Woman~ジョンレノンが愛妻オノヨーコに贈った名曲~音楽とジェンダーの話【暮らし・音楽】

【新規追加273回】

2月18日は,故・ジョンレノンの愛妻であるオノ・ヨーコさんの誕生日。御年88歳。

世界平和へのメッセージを発表している、「世界に平和と相互理解を広めた‘」最も有名な無名アーティストなのだ。

2013年、有名なメルトダウン・フェスティヴァルがロンドンのサウス・バンクで行われたが、そのときオノ・ヨーコはキュレーターに選任されていた。

そうした最近の動きからすると、彼女は受けてしかるべき称讃をじきに受けることになるのかもしれないと、ある記事にはそう認められていた。(参考資料→https://www.udiscovermusic.jp/stories/happy-birthday-yoko-2)

                 ★

そんな壮大な運命とは裏腹に、普段の慎ましい暮らしが垣間見える、ジョンがヨーコに捧げた一曲「Woman」

ジョンは初めての子どもの育児に奮闘し携わった感想を唄ったのだ。

~女性 表現しにくい 私の無思慮さと複雑な感情を 結局のところ 私は貴方の借金を抱えているようなもの。

~女性 表現してみよう 私の内面の気持ちと感謝の気持ちを 成功の意味を教えてくれた ああ・・・

歌詞の和訳抜粋する。

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子育ての大変さは男性でも充分に認識はしているはずだが、実際に携わってあれもこれもと母の代理となり育てたという経験を持つ男性は少ないのではないだろうか。

先日、育児休業中の後輩の話を聞いた。

「毎日が、何にもできずに過ぎていくのよ」「ただただ、焦っちゃうだけの自分が歯がゆい」「夕方になると泣けてくる」と。

そこへ、コロナの影響から会社の仕事が一切停止となってほぼ一年を迎えるという夫を持つ同僚が話す。

彼女は言う「コロナになって、男性も女性の子育て中の無力感(社会に取り残されている)を感じるいい機会になったのでは?」と言った。

なるほど。

いくら、論説説いても体験に敵うものはなしだ。

人の身になって初めてわかる胸の痛み。

先のジョンレノンの「Woman」にあるように、「みんな感謝していると思うし、誰も取り残されてなんかいないよ」と、わたしは応えた。

コロナになって、優しくなった人60%、厳しくなった人40%の割合らしい。

皮肉にもコロナの「おかげ」で人は人としての大切な感情を取り戻したのではなかろうか。

自然の驚異。

最後に名曲「Woman」をどうぞ。






モデルハウスの新満喫法~使い勝手の良さやインテリアのヒントを持ち帰る楽しみ【暮らし・モデルハウス活用法】

【ブログ新規追加272回】

今の家のキッチンやお部屋のインテリアなど、気に入っている?

今週末から我が家のキッチン下、おもに床の修理を急遽することになった。

せっかくだから、修理と同時に今一度、住まいのアレコレについて考えてみている。

近所に大型の住宅公園(住宅総合展示場)がある。
先日、久しぶりに仕事帰りに、住宅公園にある北欧スエーデンハウスの内覧をしてきた。

北欧住宅の木のぬくもりと深い色合いの絨毯やカーテンたちはすこぶる私好み。


 私好みということでは、「シック」であるということにつきる。

シックとは・・・「シック」はフランス語の単語「chic」からきた言葉で、「上品な」「あか抜けした」「粋な」「エレガントな」「落ち着いた」という意味で使われている。 「シックな色合い」「シックな装い」などの表現が一般的。

色は派手でもなく、かわいい訳でもなく、究極までに引き算された家具やファブリックがどうにも好きでたまらない。

たまに自分のセンスのあり方を見直し省みることもあるが、やっぱり好きな物やディティールは依然として変わらない。

モデルハウスを訪ねる意味合いは、すべてきれいに整ったリビングやキッチンに圧倒されて、ただ、「すごいですねえ」とかつぶやきにいくのではない。

「いいなあ」「でもお金がないからなあ」とか、マイナスな目線は一切捨てるのがわたし流。なぜなら、暮しに役立つヒントを見つけに行っているのだから。

                  ★

大きな敷地に何十ものハウスメーカーの売れ筋住宅が並ぶ、これはあまりお勧めできない。

もっとも勧めるのは、気に入った住宅メーカーのショールームかミニ展示場だ。

わたしは、ログハウス専門の「BESS」がこの数年凄く好みで惚れ込んでいる。

「BESS」の家が、我が家からすぐの都立公園入口に一軒ありそれを見るたびに、「いいなあ」と、ため息が漏れるの(笑)

