母から受け継いだご飯茶碗を壊した~陶器が壊れるのは不吉?それとも縁起がいい?~縁起の話【暮らし・陶器を壊す】

【ブログ新規追加651回】

陶器が何らかの原因でふいに壊れちゃうことって、何となく何かを感じさせるもの。

それは、不吉な何か?だったり、縁起がよい何かの前触れだったりするのかも。

昨晩のこと。

食器を洗い終える瞬間に、わたしのご飯茶碗がつるっと、手から滑り落ちて、シンクの中で洗い終わったお皿に当たり、底が割れちゃったんだ。

わたしの不注意だったんだけど。

その瞬間、わたしは、亡くなった母からの伝言を受け取ったような気持ちになった。

その伝言とは「〇〇ちゃんも、もういい歳になるんだから見守りは終わり!」みたいなものだ。

親の子離れ宣言かな?

底を割ったご飯茶碗は、母の家でわたしが使うために母が用意してくれていたもの。母は「女の子のお茶碗はお花柄」と決めていた。イチゴ柄もあったけど(笑)

母が亡くなった時、このご飯茶碗は受け継いで持ち帰ってきた。あれから7年。2月には七回忌も終えて、少しずつ母の面影が生活から無くなってきた。

で、お茶碗も壊れた。

今週は、毎日が激動で新しい仕事と、新しい人との出会いを重ねて、今までラウンドしたことのなかった都市で仕事をしてきた。

やっと、次のステージへよじ登った気分だ。

陶器は「難逃れ」の縁起物なので、割れると何か起こるサインとも言われている。

すでに始まっているから、ちょっと微妙なズレがあるんだけど、縁起がいいことには間違いがなさそう!

ご飯茶碗を壊しただけで・・・という縁起の話。

「陶器が壊れた」に関する資料はこちら→https://kyoukaran.com/chawan-wareru-mean/茶碗が割れる意味は不吉or縁起がいい?

今日は、生まれ変わるために新しい「ご飯茶碗」を品定めしてこよう。

シンプルな無地かな?それとも無骨な焼き物?それともイチゴ柄(笑)

情報のインプット足りてる?~一週間のインプット時間を計ってみたら~全然足りてないことが判明♪【仕事・インプット】

【ブログ新規追加650回】

3月に入って、年度末だけでなく、新年度の仕事準備で怒涛の忙しさ。

で、まず新聞を丁寧に読まず、ネットもあまり観ず、本は積読(笑)おまけにTVはニュースすらも観ない。

こういった一週間が続く。

でもね、わたしは生まれ変わるんだと決めたの。

だからどんなに忙しくても、情報や知識のインプットができる対策を立ててみた。

それは、すごく単純だけれど、「数値で計り、思い知る」ことだ。

例えば、一週間単位で毎日やった読書と新聞読みとネットの閲覧に使った時間を毎日メモでつけてみたら、「4時間」もインプットできていた!

まとめて「4時間」は無理でも、スキマ時間をインプットに使えてるんだ・・・と、小さな満足感が得られるよ。

わたしは、とことん節約家だけれど、旅や趣味、遊びに関しては「富裕層」にも負けない「情報量」で勝負してきたつもりだ。

お金があればすべて手に入る。

しかし、お金を上手に回して少ない金額を何倍にも変えることができるのは、情報通として生きる最大の楽しみと利益だろう。

そして、わたしの溜め込んだ情報は、すべてこのブログに放出される。(入れたら出すの法則で・笑)

その方程式は、「アウトプットの伝え方」にすべてがかかっている。

今、言いたい事、出したい内容が、伝わりやすく書けているか?

伝えるタイミングは合っているか?

写真の見せ方は適切か?

第一、誰に伝えたいのか?

こんな観点を一瞬で整理して毎日、執筆しているのだ。

で、週末はゆるく時間をとって、丁寧なインプットと生活を俯瞰的に見据えた暮らしのストーリーや設計、ノウハウも溜め込みたく本や新聞、ネットに浸りきっている。

つまりは、自分の行先地図を作るみたいなもんで、かなり楽しいし、やらなければ生きていけない。

そして、時々自分の描いた行先地図を疑い、書き換えたりするのだ。

と、いうわけで「わたしのクリエイティブ改善」の話をざっと書いたんで、

今日も元気に行ってきます!

