★2024年8月17日更新 『ナイルパーチの女子会』柚木麻子・著(文藝春秋)【書評・文化】

【ブログ新規追加448回】

ねえ、ナイルパーチって魚知ってる?

スズキ目アカメ科アカメ属の淡水魚。淡泊な味で知られる食用魚だが、一つの生態系を壊してしまうほどの凶暴性を持つ。要注意外来生物だ。

回転ずしで使われている大半の白身魚は偽装魚である。偽装魚とは、味や調理によって使い勝手のよい安価な食材になり変われる代用魚のことである。

例えば、真鯛→ティラピア、ひらまさ→ナイルパーチ、あいなめ、えんがわ→アメリカナマズ などetc (資料先 / 回転寿司店はアメリカナマズとナイルパーチを大半の白身魚として出す)

ナイルパーチの女子会』柚木 麻子・文春文庫

第二十八回山本周五郎賞&第三回高校生直木賞作品だ。

女の友情とはいったい何なのか?を描いた問題作。(2015年3月発刊)

• あらすじ

父親と同じ大手商社でバリバリ働く主人公(志村栄利子・30歳・独身)海外出張も多く多忙な栄利子のひそかな楽しみは、主婦ブロガーおひょうさん(丸尾翔子・30歳・既婚/夫と二人暮らし)の書く「ダメな主婦日記」を毎日読むことだ。

おひょうさんの紹介する回転寿司やコンビニパンやお菓子の新商品を買い込み食べながらブログを読むのが楽しくて仕方がない。

キャリアウーマン栄利子とは全く違う平凡な主婦おひょうさんのどーでもいい日常を垣間見て、それはそれはいいストレス解消になったのだ。

いつしか、おひょうさんのブログの熱心な読者となる。

さらにおひょうさんが栄利子と同じ街に住んでいることを突き止めた。

その後、ブログで知ったおひょうさん行きつけの店で二人は偶然の出会いを果たしそこから意気投合する。

しかし、それは偶然ではなく、栄利子のストーキング癖によって実現した出会い。

一旦は意気投合した二人だったが、おひょうさんは栄利子の執拗な待ち伏せに辟易し、彼女をストーカーと認定する。

女同志の蜜月は予想以上にあっけなく破綻した。

それは、他人との距離をうまくつかめない栄利子の一挙手一投足が原因でおひょうさんを遠ざけてしまったのだった。

だが、執拗におひょうさんに執着する栄利子は、まるでストーカーまがいの行動に度々打って出てしまう。

昔、中学生時代にも、幼馴染みの圭子から疎ましがられたことが許せず、ストーカーじみた行為を起こし、信じられない噂(圭子が援助交際しているというウソを流す)となって圭子の将来を潰した経験を持つ栄利子なのだ。

普段は、美しく優秀な商社勤めのOL栄利子。しかし、自分が避けられたり受け入れてもらえなくなったりすると逆上し、相手を食い尽くす狂暴な癖を持っていた。

まるで、偽装魚のナイルパーチみたいだ。スカンジナビア湖にたった一匹のナイルパーチを入れた時、あっという間に湖の生態系がナイルパーチの食い荒らしにより変わってしまったのだ。

商社でナイルパーチの輸入に携わる栄利子はナイルパーチの生態を勉強し、まるで女同志の友情のようだと反芻した。

何がなんでも、おひょうさんは私のものだと言わんばかりにストーキングを繰り返す栄利子はまるで狂暴なナイルパーチそのものだ。

執着する栄利子は悩みを相談した同僚の男と寝たことが婚約者の派遣女子・高杉真織にばれ、とんでもない約束をさせられてしまう。


一方、おひょうこと翔子も実家に問題を抱え――。

作家である重松清氏の解説・・・「本作『ナイルパーチの女子会』は、柚木麻子さんがデビュー以来追い求めてきた主題の一つの到達点であり、その後の柚木さんが展開する文学への結節点でもある。」

• 読後感

同性の友だちができない栄利子と翔子。ブルーの表紙、ふわふわしたイラストからはまったく想像できない女のドロドロ執着劇だ。

かなり狂気の世界なのに、誰にでも経験のありそうな女の「取った,取られた」から始まる当たり前の日常を巧みな言葉で表現する柚木麻子氏。

身近でありながら、登場人物たちが言葉を荒げる様は狂喜じみていて、何度も途中で読むのを止めようと思わせるが、結局栄利子と翔子の近々の将来が知りたくて最後まで読んでしまった。

ストーキングや社内いじめや家庭内介護のすさまじさなど、恐ろしくもあり身近でもある内容に目が離せなくなってしまったのだ。

女の持ち合わせている深層心理をえぐる内容が息苦しい。この作品を再度読み返そうとは思わない。

普通の女子がサイコだった話。

最終盤に差し掛かる頃、付きまとわれていた翔子も同じように、NORIという女にストーキングしてしまう。

誰もが栄利子になりうるのだ。

それまで、築き上げてきた世界をいとも簡単に崩す怖ろしい女の狂気劇だった。

もう、当分は回転寿司店へは行けない(笑)

「心がえぐられすぎてつらい」

★2024年8月15日更新 多読を楽しみ切る夏季休暇~多読の達成感はやりがいに効く【書評・自己啓発】

【ブログ新規追加446回】

本は一冊、一冊慎重に選んでじっくり読む?

