★2024年8月28日更新 カラスウリは真夏の夜の夢【植物・エッセイ】

【ブログ更新109回】

カラスウリの花

● 憧れの音楽大学時代の生活


わたしの音大時代は練習につぐ練習とレッスンに明け暮れる毎日。

学校内にある小さな練習室(30室あまり)の予約を取るために急いで学校を目指し、ダッシュで予約を取り、そのまま、朝練習して、授業を受けて、その合間に個人レッスンを受ける。


ランチは時間が惜しくていつも、学食(小泉今日子さんの姉が勤めていた)のわかめうどんかカレー、売店のメロンパン、帰りは宿題をこなすために寄るマックでハンバーガーとコーラ。おやつはガーナ・ミルクチョコ(笑)ほぼこればっかり食べていた。

そんな、わたしの栄養不足を心配した友達が何人か、代わるがわる下宿へ呼んでくれ、野菜とお肉の手料理を食べさせてくれた。まったく感謝だよ。

お返しは、オペラの伴奏をしてあげていた。みんな尻込みする伴奏。それは有名な歌手の方々(○○久美子さん、中嶋○○さんや友竹○○氏)などのそばでレッスンするから。わたしにとっては非日常が堪能できるキラキラな時間だった。

だいたい、みんなが嫌がることを買って出ていると、毎日が楽しく力もつく。

夢中になってピアノや大学の勉強に熱狂した日々。
 

わたしの音大での毎日は、ピアノ、声楽、アルトサックスと週3日の個人レッスンがあり、それを受けるためには膨大な量の曲をこなさなければならなかった(毎週10曲程度)そして、普通に一般教科の授業、音楽関連の授業と殺人スケジュールだったもの。

だから毎日が練習の主戦場だった。普通の授業もこなしながら演奏家になるための修業をするという現実を、身で体験した後にはどんなキツイ仕事でもやり抜ける自信がついたものだ。

要するにしぶとくなったのだ。

● 西田ゼミで学んだ旅と卒論


もっとも頑張った勉強は、意外にも「卒論」! だってまさか音大でも卒論があるなんて思いもしなかったから。無知よね。

その頃わたしの属する西田ゼミは西洋音楽史を基本に様々な音楽のジャンルを超えて、自由に研究するといった遊び?!がメインの素敵なゼミで、わたしはそこに入れて貰っていた。

西田教授はロマンスグレーのやっさしい叔父様だ。そこに二十歳そこそこの女子大生がワッと集まった。

とても人気のあるゼミで男子生徒はほぼゼロ(笑)先生の研究室というか談話室ではいつもお菓子とお茶が用意され、話が弾み、いい雰囲気の音楽も流れていた。

わたしは、ゼミに顔出しをする日は決まって、校内の就活センターを訪れた。このまま就職するか、専攻科へ挑戦するか・・・毎日悩んでいたのだ。

今でこそ、リベラルアーツ的学問が認知されている時代とは違い、即実践で役立つような技術や教壇に立つための指導法ばかりを勉強する毎日に、ちょっと疲れが出ていた。

専攻科でどうしてもやりたい研究とかがみつからなかった。己の知識の泉が浅すぎて湧き起こらなかったから、平凡なピアノ教師の道を選んだ。

唯一の励みは演奏家として舞台に上がるためにコンクールへの応募を挑戦すると決めて卒業までの半年を戦った。

しかし、夏休みになると、もう、就活のことなんか、ピッと忘れちゃって、日本中で遊ぶ~遊ぶために稼ぐバイトと、予定でいっぱい。


実はわたしの旅好きは、この西田先生との旅絵ハガキのやり取りから始まったのだ。

先生は1年のうち半分を山中湖の別荘に滞在していた。授業がある時は、山中湖からキャンパスのあった厚木のビジネスホテルに泊まるんだと聞いた。

いつも他愛もない個人的な話を絵ハガキで知らせてきてくれていたのだ。ちょっと信じられないけど。

先生から届いた、紅葉の美しい山中湖の絵ハガキはわたしの宝物だった。


私と言えば、神津島に行った時や、仲間たちと富士山に登った時などに現地から絵ハガキを先生に出していた。

先生は生徒からの絵ハガキを何よりも楽しみにしてくれていた。

そんなやり取りも2年を過ぎ、いよいよ秋。「卒論」の話がみんなから出て来た時分に先生は、テーマが決まったら持って来なさい!と。

で、早速、持っていったら、「あなたは、原稿用紙60枚以上は書きなさいよ」と、驚き。

「それぐらいできるでしょ!」っと、軽くあしらわれてしまった。

「普段、あなたとの会話の中にはオモシロエピソードが溢れているんだもの、あれだけしゃべれるのなら、ぜひテーマに沿った文章をしっかり書いてみたらいいよ」と、いつになく真剣だった先生。

