【ブログ新規追加662回】
『103歳になってわかったこと~人生は一人でも面白い』篠田桃紅・著(幻冬舎)
• 簡単レビュー
現代美術家・篠田桃紅(故)とは。(2021年3月4日で107歳の天寿を全うされた。)
「いつ死んでもいい」なんて噓。
生きているかぎり人間は未完成だとおっしゃる。
大英博物館やメトロポリタン美術館に作品が収蔵され、一〇〇歳を超えても第一線で活躍を続けた現代美術家・篠田桃紅。
(2022年は、東京オペラシティでの展覧会が開催中)
「百歳はこの世の治外法権」「どうしたら死は怖くなくなるのか」など、人生を独特の視点で解く。
生きるのが楽になるヒントが詰まったこれぞ珠玉のエッセイ集だ。
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文中のお話に「これは!大事な視点」だと思ったところを引用する。
~「真実は皮膜の間にある」という近松門左衛門の言葉のように、真実は求めているところにはありません。
しかし、どこかにあります。
雑談や衝動買いなど、無駄なことを無駄だと思わないほうがいいと思っています。
無駄にこそ、次のなにかが兆(きざ)しています。
用を足しているときは、目的を遂行することに気をとられていますから、兆しには気がつかないものです。
無駄はとても大事です。
無駄が多くならなければ、だめです。
お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きてきません。
安いから買っておこうというのとも違います。
無駄遣いというのは、値段が高い安いということではなく、なんとなく買ってしまう行為です。
なんでこんなものを買ってしまったのだろうと、ふと、あとで思ってしまうことです。
しかし、無駄はあとで生きてくることがあります。
私は、3万円だと思って買ったバッグが30万円だったことがありました。
ゼロを一つ見落としていたのです。
レジで値段を告げられて驚きましたが、いい買い物をしたと思っています。
何十年来とそのバッグを使っています。
そして、買ってしばらくしてから、そのバッグの会社オーナーが私の作品を居間に飾っていることを雑誌で知って、あらお互いさまね、と思いました。
時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、1+1=2の人生です。
無駄のある人生は、1+1を10にも20にもすることができます。
私の日々も、無駄の中にうずもれているようなものです。
毎日、毎日、紙を無駄にして描いています。
時間も無駄にしています。
しかし、それは無駄だったのではないかもしれません。
最初から完成形の絵なんて描けませんから、どの時間が無駄で、どの時間が無駄ではなかったのか、分けることはできません。
なにも意識せず無為にしていた時間が、生きているのかもしれません。
つまらないものを買ってしまった。
ああ無駄遣いをしてしまった。
そういうときは、私は後悔しないようにしています。
無駄はよくなる必然だと思っています~『103歳になってわかったこと』からの引用。
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さて、わたしは今月また1つ歳を取る。
篠田桃紅さんからみれば、まだまだはなたれ小僧でしかないが、世間では「人生一区切り」などと言われ、引退や定年などを考えて、実行に移す人も多いお年頃だ。
無理はたくさん積み重ねてきたけど、無駄はしないように生きてきた。
無駄を推奨する桃紅さんとは真逆の生き方(笑)
こういっちゃあなんだけど、人の生き様って「ムダとムリ」から生まれるものかもね。
浪費なんて大嫌い!といいつつ、好きなお酒を飲むことやダラダラと文章を書き綴る時間、これら「浪費と言う名の矛盾」がわたしを彩るのだから。
桃紅さんのおっしゃることはきっと、こうだろう。
「人生に無駄なことなんか何ひとつないんだから」
「ま、せいぜいお楽しみなさいよ!」
はなたれ小僧の解釈だわん(笑)