それとも出会いを大事にしてインスピレーションのままに手に取る?

どちらも素敵。

だって、本さえあれば、いつでも新しい世界を見る(妄想)ことができるし、孤独を存分に楽しむ最高の時間になるから。

今日は、そんな最高の読書の話をすこし。

わたしの本とのつきあい方を語る。

わたしは多読=ブックジャンキー(本狂い)だという話

私の読書法は一度に大量の本や雑誌、新聞などを横に積んで、一定の時間でどんどん読み続けていくことだ。

今では、雑誌は姿を消した。その代わりWEBの記事を読み続けるので常にPCは立ち上げている。

何か気になる情報があれば、すぐに検索するし、You Tubeは消音して観たい所だけを拾う。

今や、「多読」と言ってもその姿は、紙の書籍だけを指すのではない。WEBも動画配信もすべて多読に含まれるのだ。

長期の休みに入る前、図書館で10冊の書籍を借りる。今回の内訳は小説4冊、アウトドアに関する書籍を2冊、健康やファッションなどを4冊借りてきた。

で、休暇2日目の今日から、村上春樹・著『騎士団長殺し・第1部 顕れるイデア編』『騎士団長殺し・第2部 還ろうメタファー編』を朝から大雨の中、粛々と掃除、洗濯をしてずっと読んでいる。

休み中に読み切って、書きたくなったら書評を書くかも。無理はしないのん(笑)

とまあ、図書館通いは通常でも毎週やっている。今では借りる本も少なくはなってきたが電子書籍も2冊はオンラインで借りている。

本当に欲しいものはサッと迷わず購入する。

出版社の営業だから本の世界に一年中どっぷりなわけで、情報量もそりゃあ断然多い。しかし、大事な情報を見抜く目を持っていないとたちまち情報の波に押しやられてしまう。

今の自分に必要な視点だったり、思考だったりを必要としているゆえに、あれもこれもと触手を伸ばすこともなくなった。

「多読」は、無数の考え方の一端を知り、取り入れたりしながら「自分らしく生きる指標」となってきた大切な習慣なのだ。

お菓子を食べながらいっぱい読んでインプット。冬眠前の熊みたいなもん(笑)

貯めるだけ貯めて一気に吐き出すアウトプット。その場所はこのブログだけで充分だ。

誰の真似でもなく、誰とも戦わない、わたし独自のやり方(インプットとアウトプット)が「多読」と「ブログに書評を書く」ことなのだ。

読書は読み終えて、ブログにまとめて落とし込むまでが一連の行動で、思い通りに書けた時の達成感は何ものにも代えられない醍醐味がある。

多角的発想と詰め込んだ知見がわたしを豊かにしてきたのは間違いない。

「いっぱい読んで、いっぱい吐き出す」

これでいつもスッキリ(笑)


           

『働かないの』群 ようこ・著(KADOKAWA)【選書・ワークスタイル】

【ブログ新規追加445回】

主人公 キョウコ 48歳。無職。月10万円生活(貯金を切り崩す)。独身。

都内のおんぼろ木造アパートに気のおけない女たちとつかず離れずに自由に暮している。

働かないの~れんげ荘物語

簡単レビュー

2009年の第一作から3年後の2011年3月キョウコは48歳になった。まだ、独身。ひとりでれんげ荘に住んでいた。

2011年3月といえば、東日本大震災が起った年。作品でもおんぼろ木造アパートのれんげ荘は地震にも倒壊しなかった。管理会社社長はほんとにいい人で、木枠の窓をアルミサッシに変え、窓枠にはめ込むタイプのエアコンまで無償で取り付けてくれた。

そのおかげで、おんぼろアパートだが確実にキョウコの生活もグレードアップしていた。

隣りの部屋に若い女性が越してきたので老婆心であれやこれやと世話を焼いてしまい苦虫を噛んだり。

喫茶店で見かけた細かく美しい刺繍バッグに魅せられて刺繍を始めてみるが、持ち前の完璧主義が邪魔をする。

それは、何でもできる!と、思い込んでいたが実際始めてみると、針の一刺しすら思い通りに刺せない。

要するに若い頃と違い、目が悪くなっていて、針を持つ手もプルプルと震えてしまうのだ。

あれほど完璧主義だったキョウコ。ぐうの音も出ない。

いったい一つの作品を仕上げるまでにどれだけの時間がかかるのだろうか。

一方でこれから、趣味で本格的な刺繍を始める人にとってはとても興味が尽きない内容だろう。

そして、キョウコの夢はこうだ。

長い間、仕事だけをしてきた。それも早期退職を夢に見続けて。「誰にも気兼ねせず、好きなだけ寝て、好きなだけ食べて、好きに旅して」と。よ~するに何もしない、働かないために45歳まで、必死で働いてお金を貯めてきたんだから。

そうそう、働かない(無収入)で独身って場合は、所得税や住民税が発生しないのだ(驚き)

そうすると、年に何度か役所の担当が「お前もちゃんと働け!」「税金を納めろ!」と、言わんばかりに家庭訪問に来る下りが面白い。

キョウコの言い分はこうだ。

「御用は何でしょうか?年金と保険料は支払っていますが」

(なぜ働かないのか?と聞く役所担当に向かって)