★2024年3月8日更新 3月8日「国際女性デー」「ミモザの日」~女性の幸せについて考える日🎶【暮らし・3月8日】

【ブログ新規追加649回】

3月8日は国連の提唱する「国際女性デー」だ。

2022年のテーマは「持続可能な明日に向けて、ジェンダー平等をいま」で、より具体的なプランは、「誰一人取り残さない持続可能な社会の実現」にむけ、女性の参加や女子教育の重要性をあらためて訴えるものである。

この日はミモザの花を女性に贈る日としてもかなり定着してきたのではないか?と、思う昨今だ。

ま、もらったことはないけど(笑)

なぜ、ミモザ?

それは、国際女性デーの3月8日にイタリアで男性から女性にミモザの花が贈られるようになったことからだそう。

日本国内でも「HAPPY WOMAN」という取り組みが注目されつつある。

すべての女性が「人生の主人公」となった生き方を選択し、持てる力を発揮できる社会を目指す。

イキイキワクワクを追求する 女性のためのライフデザインプロジェクトだ。

私事だが、3月8日は「結婚記念日」なの。もう、38回目を迎える。

毎年、どこかへ旅行をしたり、ちょっとおしゃれなホテルに泊まったりしてきたが、今年は8日、朝から大きな仕事の予定が入っていて、ちょっと泊まりとか旅行とかが無理。

たぶん、8日以降に展覧会とかに行ったり、美味しいものを食べに行くぐらいかな。

あっ!梅郷や山にも行きたい。

毎年のことだけれど、ちゃんと意識して襟を正すように大事な日として迎えたい。

「女性を大切にする日」とか、素敵よね。

というわけで、今日はみんな大切にされようね(笑)


★2024年3月6日更新 「失敗しにくくなる方法」をとことん考えてみた~普段の行動にカギがある~そこを改善しよう🎶【暮らし・行動改善】

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失敗しにくくなる方法

誰でも、失敗は避けたい。
しかし、ちょっとした判断ミスから
やすやすと、失敗の階段を転げ落ちてしまうものだ。
わたしも何度もそういった失敗を積み重ねて生きてきた。

例えば、数多い小さな失敗の中でも、一年に1度か2度
必ずやっているミスがある。

• 煮込み料理で鍋をあっという間に焦がして、料理と鍋もろともダメにする。

• 駅の階段を踏み外す。

• いきなり転ぶ

と、こんなどーしょうもない失敗の数々。
周りがびっくりするほど盛大に、転んじゃった話をしよう。

                 ★


昨年、11月の末頃、相模原イオンの従業員口へ急いで入ろうとした瞬間、
バタ!っと、その場に倒れ込んでしまった。


その時、「大丈夫ですか?!」と、倒れたわたしの顔を覗き込み、
起きあがるのに手を貸してくれたイオンの従業員の方。


コートについた枯れ葉をはたきながら「大丈夫みたいですね」
「ほんと、目の前で急に倒れたんでびっくりしましたよ」と。


倒れちゃった原因だが、「客先のアポの時間に間に合わない!と、
焦り、足がもつれちゃった」だけだった。


運よく、ほぼ無傷だった。

しいて言えば、身体を支えるために
地面についた手の平が少し擦り剝けていたぐらい。

さて、タイトルの「失敗しにくくなる方法」とは、この2点に尽きると思う。

「定期的に自分の行動を振りかえる」
「上手く行っていない点を改善する」

わたしの転んで痛い思いをしたみたいな件を、月末に振り返ってみる。


そして、アポにどーして間に合わなかったのか?原因を追究するんだ。


そうすると、家を出る時から誤った時間設定をしがちなクセが原因だと気づく。

で、改善としては、「アポのある日は、20分のゆとりを持って行動する」に改善される。

どう?

こんな小さな失敗でも怪我や仕事のミスになりかねないから、本来は絶対に失敗したくはないものよね。

であれば、事前の準備からゆとり(想定外・不慮の事態をあらかじめ想定した)を持って行動するという決着を導き出せたら、忘れないようにメモったり誰かに話たりして頭のすみっこに焼き付けておこう。

また、この行動振り返り方法は、何か決めても、なかなか続かない!という人にもっともおススメの方法なのだ。

例えば、「筋トレを週3日やろう!」と決めたのだけれど、2回ぐらいまではできるんだけれど、ど~しても3回目ができない!なんて時には、行動振り返り方法で改善してみよう!