薪が大量に積んである庭やターフがたなびくウッドガーデン。実はこの家と同じ家を「BESS」展示場で内覧済み。小さい家で、お値段も驚くほど安い。

土間のある小さな玄関、シックなステンレスキッチン。センス抜群のオイルストーブや昔ながらの薪ストーブ、そういった暮らしにワクワクを持ち込めるヒントがいっぱいのモデルハウス見学だった。

買うために見に行くのは普通の行動。いつか手に入れるために新解釈をしつつ、自分のセンスを磨くのがわたし流のモデルハウス満喫法なの。

29歳で初めて購入した小さな一軒家も、事細かくオーダーし尽くした可愛いい家だった。コロナ自粛で家での時間が増えた今、改めて住まいに注目している。

余談だが、その小さな家の前は浅川土手。よくTV撮影で俳優さんやミュージシャンのMV撮りが行われていた。家のベランダで池内淳子さんを見かけたり。コブクロさんも(笑)

現在は、丘陵の麓で森に囲まれた環境に暮せてとても気に入っている。

コロナ禍でまだ遠出は控えているけど、各地にある旧家や偉人の旧邸とかも少しずつ訪ねてみよう。きっと、古き良き時代の暮らしのヒントが見つかりそうだもの。

本来、満喫とは、「呑み喰い」をこれでもか!とした結果の気持ちを表現した言葉だ。

わたしの場合は、趣味にあう家やインテリアをたくさん眺めてセンスを磨いたり、自然との共存が叶う暮らしが「呑み喰い」に当たる満喫法だと感じている。

呑んでばっかりじゃなくてよ(笑)



★2024年2月16日更新 無人販売の野菜や果物を買う~小さな健康が手に入るサスティナブルな楽しみ 【健康・無人販売を語る】

【ブログ新規追加271回】

無人販売が成立するのは日本だけじゃないかな?

こんな話を以前、同僚とした。

わたし達、車で外営業をする仲間たちは、皆、無人販売の恩恵を受けている。あって良かった無人販売とかの情報共有をしていた時の話。

それは、ほかの国だったら、お金を入れずに野菜を全部持ち去るとか、反対に野菜はそのまま、お金だけを全部持ち去る輩が出るだろうね・・・と。

無人販売が成立すること自体が、日本人の持つ深い良識という精神性の高さに尊い思いを馳せたのだった。

たしかに文字通り「無人」のそういう販売システムは、何度もアジア諸国へ旅してきたが、まったくそんなものには出くわさなかった。

日本独自のシステムなんだろうと勝手に確信してる。

昨年からコロナ禍で、人に会わなくてもすむ無人販売は、実は密かなブームにすらなっていると聞く。

                 ★

わたしは無人販売の多い多摩地域に仕事があるが、意外と都心に近い調布のある街道沿いにあるわ~あるわ・の無人販売。

様々な畑が延々と続く中にところどころ、無人販売の小屋?みたいなブースが存在している。

わたしが、心躍るのは「梅」や「梨」「みかん」果樹の販売。見つけると必ず、車を停めて買いにゆく。

その中にブルーベリーやくるみのむいたものとかがあったら最高。そのままお菓子のレシピを考える。

ワクワクする瞬間。

わたしは月10日以上、車で東京と神奈川を回る。草花の咲く時期は本当に気持ちが落ち着かないくらいだが、実は無人販売にもかなり通っている無人販売フリークなのだ(笑)

朝採りたての新鮮な野菜。だいたい1袋100円が多い。市場や道の駅より多めでお安い。

以前、箱根へ遊びに行った時も、街道沿いのみかん農家の無人販売で袋いっぱいのみかんを300円で買って、みんなで温泉上がりにパクついた。ほんとに甘くて瑞々しかったのを覚えている。

お財布に優しく、新鮮でいっぱい買えて、その日の晩の献立が決めやすい無人販売。とにかく健康によいいし、相対的にもみてもSDGsに貢献できて何だか嬉しい。

自家製の漬物やジャム、果物の皮のピールなど、丹精込めた品が手に入る秘密の場所もあるんだ(笑)