「ですから、以前も申し上げた通り、働く気持ちはありません!」

(役所担当ははあ~と、ため息)

このやりとりがえんえんと続くのだ。例えば「どこか具合が悪いのか?」とか「まだ働ける年齢でなぜ、仕事をしないのか?」」など身辺調査に躍起になる役所担当。

彼の使命は、キョウコに再就職してもらって、区民税を払ってもらうという納税者増加の一端を担う者なのだった。

キョウコは、ひたすら自由を求めて、仕事を続けて貯金を貯めて退職できて晴れて自由になった。

しかし、世間はそう簡単にはキョウコを自由奔放にはさせてくれないものなんだ。

月3万円のぼろアパートに住んではいるが、お昼だって、都心の高級スーパーのセールで手に入れたアンチョビや紅茶と新鮮野菜も八百屋で買い、安くておしゃれなひとりパスタランチを楽しむ。

ランチの後は、日がな読書するもよし、好きなピアノ曲を聴くのもよし。アパートの女住人たちはみな総じて優しいのだ。

これで、生きて行ければ何もいらない。

いらないついでにTVも捨てたのだ。要らない情報の呪縛から逃れるためだそう。

時おり、「何かやらなきゃ!」と焦る気持ちもあったが、3年も無職を続けると、あれだけ自己嫌悪に鬱々していたことがウソのように穏やかな日々に満足している。

働かない!と、決めた女の強さも端々に見える。

ただ、2011年という具体的な数字を作品に見つけた時は、まるでおとぎ話を読んでいたはずだったが、否が応でも現実に引き戻されてしまった。

このあたりが、「群ようこの狙い」だったのかもしれない。

何にも起こらない日常でも、びっくりするような現象に遭遇するのだから。

平凡な日常を嘆いたりせず、身近な人を大事にしながら、ひたすら「ご自愛」をする提案を作品を通して続けている。

コロナ禍の今、ステイホームのお供に「群ようこ」にハマるのも悪くないだろう。

                ★

群 ようこ氏の作品はこれで2作目。

1作めは「かもめ食堂」・・・北欧でひとりの女が手作りシナモンロールやシャケのおにぎりを作りcafeで売り出す、実に靜かで素朴な話。

原作を読んで映画を観て、日本から一番近いヨーロッパに行きたくなった作品だった。

ただ、あまりに情報量(セリフや場面)が少なすぎて物足りなかった。おしゃれなんだけどね。

作者はわたしより7歳年上。バブル期を謳歌した年代だ。しかし、大人気作家となっても自身の慎ましい暮らしぶりは変わらなかったそうだ。

群 ようこ氏「人となり」を知るには「かもめ食堂」や「れんげ荘物語」を読むのをおすすめする。

何でもない日常を愛おしく感じられるようになるから。

★2024年8月4日更新 手元にあるもので楽しむ能力が人生を豊かにする~コミック『こづかい万歳』を紹介🎶【選書・こづかい制の文化】

【ブログ新規追加435回】

「おこづかい」って子どもの時の最も大切な精神安定剤だった。働かなくてもお金が手元に入ってくる。

そうそう、お正月の「お年玉」もおんなじ。子どもならではの稼げる最高の習慣じゃあないだろうか。

そこへゆくと、大人となってからは、しっかり労働した対価がお金となって入ってくる仕組みを持つようになる。まったく意味合いは違うが毎月のお給料日は、子ども時代とは比べ物にならないほどの精神安定剤となっているはずだ。

せっせと働く夫が毎月働き終えたら、妻からもらう?「おこづかい」この制度も普遍なものなのだな。

汗水たらして働く夫。それを愛する家族ができたら、お給料、全部丸投げできちゃう。

日本人男性のそういう部分は本当に凄いし何よりその精神が尊いし有難い。

一方、年金の話だが、年金もいわゆる「おこづかい」的なイメージがどうしてもぬぐえない。

ま、それまでの人生の積み立てをきちんとやってきた人に渡される「ご褒美」なのだ。だから労働のイメージが湧かなくても当然だろう。

                 ★

さて、話は戻り、「おこづかい」をもらう旦那さんたちの使い方に注目したコミックを紹介しよう。

こづかい万歳』モーニングコミックス / 吉本浩二・著

簡単レビュー

「おこづかいもっとチョーだい!」

と、口ぐせのように叫んでいる漫画家の吉本氏が自らの自伝として認めた作品『おこづかい万歳』

作家、45歳。

毎月、低額?定額と言い直そう。2万1千円。これが作家の「おこづかい」だ。

その中から、執筆のお供の大好きな「お菓子」を何と、1万円近くも使い、あと半分の1万1千円は内緒の内緒だ。

ともすると子どもにおもちゃをねだられたりすればアウト!この楽しくも苦しい「おこづかい」の使い道や、悩ましく、いじいじと悩む「おこづかい」の攻防戦。

全国の「おこづかい生活」を営むすべての定額夫さまに送る、大人の「おこづかい」マンガなのだ。

               ★

こち亀」を思わせる画風と、「孤独のグルメ」を思わせる「おこづかい」の攻防戦や他人のもらっている金額の取材が非常に面白い。

『こづかい万歳』で取材を重ねる主人公。

その金額に、その使い方に、そのつど惜しみない共感が溢れ出る。

ああ~、みんな同じなんだ。

しかし、中には「おこづかい0円」という強者までいた。いったいどうやって毎月しのいでるのだろう?