きっと、今まで続かなかった原因がわかって、3回目までできるようになるとか、反対に下方修正して、週2回で丁度いいとか、適量が分析できるものなの。

まあ、続かない!ということ自体が「失敗」と捉えたなら・・・という話ではあるが。

さて、暖かくなりつつ、花粉が猛威を振るう日曜日。

どこに行こう?

言葉の力~言葉は誰もが使える最強の幸せツール【暮らし・エッセイ】

【ブログ新規追加646回】

受けた言葉に泣いたり、笑ったりと、「言葉の持つ力」をつくづく感じた一週間だった。

久しぶりに会う若い女性上司との面談。

コロナ禍で閉店が相次いだ私のエリアを、おもんばかりながらも大いに励ましを受けた水曜日。(懸案だった新しい仕事も頂いた・嬉しい)

上司は来週、人生で最高の日を迎える。わたしからも言葉の花束をめいっぱい贈らせてもらった。

オンライン会議では、同僚に孫が生まれていて、みんなから言葉や書き込みメッセージの贈り物がた~くさん!

観ているこちらまでなんだか、孫ができたみたいな(笑)ほんわか、明るい雰囲気に気持ちがぐん!と華やいだ。

言葉の持つ力を信じていようが、いまいが、相手を楽しませたり、励ましたり、深く癒したり、キラキラさせたり、笑わせたりと、いくらでも言葉を使って人のためになることはできるんだと改めて気がついたのだ。

                   ★

一方で、真反対のことだって起こり得る。

元気づけようとしたはずなのに・・・返って孤独感が増すような雰囲気になっちゃったり(泣)

勇気づけたかっただけなのに・・・自分にも勇気がなくって言い出せなかったりなど、言葉の使い方に迷い、立ち往生するなんてこともある。

現在の「ロシア」はなぜ、「ウクライナ」との対話交渉がなかなか進まないのか?それは、目指すゴールが違うからである。それでも粘り強く徹底して対話での停戦を願うものだ。

ほぼ、すべての人が使える「言葉」にはお金はかからない。また武器も要らない。

こんな素晴らしいもの(言葉)を、「人間に生まれたことで与えられている」っていう感謝の念を「ロシア」のPTは忘れているんじゃないだろうか?

                  ★

自分だけでなく、周りも一瞬で幸せになれるような、言葉を発して行きたい。

なぜなら、言葉の力を信じて使うと、何倍もの結果が出るようになる。

アフォメーションという言葉を使ったものごとを変革させる方法がある。

アフォメーションとは→なりたい自分になるための、言葉による思い込みづくりのこと。「肯定的な自己暗示」「肯定的な自己説得」「肯定的な自己宣言」などとも言われる。資料先;https://life-and-mind.com/affirmation-12198 (アフォメーションを仕事や人間関係に活かす7つの基本と8つの実践例)

                  ★

ブログを書く作業も、一人でYou Tube を撮る作業も、とても孤独なものかもしれない。

しかし、きっと誰かが読んでくれる、誰かが観てくれる・・・と、期待に胸を膨らませて作業に取り組んでいるんじゃあないだろうか?

わたしもまったく同意(笑)

これって、言葉の力を無条件で信じている証拠だね。

しかし、一方的に言葉を発するわけで、一言、一言、悩みながら言葉を紡いでいる時間が圧倒的に多いのね。

それでも、悩まず軽い言葉で埋め尽くされたブログなんて、誰も読みたくはないはずだろうから、悩むのも楽しみの一つとして、来る日も来る日も書き続けてきた。

わたしは、この言葉を紡ぐ作業を「内なる格闘」と呼んでいる。

まさに戦いだもん(笑)

