1日を24時間以上にする方法~ゆとりを生み出す知恵と本物の自己投資とは【暮らし・暮らしのゆとり編】

【ブログ更新118回】

● ゆとりってどうやって生み出すものなのか

家に飛んできたコクワガタ。

9月に入り、公私ともどもに大変な忙しさだ。

“もっと昼間の時間があればなあ” とか “何とかして疲労を補いたいなあ” とか毎日思う時がある。

実際には寝る時間を惜しんでまで他のことをやっているわけではない。だんだん歳をとり、体調調整のため、ちゃんと寝る時間は取るようにしている。

反対に昼間のアクションタイムの使い方を工夫して、質の高い時間を生み出す方法を見出したほうがよいのではないかと考えた。

そして、自分の生きる時間の質を高めること自体がゆとりに繋がるのでは?と気がついた。

※ あらためてゆとりとはどういったことなのか?ちょっと調べてみた。

~物事に余裕があり窮屈でないこと。余裕。「経済的にゆとりがない」「心にゆとりを持つ」など~(https://dictionary.goo.ne.jp/word/ goo国語辞典より)

なるほど!今さらながらだが、心の余裕がゆとりという状態を生み出すのね・笑

よく「時間を増やす」という内容の本を見かける。

とはいえ、私たちは神様ではないので、どう頑張っても時間は増やすことは不可能だ。けれど、「ゆとり」ならけっこう簡単に増やすことができまる。

なぜなら「ゆとり」は私たちの心が生み出すものだから。

● ある女医さんの時間奮闘記~ジレンマの克服

ここで、某大学病院勤務の女医さんの時間奮闘記を、とある記事から抜粋しまとめてみた。

 以前、雑誌「GOETIE」の記事に、5児の母兼ドクター吉田穂波さんの ”時間「超」整理術” という取材記事が載っていた。

5人の子供たちを育てながら、医師として大学病院に勤める・・・いったいどうやって生活を回しているんだろう??と興味は尽きない。

その記事の本人の言葉では、「以前の私は常に仕事に育児、勉強と追われて、ストレスばかり。時間の制限から職場では実力が発揮できず、悔しさを感じていたんです」 と。

またこうも言っている。

自分にとって大切な複数のことを、同時進行させるから自己実現の満足を得ることができるのです。例えば、忙しければ忙しいほどやりたいことは増えてくるけれど、時間がなくてできない。そんな状況の時こそが次のステージに大きく成長できるチャンスなのだ、と考えるようになりました」と。すべてのことがらを、丁寧に良く考え、集中的にこなせるように切り替えたことで、ストレスのジレンマから抜け出したのだ。

子ども別のスケジュール管理は夜しっかりと組む。仕事と家事の調整もルーティンで簡単には同じやり方を崩さない。

こういう風にすべてをロジカル・シンキングし尽くした結果、医師としてやりがいのある部署への移動が決まったり、研究が進むなど、悔しさをバネにした思考の転換で一定の成果が出たのはいうまでもない。

なるほどそうか。

悔しさを自分の成長のためのエンジンに変えた時、自分の凝り固まった発想も変わったんだな、と記事を読んでとても納得した。

こういったジレンマのストレス克服法は、わりと誰にでも思い当たるのではないだろうかと考える。

ストレス→ジレンマ→やる気→成果を上げて次のステージへ。要は大局的に状況把握ができるかにかかっているともいえる。

じゃあ、豊かな時間を過ごせれば、1日が24時間しかない!とか24時間もある!とか時間の概念に縛られずに生きられるってこと。

● 実際にゆとりを持つために①すること②しないこと③やりたいことの書き出しが必要

さて、つぎに、時間に縛られずに、ゆとりを生み出す秘訣をお伝えしよう。

① 自分の暮らしを丁寧に司る(すること)

② 無理なことは挑戦しない(しないこと)

③ 自己投資に繋がる良書の読書(したいこと・わたしの場合)

あの仕事をやり切ったら、ちょっと休む・・・と、にんじんをぶら下げた爆走な頑張りが効かなくなる50代。

適度な休みをとりながらの稼働が大事だと思えるようになってきた。1日置きに営業に出るとか。緩急をつけながらやることで、体も心も長持ちするのだとやっとわかってきた。遅いよね。

しかし、緩急つけるとはいっても、適当にやるのではない。どんなことも丁寧にやるのだ。

私は、大の詰め込み屋だが、にっちもさっちも行かなくなった時は、時間の速度を緩めて、物事を進める手を止めたり、思考を絶ったりすることをやる。焦りは何も生み出さないから。

そうすると、自分だけの特有な時間が流れ始める。これこそがわたしのゾーン

要するに他人や外の時間に左右されない、すべて自分が決めて行動する、作業をする、勉強を始めるなど、自分にとって、最重要になることがらをゆっくりと醸造するような時間を取り、せっせと生み出す。これが、ゆとりの正体だ。

その立て役者は本。良質な本を読んで、思考を深めたりするのがことのほか、わたしにはゆとりを生み出すし、時間の幅を広げる行為となる。まさにゆとりそのものなのだ。

また、こうも考える。

時間の長さはかえられなくとも、質は高められる。1分という時間の密度を高めて勉強などに邁進することで、1日は25時間にもなるはずだ。

困難な状況を思い悩んでいても、その時間は取り戻せない。集中して「やりたいからやる」と決めることで、時間の伸びしろが生まれてくるのではないだろうか。

葉山のハーバーにて

ゆとりの正体は、ひとそれぞれ。

人との交流、旅、美味しいものをたくさん食べる、など、趣味や興味に彩られるものかもしれない。

しかし、わたしが考える本物のゆとりって「こころからゆったりしている」という充実感だと。そうなると、わいわいがやがやは違うし、旅もちょっと違う。

人との楽しかった時間、遠くの地で見た絶景・・・そういう人生を彩る行動の後、ゆっくりと、自分の中にドリップする時間のことをゆとりというのだ。

もう、がさがさせず、最優先の好きを存分に味わって、優雅に振舞うことにしよう。

で、何か言われたら「ゆとり中ですけど、なにか?」と返す・笑