その0円亭主は、上手に今ある物で楽しく暮らせているようだ。要するに人生の達人ってワケだ。

                 ★

えっ?ちょっと待って!わたしもそういえば「おこづかい」なんて自分にあげていないわ!

年金だって、まだまだだし。あるとすれば、小さなアドセンスの収益や印税などがこれに当たる。だから定額ではない。

しかし、「おこづかい」のないことに不自由はしていない。気づいてもいないもん(笑)

趣味が仕事とブログ執筆と写真。カメラも夫がくれた一眼だけ。体力づくりに低い山を歩くとかだ。別段お金のかかる趣味もサークル活動も持っていない。

そうか!わたしも0円仕事人主婦ってワケ。

そうそう、わが家の夫も「おこづかい制」で長年やってきたが、ポイント貯めるのが得意で、ほぼポイントで何でも賄っている。ポイ活上級者なのだ。

今や、現金をただ使うよりも、カード払いにしてポイントを貯めるのがいい感じ。

現代になっても一家の「おこづかい制」の概念だけはしっかりと根づいてる日本。

どう?

人の「おこづかい」知りたくなった?(笑)

『ピンチに慌てず、チャンスを創る~82のゴールデンルール』大串亜由美・著(ファーストプレス)【書評・ワークスタイル】

【ブログ新規追加434回】

ピンチに慌てず、チャンスを創る~82のゴールデンルール』大串亜由美・著(ファーストプレイス)

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• 書籍概要

「自分らしく」仕事をするには?

そして周りから「選ばれ続ける」には?

そこにあるのは思考の到達点だ。

「一番」と「一流」の違いとは?

「一番」と「一流」の違いを、明確に文章で表現された。

この違いを知るだけでもこの書籍を手に取った価値があるだろう。

著者・大串亜由美氏は大手外資、国内企業を中心に9年連続で研修を250回以上続ける「常に選ばれる」アサ―ティブコンサルタントだ。

アサ―ティブ第一人者の著者・大串亜由美が、一歩先に進むため、成長するためのゴールデンルールを紹介する。

そこには「本物」の仕事をするための秘訣がある。

                 ★

目次

自信を持って仕事をする-一流の条件
1 目指すのは一流
2 一流になるのに、才能は要らない
3 “ I am perfect as I am. ”
4 最後の最後まで、手を抜かない
5 できない無理はしない

1週間で大きく変わる-一流の仕事術
18 月曜日の朝は、いつもより早く出社する
19 手ぶらで行かない、帰らない
20 アジェンダを〝動詞形?にする
21 ミーティングはイベント。仕込みが肝心
22 即・短・心

「自分らしさ」を磨く-一流の見極め
49 走らない
50 「次の人」への配慮
51 割り込み厳禁
52 「忙しい」は、かっこ悪い
53 オフィスで寝ない

印象に残る「自分」を創る-一流の見た目
60 「見た目」が中身
61 プロとしての身だしなみ
62 袖丈1センチ
63 「自分らしさ」を人に訊いてみる
64 小物に統一感

選ばれる「存在」になる-ピンチとチャンスの活かし方
69 ピンチな時は、角度を変える
70 判断する時は、高さを変える
71 「できない」「わからない」はチャンス
72 「プラスα」で挽回
73 失敗を引きずらない

「自分らしさ」を活かす7つのヒント-「合格」から「一流」へ
1 配慮はするけど、遠慮はしない。
2 過去は引きずらないけど、忘れない。
3 簡単に諦めないけど、無理もしない。
4 芯はあるけど、頑なにならない。
5 誰に対してもベストを尽くす。
でも、全員から好かれることを求めない。

                 ★

一番と一流を言葉で表現するとこうなる

一番とは→常に他人との競争がある「相対的評価」が一番。

一流とは→誰とも比べない独自の「絶対的評価」が一流。

これでわかるのは、目指すべきは「一流」であるということだ。一流を目指すとは、己を磨くことに他ならない。

目先の誰かの行動や成績に囚われることなく、自分の「生き方」「働き方」「楽しみ方」をどんどん、成長させて行こう。

そうするうちに「一番」とかは勝手についてくるかもしれない(笑)


燃え尽きたいと望み叶わなかったボクサー・栄光の背番号3によって消えた三塁手/勝負の世界に何かを賭け喪っていった者たちの物語『敗れざる者たち』沢木耕太郎・著【選書・文化】

【ブログ新規追加426回】

オリンピック5日目、アスリートの誰もが、喉から手が出るほど欲してやまない金メダルを早くも掴んだ選手がいる。

一方で、なぜだか、不安が的中した・・・という金メダル候補、まさかの予選落ち。

それぞれの戦いが明暗を分け始めたオリンピックの晴れ舞台。

TVで観戦する側もハラハラドキドキしつつも、アスリートたちがコロナ禍の中どんな思いで戦ってきたのであろうかと、心中を察するあまり「すべての選手が全力を出し切って戦える」ようにと、願ってやまない。