道の駅も大好きだけど、無人販売も楽しい大切なお店なのだ。


★2024年2月14日更新 「個人的な体験=日記のような記事」を読まれるものに変換するにはこの方法で!【紙上講座・読まれる記事の作り方】

【ブログ新規追加269回】

13日。福島県沖 震度6強の地震・・・23時08分頃。M7,5 / 深さ55㎞

ウェザーニュースより

13日(土)23時08分頃に発生した最大震度6強の地震に関して、気象庁は14日(日)1時10分より会見を行い、東日本大震災を引き起こした2011年3月の超巨大地震の余震との見解を示しました。

驚きとともに、東京のわたしの住む街でも震度4と。

10年前の東日本大震災の当時を彷彿させる余震に、TVでも震源地付近の方々の「またか」という不安なお気持ちを拝見いたしました。

道路の崩落や都市部の破損など目を覆いたくなる様相です。

どうか、ご無事でと、祈り続けております。

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● 個人的な体験=日記のような記事が読まれない理由

今回は、「わたしごとを書いているけれど、あまり読んでもらえない」場合の解決法を書いてみる。

先日、ブログでもエッセイでも小説でも、執筆がなかなか進まない場合は「自分の体験を書こう!」という記事を書いた。

しかし、この「体験を書く」は果たしてWeb記事ではたくさんの人に読まれるものだろうか?アクセスアップに繋がるのだろうか?

答えはNO。

なぜかといえば、ほとんどの人は、Web記事(SNS)に情報を求めてアクセスをするものだから。

忙しい時間を見ず知らずの「赤の他人」の個人的な記録や家族の話を読みたいとは思わない。

よほど、ライフスタイルが素敵だとか、面白い発想で暮らしを楽しんでいるとか・・・また、意外なほど、文章力に長けているとか。

そうでない普通の会社員の日常や一般人のつぶやきが記事になっても、毎日読みに行く?しかもよく知らない人の日常を。

ひとりよがりの発信ばかりじゃ、あまり読まれるはずはない。これは、わたしも猛反省している部分だ。

(だからこのブログを毎回読んで頂いている読者の方々はものすご~く有難い、尊い人たちなのだ。いつも、何時でも感謝しております。)

「自分の体験を書く」のは、あくまでも筆が進まず、アイデア枯渇を繰り返している場合の処方箋で書いたまで。そこからアクセスアップまでは、独自で開拓をお願いするものだ。

読まれる文章にするために必要な「情報」の投入をしている?

しかし、個人的な体験も「書き方」をちょっと変えると、話は違ってくる。

おそらく、書き手は、「あれも、これも、いい話だから入れよう!」とか「あの体験は凄かったんだから絶対に誰にでもわかってもらえるはず」など、身勝手な思い込みに頭が占領されている状態なのだ。

それを、どう変えるのか?

読んでもらう動機づけを「共感」だけでない、「情報」の追加をしていくのだ。

例えば、「子どもの叱り方で失敗した→でも、こんな一言で解決した」など。

つまり、無数の読者の中の誰かにヒットするような「お役立ち情報」が入った文章にすると読んでもらえる

えっ?!ほんと?本当。

これだけで、読まれない文章が読まれる文章に生まれ変わる。

日々、「無数に存在する読者である誰か」の役に立つ内容をひたすら考えていればよいのだ。

そういう人の文章は、おしなべて読みやすく、わかりやすく、なおかつ役に立つものだと考える。

「情報」は「共感」と違って、見ず知らずの他人でも必要とするツールなの。

だから、結果的に読まれる記事や文章となる。

● 今回のポイント

自分が持っている「「コツ」や「よい仕組み」などは、どんどん文章にしてみよう。

書き方は、失敗談やイマイチ談→解決法や情報に変換させるだけ。

あとは、面白くでもおかしくでも、自分のパーソナリティに合わせて書けばいい。

わたしも、もう一度ここからはじめようっと(笑)

最後に。

個人的な体験や話は、どんな快挙であっても、見ず知らずの人はほぼ「共感」しない。

一方で、見ず知らずの人でも「共感・共有」しやすいのが「悲しかったこと」や「虐待などの壮絶な体験」だという。

わたしは、書き手が心底辛い思いをするような、記事や文章をお勧めはしない。

また、ある意味、鬼門となる「感動する話」これも、人それぞれなので、もし、書くのならサラっと、流す程度でいいのではないか?押し売りは禁物よ。

また、偉人の格言や有識者の名言を書いてもあまり「共感」は得られない。やっぱり、人のふんどしで相撲を取るのもお勧めはしない(笑)

自分の「得意」や「コツ」はたまた「大切にしていること」を自分の言葉で綴ろう。

で、SEO的にアクセスアップを狙うなら、「タイトルにキーワードを入れる」のを

忘れずにね!

