【ブログ更新128回】
● 今の自分がどういった成長路線にいるのか、という判断をする方法とは
自分のビジネスや発信活動がうまくいっているのかどうか。
たとえば、このブログは4か月が経ったけど人気になっているのかどうか。
毎日更新しているけれど長続きするかどうか。
こういったことがらは、自分をどこまで深く掘り下げていけるかにかかっている。
また、希望的観測や妄想はせず、具体的な数値でしっかりと捉える。これはとても勇気のいる判断でもある。
わたしだって、数値にビビる時もあるし。疲れていたり弱っている時には、自分のやっている行動の深堀りはできない。
しかし、この深堀りという思考法というか一種の「作業」は、物凄く大事なものなのだ。
なぜかというと深堀りとは、自分が何に興味・関心があって、それは一体どうしてなのか、そのあたりがハッキリしていれば、自分の専門性をブレずに追求していく道筋ができるからだ。
あまりにも当たり前で、シンプルだが、多分、こういうところに成功や成長の鍵があるのだと感じている。
ただ、深堀りの質がすべてを左右する。
秋の涼しさが思考を助ける素晴らしい季節到来。ぜひ、さまざまな角度で自分の深堀りをしてみるとよい。
● もう一歩踏み込んだ思考についての話
わたしは、人の苦しみ、痛み、苦みを伴う記事や作品、文章になるだけ触れないようにしてきたし、今でもそうしている。
自分がどう思われているのか、とかもエゴサーチなどはまったくしない。それは、人の痛みや苦しみ、妬みや誹りをわざわざ、自分の思考の中に刻む必要はないから。
一度、刻んでしまうとなかなかそういったマイナス思考が消えない状態が続く。今でも、本当に読まなかったほうが良かった本など無数に存在する。
わたしの興味のほこ先がこんな残酷な物語を引き出したと、信じられない気分になった作品「カラ―パープル」原作、アリス・ウオーカ―(アメリカ作品)を紹介する。
【映画 カラーパープル 概要】
1985年アメリカ映画。アリス・ウォーカーのピュリツアー賞受賞作となった同名小説をスティーヴン・スピルバーグが映画化したヒューマンドラマ。
20世紀前半を舞台に、父により引き裂かれ数奇な運命を歩んだ黒人姉妹の40年を描がく。大人になった主人公セリーはウーピー・ゴールドバーグが演じて話題となった。
【カラーパープル・ 書籍からのミニレビュー】
1909年、アメリカ・テネシー州の田舎町。
14歳の少女セリーは父から性的暴力(近親相姦)を受け、望まぬ妊娠をする。
やがてセリーは女の子を出産するが、セリーは我が子を一度も抱くことなく父は赤ん坊を他の家に売り飛ばしてしまう。
しかも、実の父の子どもを2度も産む羽目となる。地獄の少女時代。
ここまでの間にも、物語の中では信じられない壮絶な親子関係が4姉妹にはずっと続く。朝から晩まで過酷な労働と父親からの暴行。
父親との間に生まれてしまった子どもを森に捨てる鬼父と、夫の非道を見て見ぬふりを続ける母親。4姉妹はまさに奴隷だった。
夫の娘たちに対する性的暴力に、衝撃を受けたセリーの母は病気で、程なく亡くなり、父は新しく若い妻を迎える。
1916年。成人した主人公セリーは精神的にも強くなり、黒人女性の人権に目覚めて行く姿は印象的だ。
黒人男性は白人から差別され、黒人女性は白人と黒人男性からもひどい差別を受けていた。
長い歴史の上で、黒人女性には生きる権利すら成し得ない、奴隷として生きるために生まれてくるのだ。
という物語だ。ただ、一筋の光は、主人公が自分の環境に悲観せず、母親のような傍観者にはならない!と立ち上げる強気な女性像で描かれていたことだ。
しかし、読んでしまったわたしは、しばらくこの物語が頭から離れず、苦しんだ。
あまりに、壮絶な内容だったからだ。
先日もあるサイトで、子どもを産むことを諦めた・・・という記事があった。しかも、実話であるその話は途中から、サブスクリプション(有料記事)となっていた。
自分の重大事をこんな形で売るのか?
書き手の精神が病んでいるようにも思えた。
しかし、その記事に興味を持って買ってくれた人が、記事を売った彼女の本心や、なぜ諦めたのかなど、気持ちを共有されることで彼女はきっと癒されるのだと、思い直した。
苦しい、痛い、辛い、逃げたいは、誰にでもある、一種の成長路線そのものだ。それをどう受け止めて、どう乗り越え、今後の仕事やライフワークに活かすかは人それぞれ。
これを書きながら、本当に「人」って奥深い生き物だなと、感じた。
こういった、目を覆いたくなるようなことがらにライフテーマが眠っている可能性があるものなのだ。
ライフテーマとは、人生の目的にも通ずるものであり、一生をかけて向き合っていく課題やテーマみたいなもの。
ライフテーマにフルコミットしているうちに、本業の仕事になったという話もわりと聞く。
だからこそ、追及していくのもいいのかもしれない。
でも、ビビりのわたしには、ちょっと無理・笑