★2024年1月5日更新 散歩・ウォ―キング・トレッキング~デイリーアウトドアを極める【健康/トレッキング・アウトドア編】

【ブログ新規追加233回】

わたしの趣味は、写真を撮ることと、里山を歩くトレッキング。

春浅い1月は、里山トレッキングの始まりで、山野草ハンターのわたしは、

身体がうずうずしてきている最中。

1月の目指す植物を決めて、どこへ見つけに行くか。関東一円で考えるのが楽しみのひとつ。

年末年始はコロナウィスル感染予防で、食品を近所に買いに行く以外は、一切出かけなかった。

しかし、休み最終日の昨日は、身体を動かすこと、歩きはじめをしようと、車で30分圏内の里山へ出向いた。まず、西側をぐるっと一回り歩く。次に南側をもう一回り歩く。

風も少なく、里山頂上での軽いウォ―キングは、昼頃の温かい気候の中で、心底気持ちのいいものだ。

さて、なぜ、歩くのか?それは、第一に「健康維持のため」であり、歩くことで「四季折々の自然に出会えること」が楽しいからだ。

そんな、散歩やウォ―キング・小さな山へのトレッキングを趣味にするようになって気をつけていることを書いてみよう。

                  ☆彡

● まず、散歩を極める~通り過ぎていた自然の景色に幸せは溢れている

わたしの大好きな、アウトドアのひとつが散歩。所要時間10分~30分、半径800mから1㌔の軽いウォ―キングだ。

たとえば、電車での仕事には駅までをウォ―キング。自粛中には、この半径1㌔の散歩&ウォ―キングで随分、身体も気分も救われた。

近所の都立公園を散歩する楽しみは、植物に付けられているプレートを読むことや、鳥の名前を覚えること。

四季の変化と繋がって行くと、公園の木々や植物たちと、顔見知りになってゆくのが嬉しい。

たった30分でも、金木犀の香りにその存在を知り、タンポポの綿毛が「こっちへおいでよ」と誘ってくれる散歩の楽しいことったらない。

                ☆彡

● 体力がなくても、気軽にトレッキング~エンジョイの精神で自然と共生する

年々、体力の衰えをひしひしと感じている。ただ、それを嘆いたり悲観したりはしない。

トレッキングであれば、頂上を目指さない「walkingtrail」をする方針で、この数年は山岳ではない、里山で歩く楽しみを満喫してきた。

無理は無謀なだけ。体力が足りないのなら、トレッキング時には、持ち物を最低限まで減らし、山道を身軽にハイクする「ウルトラライト・ハイク」とかも、ちょっとだけ取り入れている。

例えば、歩く時間とコースで持ち物を究極まで減らす。

わたしの場合はバッグやリュックは持たず、腰を冷やさない長さのコートのポケットに、スマホ、メガネ、ミニタオル、小銭、を入れる。あとは、カメラは首から下げて。これだけで、4~5㌔ぐらいのwalkingtrailに行く装備だ。

何も持たないと自由度が非常に高く、心底歩くことに集中できるのが最高にいい。

また、服装の工夫は、超軽量なダウン、インナー、タイツ、ネックマフラー、手袋、レギンスなど、薄くて温かいものばかりにしている。

疲労回復には、高機能の着圧タイツとかも履いているけど、仕事にも使って腰を守るようにしいる。

しかも、トレッキング時だけでなく家でもまったく同じにして身体を冷やさないようにするのが一番大事。寝袋やダウンなども寒い家の中では大活躍よ(笑)

