★2024年7月10日更新 美味礼賛~ワン・プレートの醍醐味と充実感が幸せをもたらす【健康・食エッセイ】

料理は家族のためにするもの・・・独身の頃も結婚してからも、ずっとそう思ってきた。

忙しい時はお惣菜の助けもあり


特に習うこともなく、見よう見まねで食事を作り続けて 早35年〜 週末に一週間分の食材を大量に買い込む。この数年の習慣だ。

買い物から料理の支度、後片付け、あれもこれもこと、食に関してはすべてやるのが当たり前。

残業で疲れていても待っている家族のために急いで作る、これは母親の仕事、これが私の料理観だった。

ひとり息子が25歳で転勤となり家を出た時のこと。私の料理観は一気に変わった。それまでは、何がなんでも手づくりしなくちゃ!っと、勢い込んでいたのが見事に崩れ去った。

疲れて買い物も何もできない時、食材が足りない時・・・今までなら何とかしてでもつくってあげなくちゃ!と頑張ってきたのに、いつの間にかそういう風に思えなくなっている自分がいた。


今では、夫が自分でやってくれるから随分と楽になった。わたしといえば、何も食べずに缶ビール1本で寝てしまうことや、ちょっとグレてちゃんとごはんを作らないことも週に1回はある。

毎月数回、わたしの作る天ぷらや煮物を食べに帰ってくる息子の存在と、もう自分の生活中心でいいんだよと、言ってもらいながらも美味しいものが好きな夫、余裕ができた今だからこそ、我が家の味を追求していきたいものだ。

仕事帰り。今日はお肉!にしよう。

料理って冷静に考えると、最低限の投資と努力で自分も家族や他の人も「幸せにできる最高の技術」だと思う。

 だからたとえ気が乗らなくても、何とかしてもっと料理の幅を広げ、以前のように楽しく美味しいゴハンを作りたいなあ、と思い直した。

今は、帰宅後、荷物を置いたら、すぐに手洗い、うがいして、腕まくりで、そのままお夕飯の支度をする。例えば、帰りに新鮮なお肉を見つけちゃったから買ってきた。すぐにハンバーグを作り野菜をグリルして大人の1プレートに仕上げる。

ただ1皿しか作らない。あとスープぐらいは付けるが、でもこれでちゃんと作った感じがするからよし!とする単純なのだ(笑)

このところ朝晩は1皿メニューを充実させる事で、何とか辛くなく、美味しく乗り切れている。

お料理上手な人、もてなし上手な人は本当に素敵。尊敬する。
上手な人は義務的にやってあげているとかまったく思わないで作り続けていけるのだろうな。

そして、誰もが喜び、唸る美味礼賛。

わたしなどは、この境地には至れない。だから、自分のためにやっているという気持ちに切り替えて自分の体調に合わせて、食べたいものを作ることでいいんじゃないかと考える。


なんだ,かんだ言っても今日もおいしく食べられれば言うことなし!
1皿で相手を自分を幸せにしよう・・・

ある有名料理店のワンプレートを撮る

赤毛のアンを翻訳したことで有名になった作家・村岡花子さんの作品に素敵な食に関する描写がある。ここで紹介する。

~エッセイ・美しくいきるために~

” かさねがさね “  ついこの間のことであった。
或るところへ数人の友だちと招かれて行った。素朴な手料理ではあるけれども、実に心のこもったもので、それぞれに美味がこもっていた。

次から次と心づくしの品が出された時、私の隣のK女史は美しい声で 「重ねがさねありがとうございます。」 と感謝した。

私は飛び上がるように感激した。 「重ねがさね」 とは実に時にかなった美しい感激の言葉であったのだ。


  日本の言葉のほのぼのとした美しさと暖かさを感じたのである。慎ましやかに頭を下げて 「重ねがさね」 と言葉で感謝する。

そしてその言葉は心にくい程の表情を持っている。
                 村岡花子・著