テーマは「音楽の持つ普遍性と消耗品への動向~これからのポップスの行方」と決まった。

先生は、「長文を書いておけば、絶対、将来役に立つよ」と自信満々で言っておられた。

そうか!それならと、調子に乗ってその日のうちに原稿用紙を100枚買い込み、音楽雑誌を20冊、各種様々な音楽のLPレコードを20枚、音大内の図書館で借りて、友達の車で家まで運んだ。

それから約2週間、まったく遊ばず、閉じこもってLPを聞きまくり、構成を練り、雑誌を読みまくり、その後、延々と書きまくった原稿は結局200枚にもなった。無我夢中でね。

推敲に推敲を重ね少々無駄をそぎ落とすも、160枚で脱稿。

結果は苦しみながらも見事、優の成績で無事卒業できた。

その後、出遅れた就活でも大手音楽産業メーカーへの就職が一発で決まり、意気揚々な音大生活の終焉だった。懐かしい36年前の話。

ちなみに160枚の原稿は学内の優良原稿として写し保管されたが現物は潔く捨てた・笑

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● カラスウリの花は真夏の夜に咲く

                 

今でも西田先生が長文挑戦への道を開いてくれたのだと感謝に堪えない。

西田先生、いっつもカラオケはユーミンばかり歌っていてごめんなさ~い。

いつも先生が言っていた「若い時って何でも躊躇なくできちゃうもの~あんまり深く考えなくてもね」と。

本当にそうだった。

いつもあまり寝てなかったけど。

先生の持つ教養は最高だった。

今日、家の植え込みに咲いていたカラスウリをみつけた。

この不思議な花は、夜になるとどんどん糸を垂らして、

グルグルと旋回しながら咲き誇る。

まるで、36年前、卒論と戦った真夏の夜の夢のよう。

からすうり

  卒業写真  荒井由実    ♪ 悲しいことがあると開く皮の表紙  ♪




日本の四季を楽しめる山野草~その可憐な美しさと夏ならではの品種を紹介【植物・山野草】

【ブログ更新92回目】

家から徒歩で向かう

昨日、夜のTVでたけのこ王と浅田真央さんが静岡県の山奥で、6月~8月に一週間ほどさく幻の花「イワシジャ・イワタバコ」を探して、沢や滝登りをしていたが、やっぱり幻を見つけるハンターならではの気分は、相当ハマるもの。

実は、我が家の近所の都立小宮公園にも「イワタバコ」があると、先月ツイッター情報で知った。ミシュラン高尾山にも咲いているらしい。

山野草フリークはツイッターにも相当数存在する。珍しい山野草や美しい写真の投稿を見るのが癒しの時間で、楽しみになっている。

結局、長い梅雨だったので、イワタバコを見つけには行けず・・・。ハンターにはなりそこなった。残念。

北鎌倉の東慶寺、円覚寺には幻の花が群生していると聞いた。

イワタバコの画像拝借

四季に応じて咲く花や、美しい模様の葉が魅力的な山野草
高原や平地に自生するこの植物は、バラや百合のように派手な美しさこそないものの、日本の四季の彩りには欠かせない存在だ。

近年ではその可憐な姿から人気が再燃し、山野草を愛でるトレッキングが密なブームになっている。

わたしもこの5年ぐらいですっかり山野草フリークとなった。それは、山野草だけでなく、多くの野鳥が棲む森の自然がすぐそばにあり、まったくお金もかからず、美しい景色や森のきれいな空気とか、いいものしか存在しないこの場所に、とり憑かれてしまった。

今朝の都立小宮公園の森林にて

とても珍しい山野草がいくつも自生する希少な都立公園だ。ほどよい小山丘陵でトレッキングにも丁度よい。

しかも野鳥の名前のついた森の小径も6つあり、意外なほど奥深い。5年経った今でも、なかなか全部は回り切れていない。

山から植物は持って出られない。だから写真を撮ることが必須。今日も朝、早速、行ってきた。満開のキバナコスモスの畑、森林の中で無数に咲き誇る姥ユリなどを堪能してきた。

