【ブログ新規追加605回】
46歳で脳出血を患った。
一気に坂を転げ堕ちた人生の転落だった。
しかし、一命を取り留めてからの約13年間を振り返ってみれば、難行苦行ばかりの自転車操業だったが、毎日、やること、やりたいことにまみれてあくせくしてきたんだ。
多少の更年期障害もあったが、それさえブログのネタにしかならないほど、わたしの13年間は超充実してきたのだと思える。
今では、一週間のうちの平日5日間は外営業に出ている。
コロナ禍でこの2年の間、訪問不可が続き悶々としてはきたが、ある意味、誰もが経験したことのない「パンデミック」だったのだから、そこから何かを学び取る=掴まなければ!とずうっと、思ってきたのだ。
で、わたしがこの2年間で一番学んだのは、「もっと前向きに休む!」ってこと。
えっ?それって、遊ぶこと?それとも身体をゆっくり休めること?
はい!どちらも!
それは、仕事の準備を絶えず先回りしてやっておき、平日でも遊びに行ったり、身体を休めたりする、というフレキシビリティな習慣になったことが大きい。
平日は仕事!って括りを取り払っちゃった。
そして、口ぐせだった「仕事だから・・・」という言葉をわざわざ発することも少なくなっていった。
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大学を卒業してから46歳まで仕事を長期に渡って休むことはなかった。そのぐらい20代~30代って元気なんだよ。
しかし、大病から仕事の長期離脱を経験し、さらにコロナ禍を経験した今は、仕事環境も大きく変わった。(出版不況からの客先減少などで)
一日にこなす量を減らした「ゆるゆるとした仕事スタイル」が完成しつつある。
たぶん、一番変わったのはわたしの心境だろう。
TOPの写真は、昨日に引き続き、数年前にHuawei P9で撮った、早朝の東京ミッドタウン。
撮影した当時のわたしは上昇志向が強く、好むのは高層ビルだった(笑)
それは、最小の自分との対峙だったんだろう。圧倒されることで、沸々と煮えるマインド。
そんな、自分の努力や根気が実を結ぶストーリーが大好きだった。
またそうでなくっちゃね・・・と、心底思い込んでいた。
しかし、病気は待ったなしで、そんなわたしの活動スイッチをやすやすと止めたのだった。
倒れた当初、身体は動かなくなったが、意識はしっかりしていたんで、頭には「復活」という文字しか浮かばなかったんだ。
一切泣かずに、淡々とリハビリして半年後の復活を勝ちとった。いわゆる勝者の方法で。
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でもね。もう、そういった努力や根気の末、勝者だけが勝ちとった体験とは「違う世界」になっちゃったんだ。
努力も根気も追いつけないパンデミックの仕業がわたし達を襲って来たのだから。
2年前、活動中止を余儀なくされた時期にわたしが取り組んだのが、GoogleアドセンスやAmazonアソシエイトなどの広告業界の勉強とこのブログの母艦であるWordpressの徹底的な勉強をしたのだ。
あわよくば、仕事を立ち上げるつもりで始めた取り組みだ。
仮想通貨などの金融にも興味はあったが、WordpressとGoogleなどの広告業界を自分のブログに引き込む計画を入念に練って取り込みを徹底してやった。
ここまでは、上昇志向の強いわたしを満足させる勉強につぐ勉強で、コロナで仕事ができない!という辛さもなんのその。一切を忘れる充実した毎日を約4か月続けられた。
膨大な記事を読み込み、ブログの様相を整えながら、Googleアドセンスの権利が下りた4か月後からは、毎日のブログはエッセイ中心の1000文字~2000文字の「ゆるゆる記事」を書いて3社~4社の広告を貼って更新する。
これで、仕事のひとつを終えている。(毎日、小さな報酬も出ている・笑)
詰め込んで勉強できなければ、この「ゆるゆるスタイル」は叶わなかっただろうね。パンデミックがもたらした神的な時間。
「神的な時間」それをどう使うかが、人生の采配を変えるのだと気が付いたこの2年だった。
また、初めは努力も根気も無力だと感じたコロナ禍だったが、結局、わたしのやる気を支え、「ゆるゆる生活」の実現を果たした背景にあったのは「努力と根気」だった。
「努力と根気」を味方にして前向きに休んでいるのだ。
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さて、オミクロンに対応すべく、明日からの電車営業をすべて車営業に変える準備をしている。
すべて、先んじて手を打って、あとは「ゆるゆる」と活動するよ・笑