★2024年2月12日更新 孟子の教えから得る「待つ心」とは~客観視することで開眼する【暮らし・孟子の名言】

【新規追加267回】

俺はまだ、本気を出していない (ガンガン・コミックス)

● 作品概要

【本気じゃなくても、慕われまくり! 最強貴族の無双生活!!】


一族の落ちこぼれと言われながらも、のんびり過ごしていた貴族の四男・ヘルメス。

ある日、無理やり家を継がされ当主になることに……。

あれこれ理由をつけて手を抜こうとするが、規格外の潜在能力が開花し、周囲の評価は急上昇――!? 

本気を出さなくても――最強

と、こんなお気楽だが、持ち前の才能を開花させる究極の方法が網羅された良書だ。

コミックの発想は、本当に自由だなと常に感じている。

最近ではごくたまに開くぐらいになってるけれど、また、コミックの世界へ飛翔するかも?!(笑)

● 本気を出したら、あとは待つのみ~その時間が心を育てるものなのだ

 本気でなくとも、最強になれる物語はコミックに置いといて。

ここでは、本気で取り組んだ後の心境を鑑みたい。

孟子の名言から考えてみた。

「天が人に大任を授けようとする時は、まずその人の身心を苦しめ、窮乏の境遇におき、何をおこなってもすべてを失敗させて、わざわざその人を鍛えるものなのである」

解釈・・・天が人に大任を授けようとするときは、必ずまずその人の身心を苦しめ、窮乏の境遇におき、何を行ってもすべて失敗をさせて、わざわざその人を鍛えるものなのである。

つまり、不運は天の試練として受け止めるべきものなのである。

              ★

まず、孟子の人となりを紹介しよう。

古代中国の思想家、孟子

孔子の孫である子思から儒学を学び「人の本質は善である」とする性善説を唱えた思想家。

儒教の中では始祖の孔子に次いで重要な人物とされ「孔孟」とも表現されている。

             ★

先の名言から、わたしはこう考えた。まさしくウエイティング・ゲーム(実業家・高野登氏の言葉)のような人生。

どんなに頑張っても成果のでない時がある。病気で第一線から離脱することも。

また回りの人にはチャンスが来てるのに、自分には一向に巡ってこないと感じることもある。

「こんなにガンバっているのに、自分には運がないんだろうか?」と嘆いたりした時期もあった。

しかし、今ではそんな気分に陥ったら、自分に起こっていることを「客観」するようにしている。

そう、それは、まるで自分ごとなのに、他人ごとのように冷静に俯瞰するのだ。そうすると、狭い自分の視野がぱ~っと開けてくる。

要するに「囚われ」から、自分を解放してあげることができる「客観視」の凄さ。

ここで、先に登場した、孟子の言葉である。まだ、時期尚早なのかもしれない。好機到来まで、淡々と爪を磨くのみなんだろう。

よって、不遇なことがらに遭遇した時の対処法としては、原因をすべて並べて「俯瞰」すること。後は、じっくりと待つのみだ。

行動は、好機到来したら、一気に巻き返せばよい。この一連の流れで、靜かな攻めの人生が送れるよ。

結果は、天のみぞ知るものだから。



「ケとハレ」の日~ほとんど「ケ」だから「ケ」を大切に生きる / 暮らしの基本に忠実に♪【暮らし・雑感】

【ブログ新規追加267回】

2月11日建国記念日

建国記念の日(けんこくきねんのひ)は、日本の国民の祝日の一つ、日本国の建国を祝う日で、日付は2月11日。1966年(昭和41年)制定。(Wikipediaより)

現在、国民の祝日に日の丸の旗を掲げるお宅はほぼ存在しなくなった。また、この祝日を皆で祝うという風習も。

ハレ=晴れの日とケ=褻の日とは

ある程度の大人ならば、何でもない日、要するに普通の日を「ケ」といい、特別な行事やお祝いごとを「ハレ」というのは誰でも知っている。

「ケ」と「ハレ」の由来・・・民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ()は普段の生活である「日常」を表している。

ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した。(Wikipediaより)