                ☆彡

● 楽しく歩くために必要な栄養素を事前に摂る

別にサプリメントおたくじゃないのだけれど、歩く趣味を持つようになってからは、積極的に筋肉疲労や全身疲労に効くサプリメントや肉、魚、野菜を良く摂るようになった。

数年前から、夜、布団に入る時に「メリメリ・・・」っと、骨がきしむような感覚があり、怖くてすぐに骨密度を調べてもらったが、その時は、まだ大丈夫な状態だった。

ただ、数年に一回発症するギックリ腰や、背中の痛みなど、養生する箇所がどんどん増えていくのが現実。

そのことがきっかけで、肉・魚・野菜の養分をしっかりと身体に取り込むのに注力しはじめた。

何事も兆しをつかむのが大事だね。

~自然とつながって、心豊かに暮らそう~

文章論10本勝負 第10回~2021年に挑戦することを決めた【紙上講座⑩・来年への展望】

【ブログ新規追加231回】

文章論10本勝負も今日で終了。10本に文章にまつわる様々な気づきを詰め込んでみた。

しかしながら、わたしの頭の中では、「次は何処へ行こう?」このことばかり考えていた。

WordPressを習得して、Googleアドセンスも取得し、ブログの収益化を果たすことができた2020年。

あとは、成長路線に載せるだけだ。

わたしにとっては、WEB上で文章を基軸に「仕事を作る」のが、一番やりたいことなのだとわかった。

で、色々と模索中であるが、「kindle作家」として、年に数回のセルフ出版を果たそうと考えている。

やりやいことをしっかりと捉えてやりがいに昇華し、あわよくば仕事になるよう執筆環境を整えようと考えた。

※ 電子書籍と電子出版全般の詳細は、「文章論10本勝負 第六回」で取り上げた。ここに記事を添付する。

わたしの強みは、「一度決めたらよほどのことが無い限りやり通す」という習性だ。そこを重視してこの案件に集中してみたいと思い立った。

kindle出版の一冊目の審査が通り、無事出版となったら、ブログのお知らせで発表する予定。

まだ、構成も内容もまったく絞り込んではいない。

頭に汗をかく毎日を手に入れるのが、目下の目標なのだ。

                ☆彡

2020年のことを、どうこう言うつもりもない。ただ、まだまだコロナの終息には時間がかかりそうだ。

先行きが見えないのなら、自分の先行きぐらいはしっかり決めておこう。

【お知らせ】

ブログ読者の皆様、常々本当に感謝しております。

今後の予定ですが、12月31日~1月3日まで、ブログはお休みとなります。

2021年1月4日より投稿を始めます。

また、明年もどうぞ、お付き合いください。

2020年12月30日    Miiko

★2023年12月29日更新 文章論10本勝負 第九回~文脈理解の醍醐味は圧倒的読書で得る / わたしの読書パフォーマンスとは【紙上講座⑨・読書論】

【ブログ新規追加230回】

わたしの年間読書数は約300冊。紙の書籍は8割、電子書籍は2割ぐらい。

しかし、仕事以外で読むのがわたしの指す読書だ。

仕事に準ずる書籍は毎日、仕事の前にざざっと読んで、ホットな情報を先方に伝えるのが、わたしの仕事の真骨頂だ。

ここで、重要なのが「要約力」だ。回りくどく説明の多い、営業マンは大抵嫌われる。だって、話が長いから。

文章でも、たまに見かけるが、恐ろしく長い文章を書いて、自分の文章は長いから・・・と事前申告している人。

これは、自ら読者を減らすものだ。

人の時間は限られているのだから、大切な時間を割いて読んでくれるのだと思って書けば、読者思いの文章になり、最後まで読み進めて下さるだろう。

とにかく、「言いたいこと」をどれだけ「要約」できるか?が書き手の腕の見せ所だ。

                 ☆彡

さて、文章理解というか、文脈を捉えるための読書眼を磨き、鍛えるためにわたしがとり組んできた読書法をお伝えしよう。

● 一度に読む本は3冊

わたしは、毎週10冊の本を読書のために用意する。その内容はこうだ。

重い内容の本・・・思想・哲学など2冊

中くらいの軽さの本・・・生き方・戦術・経済・医療・福祉・環境(SDGsなど)3~5冊

軽い内容の本・・・趣味のトレッキングや自然、植物、暮しの全般的な内容 3冊

番外・・・小説を2冊

と、こんな感じで揃えて、一度に3冊を読むのが習慣になっている。

この「一度に読む」という行為は本当に一度に読むんだよ。

まず、重い本、例えばちょっと難解な哲学書を30分読んで、脳内が疲れたら、中ぐらいの軽さの本を1時間読んで、最後に仕上げで趣味の本や気になる小説などを1時間30分。

トータルで3時間の読書クルーズをする。

これを週3~4回はやりながら、文脈理解のための読書眼を日々育てている。きっとずっと続けていくであろう、「本を読みながら本を読む」という読書法だ。

実は、この読み方は、希代の作家の多くが取り入れている読み方なのだ。

わたしはメモも取らないし、線も引かない。せっかく読んだのに・・・って思われるかもしれないが、読んだことを忘れてしまっても、不思議と脳内の引き出しに詰まっているもので、出したい時に出せればいい。

ただ、本当に忘れてしまわないために、新年から、読んだ本と出版元、作者、内容の「要約」をブログのギャラリーに連ねて行こうと考えてる。

文章術とは、書くだけでなく、読み方にも一工夫が必要だ。

そして、読書であらゆる教養が得られる。これが、書き手の視点を広げ、豊かな表現になるのは必然だ。

それでは、また!


