【ブログ新規追加427回】
営業職のわたしは普段から人に会うのが第一の仕事。
そこにはアポの電話や今、ごく普通になったオンラインでの会話などがファクター(要素)として存在する。
しかし、そういったファクターはあくまでものごとを円滑に運ぶためのツールに過ぎない。
要するに、人の持つ微妙な表情や声色がわかりにくいからだ。
この数か月どんどん仕事先での訪問不可が続いていた。昨日、思い立って電話で様子を伺うのも何なので、久しぶり!という感じで何気に伺ってみた。
そして、久しぶりに「会う」客先は、以前のままの場合もあるし以前とはちょっと変わって、丁寧な対応に変化を遂げていたなんていうのもあった。
こちらは言われた通りに対応させて頂いただけだ。
多分そういった「引き際」を理解して時間を空けた(来ないでと言われたから行かなかった)・・・というわたしの対応がどうやら正しかったようで皆、態度も軟化していた。
誰にでも、触られたくない時があるし、根掘り葉掘り電話で聞かれたくないという場面もあろう。
コロナの影響は店舗商売の方々には深い傷となったのだとおもんばかった。
しかし、そうした微妙な空気感も会わなければ、なかなかわからない。
仕事もほんとに生き物と変わりないんだね。人間が司るわけだから当然と言えば当然だけれど。
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で、仕事以外の人と会うのもコロナで、ずいぶんとご無沙汰になっていた7月はじめ。ちょっと体調が思わしくなかったわたしは、元看護師の女性に会いにいった。
彼女は会うなり、わたしの近況などまったく聞かず、自分のことをばあ~~~!っとしゃべる、しゃべり続けるのだ。
普通なら「えっ?」って思う、コミュニケーションベタな人なんだけど、一貫して「聞いてほしい」攻撃を仕掛けてくる。
実は、わたしはこういった雑談に飢えると彼女の話す「どーでもいい話」(本人がそう言う・笑)を延々聞きに、わざわざ足を運ぶんだ。
それぞれの家庭や仕事の話を断片的にする。そうするうちに会わなかった期間の暮らしぶりが伺えて、何とも言えない充実感のある時間に生まれ変わるのだ。
ただ、ただ、聞いたり、聞いてもらったりを繰り返すだけだけど、楽しかったな。
仕事以外で人に会うのはとても刺激的。用件や案件絡みの面会はまるで、誰にも会っていないのと同じかもしれない。
人と会うと、わたし自身がとても狭い世界に、いつの間にか入っていたんだといつも気づかされる。
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会話を交わすとは、相手の持っている時間を共有するものだとつくづく思う。
元看護師の彼女が、今どんなことに興味を持って学んでいるのか?これからどうしようとしているのか?などが垣間見えるのが会話の持つ魅力だ。
自分語りの多い人の話は聞きたくない!という人も多いだろう。
しかし、そこには、わたしよりも数歩先を行く世界が開かれているのかもしれないし、当たり前のようであって当たり前じゃないんだ。
わたしは、彼女の「どーでもいい話」を聞きながら、自分の乾いたかさぶたをべりべりと引きはがし、新しい皮膚を手に入れたみたいな爽快感があった。
そして心優しい彼女は体調の優れないわたしを気づかい、途中の道まで見送ってくれた。
最後に、「話を聞きにきてくれてありがとう!」と言ったの。
わたしも「たくさん話をしてくれてありがとう!」と返した。
このやりとりだけで、わたしは昨日までの自分のいた枠の外へ一歩踏み出せた気分だった。
ね。雑談って大事!
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コロナ禍でなかなか人と会えなかったりすると、雑談する場面がガクって減っちゃったのが残念。
本当に大事なことは、用件ではなく雑談の中に落ちていたりする。
コロナの影響でまだ辛抱が必要だが、早く気軽におしゃべりを楽しめるようになればいい。
せめて、自分の風通しを良くして周りの人の言葉に耳を傾けて行きたいと願うものだ。
トップの写真は、昨日のひまわりのとなりに無限(笑)に咲き誇るキバナコスモスの畑。あちらこちらで花々のひそひそ話が聞こえてくるような一枚を撮ってみた。
台風が接近しつつあるよう。
どうぞ、お気をつけて。