野暮と粋について、ちょっと語ろう【仕事・江戸っ子論】

【ブログ新規追加400回】

粋な人が要領よくエネルギーを使う様は、清々しくストイックとは無縁だ。

一方で、「こうでなくてはならぬ」と、自分をがんじがらめにするほど、野暮ったくなる。

粋について語るとか言っても、わたしは生粋の東京多摩地域の出だ。

江戸っ子とは程遠い。

要するに気をつけなければ野暮がついて回るのを良~く知っている。

今回驚いたのは、この歳になって「野暮」を調べてみたら、あなた!恰好がわるいことやダサいことじゃなかったのよ。

野暮・・・わからず屋で融通の利かない人だと。そう言う人を指すのであって、同意語には「無粋」とあった。

無粋は、気の利かない人のことだとばっかり思っていた。

でも、わかったのは、「わからず屋で融通の利かない人」が「素晴らしく気がつく」なんてあるわけないじゃん!って腑に落ちたのだ。

一方で「粋」とは。これまた調べてみたのだ。

・・・さっぱりしていて、気立てが良く、あか抜けている様だそうだ。また、人情の機微に通じ、さばけている人柄とも言える。(話からズレるので色気については省く)

こりゃあ、野暮は絶対、粋には敵わないよ(笑)

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さて、今の仕事を始めた時の上司の話をしよう。

わたしが、今の出版営業に転職したのは13年前。採用下さったのが、当時33歳の若き、営業部リーダーだった。(長身でちょっとイケてる・笑)

上司となって、わたしが担当することとなった地域へ同行営業をしてもらった。

上司は、生粋の江戸っ子だと聞いた。「ええ~~っ?ってことは、ちゃきちゃきの?短気な性格ですかあ?」と、聞いた覚えがある。

しかし、上司の営業センスは「ちゃきちゃき」どころか、人情を巧みに利用したどこか温かみのある心情を伴う行動の連続だった。

わたしは、その江戸っ子らしい「ちゃきちゃき」がどこに現れるのか密かに楽しみにしていたのだが、物腰し低く丁寧に書籍の説明をしたら、相手に自分のペンを渡して、ボードに置いた注文書に注文数を記入してもらう。

その間中、ボードを支えて持ち続けるのは上司だ。

膝まづくわけではないが、相手にボードなど持たせず、サインだけを頂戴する執事みたいな作業をする上司に、心の底から驚いた。

上司は、そのあとで、「今日はこれでOK。一日で全部刈り取ろうとしないのが大事なんだ」「相手を思うならガツガツしちゃあダメだ」と。やっと江戸っ子らしい言葉が聞けた。

客先の都合もある。しかしこちらだって売りたい。このせめぎ合いになるのが営業の常だ。

いつも、ギラギラ、ガツガツは本当に嫌われる。8割は相手思いで、2割を頂くようにすれば、嫌われず気持ちの良い商談ができることを一瞬で教えてくれたのだ。

ガツガツすれば「野暮」だとね。

これは、意外なほど、わたしの営業センスの柱となった教え。

粋な江戸っ子上司は、今では部長となって輝いている(笑)

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で、「やりすぎ」や「無理」や「不自然」が野暮だと、気づく前にそれまで充分過ぎるほど、仕事も生活も「やり過ぎて」いた私は、案の定、病気に倒れた。

それでも、安心して休めるように、半年という長期休暇を社から頂いた。

その時、心から誓ったのは「もう、野暮はしない」と。

野暮なことはしない。

野暮なことは言わない。

野暮を避ければ、そこにはちゃんとした、生き方の基礎が築かれるのだろう。

そうして、野暮を手放したことで余裕が生まれたところに、ほんの少しの大人のムダ(トレンドなど)という遊び心を入れて楽しめるようになったのよ。

これこそが、粋なんじゃないかしら?