色とりどりのキバナコスモスの畑にて

近所にこれだけの自然があると、遠くへ行こう!とは、なかなか行動にならない。わたしは、そんな近所で珍しい山野草を見つけるにわかハンターになることで、充分面白く暮らせている。

蔓ニンジンの花

今日は、そんなに珍しくはないが、蔓ニンジンも見つけたので一枚。明日は山野草の女王「レンゲショウマ」の咲く、奥多摩方面へ行ってこよう。

自然は素晴らしい!


神奈川県屈指のあじさいの名所・相模原 北公園【植物・地域探訪】

2020年6月19日、東京都民の新型コロナウイルス感染防止対策の越境解除がなされた。やっと、神奈川方面への仕事に出られる。わたしは普段、月に3~4日ほど、神奈川県を営業で回っている。その傍らで、季節の花々を求めて立ち寄る名所がいくつもある。

今回紹介する相模原北公園は、仕事の休憩に絶好の場所でよく利用している。あじさいの丘、バラのガーデンはガゼボも入れて3か所、梅の園、ラベンダー園、ロックガーデン、野草園、春の山野草、秋冬の紅葉や丹沢山溪から差し込む夕日もことのほか美しい。

季節ごとの見どころが多く、歩きやすく、美しいガーデン構成に圧倒される憩いの公園なのだ。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 濃い青のガクあじさいと白い妖精アナベルの小道があじさいの丘へといざなう。

19日、午後大雨が降る中、傘をさしながら今年のあじさいを愛でる。ところどころ、雨に濡れながらもカメラを構えて美しいあじさいの姿を写真に納めてみた。

同じ気持ちだろうか。雨を気にもせず、カメラマンが多数、思い思いにシャッターを切っていた。白いアナベルと深い青のガクアジサイの咲く小道を行くと・・・

幻想的なアナベルの丘にたどり着く。ああ、やっぱりこの時期だわ。ため息が漏れる美しさ。見学にきている面々も物静かでべちゃくちゃしゃべっている人などまったくいない。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 無数に咲き誇るアナベルの丘にて

わたしの目当てはあじさいの丘で満開を迎えているアナベル。この白い妖精の群生を見るためにここを訪れていると言っても過言はない。6月1日頃は、まだ全体が緑色で、緑だけの丘になる。それも幻想的で素敵な風景。このアナベルは、咲き進みながらどんどん、花色が白く、純白になるのが特徴だ。

19日現在でも緑色が強いので、7月に入ってからもまだまだ楽しめそう。神奈川県では、あじさいといえば、鎌倉や箱根を思い浮かべるであろうが、近隣の相模原市(市の花もあじさい)で、こんな素晴らしいあじさいを見られることは、本当に幸せなことだろう。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 山あじさい

もちろん、園内200種類、10000株にもおよぶあじさいの祭典。園芸種のガクあじさいや山あじさいも豊富に植えられている。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 園内のいたるところに植えられているがくあさい。

雨だからこそ、美しいあじさい。良く晴れた日には見せない艶と憂いが何とも美しい6月を代表する花だ。どうぞ、相模原北公園へ絶景のアナベルを見に行ってみて!

相模原北公園  園内・駐車場はすべて無料。アクセスはリンク先へ。

★2024年5月29日更新 Мiss Dior 【植物・エッセイ】

5月初旬、家の窓を全開に開けてひんやりとした床にゴロンと寝転ぶ。小さな我が家の庭から春の匂いが漂ってくる。

冬の間、縮こまっていた身体が少しずつほぐれていく。この季節特有の香りがことのほか好きだ。

ご近所の薔薇園もそろそろ終盤。

銀座のデパートで、何気に化粧品売り場を足早に通り過ぎようとした瞬間、あの懐かしい名作の香りをキャッチした。

Miss Dior 数十年来の再会。わたしの20代が詰まった特別な一品。

「愛のように香る」その宣伝文句に、当時、結婚前の女性たちはこぞって手首や足首にその香りを忍ばせるのが大流行した。

香りが、数十年前の若き記憶を思い出させてくれた。それは他愛もない事でけんかしてしまった女友達のこと。

けんかのきっかけは何だったのか思い出せないが、覚えているのは、その日、彼女もわたしもMiss Diorをつけていたことだけ。

けんか別れした直後、わたしはサンフランシスコに旅立ったのだが、彼女との仲たがいが原因で気持ちは塞いだまま。でも、仲直りがしたい!とサンフランシスコのデパートで、Miss Dior のミニボトルを買い、急いで帰国した。成田に到着後すぐに彼女に電話を入れた。もちろん、一つ返事でデートの日が決まった。

