【ブログ新規追加408回】
作法のきれいな人に出会った。
その様は、わたしの笑顔に対する固定概念をガラガラと崩していったのだ。
笑顔・・・これって、普通の行為でしょ。でもたまに、驚くほど輝く笑顔(破顔)を向けられたことが幾度かあった。
破顔とは・・・硬い表情が笑顔に一瞬で変わることを指す。顔をほころばす・にっこりする・笑みがこぼれる・白い歯を見せる・口元がゆるむ・・・など。資料先→https://thesaurus.weblio.jp/content/Webio(類語辞典)
笑顔が作法になる?そうなんだ。美しい笑顔に出会った時、人は(すくなくともわたしは)感動し、胸襟をひらくものだ。
そして考える。
どうしてあんなに素敵な笑顔を作れるんだろう?と。
わたしもそうなりたい。自然で美しい笑顔を手に入れたいと痛烈に願った。
もちろん練習もしてみた。
自分の顔のくせを良く知っていないと、笑顔ってそう容易くはできないという。
それでも、ピアノ教師をしていた頃は「優しい笑顔」だったらしい(生徒の親御さんからよく言われていた。
でも、ちょっと破顔とは違う。
~貴方に会えてわたしは心の底から嬉しい!~という気持ちを一瞬で表現できる破顔は、最高の武器ともいえるんじゃないだろうか。
ああ、今でも憧れる破顔の作法だわ(笑)
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以前のブログにも作法の心得を書いたので、全文掲載する。
「作法とこころ」2015年6月24日Life toer21stより
我が家の今年初もの朝顔。
一度のお辞儀で、人の心を捉える、そんな場面に出くわしたことがある。
その女性は仕事先の所長をされていた40代の独身女性で、正月あけの仕事初めにご挨拶に伺った時のことだ。
お決まりの新年の挨拶をした私に対して、80度の美しいお辞儀を深々とされてから、ゆっくりとだが、しっかりとこちらの目を見つめて、「今年もどうぞ宜しくおねがいいたします」 と言われた。
その間数秒だったが、一生忘れられない丁寧で美しいお辞儀を下さった方だった。
人を大切にすること、思いやることは何も難しいことではないのだと思う。
謙虚な気持ちや振る舞いを、言葉や仕草で表現する。
基本は、「人さまにとって見苦しくない」 ように立ち振舞うことだと考える。
つくづく、「余韻の残る女性」になれたらなあ と感じるこの頃である。
思いやりと優しさで忘れられない女性がもう一人いる。
私の初めてのピアノの先生だ。
6歳でピアノをはじめた時、近所に先生はいなくて、親戚のそばにあるお教室をおばに紹介してもらった。
バスに乗って15分ほど行ったところだった。先生は、ちょっと太めだが笑顔が素晴らしく、オペラ歌手だったので声も素敵だった。
レッスンはきびしかったが、終わるといつもソファに一緒にすわり、バスの時間までお話をしたり、暑い夏には冷たいジュースを用意してくれ、いつも必ずドアの外までお見送りをしてくださる、それはそれは、優しい先生だった。
私もいつか先生みたいになりたいと憧れて、一生懸命ピアノに通った思い出がある。
「松平家 こころの作法」を読んだ。
簡単レビューと読後感
簡単レビュー
「本来ならお姫様であった人の礼法は、現代の若い女性への最高の贈り物になるだろう」櫻井よしこ(ジャーナリスト)推薦の書。
徳川270年、一流の気品から生れた幸せを呼ぶシンプルな教えだ。必読は、心の整えかた、人付き合い、美しい所作、愛される秘訣。
世界一美しい自分磨きをしよう。
読後感
作法のこころとは、正しいと思う物差しを自分の中の軸とすることである。
こころに自分の軸を持っている人は、いざという時に強い。こう生きるという信念、守りたい人やもの、誰にも攻め込まれまいとする強い心が 「自分軸」 なのである。
「自分軸」を持つと、どんなに辛い状況にあっても ”踏ん張れる力” が湧いてくる。
「自分はこういう人生を生きたい」「ここまでは許せるけれど、ここからは譲れない」 という自分の城をつくって自分を守るのだ。
今、豊かで便利な時代になったからこそ、礼節と作法の大切さをひしひしと感じている。
丁寧な言葉づかいや謙虚な振る舞いが自分を鍛え、幅のある人生を送ることができる唯一の武器ではないかと思う。
さりげなく、清々としていて、美しい言葉、思いやりのある振る舞いが自然と出てくるようになりたいものである。
きっとそんな場面で普通に振る舞えたら、手にはとれないけど最高の宝物が手に入った瞬間なのだろう。