文章論10本勝負/第八回~ブログのモチベーションアップに大事な2つの視点(雑記)【紙上講座⑧・ブログ継続論】

【ブログ新規追加229回】

わたしの執筆現場はブログ一本だ。

「元々、紙の日記をつけてはいなかった。ネット上のブログに書いておけば場所を取らないな、日記も買わなくていいし」くらいの感じ。

自分の発言を誰かに読んでもらいたい!とかまったく考えたこともなかった。

それでもSNSの発展に乗って、特定されない状況なら、誰かに読んでほしいという気持ちがムクムク湧いてきた。

そこで、ブログを開設した当初、長く続けていくためのモチベーション設定を徹底してやった。

1、日本の総人口から推定する読者層→ブログを読んで欲しい人数をざっくり割り出す

私のブログを面白いと思って読んでくれる人は想定で1000人に一人ぐらいと想定。

そこから、読者数の設定を詰めるのだ。例えば、

2020年1月の日本人総人口が1億2713万8033人。(総務省2020年1月1日発表)

15~64歳人口は 7464万5千人くらい。(総務省2020年月発表)

SNS含むネットを見る可能性のある年代の人口から推測すると、1000人にひとりという単純な計算でも約8万人?という数字になる。

でっかいことを言うようだが、ネットのリーチ数とはこういうものだろう。

実際、昨日「#シチューかけご飯」というTwitterKWを使った投稿では、インプレッション56386,プロフ閲覧38と、たった3時間で一気に人目に触れたのだ。(いいね!数は判断せず)

このことからも、わたしにとっては、ブログのリーチする数が8万人対象でもその中のコア1000人に「読まれる・面白い・ためになる」と、感じてもらえるブログ作りをずっと考えてきた。

無名の記事や写真があっという間に流布するネット社会。

だからこそ、いい加減な書き方はできない。そこのところは、最初から「他者に向けた文章を書く」ことで完結する、というスタイルを持つブログと定義づけてきた。

そして、その「他者」が、面白い!とか、ためになる!とか、感じてもらえる「読者視点」だけを見つめて書いているんだ。

だから、避けるべきソースは「愚痴、誹り、貧困、暴力」など。

自分が面白いと思うものを楽しんでくれる人が全国に8万人はいると想定し、その人たちに向けて書く。

8万分の1000人のなかの1人にピンポイントで面白さを伝えられればいい。

2、文章のスタイルを確定する

社会の動向をネタに書く時もたま~にあるが、ほぼ、わたしの日常体験からくる雑文が基本。決して怖くないし、それほど嫌な気持ちにもならないだろう。

読後、津々と沁みてくるみたいな滋味深さをブログで体験、伝えるのが目標かな。

思うに、日記風な書き方ではなく、雑誌の小さなコラム・・・といったような立ち位置で書いている。こういった立ち位置は重要だと考えている。

最後に

書き続けるモチベーションがぼんやりしないために、リーチするのは数字だけで、特定のペルソナを想定しないぶん、ストレスはない。

ざっくりと読者数を設定したり、大好きな雑誌の構成を使ったブログ構成を立てるなど、小さく、小さく戦略をいっぱい立てて、虎視眈々と書き続けている。

これが、楽しくて、楽しくてやめられない。

完全にハマってる(笑)

~目線は大きく、取り組みは足元から~

文章論10本勝負 第七回 / 記事の内容が難易か、文章が難易か~読み手にわかりやすい文章がやはり大事【紙上講座⑦・わかりやすさとは】

【ブログ新規追加228回】

2020年1月5日、年頭のブログから抜粋。700本の我がブログ過去記事を読み、そこから考えたものだ。

                  ☆彡

これまで5年あまり文章を書き続けてきた。

そのおおもとの軸(着地点)はどこにあるのか?