お節料理、赤飯、鯛のお頭などの料理に代表されるのが「ハレの日」の特別な食事で、昔の日本では、ハレの日とケの日の境界は非常に明確だった。

それが近代化・現代化が進むにつれこの境界線が曖昧になり、いまではこのことを意識して生きている日本人はほとんどいない。

なんでも、民俗学の権威、柳田国男氏が「ハレ」と「ケ」の世界観を表記したことが機縁となっているそうだ。

人生の祭りごとが減る、歳を重ねてきて思うことは

わたしのこれまでの人生は、苦難続きであったけれど、時代の変革に軽く波乗りをし続けてきた感じがしている。

最大の「ハレ」は自身の結婚、次は子どもの誕生、次はその子どもの成長過程で、受験の合格や就職で社会の一員となり活躍するなど、あげればキリがない。家族の成長すべてが「ハレ」の日だ。

その一連をやり切ってきた。そして、登ったら降りるしかあるまい。

下りの日々には「ハレ」の日というくくりは、どんどん失われていくものなのだ。

でもね。人生、ほとんどの日が「ケ」なんだよ。

その「ケ」の日をどれだけ、芳醇に過ごせるかは、ほとんどなくなった「ハレ」の日にするインプットのことじゃないか?って、最近気がついた。

コロナ自粛でも、「ハレ」の日に外で受けた刺激を、ていねいに抽出する「ケ」の日とすれば、やることだらけでかえって忙しい、充実した日常になるだろう。

歳を重ねた今の「ハレ」の日は、仕事に出ている日であり、買い物をする日であり、オンラインで人とのコミュニケーションを取る日なのだ。

そして「ケ」」の日には、溜め込んだ本やWeb情報をまとめて読み、こうしてブログを書く。

「ハレ」で受けた刺激を、生きる活力に変えるスキルがもっとも必要不可欠だろう。

最後に。

わたしは、自分の足で歩いて買い物に出られる100歳を目指して、日々ウォ―キングやトレッキングをしている。

いつだって、「ハレ」の日を迎える準備に余念がない(笑)

そう、「ハレ」は自分で生み出し、自分を飾る最高のもてなし。

2月は別腹スイーツ月間~バレンタインデーの用意はいかに / 甘い準備をそろそろ始めよう【暮らし・歳時記】

【ブログ新規追加266回】

 2月と言えば、節分・立春とあって寒さが募る季節だが、気分的にはバレンタインデーが一番、心躍るイベントではないか?と思う。

昨今、10月のハロウィンがバレンタインデーを凌ぐ勢いだがそれもつい最近のこと。


日本型バレンタインデーは過去50年から現在に至るまで、女性は男性への思いを繋ぐこの日のために、チョコレート選びに余念がない時期なのだ。

※ 日本型バレンタインデーの歴史→https://www.takashimaya.co.jp/shopping/gift/story/A15970/A18001/ 資料先

バレンタインデー・どきどきの一日

バレンタインデーには淡い思い出がある。

中学2年生の時、同じ中学校の同級生に、ちょっと好きな男子がいた。

その子に14日の夕方、浅川の河川敷に来てくれるように電話で呼び出して、無事に手作りチョコを渡すことに成功したのだ。

ちゃんとしたバレンタインデーは、これが初めてだった。

期待していなかったホワイトデーでは、メリーの詰め合わせをお返しに頂いた。

それから、進路は別になっていったが、確か高校2年の終わりぐらいまで青春を伴にした。

今ではその男子は、わたしの小学時代の親友と結婚したと聞いている。

懐かしく、少しだけくすぐったいような思い出。

● バレンタインデーとのつきあい方

毎年の行事で、今ではレシピ参考にいそいそと手作りすることもない。

まあ、風化しない程度に大人のたしなみで、夫や息子には高級チョコレートに何かもう一つプラスして買ってあげている・・・時もあった(笑)

我が家ではバレンタインチョコもおせち料理と一緒の分類になっている。

意味合いも在り方も変わってきて、この時期の食べ物風物詩の一つにすぎない。

 それでもやっぱり、世界の名だたるパティシエの作るボンボンショコラなどの格別美味しいことは疑うよしもない。

ワインの世界的ソムリエ、田崎真也氏がある対談で語っていたのには、「男性の場合、糖分はアルコールで摂取している人が多いのでは?と思われるが、それでも甘い物好きの男性は年々増加中だ」と。

