【ブログ更新151回】
「なぜゴッホは貧乏でピカソは金持ちだったのか?」山口揚平・著(ダイヤモンド社/2013年版)
「1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法」山口揚平・著(プレジデント社)2冊をこの週末に読んだ。
驚きなのは、1冊目にはタイトルのピカソの話は一切出てこない。
2冊目、3時間だけ働く具体的なやり方は最後まで、どこにも書かれていなかった。
ちょっとお~~、タイトルから内容が連想できない、誇大表現じゃないの!?っと、いぶかしい面持ちで読み始めた。
著者の真骨頂というか、著作の目指す意図はここだ。「読者に考えさせる」
わかった!よ~く考えてみるよ!と、難しいディケンズの話とか居眠りしながら読み切った・笑
では、まとめてみよう。
【本書2冊の概要と説明】
1、なぜゴッホは貧乏でピカソは金持ちだったのか
本書で、一般的なお金へのイメージを良くも悪くも新しい目線で読み取れる。
例えば、お金がなくても価値を交換できる→この発想は現在でいえばメルカリかなあ。
自分には価値がなくなったモノをメルカリの様な「金銭」を介しての「仕組み」に流通させる。なかば物々交換みたいな古来からある方法に、取って代わっただけなんだろう。
著者の山口揚平氏は、こういった物々交換的なネットショップ、仮想通貨、インターネットのフォロワーなど、何でも金銭価値、より経済的な目線で時代の先を読んで執筆されているようだ。
過去に外資系M&Aコンサルタント会社に勤め、現在は独立して新しい複数のビジネスの試みを行っているそうだ。
本書では、お金の持つ本来の意味、また在り方について、過去~現在、そしてこれからの日本や世界の状況を見据え、考察・実践している事がらをエッセイとしてわかりやすく書かれている。
近年インターネットの発達と、金融システムの IT化によって、お金の在り方はスピードアップ、より抽象化し、流動的になっている。
資産運用術に長けた大手外資大資本はそれにいち早く気づき、他国の経済に踏み込み一部は大儲けし、その他大勢は損を被る歪んだ経済状況になってしまっている・・・と、著者はいう。
前半では、その歪みとはいかにして生み出されたのか?わたしたちがやり取りしているお金の本質とはなんなのか。
お金の何が価値を創造しているのか、それらについて自身の体験談も含め、丁寧にお金の本質、在り方について解説している。
後半では、お金の本質を定義した上で、お金を用いて事業を行うとはどういう展開なのだろう?そして、それは人々の幸せといかに関連してくるのか、を解説。
つまり、生きる事とはなんなのか。
結論は『生きる事とは創造する事』
ここでやっと、芸術家を使ったタイトルの所以が出てくるのだ。
しかし、ゴッホとピカソをタイトルに使い、「その由縁は創造」そこに着地して、独自の論理を繋ぐ一連の流れはとても明快だった。
まあ、ちょっと思考の回路がめんどうくさいタイプかも・笑
働く事に例えようのない疑問や、不安を抱える人に最適な一書だ。
それで、この著者が書いていたのが、SNSのフォロワー数を経済価値として強烈に認めているのだそうだ。
今では、SNS関連の会社が増え、フォロワーを大量に持つインフルエンサー(ネット上で影響力を放つ人)を雇うのだ。
ちなみにわたしの勤め先でもフリーランスのインスタグラマーやユーチューバーが働いてくれている。本の解説に戻る。
例えば、こんな文章に出くわした。
2013年当時「SNSは個人の信用を格付けするインフラになる」と、未来展望的に記されていた。
まさに、2020年の現在はその通りになった。(と本書には書かれている)
そして、さらに付け加えると、「フォロワー数とつながりの密度は偏差値として換算され、個人の時価総額や時間単価の計算に利用される」と。
もう、この一文にびっくり!だって、ちょっと前までSNS自体を遊びの延長というか、通信機器を使って繋がり合う、そうね・・・やっぱり遊びだと思っていたのだもの。
どんなに「大事」なSNSであっても、どこか真剣に向き合うのではなく、軽くストレスにならない程度がいいと、今でもちょっと思う。こういう思考が甘いのかしら?
よって、フォロワー数の価値とかって確かに人の数だけれど、リアルに個人の時価総額に触れたり、偏差値に置き換えて考えるなんて思考は、まったくなかった。(わたしはね)
※偏差値とは何者?/https://www.youtube.com/watch?v=-0cwkyEhkqI
2,1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法(プレデント社)
※ かなり仮想でシュミレーションされた近未来の話がすごかった。
もう一冊は、概要ではなく、本文から、どれくらいぶっ飛んでいるか抜き出してみよう。
未来予想的に、「フォロワー数が3000人以上いないとこのイベントには参加できません」といった、大学入試センターが試験対策の足切りに利用するようなことが、様々な場面で見られるようになるだろう」って。
「へっ?」
「何それ?」
「SNSとかの数基準を入試に持ち込むか?」って、疑心暗鬼になった。
確かにちょっと前までは、こんなに中学生や高校生がSNSにいたっけ???というほど爆発的に増えている感じ。
わたしのツイッターやフェイスブックでは「高校生や中学生」はフォローしないように気をつけている。そのあたりに対しての分別は持っている。
しっかし、今の高校生や中学生が一心不乱にフォロワーを必死で増やしているのはなぜ?
上記に書いたような、フォロワ―数がその子を決める基準値になっている場面があるのかな。そうだとしたら歪んでる~。
彼らが何と戦っているのかちょっと知りたくなった。
今では、ツイッター、フェイスブック、インスタグラムなどで、個人の信用残高なるものが計れてしまうらしい。
でも、そんなことはまったく思考の先にもなかった。
わたしが、ある意味本気でコミットしている「ブログ」は資産価値としてはとても高いものだそうだ。(本書から)
例えば、現在では、就職活動で個人ブログを上手く使って履歴書に花を添えるアピールポイントとして活用している学生も多いと漏れ聞く。
まさにブログ履歴書だ。
文体からその人なりが見え、嘘や偽りは一切書けないから、かえって信憑性があるということだそうだ。
また、反対に大学入試や就活時にすべてのSNSアカウントを抹消する学生も。
単なるコミニュケーションツールが、生きるための生活インフラに取って代わった。
今後、それを使うユーザー側のリテラシーが整っていなければいけなくなった。
取り留めなく書いたけれど、誰かが、いっていた言葉を。
人間の不幸には2種類ある。それは「自分に降りかかる不幸」と「他人に降りかかる幸福」だと。
SNSはこの2番目の不幸を誘う。
最後に、パスカルの言葉を。
「幸せとは物量のことではなく、一体性のことである。人と心がつながった時、もしくは期待と実態が一致した時、人はこの上ない幸福感を感じる」
(2800文字)