そんなスポーツ一色の中、ずいぶん前に図書館で予約をしておいたノンフィクション作家でありスポーツライターである沢木耕太郎氏の著書『敗れざる者たち』が届いた。

さっそく、オリンピック中継を観ながら読み始めた。

敗れざる者たち』沢木耕太郎・著(文春文庫)

もくじ

1、クレイになれなかった男たち

2、三人の三塁手

3、長距離ランナーの遺書

4、イシノヒカル、おまえは走った

5、さらば宝石

6、ドランカー(酔いどれ)

                 ★

読後レビューする。

               

『敗れざる者たち』見事なまでに名著である。

実在の人や動物(馬)による実話を、著者 沢木耕太郎氏の手にかけると、まるで魔法がかかったみたいに、活き活きとした作品に仕上がるのだ。

それぞれのアスリートたちの戦い切った後の姿が爽やかなこと、この上ない。また、著者自身がその気持ちに浸り切った文章に圧倒されもする。

ここでは確かに、ボクシング、野球、競馬、マラソンで華麗にチャンピオンとなり一流と呼ばれ頂点に立つことが「叶わなかった」アスリートたちの、「報われない」競技人生がこれでもか!と描かれている。

しかし、敗者の気持ちに浸り切った著者、沢木耕太郎氏の描くアスリートには微塵たりとも暗い影はない。

あるのは、無冠の帝王とも言える「終わった者たち」の清涼感だけだ。

これは、いったいどういうことなのであろうか?しばし、本を置いて考えてみた。

そして、かすかだが答えを導き出せた。

それは、沢木耕太郎氏の描くアスリートは、その人本来の持つ人生を「生き切る」ことに「夢中」だったのだ。

著者は「夢中」さをコアに戦いを描き切った。

そこには感動秘話や涙も汗もすべてを飲み込んで戦ったアスリートの昇華した姿があっただけだ。

「夢中」はすべてに通じる魔法なのかもしれない。

                ★

今朝、近所のヒマワリ畑に撮影に行った。

まだ7月だというのに、すでに花びらを枯らしたヒマワリも多く驚いた。

しかし、その横には、すくすくと太陽を浴びて伸びる真新しいヒマワリたちの姿もあった。

花の世界も戦いのまっただ中。 まさに「光と影」だ。

★2024年7月10日更新 メタ認知を学ぶ~いかに客観的になれるか?~主観的すぎる日常を見直す(新刊紹介有り♪)【自己啓発・メタ認知】

【ブログ新規追加410回】

ああ~〇〇しなきゃ・・・!あれも!これも!と詰め込むのが得意だ。

しかし、詰め込んだ先が義務的なモノゴトだったりすれば、義務に駆られた行動は失敗しやすい。

今、ほぼ治ったから言えるのだけど、病気にかかりやすい時はたいがい、何等かの目的に向かって驀進している最中だ。

誰も、わたしなぞの驀進に「待った!」をかけられない。

それはそうだろう。本人はある意味必死でそのモノゴトに向かっているのだから。

激励こそすれ、とても「止め!」なんて言えないだろう。

この止め!と言える賢人が「超客観的」にモノゴトを推しはかる資質の持ち主だと言える。

そう、「メタ認知」能力のことだ。

ここで、簡単にメタ認知の説明をしよう。

• メタ認知とは

メタ認知とは、自分が認知していることを客観的に把握し、制御することだ。

要するに「認知していることをさらに認知する」ということ。

• メタ認知提唱者の紹介

ジョン・H・フラベルがメタ認知の基本となる概念「メタ記憶」を定義したのは1976年のこと。

その後、A・L・ブラウンによって「理解への理解」である「メタ理解」や「注意を注意する」「メタ注意」など、「メタ」の概念についての研究が盛んに行われ深まって行ったのだ。

• メタ認知の定義をごく簡単に説明

メタ認知の定義は「認知していることを認知する」である。つまり、「人が認知するに至ったきっかけから結果に至るまでのすべての事がらを、自分自身で把握する」ということにある。

たとえば、自分が何かをしている。その姿を少し離れたもう一人の自分が冷静に見ている・・・こんな感じを経験したことのある人もすくなからずいるようだ。

こうした、「自分が能動的に行っている事がらについて、もう一人の自分が客観的な立場から、その事がらを調整したり、調和したりする能力を「メタ認知」と定義しているのである。

• メタ認知の機縁はソクラテスから

メタ認知概念の起源をさかのぼると、古代ギリシャの哲学者ソクラテスに辿りつく。

無知の知」・・・要約すると、「彼らは何も知らないのに、知っていると思い込んでいる。私(ソクラテス)は何も知らないということを知っている」と。

まさに「自分が認知している内容を認知している」ソクラテスはメタ認知が進んでいたからこそ、生まれた「無知の知」という名言だそうだ。

この考え方がメタ認知の機縁となっているんだと改めて知った。

参考資料→【メタって何?】https://www.kaonavi.jp/dictionary/metacognition/

冒頭の、〇〇しなきゃ!という義務感むちむちじゃあ、とうてい客観的にはなれない。

今朝、まだ病後ゆえ週末の買い出しの時間を遅くして、夫とともにゆっくりと出かけた。

梅雨の晴れ間で、溜まった洗濯や湿ったマットなんかを先にサッサと干したい!のはやまやまだけど、洗濯機を回す時間に買い物をしよう・・・と、いつもより気持ちゆったりめに構えて出かけた。