田崎氏曰く、フレッシュな生クリームがたっぷりと入ったロールケーキなどにはやはり目がないのだそう(笑)

最近では、スイ―ツ男子やスイーツ親父が当たり前。男性のほうが良く食べているなんてことも・・・(笑)

また、先ほどの田崎氏の話では、スイーツとワインを合わせる時は、同じくらいの甘味を持ったものを合わせることが美味しく頂くポイントだそう。

へえ~・・・

● 有名パティシエのパーティーで出会った大人スイーツの頂き方

数年前、都内のある洋館で開催された、ショコラパティシエの辻口博啓氏のパーティーに行った時。

ウエルカムドリンクとウエルカムショコラが素晴らしかった。

辻口氏の新作ショコラに合わせたのは、甘味の強いスペイン産の赤ワインに、オレンジとシナモンスティックを入れたホットワイン

寒い2月のこと、どれほど、そのウエルカムドリンクとショコラが身体を温めほぐしてくれたか。今でもその深い味わいはしっかりと記憶している。

そのあとの晩餐会では、イタリアンのフルコースを頂き、新作ショコラはお土産となってわたしの家までたどり着いた。

あの味を再現はできないけれど、高級チョコと南フランスの「ミュスカ」なんかを合わせてみたいもの。

これぞ!大人スイーツの醍醐味よね。

マスカットのフレッシュさは、案外濃厚なチョコには合うのではないか?と秘かに思っている。

● チョコレートを健康的に取り入れるのがトレンド

チョコレートのカカオ効果というか、今やカカオ75%など純性カカオ率の高い商品が目白押しだ。

我が家のように夫の減糖制限が必須の場合は、純性のカカオ率の高いチョコレートがおススメだと栄養士さんから聞いた。

最近は医療絡みで、受験勉強や健康管理にもチョコレートを積極利用しよう!との広告を目にすることが多い。

身体に良いポリフェノールの量が赤ワインやりんごなどより多く、美容や健康にも良いことは周知のとおり。

昔から、女性のツールのひとつだったチョコレート。

今や、勉強・スポーツ、健康管理をも司る武器にもなった。

いやはや、チョコレートの多方面での威力には甚だ脱帽!

この際バレンタインは、いつものフワフワスイーツをちょっと横において、大人ならではの別腹思考で、高級チョコやお酒と一緒に楽しむ、とっておきの2月にしよう。

でも、かわいいショコラも別腹でね(笑)




★2024年2月9日更新 肩の力を抜いてみている~文章を書きたいのに書けない時、どうするか / 発想を自分発にする【紙上講座・ブログ執筆術】

【ブログ新規追加265回】

2月になって、素晴らしいお天気の日ばかり。着々と春に向かっている。

こつこつと地味な更新というルーティンが必要不可欠なブログ。

SNSは別に不定期であってもいい。第一仕事じゃないのだから。

しかし、ブログは若干の仕事モードに切り替えた2020年。仕事と見立てているから毎日書く。

春の訪れに、トレッキングや山歩きに出たくて、ソワソワな毎日だ。あれほど本気で読んでいる本も、2月に入ってからはまだ5冊程度の読了。

ただ、読書もやみくもに読了を目指してはいない。

ルーティンでもノルマでもないから、ここも外に出たい気持ちを抑えてまで無理やり詰め込もうなんていうのは絶対にしないんだ。

そんなわけで、2月はゆるゆると「好き」を詰め込んでいる真最中(笑)

                   ☆彡

春はわたしが一番好きな季節。

しかも、今の家から低い山や丘陵地帯と自然公園まで徒歩5分。自然公園自体は、低山なのだが、その頂上の草むらに「四つ葉ばかりのクローバー」が茂る場所がある。

息子が小学生の頃通った、学童保育クラブで教わった秘密の場所。

当時、遠足で登った時、四つ葉をたくさん摘んだのよ。そこまででも、今の家から徒歩30分という危険な立地(笑)