そして、悩みつつも自分の言葉を信じるのは、「カッコいいし美しい」と、思えるようになったんだ。

いつかブログを書かなくなっても、

身近な人に懸ける言葉や自分に向かって懸ける言葉が磨かれていれば、

とりあえずわたしの世界は変わるだろう。

個人戦をどう戦うか?~ブログで次のステージを目指す~弱者のためのブログであるべきという方向♪【紙上講座・ブログ先行き視点】

【ブログ新規追加645回】

個人ブロガーのわたしが目指す視点を書いてみた。

わたしは、企業ブログを書いているわけではない。

身の回りに起こる小さな体験や経験をど真ん中に置いて書き起こすエッセイと情報

あくまでもわたし個人の持ち物だけで書き起こしてきた。

Googleの検索上位の記事などにはほぼ目を通す暇はなく、いわゆる自己流ではあるが「小さくブログサイトを運営する」ことには成功したと言えるのではないだろうか。

なぜ、そこまでGoogle検索上位の記事を読みに行かないのか?と言えば、それはアクセス数をかせぐやり方を徹底的に知り尽くしたプロブロガーを背景に置く企業ブログばかりだからだ。

そこにある記事の多くは「万人向けに書かれた内容」である場合がほとんど。しかも記事構成も、検索上位になりやすいキーワードを使ったものばかり。

要するに企業の体裁を整えるためにも使えるハイレベルなものだと言えばわかりやすいだろう。

例えば、ブログ初心者の記事がやたら、企業ブログに似せて書いたとしよう。しかし、まず、企業と個人の差別化がされていないと、ただ検索上位の記事を真似てみてもたぶん長続きはしないだろうね。

だって、プロフィールからして違うじゃん(笑)

ここで、出てくるのが「弱者の戦略」という思考法だ。より具体的に述べると、「大きなものと同じ武器で戦わないこと」に尽きる。

資料先→弱者の戦略と強者の戦略「ランチェスター戦略とは」https://www.profuture.co.jp/mk/column/10342

一個人が世間に戦いを仕掛けるときには、より小さく、固有のインパクトを打ち出さねばならない!と言える。

しかし、それもとても厳しい・・・。

そんな時には、万人向けに書かれた簡単正攻法や成功術であっても、こぼれ落ちてしまう少数の方々を掬い上げる記事を書けばいい。

なんにも持たない弱者だからこそ書ける、企業ブログとは違った視点の記事。

こんなところを目指して毎日、淡々と書き続けているんだ。

毎日、誰かの胸襟に触れて、誰かの背中を押せるそんな記事を書いて行きたいと願うばかり。

戦いの相手は、大企業じゃなくて「己心」なのよ。

大きなものを漠然と捉えて、個人が意気消沈し、結局辞めてしまうなんて、本当にもったいないよ。

企業ブログの読者設定は「できる人」向けで、個人ブログはどちらかと言えば「続けるのが難しい、飽きやすい人」向けだろう。

これが差別化だ。

というわけで、「弱者=個人のブログ」の戦い方を書いてみた。

これからも、より小さく、ひっそりと、しかし明るく、前向きに、

ワクワク情報や体験をサクっと発信して行くので、どーぞ、よろしく♪

★2024年3月3日更新 マルチタスクの意味を取り違えていた!~脳が同時にモノゴトを片付けるわけじゃなかった~切り替え上手脳になろう🎶【仕事・マルチタスクを正しく知る】

【ブログ新規追加645回】

マルチタスクって、たくさんの要件を一気に=同時に片づけるスーパー脳のことだとばかり思っていた。

しかも、マルチタスクが得意な人こそが、優秀なビジネスパーソンだとも。

しかし、一昨日運転中にある脳外科医の話を聞いていて「うん?あれ?」って、思ったのだ。

それは、「人間の脳は、完全なシングルタスクである」と言い切っていた。しかも、シングルタスクゆえに、高度な技術を駆使して社会の秩序を守ってきたのだと。

マルチタスク風な行動がいかに脳を休ませられないか!仕事のスキマ時間ぐらいはネットサーフィンはやめよう!という話だった。

「へえ~~~~~」

聞けば、マルチタスクの意味を取り違えているのでは?そういった意見も飛び出した。

例えば、「仕事をいくつも並行してどんどん進めるスタイルが身についている人」のやった仕事は精度が低い場合が多々あるそうだ。

これって、次々仕事を進めていくことに夢中になった結果だね。

確かに、マルチタスクは、元々IBMの唱えたコンピューターシステムのことで、複数のタスク=案件を並行して実行するということを指すものだ。

その言葉がいつしか一人歩きをして、ビジネスパーソンもマルチタスクができるのが優秀と誤解をする人が増えたのだそうだ。

                     ★

ここで、マルチタスク本来の意味を現わしておく。

• 複数の作業を同時に平行して行う

• 複数の作業を短時間で切り替えながら実行する

                     ★

ネットやIT好きな人ほど、マルチタスクを好む傾向があるそうだ。PCや周辺機器の知識に長けている部分がそうさせるのだろう。

一般的なビジネスシーンでも、画面を複数立ち上げて作業する・・・エクセル表とワード文章など。忙しい現代では当たり前の姿である。

それでも、PC画面やソフトを複数立ち上げることって、先の脳外科医の話からすれば、マルチタスクでもなんでもない(笑)