一つ二つは捨ててもいいくらいが丁度いいのだとわずかに思えた。

これまでは、ぜ~んぶやってから次へ行く、強行スタイルだった。

たぶん、詰め込まずにこうした緩急のつけ方を普段から取り入れていれば、先日来の病気にもかかりにくかったのかもしれない。

反省・反省。

最後に

メタ認知を科学者の視点からギュっと取り入れて、「映画と脚本のしくみ」を解き明かす新刊(2021年/1月30日発行)を紹介しよう。

脚本の科学 認知と知覚のプロセスから理解する映画と脚本のしくみ』ポール・ジョゼフ・ガリーノ+コニー・シアーズ著(フィルムアート社)

• 書籍概要(今朝、読んだばかりのほやほやレビュー)

映画を見る時、頭の中では何が起こっているのか?

一本の映画にのめり込むために観客には何が必要か?

認知神経心理学をフル活用した、一歩先に進むための脚本術!

☆彡

目や耳などの現実の情報を知覚する器官の機能から、感情や意思決定と複雑に結びつく脳神経にいたる、人間の知覚認識のプロセスを順に詳細を明らかにして行く内容だ。

これまでにない新しいアプローチの脚本術。

映画「スター・ウォーズ」を例に取り上げながら、「映画を見ている時に心と脳には何が起きているのか?」を科学的に説明する。

必見なのは、「物語を語る手法=ストーリーテリング」の原則とその戦略を明かしているところだ。

映画脚本だけでなく、小説、漫画、ゲームなどあらゆる物語に関わる分野においても多大なヒントとなるだろう。

本書〆のことば

~人間の知覚の限界と脳の認知プロセスの無限の可能性を理解すれば、あなたの脚本は「完璧」になる!~

                 ☆彡

さて、土曜日の夕方、少し病後の疲れが残るところで、「エイ!」っと、ブログは書いてみた。

わたし的メタ認知を働かせてみると、このブログは義務でやってはいない。

なんでもいいから書いてアップするなんてことは絶対にしない。

それゆえ病気の時は休みを取った。

ちょっとだけ客観的になれた(笑)成長できた話。

皆様もど~か、しっかり休んで良い週末をお過ごしください。


『1Q84 BOOK1 4月-6月』村上春樹・著(新潮社)【選書・文化】

【ブログ新規追加409回】

あなたの本棚には、「村上春樹」の本ってある?

あるとすれば、「ノルウェイの森 上・下」とか?

そうそう、あの一世を風靡した「1Q84 1/2/3」もあるんじゃない?

でも、それって読んだ?

わたしの、周りの読書家も、そうでない本好きでも誰も読んでないのよね。

わたしの友だちが言ってたの。

「ああ、あのタイプは本棚のオブジェよ」と。

いうなれば飾り。

現代では、むつかしい世界の文学全集とか、ほぼ見かけなくなった。

それだったら、当代きってのノーベル文学賞にこの数年、毎年ノミネートされ続ける希代の作家「村上春樹」のベストセラーが、部屋の本棚に並んでいるというのが、現代のアカデミズムなんじゃあないんだろうか?

たとえ、読んでなくても「持ってる」ことに意味があるのかも(笑)

              ★

1Q84」→推定部数(シリーズ3作)300万冊を売り切った。要するに大ヒットベストセラーとなった。

こぼれ話だが、2006年に「フランツ・カフカ賞」を受賞して以来、毎年「ノーベル文学賞」を受賞するかもしれない、という話題がある。

その中、この「1Q84」は2009年5月に発売された。当時は発売前の事前注文も空前の冊数を記録したし、どこの本屋でもピラミッドやトーテムポールを狙ったかのようなオブジェを「1Q84」商品で作り、世間をあっと言わせる購買戦略を取った書籍である。

そうそう、売り方もオブジェさながらだった。

書店営業を始めて1年がたった頃だった。

で、わたしもその大ベストセラーを購入しようか?と、ずいぶん迷ったが、なぜかスル―してしまった。

その理由が、「ノルウェイの森」を読んで、気分が悪くなったトラウマからだった。

以外なほど、村上氏の作品には、男女の営みが多く描かれている。その辺だけでも受け付けにくかったのもある。

でも、書かれている場所が新宿だったり、国分寺だったり、知っているというのは馴染みが良く、JAZZの話、バーや喫茶店での過ごし方やJBLのスピーカーから醸し出されるJAZZの音色の話はわたしをときめかせたりもした。

やっぱり、トラウマになった決定打は、この作品全体の持つ「暗さ」だ。「自殺」をテーマにしてるのもねえ。

わざわざ自殺するために読むような本だったとは。(あくまでも個人的見解ゆえ)

でも、「ノルウェイの森 上・下」で村上春樹という作家を認知した人は多いだろう。

で、問題なく大ベストセラーとなり、映画化された。

わたしの気分が悪くなろーが、イヤだろーがそんなのカンケ―ネ~だった(笑)