なぜ、危険か?といえば、毎日でも行けちゃうから。四つ葉それだけで、仕事や他の用事を潰すつもりはない。

でもね。その四つ葉の場所があれから一度も見つからない。それを探しにいくハンティング欲が異常に漲ってくるの。

そして、いつかは書きたい20年越しの「四つ葉のクローバーだけが咲く丘」の短編。

わたしの書く話は基本的に「自分の経験・体験」から書く。

あまり創作を好んでいないのかもしれない。

そして、他人の疑似体験や追体験を書く事も多分、ないんじゃないかな。

どうしてないのか?これについては、またそのうちに。

                  ☆彡

さて、

ブログの持つ習慣性の話をしよう。

以前のブログの頃にあるブロガーさんと非公開でメッセのやり取りをした。彼女はよく、書けなくなるらしいの。その時、筋トレの筋肉を思い出すという話をしていた。

わたしは、書けなくなるとか、あまりそういうことはないのだが、彼女は、書く頻度が下がり続けるとどうなるか?といえば、筋トレと同じで、ブログ筋=文章筋が弱くなってしまうのだと話していた。

ブログ筋=文章筋が弱ると、まず、書くスピードが遅くなり、アイデアが湧きにくくなる。また、無理をして書いてみても、思うような表現がスッと出てこない。

で、このループに入ると「書く意味」を見いだせなくなり、どんどん億劫になって、「もう、いいや!」と、ますます書かなくなる負の循環が待っている。

そういう時に危険な思考は、書けないくせに「きちんとした文章を書こう!」と、自分の肩に負荷をかけるのだ。そしてさらに書けなくなるのだそうだ。

そして、わたしへの質問「こんな時どーしたらいい?」と聞かれた。

とっさにわたしは、普段の自分の執筆スタイルの基本をお話しした。

それは、日記や雑文、短編小説でも、すべて、「自分が体験したエピソードだけ」で書いているのよ・・・と、話し、書くのに行き詰ったら、「自分を掘り下げてみて!体験を書いて!」と、背中を押したのだ。

                ☆彡

軽い日記でも、雑文でも、その内容が「本人の体験」から出て来たものだったら、ちゃんと書けないわけはないし、反対にスッと書けてしまうんじゃないかな?

体験をていねいに抽出する。コーヒーをゆっくり豆から落とすように。

~事実は小説より奇なり~だもの。

書けないからって、どこかの有名な誰かみたいな文章など真似ても仕方がない。

書けなくなった時には、ウォーミングアップかリハビリのつもりで、体験エピソードを文字にすることを目いっぱい楽しむのが一番。

書けない・・・この状況を味わい尽くそうと、話をまとめた。

わたしはずっと、この体験を書くという「自分発」思考で、書き続けてきた。

最近では、脳の回転とキーボードを打つ指の速度までも一つの回路として成り立っている(気がする・笑)

ブログの持つ習慣性の凄さを実感する毎日だ。

春浅い間に肩の力が抜けて、気がついたら

「快心の文章」が書けていたとか・・・夢だね。

季節ものの記事を書く・更新する楽しみ~これまでのブログ記事の更新もどんどんするとよい理由【紙上講座・ブログ更新術】

【ブログ新規追加263回】

日本人で本当に良かったなあ~と思うのが、四季の存在。

ただ、昨年からの新型コロナウイルスの影響で、現在でも緊急事態宣言下の東京に住むわたし。

しかし、確実に春は迫ってきているから、万全のコロナ対策をし、趣味であるトレッキングや山歩きにはボチボチ出かけている。

● ブログ記事を活き活きさせる方法は「更新」に尽きる読者には常に新しい情報を提供

わたしのブログの大元にあるコンセプトのひとつに「」がある。コロナで仕事にも影響が出て、遠くへの旅も基本的には禁止。

では、「」のコンセプトをどう更新するか?そこで考えたのが、今まで書いてきたブログの旅編で、

① 思い立ったらすぐ行ける!

② お金をかけない 

③ 近い

この3点(安・近・短)がある記事の更新をきっちりやって行こうと考えた。

ブログ記事も2~3年すると、すでに古くなっている状況も多々ある。

特にコロナの影響で今ではやっていないとか、立ち入ることができないなどの現地情報など、必然的に更新が必要であろう。

なぜ、更新が必要なのか?

それは、ひとえに「古い情報は読者に対してマイナスなもの」だからだ。

これはひとつの例だが、あるブロガーさん(30代男性)の記事で、トップに固定されている格安SIMとWifi環境の記事がある。

もう、何ヵ月も更新されていない。

格安SIMの現在の状況も更新せねばいけないよね。しかもその記事にはおススメ商品として、もうなくなってしまったWifi商品が載せられている。

情報通信関係専門のYou Tuberやブロガーはとにかく、記事更新の回転を速くしなければいけない。

もう無くなくなってしまったサービスを載せている場合は、削除せずとも、現在の状況を鑑みて、その他のサービスを追加するなどの付加価値をつけて再登場させるのがベター。

ここで言いたいのは、自分のブログ記事は大切に愛でて、手入れをする、まるで我が子のように扱うものなのだ。

たかがブログ、されどブログって、書いた以上は責任があるとも思っている。

                 ★

 四季折々の記事は再度読み返される得点がもっとも高い~毎年更新する価値あり!

