「愚痴を言う友より、一緒に喜ぶ友がいい」
孤独の楽しみは、簡単に言ってしまえば、美味しい物を一人で食べて充実、美しい景色を見に行って満喫、それで心も体も英気を養えれば本望だと。
しかし、人間の心の奥底には承認欲求なるものが潜んでる。家族があっても友達じゃなければダメとか、友達じゃあ自分の子供じゃないしとか、この件ではこの人に認められたいといった、要するにわがままな解決不能な意識の問題になってる。
常に誰かと一緒でなければ!というクセを多くの人が抱える事ともなっているらしい。
わたしが本当の寂しさと孤独を感じたのは、11年前の8月に脳出血で突然倒れ、緊急搬送されて、なんとか一命をとりとめた時だった。ICUの外に続々と集まってきた家族や友人たちの声が聞こえるのだけど、わたしはもう、あの仲間には入れないんだな・・・と、心底がっかりしたのだ。
もちろん、そんな感傷に浸る間もく、体がどんどん勝手にマヒし続けていた。わたしのマヒはかなりひどく、32か所に及ぶ重症だった。それでも元来前向きな性格なので、泣いている暇はない!となんとか早めに退院して、家から毎日バスでリハビリセンターへ通う日々を約半年間続けた。
なぜ、前向きな性格のまま生きてこれたのか?それは、今の仕事に出会って、気のよい同僚に囲まれて、ちょっとボケてる愚痴のない素敵な上司にも可愛がられた事だと思う。なんと10年以上も営業職を続けて来れたのもみんな、上司や同僚、家族がいてくれたからだ。言語障害の残るわたしの営業時には書店側担当者のだいたいが皆、手を止めてわたしの話を耳をそば立てて聞いてくれる。みんな優しい。
緊急入院した時はまだ入社1年。わたしの心境は「あ~あ、もう辞めさせられちゃうんだな」と思っていた。夫を通じて会社には、”倒れた今もこの仕事は天職”と思っていることを伝えてもらっていたが、上司たちが見舞いに来てくれた時は「退社の話だろう」と思った。
ところが意外にも「半年で治せるか?車には乗れるように、電話がかけられるように、文字が書けるように・・・」などなど、細かい指示を出して、それを半年間メールで進捗せよと。わたしの営業先には10名の社員が代わりに営業して支援すると、万全の体制だった。
その時の「治れば仕事を続けて良い」という言葉に、驚きと半年のオフタイム、ただただびっくりしてるわたしに女性の上司が目に涙をためながら、「体を治すことが一番!仕事なんてどうにでもなるよ」と。
わが社にも、何人もこういった厳しい状況を受け入れてもらって今でも、勤務する同僚も割りといるのだそうだ。今回のコロナ休業でもサッとマスクの配給や2か月の自宅待機を出され、安心して、ことの収束を待つのみだった。会社には感謝しかない。
話を戻そう。半年後、復職した事を誰よりも喜んで迎えてくれた上司や同僚たち。ああ、ずっと粋がっていたのはわたしの方、この時ほど心のたがが解れたと思った事はなかった。
自分の身体が動かなくなった時こそ、人の心が透かしたように見える事がわかる。今にして思ってもほんわりする、でも激動の始まりの日の思い出。
それから11年、その女性上司も昨年定年を迎えた。一緒に働けないのは寂しいけど、友情や恋愛、趣味や文化も寂しさというスパイス無しでは、味気ないただの経験になってしまう。
寂しさ=孤独こそが豊かな感性を生む源になるのだと感じる。ついでに1歩進めて考えると、この寂しさを味方につける事が本当に豊かな人生なのだ。
長期休暇が終わった昨日。久々に営業に出て思い出した話。