                ★

先日なぜだか、夫がブックオフオンラインでこの大長編作「1Q84」全3巻を買い求めた。(大人買い・笑)

理由は、内容だったようだ。
(リーマンショック後の金融と経済資本主義の行方などから)

わたしは、とっさに「いよいよ、読む時が来た!」と、勝手に夏休みの読書スケジュールに入れようと考えた。

しかし、今回の皮膚細菌感染症の悪化から股関節炎に罹り、丸三日なにもできず、家に籠る日ができたことから「1Q84 1」を読んだのだ。

希代の作家の作品を13年ぶりにひも解いた。

本の帯には「Q なにが起こっているのだろう。」という一文が書かれている。

まるで、わけのわからない細菌に感染したわたしの心境みたいだと思った(笑)

そして、ダブル主人公の青豆(29歳女性)と天吾 (29歳男性)という二人の数奇な運命に翻弄されつつも、スリル満点のサスペンス仕立ての文章がなにより素晴らしい。

エンターテインメントとして、最高に楽しい読書ができた3日間だった。

              ★

簡単レビュー

主人公は2人だ。

青豆(あおまめ)女性で29歳、仕事はスポーツクラブのインストラクターだ。もう一人の主人公である天吾(てんご)男性も29歳。予備校の数学講師をしながら小説を書いている。

これで、何をいわんとするか?といえば、二人が同じ町の同じ小学校に通っていた過去がある。

第1巻の途中にその場面が出てくる。

父子家庭だった天吾。NHK視聴料を集金する父親。その父親に日曜日は集金で一日中連れまわされる。そんな過酷な生活が小学5年生まで続いた。

意外なほど天吾は体が大きく、浅黒く勉強もできたことから、クラスでは一目置かれる状況。しかし、NHKの集金で父親と町中を歩いていた時、クラスメイトにその姿を見られてから友だちはいなくなった。

一方の青豆は「〇〇〇の証人」という新興宗教の信者だった母親に連れまわされ、週末は電車で様々な街へ布教活動に出ていた。それも5年生まで。クラスでは、親しい友だちもいなく、いつも一人でいた。

ある日、理科の実験中に同じテーブルの男子に「こいつんち〇〇〇の証人でさ、手術も輸血できないんだってよ!」と、みんなの前で青豆を非難し始めた。その騒ぎから青豆を救ったのが天吾だった。

同じ境遇を感じたのだろう。

そんな天吾と青豆は孤独な10歳の少年少女として、誰もいない放課後の教室で黙って手を握り見つめ合う。

10歳になった時、天吾は父親に「もう集金には行かない」と宣言した。時同じくして青豆も母親に「もう布教活動に行かない」と宣言し、家を出た。それから行く当てのない青豆の壮絶な人生が始まった。

しかし、そのまま二人はそれぞれの事情で別れ別れになってしまう。相思いながら互いの消息を知ることなく月日は流れていった。

青豆は、いつかどこかで天吾とすれ違う日(出会う日)を願って生きてきた。

1984年4月、2人は個別にそれまでの世界と微妙に異なる「1Q84年」の世界に没入していく。

ある老婦人から依頼を受け、人を始末する殺人鬼となっていた青豆。自分で開発した武器を使って29歳ですでに3人をあっちの世界へ葬った。

小説家になるため、ある編集者から依頼を受け「新人文学賞」ノミネート作品の総書き直しを仕事とする天吾。

青豆は某カルト教団(〇〇〇真理教)のトップリーダーの暗殺を依頼され企てる。

一方の天吾は書き直した小説が見事新人賞を獲るも詐欺行為だと心底思い悩む。

そこから新人賞元作者と元作者の育ての親から聞かされる某カルト教団の胡散臭いというか血なまぐさい活動の全貌を知るのだ。

書き直した新人賞作品に書かれているのは、某カルト教団の真実なのか?

青豆と天吾の距離が少しづつ近づく超大作サスペンス。

ここまでが第1巻。

次も読むか?

当然でしょ!



                

★2024年6月29日更新 細菌の次は毒出しで~昨日はたくさん励まして頂き、感謝のお返し~🎶【選書・自己啓発】

【ブログ新規追加402回】

毒出しのやり方は、「一日2~3回、40度ぐらいの白湯を飲む」これだけで体のすみずみまできれいになるそうだ。

体に毎日たまる毒をちゃんと抜く技術』矢城 明・著(サンマーク出版)

毎日、毒をためているってこと?ものすごく驚きながら読んだ。

食べた物が体の中で腐敗するとか、考えるだけでも憂鬱なものだ。

今や新型コロナウイルスの感染不安は続いているのだから細菌に関してもスル―できない状況よね。

今のわたしは、その細菌に軽くやられてしまった。だからこそ、細菌に対する向かい方を昨日は病院でのアレコレと共にここに書き残しておいたんだ。

一時は大事にする教えも、のど元過ぎれば忘れるって。

忘れないように書くブログの重要性に改めて気づかされた。

で、昨日のブログがこれ。

              ★

また、昨日は本当にたくさんの方々から、温かい励ましの言葉も頂いた。

わたしは心からはほんわかしたし、「よし!しっかりと治して行こう!」と、弱っていた気持ちがみるみるうちに、前向きになれたの。

「励まし」の力ってすごいパワーがあるのだ。

だから、自分の体にも「励まし」のパワーを送っている最中。

細菌に打ち克つパワーを具体的な言葉、例えば「がんばれ!」とか「大丈夫!」とかなるべくシンプルな言葉かけで注入している。

そして、少しでも良くなったら、存分に褒めてあげるのだ。「やるじゃん!」とか(笑)

