【ブログ更新121回】
● オノマトペの持つ不思議な世界
音の持つ力は偉大だ。
そばやうどんを「ツルツル」と食べればおいしそうなのに、「ズルズル」としたとたんになんだかだらしなく不味く感じる。
日本語のオノマトペ(擬音語・擬態語)が持つ不思議な世界だ。
実はわたしは文章を書いている時、このオノマトペの存在をまったく無視している。
だからか、全体に固い表現が多くなるんではないだろうか?と、最近、気がついた。
で、語彙を増やす言葉の言い換えだけでなく、音の表現をもっと、エッセイなどには入れてみようかと開眼したのだ・笑
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ここで、フランス語のオノマトペのことを少し解説しよう。
オノマトペとは、自然界の音・声、物事の状態や動きなどを音(おん)で象徴的に表した語。
音象徴語。擬音語・擬声語・擬態語など。
フランス語に「オノマトペ」という語がある。意味は「ものの音・声などを真似た擬声語、例えば、ざあざあ、じょきじょきなどがあり、状態を真似た擬態語はキラキラなど擬声語・擬態語・擬音語を包括的に表現した語を示すというものである。
言ってみれば音の様子を文字に写し替えるもので、特に日本語には多い表現だそう。
コミニュケーションに欠かせないものでもある。その言語の根底にある文化や音楽、リズムみたいなものが凝縮されている。
日常の「オノマトペ」がどれだけあるのか想像できないが、思いつくままに声に出してみるとよい。
これは認知症などの防止トレーニングにも役立っていて、昨今社会的にも注目されている「音の持つ特性を言葉で表現する」ということだ。
火事場の馬鹿力などもそうで、思いっきり大声を出して大きな物を持ち上げたりなんかがそうだ。
まさに自分の限界を超える時は声の力に支えられているということらしい。不思議なものだなあ。
鈴虫(リーンリーン)、うぐいす(ほーほけきょ)、雨(しとしと)、風(ひゅーひゅー)、雪(しんしん)、川(さらさら)、水滴(ぽたりぽたり)、笑う(あはは)、泣く(しくしく)、などなど。
あげれば切りがない!
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● 語彙力を身につけたいならオノマトペをどんどん使うべき!
ある物書きさんの投稿に、「伝えたい事が書けない」とか「上手く表現することができない」とか、苦しんでいる様子が延々と書かれていた記事を拝見した。
こういった件は、ブログにしても、日常のSNS投稿にしても、さらにはプロの小説家にしたって、一度は経験していることではないだろうか。
もう少し、具体的に言うならば、面白い!と感じない平坦な文章は、「同じ言葉を何度も無意識に使っている」文章だ。
この場合、同じ言葉や表現をまったく別の言い換えで表現して、内容を面白くする方法がある。
まったく別の表現を探す類語のサイト→(https://thesaurus.weblio.jp/)とか、類語国語辞典→(https://my-best.com/1017)などがある。
こういった、知識を広げるツールを使わない手はない。
※ 辞書に関してのブログ→/「可愛い」という言葉の意味を辞書で調べると何がわかるか~辞書は言葉を知る最強の教科書【暮らし・辞書の使い方】https://www.aylife.site/post-3971
そこにもうひとつ、「音を文字にする」オノマトペという技法を身に着けておくと、表現の上では鬼に金棒だ!
しかし、そうは言うもののなかなか身に着けるにはオノマトペの存在を意識しなければならない。
使いすぎるのも嫌味だし、せっかくの文章が稚拙な印象にさえ感じる。とはいっても手っ取り早く身につけて、執筆に大いに活用したいものだよね。
そして、慣れて行くうちにどんどん語彙力はつくってもの。
● まとめ 伝わる文章を書くための最強ツールはこの2つ
① 類語を使う。(サイトで検索または類語国語辞典を使う)
② オノマトペの技法を使う。
日本の四季には、莫大な数のオノマトペが潜んでいる。
風鈴の音にも優しい心象のオノマトペを感じるので、次夏にはぜひ江戸風鈴と火箸風鈴を手に入れて音の違いや職人さんの手仕事に思いを馳せて見たいな~とか、考えている。
美しい音感をもつ日本の言葉、ふっと身近な音に耳を傾けたりして、日本の心にふれてみては?
さて、ちょっとだけオノマトペを使った春の旅ショートエッセイをここに。
「ビバルディは春にさえずる」
わたしは音楽家として、海外の演奏会にも幾度か足を運んだ経験がある。
アメリカ西海岸はサンフランシスコにあるラグジュアリーホテル、ハイアット・リージェンシーで聴いた管弦楽の演奏は今も忘れられない。
ふわふわの金髪女性の総レースドレスとバイオリンの美しい演奏会に行った時のこと。
ちょうど、夕方のカクテルアワーだった。
ライトなバーでシュワッ!と弾けるオレンジとジンソーダのミモザを作ってもらい、ソファ席にサーブされて移動。
う~ん、美味しい。
海外では3月のお酒と言えばこのミモザ。グレープフルーツとカリフォルニアオレンジをスクイーズして、ドライジンと混ぜ合わせる爽快な飲み物。
3月上旬のシスコは薄ら肌寒い。
しかし、わたしはレースがあしらわれたオレンジピンクの半袖ワンピースを着て春満載感を醸しだして会場へ。
やはり、春色のワンピースがそうさせたのか、楽団の目の前の特等席へと案内された。
当日、楽団の用意した曲はすべて、ビバルディ。
ビバルディと言えば「四季・春」を思い出す人が大半だろう。当然のごとく、他の曲を4曲ほど、管弦楽にアレンジしたものを演奏した。
そして、思った通り「春」はこの日のハイライト。
演奏がはじまると、ホールのすべての照明が落とされ、遥か彼方から「チ・チ・チ・チチチチィチィチィ」と幻想的な小鳥のさえずりが。
このさえずりも楽器で出すものなのだ。演奏家なら誰でも知っている。
しかし、その驚くほどの鳥・鳥・鳥のさえずりにホール中が包まれた。他のお客さんも皆、キョロキョロと、あちこちの鳴き声の出どころを見つけているようだ。
わたしも、どこかに本物の鳥がいるのではないか?と探し始めてしまった。
たくさんの本物の鳥達のさえずりでいっぱいかのような、錯覚に陥ってしまったのか?
まさか、楽器の音じゃない・・・と思ったのか。わたしは。
ミモザの呑み過ぎで酔いが回って、頭の中がご機嫌過ぎたようだ。
もう、演奏家としての云々とか、どうでもいいぐらいの音の洪水にあたって、完全に酔いつぶれてしまったのだ。
ビバルディとミモザに泥酔した。
繊細な弦楽四重奏が寄り添っていた美しいシスコの夜。