いつものカフェで、声も出さず、手の平にMiss Dior のボトルを乗せた。お土産よ・・・。

女同志の仲直りにもMiss Dior は最強だった。

誰でも、自分を想ってくれる同性がいることは心の安心。

そして、記憶をよみがえらせる香りも。

ブログテーマは「人生」と、決めた【植物・雑感】

このブログのテーマは「人生」で、関わるすべてのことがらの中から、前向きなこと、生きるヒントになることなどを、選び抜いてテキストやエッセイにまとめている。

稼ぎ中心のブログではないぶん、需要があるとか、ないとか、どちらでもよくて書きたいことを書いている。ただ、ずっと続けていくうちに可愛いお小遣いが生まれたら嬉しい。だから、SEO対策もしつつ、勉強も続けている。せっかくWordpressにしたのだから。

そのために、あまりに方向が違ってこないように、今は、趣味ブログを育てる楽しみを満喫している。きれいなコトやモノ、感動した話は短いエッセイにして書いている。そうでないと、息が詰まってしまう。ブログを書くことは最高の趣味で、時おり書籍の執筆で仕事ができれば本望だ。

5月15日発売した新刊を早々に購入して頂き、レビューまで書いてもらえていることに、ああ~頑張って良かったなあ・・・としみじみ喜びを噛みしめている。目指せ!1日1冊の売り上げ(笑)これってかなり大変なことだけど長く楽しめる挑戦。

ブログテーマを「人生」にした理由は、一生書き続けて行けるから。現在を中心に未来までも描ける「人生」は最もテーマにしやすい。

生き方に関する考え方や書籍は無数に出ている。その中から、今の時代に寄り添う内容のものがないか?と、目を凝らしている毎日だ。

昨日も客先で、同世代の女性が「疫病だなんて、教科書の中だけの世界だったものね。SARSもMERSも世界のどこかで起こっていたことだったし」と、こんな風に雑談をしながら、普段の商談に入った。何とはなしに戻りつつある日常だ。

どれだけ、ウィズ・コロナで行くのか先行きはまだ不明だけれど、今回の奇跡の経験を生かして書き続けようとささやかな野望を抱きつつ、仕事初めの一週間で決めたことを書いてみた。


                                                                                              

願ったとおりに生きる 【植物・エッセイ】

曇天に舞うハナミズキ

【エッセイ・願ったとおりに生きる】

わたしには、盲目の知人がいる。彼は現在、NYでJAZZピアニストをしながら暮らしている。

18年前、彼の帰国中にわたしの所属する、某コミュニティのセミナーがあり、そこでNY仕込みの演奏をして頂けることとなった。当日、用意したピアノが不具合を起こし使えない状態に。会場の近所の友人から、76鍵の電子ピアノを急遽借りて、演奏に間に合わせた。

どうしよう・・・76鍵だなんて、普通のピアノは88鍵。演奏家はすべての鍵盤を使い縦横無尽に音楽を操るものだ。到着した彼に、真っ先にピアノの不具合と76鍵の電子ピアノに代えたことをお詫びしたら「ノープロブレム」と一言。

満面の笑みを返してくれた。そして、最高にハッピーなNYスタイルのJAZZ演奏を30分披露下さったのだ。

足りない鍵盤の部分をどうやって演奏したのか?

答えはシンプル。指を外して弾かないってことだった。

そこは無音であっても、それも演奏の一部なんだと。

本物って、どんな状況であっても、愚痴ひとつこぼさない。なんてかっこいいのだろう。

そして、演奏のお礼を言ったら、「こちらこそ、ありがとう。僕は、NYでピアニストになると決めたのは、失明した19歳の時。だから、願ったとおりの生き方をしてるんだよ」と。

圧倒された一日。あれから、わたしも、どんなことがあっても、へっちゃら(笑)