ウォ―キングを愛する理由~基本に忠実になれるから【健康・ウォ―キング】

【ブログ新規新規追加208回】

己を追い込む効用とは

先日、あるブロガーさんの記事に、はっ!と、させられた。

彼は31歳。現在、海外に住んでいる。年収数億。仕事はプログラミング、ブログ執筆、複数のコンサル事業。ちょっと有名なYou Tuberさんだ。

完全なフリーランスでありながら、優秀な数少ないメンバーとチームで仕事をしている。新しい仕事の仕方。

ともすると、デスクに座りっぱなし。気分が落ち込みやすいので、タワーマンション内にあるジムでトレーナーをつけて筋トレを週に5日続けている。特に足のトレーニングに注力している。

トレーナーの言葉に「昨日の疲れを残したまま、次のトレーニングメニューに入るが、彼はまったく不平不満を漏らさない」と。

黙々と筋トレで自己修行されている様子が短い動画になっていた。

動画を観て、ああ、これはいいな・・・と、一瞬で感じた。己の限界に挑戦することを、心から楽しんでいるという感じだ。

さしずめ、わたしの場合はウォ―キングがこの部類に入るのかな?

たんにカラダを鍛える目的だけではない。ウォ―キングの持つ効用は、このようにある。

厚生労働省によると、「ウォーキングとは、長時間継続して歩くことで有酸素運動ができる手軽な運動である」と定義している。

また、「継続時間が長くなるにつれて脂肪をエネルギーとして利用する比率が高まるため、体脂肪の減少による肥満の解消や血中の中性脂肪の減少、血圧や血糖値を改善する効果が見込める」と言われている。2020/7月の記事より

仕事でも本当に良く歩く。それで、週末には近場をwalkingtrailしに出掛ける。今では趣味に格上げしたわたしの「歩く生活」だ。

これが基本のカラダ作りとしての運動になっている。地味だけれど、一生続けて行きたい大切なものなのだ。

※ 写真は森の中。枯れ葉の絨毯で埋まる木道。

ささやかな「歩く生活」を取り入れて

お天気の良い12月初旬、近所の都立小宮公園にwalkingtrailと写真撮影に出かけた。

今日も外では19℃と少し歩くと汗ばむ陽気の中、真冬が来る前の紅葉の見事な佇まいに圧倒されながらカメラに収める。

森林の中を縦横に張り巡らされた木道は足に優しく、そこに落ち葉が沢山!踏みしめながら、枯れ葉の布団の優しさに触れ、思わず癒されてしまう(笑)

日ごろは毎日が街中での仕事ばかりだから、こうした自然の中に身を置くことは、わたしの生活にはもはや食事を摂る事と同じくらい大切で、はなくてはならないものになっている。

また、少し歩くと多摩川の支流である浅川に出るのだが、この河川もわたしの大切な散歩コース。

河川敷きでは、野鳥の撮影隊がいつも大勢で陣を張って野鳥の撮影に専念中だし、場所をうつせば、トランペットや太鼓などの楽器の練習をする人たちや、燻製作りに精を出している人もいる。

 さまざまな人の営みを眺めたあとは、銀杏並木を歩きながら街へ出るのがいつものコース。わたしの住む街は銀杏の街なので、どこに行っても黄金に色づいた銀杏の紅葉が美しい。

父が生きていた頃は千人町の銀杏並木の下で、何度も銀杏拾いをやった。

あの強烈な臭いも幼い頃の郷愁になっている(笑)帰りにすすきを摘んで、家の唐津焼の花瓶に挿すのもわたしの仕事だった。

47歳で若くして亡くなった父との思い出は、あちこちの自然の中での思い出が多い。

「歩く生活」は、頭の中を整理して次へ進む大切なトレーニング

こんな自然の中ではすべての命が輝いて見えるものだ。そんな輝きに触れた休日は心がフラットになれるだけでなく、大切な何かを心に刻んでいるかのような充実感に包まれる。

四季は常に移り変わり、川の水も留まることなく流れる。これは普通の風景だが、それらに凄むものたちは無心に命を全うしている。

翻って、わたしはどうなんだろう?と思う。

つい、変わることを恐れたり、悔やんだり、一つの事に囚われたまま立ち止まってしまったりしてしまいがちだ。

日々の移り変わりをこの目で確かめながら、「諸行無常」で、生命を守る水と風と空気をしっかりと感じて生きたいと願っているの。

最小限の備えで、自然そのまま受け入れて楽しく暮らす。ウォ―キングで得た、大地に刻まれた地球のドラマを見るのが理想だ。

近くても、ちょっと非日常の場所に自分を置く。その小さな旅のある風景が、この上なく愛おしい。

自然のありように癒され元気づけられて、「明日も精いっぱい、頑張ろう!」と、いつのまにか活力を貰えるものなのだ。

ーーー身近な自然、万歳だね。