これを探すのが我がブログ全読破の大きな目的だった。

どんどん読み進めて行くうちに、ブログを始めた当時、

よく考えていたことを思い出した。


「誰が読んでもわかりやすく、読みやすい文章。難しい表現を上手に言い変えられるように、言いたいことが簡単に伝わるように」と。

「難しいことを、短く、わかりやすく書く」

これがわたしのスタイルだし、目指す文章なのだ。

文章が上手だとか、表現がきれいだとかではなく、誰が読んでも大筋、理解できるような文章を目指してきたのだ。

難しさの持つ、独特の言い回しや単語・表現などに文章が埋もれてしまわないように、解釈の間違いを起こしやすいものは気をつけて書いた。


 文章を書く人がこの先、どれだけ増えようと構わない。

わたしの着地点はここにあることで、ある意味、どんな素晴らしい文章に出くわしても、腐らず自信を持って書き続けられる。

                   ☆彡

と、こんなことを新年早々、書き綴っていた。では、より具体的に「誰にでもわかりやすく書く」方法を挙げてみよう。

● 内容の難易と文章の難易の立て訳

まず、4種類の文章と内容の難易はこれ。(以前、WEB記事の書き方講座で学んだもの)

① 難しいことを難しく書く

② 難しいことを簡単に書く

③ 簡単なことを難しく書く

④ 簡単なことを簡単に書く

わたしの場合は、明らかに②と④だわ(笑)

ごくたま~に「難しいことをわかりやすく書いてますね」と、褒められたり励まされたりするが、それは、一重に、「難しいことを書くのが苦手」なだけ。

自分の頭の中を基準にすると、自然と簡単な書き方に帰着するのだ。だから、人真似の文章だと、すぐにバレるよね。

これは怖い。

要するに、自分の持つ思考やそれまでの教養がすべてだから、それ以外は異質なものになっちゃうのだ。

WEB記事などで「自分の語り口で書く」のを、著しく推奨するのは、盗作やその違和感を避けるのが狙いだろう。

そのぐらい独自の言い回しは重要なものなのだ。

で、話を戻すと、内容と文章の難易を合わせるのが大事だと考えるのだが、①から、簡単に説明しよう。

① 「難しいことを難しく書く」とは。

この3つが揃っている文章が、基本的には難しいと言われる文章だ。

1、単語自体が難解

2、抽象度が高い・・・抽象とは、思考における手法のひとつで、対象から注目すべき要素を重点的に抜き出して他は捨て去る方法である。(ウイキペディアより)

3、止揚度が高い・・・アウフヘーベンのこと。小池百合子都知事が多用して話題となった、問題提起の仕方。下記にウイキペディアの引用を載せる。

  • あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。
  • 矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。(ウイキペディアより)

という二つの意味を有するのが止揚という。

論文など、どこまで難しく書けるか?が勝負のような場合は、この3点に注力して書いていくのがベストだろう。

まあ、わたしには論外だよ(笑)

② 「難しいことを簡単に書く」とは。

これは、わたしの得意分野かもしれない。

では、軽くひも解いてみよう。

①の3点を例にとってみる。

1、単語自体の難解さを上手く避けるには→漢字を減らし、熟語も減らすことで、より簡単に説明する。こうすると、次の展開へ行きやすい。

2、抽象度を上げずに表現するには→できるだけ、自分の体験したなどの具体例を使う。オリジナリティはここで表現するのがベター。

3、止揚度の上げかたは?→問題のひとつ、ひとつに対して短く簡単に自分の言葉で説明することで丁寧な優しい文章となる。(人に寄り添う文章には必須)

ただ、段階を追わなければ、アウフヘーベンは敵わずだ。

例えば、自分の専門分野を、まるで何も知らない素人が書く文章にするには、反対に事例や検証が必要となり、時間がかかるものだから、やりすぎは賛否両論かも。

こんな、1~3の方法で、書籍の執筆でも、ブックレビューでも、雑多な記事でも、ブログでも何でも書くことで、自分なりの「ちょい難かし簡単文章」の実現に努めている。

③「簡単なことを、難しく書く」とは

ここは、少しええっ?!って思われるかも。

作家であれば、「人を欺くため」に使うことが多い書き方だから。

例えば・・・

1、自分がすごいんだ!ということを知らしめたい場合

2、ある問題の内容が正しいと欺きたい場合

と、こんなところではないだろうか。

よくあるのが、政治や思想と利権を訴える団体などの文言とか、実は簡単なのに、難しく解説をして、畳みかけていくような、要は「胡散臭い」文章のこと。

だから、説明ぐせが文章に出てしまいがちな場合は要注意だ。わたしも気をつけよう。

④「簡単なことを簡単に書く」には

子どもの日記を思いだして!