エクセルで数値入力をしながら、ワードを作ることはできないから。

要するに、厳密には複数の画面を待機させているだけで並行して仕事をしているわけじゃないんだ。

本来のマルチタスクとは、画像の出力処理をする間に、エクセル表を作るような作業状況を生み出すものと言えばわかりやすいだろう。

ほとんどの人はPCに複数の作業を同時にさせることはない(ハズ)

(資料元→https://graceeight.com/time060ビジネスマインド

                     ★

このことから、人は本来マルチタスクには成り得なくて、ほぼ、シングルタスクだということだ。

なぜ、ほぼか?と言えば、一部の天才が存在するかもしれないからね。

人間の脳はマルチタスクに対応できず。例えば、「複数の人から同時に質問をされて、同時に返事を返せる?」と。絶対ムリ。

複数の声を認識できたとしても、答える口は一つだもん(笑)

                 ★

わたしのクセのひとつに「何かを観ながら、手を動かす」というのがある。

「何か」はたいがい、You Tubeや映画などの動画を観ることで、「手を動かす」はブログや原稿を書くことだ。

今日の話では、わたしはマルチタスクじゃなくて、ただの「ながら」だったというわけ(泣笑)

  

書斎という自分空間の作り方~畳一畳で充分できる自分の城づくり~既成概念を取っ払たら簡単にできちゃう♪【仕事・マイ書斎を持とう!】

【ブログ新規追加644回】

ノマドワーカー(もう、古い表現・笑)がcafeで仕事をしている姿は、もうありきたりな風景になった。

要するに誰でもやれるようになったらカッコよくはないんだよ。

PC1台とスマホだけで充分仕事ができる。

例えば、外cafe以外にもワークスペースは今やどこにでもある。

昨今、当たり前となったオンライン会議などにも外から参加が可能だし、ちょっとした書き物などもサクっと仕上げられるし、便利になったものだとつくづく思う。

一方で、今日取り上げる「マイ書斎」はノマドワーカーの真っ向から逆を行く発想のものだ。

「書斎」と聞くと、何やら古臭いお父さんやおじいちゃんの時代の「男の居場所」みたいなものを連想されてしまいそう(笑)

本来の「書斎」とは、学んだり考えごとをするための空間だそうだ。現代の知的労働に携わる多くの人にとって、学ぶことや考えることは必須なのではないだろうか?

意外だけれど、ITが進み、誰でもスマホやPCで情報をシャワーのように受け取れる便利な時代になったが、ひとたび裏を返せば、「じっくりものごとを考える」「長編作品を集中して読む」などがなくなってやしないだろうか?

時間軸が断片的といえばわかりやすいかな。

SNSの普及でさらに、一憶総発信者だらけの現在。電車の待ち時間や電車に乗っている間、ほとんどの人がスマホに釘づけなのもうかがえる。

スキマ時間はネットの情報を読む、SNSでのやりとりをするなどに使われてしまうのだ。

で、家では?というと、家でも食事の前後や就寝前まで同じようにネット情報を読み、SNSでやりとりしたりするんだ。

これじゃあ、いったいいつ、ものごとを深く考えたり、長編作品を読むことができる?できないよね(泣)