ご自愛とか言うけれど、たんに自分に好きなモノやコトを与えるのではなく、

しっかりと、言葉にして与えてあげるべきだろう。

体は、その言葉を聞いてしっかり受け取り、そのように動いてくれるものなのだから。

             ★

今日、皮膚細菌感染症で仕事を休んでいる。

体にいいとかばかりじゃあなく、言葉をかけられるところを見つけて、

言葉かけの日にしているよ。

たとえば、今月で退職されるおふたりの大先輩への言葉とか。お誕生日を迎えた方へとか。

「言葉」は何より精神的安定と健康を促進する薬のようなものだ。

さて、お昼(ニラとチーズのお好み焼き)食べたら、健康促進の薬を送る人を見つけようっと(笑)

★2024年6月21日更新 『日本で、ヒュッゲに暮らす』イェンス・イェンセン PARCO出版【書評・文化】

【ブログ新規追加394回】

日本で、ヒュッゲに暮らす 』イエンス・イエンセン(著)パルコ出版

ヒュッゲって何語?デンマーク語だそう。綴りは「Hygge」と書く。動詞でも名詞でも使え、「Hyggelig(t)」と書けば形容詞にもなる。

この言葉の意味は、「嬉しい・悲しい」などの人が感じる気持ちを端的に表している言葉なのだそうだ。

ちなみに、みんなでお酒を呑んで、ワイワイやるのはヒュッゲとは言わない。

要するに「楽しい」という感情は違うのだそうだ。何やらめんどくさ・・・。

そこで、少し前に、日本の若い人の間で流行った「チル」という表現を思い出したのだ。

このチルとは、「のんびり・まったり」や「癒し」などの心身のリラックス状態を表す言葉。

若い人の間で特にネット上で流行ったスラング(俗語)だ。

テンポの遅い曲をチル系と呼んだり、そういったゆるいライフスタイルを好む人たちをチルアウト系と呼んだりするのだそうだ。

これって、デンマークのヒュッゲに似てない?ひたすら心地よい空間を求める生き方や仕事の仕方が日本でも若い人の間から沸き起こっていたのを思い出した。

• 著者のいうヒュッゲの実現には時間が必要

日本とデンマークの決定的な違いは時間の使い方だという。デンマークのライフワークバランスの取り方はこうだ。

1日を3つのブロックに分ける方法(①仕事8時間 ②自分の時間8時間 ③寝る時間8時間)だと。

日本人はもっと働いているように思うとも。その仕事時間革命を奥さんと始める著者。

そういった人間本来のあり方をデンマーク人でありながら日本に住んで体現している様を一冊にまとめた書籍だ。

• さっそく読後感想を。

たしかに、ちょっとおしゃれだが、著者自身の文章に男性特有の無骨さがある。

まず、仕事の時間配分について、日本人である奥さんの働き方に異論を唱え徹底的に話し合う。

その結果、奥さんが仕事を辞めて、本来やりたかった手仕事を始めるというくだりでは唖然としてしまった。

「すごく話し合った」のだという。すべてにおいてこの繰り返しだったら・・・。

ちょっとわたしには合わないと率直に感じた。

「日本人は仕事が命」そう言い切る著者。だが、どうだろうか?今の日本で先ほど取り上げた「チル」する若者の存在を知っているのであろうか?まあ、4年前だから仕方ないか。

じわじわと、周りが変化しているかもしれないよね。

自分の親世代の生き方をどこまでも大切にする著者。わたしには「圧」を感じる文面が多かったのも事実。

しかし、何か生き方の柱のようなものを求めている場合には、大いに取り入れるのもいいのかもしれない。

一冊の本から生活規範を学ぶのも悪くはないだろう。

この書籍は2018年刊行された。それから約4年の間にコロナをはじめ、大きく世界は変わったのだから、「今までの生活習慣がすべて正しい」とはとても言えないと感じた。

                 ☆彡

もくじ

はじめに

1章 ヒュッゲなインテリア

2章 おいしい時間のヒュッゲ

3章 心がふれあうヒュッゲ

おわりに

•さて、 簡単レビューを書く

~北欧デンマーク流ライフスタイル“ヒュッゲ”で心地よく暮らすアイデア。

家具・食事・時間の工夫で変わる。

日本で“ヒュッゲ” を感じて豊かに生きるヒントがいっぱいデンマーク+日本の混合ヒュッゲで暮らしをもっと楽しもう~

                ☆彡

徹底的に「心地よく暮す」に注力した本だ。

子育て、パートナーシップ、コミュニティの在り方、仕事の仕方など様々な範囲を網羅している。

しっかし、おしゃれな北欧ばかりじゃないよ!と、小さなパンチを喰らった一冊。

たまには合わない本も紹介したくて登場させた。

興味があればぜひ!