今日あったこと、自分が体験したことしか書いていないはず。

この視点が大事だ。

● 最後に

文章をかっこつける前に、自分の帰着点を決めて、思い通りの文章を書いて行こう。

より、簡単に。

より、読み手に寄り添う、

より、わかりやすく、

こんな文章は誰からも好かれるよ。

★2023年12月26日更新 文章論10本勝負~eBook / 電子書籍についての考察~著者になるためには【紙上講座⑥・電子書籍論】

【ブログ新規追加227回】

● コンテンツを持っていれば、文章力や知名度に関係なく出版できるのがeBook

● 紙の本を出版する場合~現在

出版業界に転職して12年。この出版不況の中、もう、書き手としての「紙の本」へのこだわりは、気え失せてしまった。

なぜなら、書店にうず高く積まれる小説などの書籍は、ほぼ知名度があり、置けば一定数売れると分かっている本だけを、取次と呼ばれる仲卸業者から新刊配本という形で入るのが普通だ。

要するに、原稿料を頂きながら、書店の一番良い場所に平積みしてもらえるのが可能なのは、そういった極一部の知名度などの条件を充たした人だけなのだ。

世間では、「ブログなどのコンテンツを持っていて、自分で文章も書ける人」が、SNSの発展で無数に存在している。

いくら、強力なコンテンツを持っていても、知名度がないとか、無冠だということになると、出版社に持ち込んで、自費出版で出して、わたしのような出版営業が初回から数か月の間プロモートをかけても、無名の著者の紙の本が広く長く、世間に流通することはまず無い。

一瞬(2週間程度)書店で積まれたり、棚差しされたりするが、たいがいは見つけてもらえず、売り上げポスに数字が上がらず書店から出版元に返品されていく。

それでも書店で「積まれた!」「棚に入った!」という事実が大事ならば、高額な自費出版費用に耐えられる人もいるだろう。

しかし、それは、生涯書き続けていくためにはならないのは一目瞭然ではなかろうか?

わたしは、執筆した暁の思い出と返品の山(3年で版元は処分する)を抱きしめて生きていきたくはない。

まあ、未だ厳しい出版メディアの壁がある。しかし、書きたい人、本を出したい人は、どんどん増えているのだそうだ。

次に、そんな出版の世界を夢見る人への提案をしていこう。

● 紙の概念を180度変えてしまったeBook=電子書籍の存在

ブログや小説などのコンテンツをある程度、一冊の書籍になる分量の文字数さえあれば、0円で出版することができる。

※ 自分一人で編集、校正できれば、kindle出版電子書籍を出すことが可能だ。

kindle出版のアレコレ→https://kdp.amazon.co.jp/(資料元)

これを利用して、まず、一冊作成してみるのがいい。なぜ、そう思うのかといえば、著名なブロガーのだいたいは、kindle出版で自分の書房を持つ場合が多いからだ。

例えば、イケハヤ書房→https://www.google.com/

ちきりんkindleブックス→https://amzn.to/3mT9viS

※ この方々の場合は、先に大手出版社から書籍を出してベストセラーとなっている。それでも、kindleと契約することで、WEBでも販路を拡充し、最近では、kindle出版で出すように変わってきた経緯があるのでここに記しておいた。

kindle出版では、自由に執筆・編集して、ブログやSNSで発信する→ブログ本体やAmazonアソシエイトで販売するというのがメインの執筆から販売までのルートになる。

これなら、棚から消えることもなく、売れ残りを処分されることもない。何しろ、制作費用は0円だ。

闘病日記のような、記録史などは、もっともkindle出版に向いているのではないだろうか。

● WEB出版社での書籍出版を果たした話

わたしはこれまでの5年で、電子書籍2冊(紙版1冊含む)を某出版社でお声をかけて頂き、出版した。版元はWEB上で、軽くプロモートして下さり、後は自分のコンテンツで流通させる「形」を取ってきた。