目の前の情報ばかり追っていては、思考の浅い考え方になりかねない。

そこで、そんなネット漬けの人に朗報なのが「マイ・書斎」を持つことなのだ。

マイ・書斎」があれば、考えるための時間を取ったり、趣味に没頭したりという、いわば「おこもり」が可能になる。

今では、思考を短くするための、ショートカットを推奨する書籍まで当体している。

しかし、自分の中で考える習慣を捨てたくないし、学ぶスイッチを入れることができる「マイ・書斎」の存在は大きいだろう。

わたしは、毎日ブログを執筆しているがこれは趣味じゃない。れっきとした小さな仕事だ。

毎日1本の2000文字記事をきっちり書き、広告を入れて編集する。そこから、いくつかのSNS、メディアに発信することで小さな仕事は完結する。

しかし、外仕事から帰って来たばかりじゃ、すぐにブログに取り掛かれないもの。切り替えが難しい場合も多々あるのよ。

だから、毎日執筆するには、朝起きたらすぐ「小さな自分空間」で良く考えて、勢いつけてザっと書いておくのが、今の習慣になっている。

引用や資料などは、帰ってきてからで十分間に合うし。

これも、ただの「下手の横好き」で趣味に位置付けていたら、こうまで続けて書けることはなかっただろう。

自分の本当に好きなことを続けたい・・・これは誰もが願うことだろう。

であれば、小さく仕事にしてしまうのが近道だ。

そういった、思考にたどり着いたのは、小さな家の中に自分のクリエイティブを育てる空間「マイ・書斎」を設けてきたからだと思う。

(ほんとに小さな空間を自分流にアレンジして使っている。リビングキッチンのテーブル半分とか・笑)

畳一畳あれば、素敵な「書斎」が作れるよ。

イケアなどで安くてカッコいい机や椅子、テーブルなどを用意してみよう。

少しの労力で、自分のお城を作る・・・ワクワクしない?

デジタルと本で「開かれたマイ・書斎」をぜひ、持ってみて!


★2024年2月28日更新 難しいことがらを言語化する~評論に挑戦してみようかな?~とか考えている話【紙上講座・評論】

【ブログ新規追加641回】

ちょっと前に読んだ小説の話。

主人公は20代後半の男性。大学を卒業後、ずっとフリーで新聞やWEB雑誌にライターとして記事を書いて生活している。

彼は、自分の将来を危惧して、ある編集者に「僕はいったいこの先、何を書いて仕事を得ていけばいいんですか?」と、唐突に聞いたんだ。

そしたら、「ライターをある程度やったら、あとは、詩を書くか、評論を書くか、小説を書くものだよ」と、教えられたそうだ。

そして、物語は「小説家を目指す青年が本当に小説家になるまで」を実に細かくも、見事に描き切っていくのだ。

わたしはこの小説を読んで、自分なら小説家はありだな・・・と、瞬間に思った。

しかし、評論も捨てがたい。だって、難しいことをわかりやすく誰にでも伝わる文章表現で評論が書けたらカッコいいじゃない(笑)

※ 評論とは→物事のよしあし・優劣・価値などについて論ずること。また、その文章。(資料先;https://kotobank.jp/word/コトバンク

「ロシアのウクライナ軍事侵攻」がこれに当たる。要するに難しいテーマについて自分の想いを文章で言語化するのをやってみたい。

わたしは普段、政治や国際情勢について、積極的に感情を表に出すとか、文章にしてつぶやくとか一切してはいない。

専門家でもないし、よりよい発想があるわけでもないだろうから。

そんな立ち位置があやふやなものを、身勝手に書いてしまうのはとても危険だと考えるのだ。

しかし、小難しいテーマであっても、わかりやすい解釈と読みやすく書ける技術があれば、評論の世界も覗けるかもしれないよね。

実際、今回の「ロシアとウクライナ」の関係性やそれぞれの国の歴史など興味があるし、遠く離れた日本も北方領土を抱える身だ。

他人事ではなかろう。

特に旧ソ連・東欧の地政学などが、今ブームになりつつあるという話も聞いた。世界の情勢とか芸能系でもでもいい本があったよね。

一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書

今、まさに勉強するべきは「世界情勢」だとさえ思う。

わかりやすい書き方で「ロシアとウクライナの緊張状態」のとりまとめができたらいいな、とか思っている。

今日、ワクチン接種3回目やってきて、ちょっと怠くなってきたんで、思いついたことを簡単にまとめてみた。

それでは、また。

※ TOP写真は、2月26日の東京スカイツリー。偶然にもウクライナの国旗色。(WEB記事より拝借)

ミニマリストになろうと思った~なぜなら母のことがあったから【暮らし・片づけエッセイ】

【ブログ新規追加640回】

7年前の2月3日、節分に母を亡くした(享年79歳)

