば「昼寝」をしておきたいほど疲労困憊していた。

そんな時、高校時代の同窓会の(小さい版)が開催されるとの連絡があった。
場所は町田で待ち合わせはJR横浜線町田駅の改札。

しかし、締め切りに追われたわたしは、この約束をすっかり失念していたのだった。


当日。友だちのひとりから「もう、みんな集まってるけど、今どこ?」と☎が。

その時のわたしはもちろん「背中に滝の汗」(笑)


どの辺にいるのか?と言えば、自宅のPCの前。

一瞬で「嘘」もつけるだろうけど、
わたしは「ごめん!仕事の締め切りに追われて今日だってことをすっかり忘れてた」と、正直に言ったの。

町田の素敵な一軒家イタリアン。手打ちのタリアテッレが美味しいお店。もちろん、予約されている。


わたしは冷静になって、「みんな!先に行っていて!」と、お願いして、わたしは5分で着替え、メイクは駅でして(笑)何とか1時間後にみんなと合流できた。

同じ年で気の置けない友だち。

「まったく〇〇らしいよね」と、みんな笑顔で許してくれた苦い思い出だ。

まったく、約束を忘れてしまったわたしは、心のどこかで「みんなに甘えていたんではないか?」「仕事が忙しいことを言い訳にして慢心していたんじゃないのか?」と、

超反省した話。

                  ★

まあ、ちょっとだけ、清々しい気分が味わえた底にあったのは「嘘」をつかなかったことかな。


だって、昔からの友だちの前では「かつての自分」に戻れる貴重な居場所なんだもの。


わたしの遅れた分を取り戻そうと、その日は時間を大いにオーバーしておしゃべりし続けた友だち達。

約束を忘れたことでより一層わたし達は仲良くなったと感じた。


わたしの悪いクセを炙り出したことで絆が生まれた遠き日の思い出。

わたしはまだまだバージョンアップできる(ハズ)~では、何をバージョンアップしたいのか?そこんところ書いてみた【紙上講座・語彙力をつけたい】

【ブログ新規追加630回】

「〇〇さんは、ど~してそんなに書くことがあるんですか?」と、数年前にブログの読者さんから唐突に聞かれた。

彼女は続けて「ネタ切れになったりしないんですか?」と。

ブログもこの5月で8年目。正直書くネタが尽きた・・・と、つぶやくことも年に1~2度あるよね。

しかし、ほぼ、毎日が発見の連続でちゃんと、書きたいことが現われるんだ。

そこのところの「どーして書きたいことが出てくるのか?」と言えば、答えは簡単。

当たり前だけど、毎日、生きてるから」だろう(笑)

会社員で営業職ならでは、悔しいこと、情けないこと、憤りを感じることは日常茶飯事だ。

涙も流すし、落ち込むこともわりと頻繁にある。

ただ、その瞬間は自分の気持ちに翻弄されて、あたふたしたり、あの人さえいなければ・・・的な消去隠滅作戦で自分を守ろうとしたり姑息なほどやっちゃうんだけれど。

わたしの場合、こんなどうしようもないことも、全部が「ネタ」なの。問題の一つ、一つを逃げずによ~く考える→文章(ブログ)にエッセイとして書いてみることを習慣にしてきた。

この習慣のおかげで、なんとか頭の中も混乱せず、ムダに「人」を憎まずその場を治められるようになったのよ。

まあ、よ~く考えたといっても、文章で満足が行く表現が書けたためしはない(泣)いつだって?を付けながらぐたぐた書いているわけ。

でも、書いているうちにあんなに悔しかったことが「そこまで悔しい?」というはてな?に変わるし、自分よりう~~んと、若い上司の態度が横柄なことに腹が立ったりするのはなぜ?のはてな?だったりする。

まったく、文字にしてみれば、するすると己の気持ちの在り方が見えるんだもの。怖いけど、辞められない文章表現の世界なのだ。

で、はてな?のいっぱいついた問題に決着をつけるために、サッと1本書いてみる・・・というのを毎日やっているだけ。

      

タイトルにも書いたけれど、文章のバージョンアップを急いでやりたいと思っている最中だ。

どの部分かと言えば、「圧倒的な語彙力」をつけて、多角的な文章表現がしたいんだ。

それは、ただただ、説明ばかりの文章ではない。「短く、はっきりと、的確に」書きたい。

この養成に、必要なものはまず、語彙辞典を用意するとか?(すでに持ってるし)有名小説の書写をするとか?(たぶんやんないだろうね・笑)

そうそう、誰でも知ってるナツメロの歌詞を書き換えるとか。

ひとつ、書き換えてみたよ(ギザギザハートの子守歌)

~ちっちゃな頃から「金持ち」で。15で「富豪」と呼ばれたヨ~♪とか、どう?歌ってみて(笑)

こんな、文章遊びしてるうちに「圧倒的な語彙力」が降ってくるかもしれない(笑)

なわけないか(泣笑)

毎日更新。日々努力。

これで行くよ。

※ 写真は「ぽすくま1円切手50枚シート」最近知って、ちょこっとした「お返し」に差し上げている。カワイイし、50枚に圧倒されるし、笑えるよ。