kindleとはまったく違う畑で、編集者の元、しっかりとした「テーマ」や内容の資料集めやリサーチに約一ヵ月ほどかけた。

執筆期間は20000文字程度で一ヵ月。一気に熱量の高い状態で仕上げて行けるのが、このぐらいの期間かもしれない。

そして入稿後、一ヵ月の間に、本のデザインや様々なプロモートスケジュールの確認をして、出版社との契約に望む。

今年の場合は、依頼から約半年間の設定だった。

在庫も無く、制作費もなし。kindle出版ではない、商業出版として出版ルートやWEBの露出で宣伝もでき、原稿料や印税も頂けて、何のストレスもない。

印税も売り上げに対して、その都度入るのがある意味魅力でもある。作品の価値が長く続くのが印税が入ることで実感できるのだ。

WEB制作会社または、WEB出版社に原稿を持ち込むのも、著者への道としては王道だろうと想像する。

わたしはまだ、持ち込みは未経験。

● kindle出版のネックとは?

さて、簡単にできることばかり書いてきたkindle出版だが、kindle出版のネックは年数が経つと、読み放題キャンペーンなどでほぼ0円で表記、取引されてしまう点だ。(kindle annrimiddなどのキャンペーンに準ずる)

出版社ルートだと、そういったことはなく、あくまでも作品=商品としての価値で少額であってもちゃんと値段がついてずっと長い間売られ続けていく。

かたや、kindle出版で0円であっても、作品として、日本国会図書館にはデータ保存されるので、作品の著者になったことには、なんら変わりはない。

例え、kindle出版であっても、自分のコンテンツで大切に販路を拡充して行ければいい。書店の棚に入っても、ネット販売のように、気軽に毎日、ポロポロと売れ続けては行かない。

毎日、売れる可能性も秘めるkindle出版。

● わたしが考えている執筆活動の先(メディア出版からkindle作家まで)

わたしは、今後も、ひたすらブログ執筆を切らさず更新を続けていくことで、どこかの出版メディアに見つけてもらことを願う。

eBook出版の話が頂けたら、ブログ毎日更新のご褒美だと素直に思う。

で、気が向いたら、kindle作家の道もあるかも。

来年もいいご縁がつきますように。

ざっくりとDTP出版の経緯を書いてみた。

また、機会を作って公開していこうと考えている。






 

★ 2023年12月25日更新 文章論10本勝負~第五回 /もやもやしないためには文章構成を立てて書こう【紙上講座⑤・構成論】

【ブログ新規追加226回】

文章を書く一番の理由は、「伝えたいこと=メッセージを相手にわかりやすく伝える」ために書くものだ。

よく、人と話している時に、文脈がバラバラで話の筋があっちこっちにいっちゃって、よくわけがわからなくなってしまうことってあるよね。

あれを、文章でやってしまうとどうなるか・・・。

当然、伝えたいメッセージは伝わらない。それが、不特定多数のWEB公開であれば、まず誰にも読まれず、メッセージは沈没するだろう。

じゃあ、伝わりやすい文章の構成とは、どんなものだろう。

● 伝えたいメッセージを決める(何を伝えるかを明確にする)

● 伝えたいことがらをアレコレ工夫して(段落や改行、図式を使って)書く。

と、こんなことなのではないだろうか。

PCを立ち上げて、いきなりばあ~~~っと、書くのがわたしのスタイルだが、文章論①でも書いた通り、前日の夜に頭の「中」でネタと構成をずう~~~っと、考えている。

そして、朝、起きたら一気に書き上げるのが習慣になっている。

わたしの書き方は、自分がリアルで出会った人やことがらの衝撃を書いているのが主だ。

だからこそ、熱がこもるわけだが、ここで注力するのが、「伝えたいメッセージを起点として書く」この一点だ。

人と、同じ体験をしても、伝えたいメッセージは人によってまったく異なるわけで、仮に伝えたい箇所が誰かと被ってしまっても、使う語彙や文章構成、表現の方法は人それぞれ。