わたしの「安・近・短」で行く旅では、おもに現地まで車で行ける場所が多い。車を置ける駐車場が完備されているか?を徹底的に調べるのが検索では一番重要だ。

きっと、同じように行動する人は多いだろうから、わたしの記事では出がけから現地までのルートや車の置き場、付近の情報を少しだが必ず入れるように書いている。しかも最新情報で。

季節ごとに込み合う道や場所、そこの名物なども自分が食べた、飲んだものはしっかりと伝える。間違っても行ってないお店の案内は書かない。

だって、味わからないもん(笑)

これがガイドブックとは違う、生きたブログの魅力なのだ。

だから、毎年、「ここはおススメ!」と言える場所を選んで記事を書き、毎年同じ頃に訪れて更新するとかって、バラエティが豊富で楽しいと感じている。

書き手が心底楽しんでいる!とか、旅先でのトラブルを回避した記事とか、読者目線で役に立つ記事が良く読まれるものなのだ。

そして、手前みそだが、きちんと更新されているブログは検索数も増えて、SEO順位も上がりいいこと尽くめ。

Web記事の更新は大鉄則だという話を書いた。

最後に。

ブログはやってないから関係ない?

いいや、どんなモノゴトも「更新」という思考や作業は意外なほど、生活を豊かにするもの。

もう春だし、身のまわりの更新をどんどんやってみてはいかが?

【ちょっと、目先の変わった季節モノ絵本の紹介】

※ 父親が本を出版したことに刺激を受けた小学生が自分の本を出す!

しょうがこうがだいすき」うい/えがしらみちこ(著)学研

絵本の概要・・・小学2年生のせんぱいから、これから小学生になるみんなへ。

「さけばないようにれんしゅうしよう」など小学校生活を楽しく送るための16のアドバイスを、ういさんが自分の力で書き上げた。

不安と楽しみがいっぱいの入学を控えたお子さんに送る一冊。




★2024年2月5日更新 女性の節目を今年も終えて~100年時代の積み上げを続行中【暮らし・命日】

【ブログ新規追加261回】

6年前、母を2月3日に亡くしてから、我が家では節分の豆まきはしなくなった。

朝一番で墓前参りをし、母の好きだった桃のシロップ煮や日本酒を用意し恵方巻を購入して、3人で母を偲ぶ日となっている。

大半の女性にとって、親を看取るというのは、「介護が終わる時」である。

大きな節目だったな・・・と、今でも感じる。

もう、母を思い出してセンチになるとかはなくなったし、あの家じまいの大変さも忘れつつある。

時間の経過がそうさせるのだろう。

100歳まで生きると決定したら何をする?

5年間の介護が終わって、わたしに訪れたのは「ポッカリと空いた時間」だった。

 よく友達との話題に、「100歳まで生きられるとしたら何がしたい?」とか「今までで一番楽しかったのは何歳の時?もし戻れるとしたら何歳?」 なんて話しで盛り上がることが結構ある。

以前は、実際私は100歳まで生きたくないなあ・・・と、思っていた。

それは、自分が若いと思って生きている証拠でもある。時間はまだまだ無限にあるように思い込んでいたのだ(笑)

今では、100歳まで生きたい!と念願している。

ライフシフト~100年戦略』リンダ・グラットン(著)

詳しい書籍概要は文末に以前のブログを添付しておく。興味のある方はぜひ。

気がつけば、こうして文章を書くことで苦楽も雑念もつかの間だがすう~っと消えている。

これからの自由な長い時間を、「ストレスなく感傷は軽い思い出に留めて、今までどうりしぶとく、我慢強く生きていこう」と考えている。我が母のように。

慎ましくもすっきりと生きた自慢の母だった。

そんな母を思い出し、見習い、つらい気持ちがあってもお腹の底にしまって、それを自分の生きる力に変えて行こう。

※2017年の記事から→「新年、100年ライフを目指す!」ライフシフトの具体的な内容をレビューした。


女性の節目はいつだって心を前向きにさせる。