余命宣告から、たった2週間で母は旅立ってしまった。

余命宣告の知らせがあったのは、母を介護するために母の家のすぐそばに引っ越して6か月目。

母の病気は「肝細胞癌」で、4度の放射線治療でも癌が消えず、すぐに身体中に逡巡してしまう恐ろしい病気だった。

この病との戦いが始まる数か月前に、母と同居の話しあいをしたのだ。

しかし、母は「自分は最後までひとりで生活したいの」と、強烈に言われてしまい結果、わたし達がすぐそばに住んで介護することとなった。

マンションを引き払い母の家の近所(車で5分)の場所に引っ越した。その間たった2週間。

この時にはまだ「ミニマリスト」という生き方は知らなかった。

ミニマリストとは→不要な持ちものを減らして自分に必要な最小限のものだけで暮らす人のことを指す。 「ミニマル:minimal、最小限の」という言葉から派生したとも言われている。(資料先;https://www.manpowerjobnet.com/haken_guide/improving-skills/minimalist/ミニマリストでスッキリ暮す)

たった2週間で大型3LDKを処分するのは至難の業だった。しかし母のそばで看病する!と決めたわたし達夫婦はこの間、仕事も全部休んで、引っ越し作業と各種手続きに没頭したのだった。

まず、手始めに引っ越し先(2DK)への荷物の選別。全体の3分の1まで持ち物を減らすというチャレンジを始めた。

これには一週間もかかった。

物への愛着(執着ともいう)がある中、毎日真夜中まで物の選別や引っ越し先のサイズに合わせる家具や電化製品の採寸を続けた。

さらに小さな家のすべてにWIFI環境を張り巡らせる準備なども徹底してやった。

この間、新しい物はほとんど買わなかった。なぜなら、物を減らすために物を買う矛盾にさいなまれそうだったから、あえて避けたんだ。

専門のメーカーや引っ越し業者には頼まず、できることはすべて家族だけでやった。最後に大物だけを引っ越し業者にお願いしただけ。

小さく、小さく、必要な物だけを持って身軽に引っ越しをすることが叶った。

それもこれも、これから長くかかる介護費用の捻出と母の病状改善を助ける「その時一番大事なことに集中する」ことができたからだと思っている。

だから、やみくもに(適当に)物を移動するのではなく、徹底的に「手放せるものは手放す」という信念の元に突き進んだようなものだった。

そして、引っ越して6か月目に母が亡くなり、わたし達の介護という旅も終わった。

身体の水分を使い果たすぐらいに泣いたけど、弟夫婦と母の家をかたずけて家じまいを終えた時、「ああ、母はひとりで丁寧に暮らすことをとことん楽しんだのだな・・・」と、爽快な気持ちがムクムクと沸きあがってきた。ちなみに、隠し財産などまったくなかった(泣笑)

大切な人の荷物をすべてかたずけて一軒の家をしまう。

大切な人達の生活をしまうのは、何とも寂しい作業だとばかり思っていたが、そんなことはない。

反対に一切を任せてもらえて、とことん幸せを感じる数日間だった。

母の思い出を話ながら片づけるんだけど、アルバムはやっかいそのもの!だって片づけの手を止めてしまい、延々見続けてしまうから。

次にヤバイのが日記。

母の日記が出てきた。薄い大学ノートに「〇〇子の育児日記」と書いてあった。

わたしは、母がわたしを生んだ瞬間の喜びから母としての責任、わたしへの願いを書いたその1ページだけを読んで、苦しく辛い想いを受け取り、何ごともなかったようにノートを処分した。

例えば、本は一番大事なことは全体の始め20%に書かれている。残り80%はすべて説明なのだ。

薄いノートにびっしりと几帳面に書かれたノートの始めの1ページだけを写真を撮るように読み込んで鮮明に心に焼き付けた。

家具も荷物も何にも無くなった母の家で茫然としながらも、母の大切な物をきっちり処分できた爽快感に包まれた。

本当に不思議な経験だった。

母が本当に大事にしていたものは、物じゃなくてわたし達家族だ。その想いは物を処分しても消えやしない。

「自分を大切にする、家族はもっと大切に思う」という母の気持ちを受け継いで生きている。

こんな想いで迎えた7年目だった。

これこそが、自称ミニマリストとなったわたしから母へ贈る供養なんだろう。