ここで、言いたいことは、自分のした体験をテーマにして書く時は、「起点」を決めて、そこを伝えきる工夫をすれば、記事のもやもやした曇りは避けられるってことだ。

要するに、あれも、これもと盛り込まないとも言える。

暗に、自分流の語り口にとらわれず、読み手思いの文章を書きたいね。



文章論10本勝負~第四回 / ショートエッセイ「クリスマスは奇跡を尊ぶ日」【紙上講座④・エッセイを書く】

【ブログ新規追加225回】

ショートエッセイ 

クリスマスは奇跡を尊ぶ日

先週末、出勤する息子を駅まで車で送っていた時、こんな話をした。

息子「ねえ、覚えてる?」

わたし「何?」

息子「ほら、小学校の時、交通事故にあったじゃん?」

わたし「えっ?誰が」

息子「なんだ忘れちゃった?俺がだよ!」

わたし「うん?、なんだかそんなこともあったような?」

息子「自転車で爆走中に突然、路地から出てきた車に当てられて自転車ごとボンネットに乗り上げて、飛ばされたあれだよ!」

わたし「あああ~~~、あった!あった!法外な修理費を要求されたけれど、あんたは無傷だったのよね」

息子「本来、9対1ぐらいで相手の過失だけれど、お母さんが相手に向かって、息子は無傷でした。だから示談に応じます・・・とか言って、ことを納めてくれたんだよ。あんなのは、いくらでも粘ってしぶとく請求を続けて絞りとることも可能なのにね」

息子「だから、お母さんは、脳出血発病の時も、寸でのところで助かったんじゃない?きっと、人を追い込まずに逃げ道を用意するようなところがあるからさ」

息子「そういう人は生かしておいた方が世の中のためになると、神様は判断したんだろうねえ・・・」

 その間、2~3分。わたしは息子から、忘れていた奇跡の話を聞けたんだ。これが、ちょっと早いクリスマスプレゼントでなくて何なんだろう。

何でもない日常が最高な日に変わった瞬間。

クリスマスに忘れていた奇跡を思い出す。

それだけで、充分幸せになれるよ。


文章論10本勝負~第三回「だ・である」と「です・ます」に今でも悩む理由/まぜちゃってもいいとは言われないから【紙上講座③・文末論】

【ブログ新規追加224回】

今年、ある大手出版社の書籍原稿を書く機会を得た。

猛然と、一本書き上げて、意気揚々と編集に提出したところ、

編集者から、こんなメッセージを頂いた。

編集者「熱のこもった原稿を早くに入れて下さり感謝です。ただ、ひとつ、気になるのが、文体が混在しているところがあります」と。

「そこを修正頂ければOKです」

文体の混在・・・要するに「です・ます」と「だ・である」が混じっちゃっているということだ。

なんだか、こんなことを言われるようじゃ、書籍を出す著者としては「う~ん???どうなの?わたし」となった。

でも、素直に言われた通り、手入れをしたという経緯がある。

                 

一方、動画配信のセミナーなどでは、この文末混在に関しては、「どんどん、混在しちゃってください!」と言われる。

口語体が主体だから、なお混在しやすいのだろう。

                 ★

ブックレビューライターを約3年間請け負った。その仕事では、最初から、すべて「です・ます」調でお願いします!と求められていた。

ブックレビューは、自分の考える主張を「一切」書かない。ひたすら、書籍の内容をありとあらゆる言葉を使っで文章で伝えるのが仕事なのだ。

やはり、書く場所によって、書き換えなければいけないね。

                ★

● です・ます・・・敬体。丁寧語で表現する場合に利用する文体。社会的な場面ではほぼ、こちらが優先される。

● だ・である・・・常体。強く印象付けたい場面や自己主張や創作をメインに表現する場合に適応する。

わたしのブログに関しては、最初から口語体に準ずる常体で書こうと決めていたから、あまり悩まずにどんどん書き続けてきた。

そのせいか、書籍の原稿などでは、勢いづいて書いていると、無意識にこの文末混在が発生してしまっていたのでは?と、自己反省した。

だって、「ですます」調だけで書いていると語尾が重複してリズムが悪くなってしまうから。


「である」調で言い切ってテンポ良く文章を書きたい!と、常に考えているのよ。

わたしの思考の先に文末混在などは、すっかり忘れてしまうから冒頭の書籍執筆では、そこをやんわり指摘されたのだ。

ブログは、勢いと熱の高さが必要だから、である調でいいのだろう。

社会的文章は、完全にですます調。

創作やそれに準ずる書籍の執筆には、混在もありなのかもしれないね。

実際に著名作家の作品には混在がとても多いし。でも、考えなしに真似てはいけない。

さて、大作家の名タイトルからひとつ。

「吾輩は猫です」じゃあ、タイトルにならないよ。(笑)

吾輩は猫である」(上・下巻)

さすがのキレ!


★2023年12月22日更新 文章論10本勝負~第二回は「文章の長さに潜むトレンド」を読み解く/今の流行りは?【紙上講座②・長文論】

【ブログ新規追加222回】

今では、誰でもがSNSを使い、適当に文章を連ね、共有共感できる楽しみが普通に手に入る。今日のテーマは文章の長さについて。

言わずと知れた、Twitter140文字の制限や、インスタグラムの文章は写真のキャプションだから25文字程度だと言われるように、文章は発表する場所において一番合うスタイルを取らねばならない。

例えば、タレントの土屋太鳳さんのインスタグラムでは、写真のキャプションを大幅に逸脱した、1500文字もある記事なのだそう。

著名な人だからこそ、「何を書いているんだろう?」と興味を持って無数の人に読まれるだろうが、毎回同じような内容だったりすれば、すぐに読者も底をついてくるだろうな・・・と、感じる。

スマホの小さな画面いっぱいの文字は、相当負担になるだろうから。書き手の自己満足に陥る前に、自分の文章スタイルを見つめ直すのもありかと。

             ★ ★ ★

さて、長い文章と言えば小説全般だ。

なぜ、小説は長いのか?

それは、その物語の背景、登場人物など、それぞれ長さに準ずるストーリーがあり、その物語の幅がそうさせるものだからだ。

作家の片岡義男氏が、公開講座の席上、読者の質問に答えているシーンが印象的だったので、ここで文字に起こしてみる。

読者「小説を書きたいと思っています。ただ、どのくらいの長さであればいいのか?よくわかりません」

片岡氏「あはは~~~。それは簡単」

読者「ええ~~~簡単なんですかあ」

片岡氏「じゃあ、書き方の秘訣をひとつ」

ここで、その会場にいた人全員が固唾を呑む場面が公開される。

片岡氏「僕もね、長編小説などまったく書いたこともない新人の時代に、長編小説の依頼を受けてしまったんだよ」

片岡氏「そこで、僕は考えた~同じ人で、同じ時間軸~それを場所移動させて行けばいいのではないか~それをどんどんと繋げていけば、自然に長編小説となるんだ」

片岡氏「要するに短編小説をたくさん書くようなものなんだよ。長編小説ってのは!」

会場、騒然!

「なるほど」の嵐絶賛だったワンシーンだ。

昨今、なぜだか小説家がミニブームらしいのでちょっとだけ、長編小説の書き方について触れてみた。

              ★ ★ ★

著名な作家だから、長くても割合抵抗なく読むのではなかろうか?そこへ行くと、無名の自称小説家は一番分が悪い。

時間に限りがあるから、よほどのことがなければ、通りすがりのSNSなどでは簡単に開いてはもらえない。

わたくしごとで恐縮だが、先日アップした児童書の記事はすごく読まれた。それは、作家含む業界人が読みにきてくれたことが所以する。

こういった流れがある場合は、多少長い文章でも読んでも興味を持って読んでもらえるが、まったく無名の一小説家の書いた長文は果たして読まれるか?否か?

大半はまず、読まれない。偶然に文面にたどりついても、スクロールの多さにすぐに離脱されてしまうだろう。

せっかく書くのだから、読まれやすい、書き手のコミュニティで書き続けて、一定のファンを持つのが、一番手っ取り早い。

わたしは、以前のライブドアブログの時代に、読者の離脱をアバターを使って見ていたが、その離脱の速さには、本当にびっくり!

あれを見てから、文章を書く手順をまったく変えてみた。

● わたしのブログスタイル

① タイトルから内容がわかる(含みや比喩はなし)

② 導入リード文は25文字程度で(一回ですべてが視界に入る)

③ 長くても一章は500文字前後で3~4章仕立て(適度な読み応えがある)

④ かならずまとめ文も書く

と、こんなルールを決めてブログを書いていたら、やはり読みやすかったのか、PV数が急激に増え続けた経験がある。

書くことで今すぐ仕事を得る!仕事をエンジョイできる文章術

 

読み手思いでなければならない。

やはり、昨今、長い文章離れは続いているようだ。でも、それにおもねるだけでなく、

暗に長い文章は、せめて何を書いているのか?ぐらいは導入リード文で示すのがいいのではないだろうか?

自己満足に陥らない、読み手思いの文章をサッ!っと書けるようになりたいものだ。

精進・精進あるのみ(笑)