【ブログ新規追加474回】
今回は、エッセイ仕立てで、本の紹介(2冊)を入れながら、50代の関心事「定年後の仕事」について考えてみた。
村上 龍/著『55歳からのハローライフ』幻冬舎
『55歳からのハローライフ』発売された2014年の頃、わたしは丁度50代への階段を上った。
それからの日々の速さったら、信じられないほどだ。
まず、体力の衰えには愕然とした。唯一の支えは仕事があったことだ。
また、女の人生は家庭(夫&子ども)だけではないと実感したのもこの頃。
しかし、何かを天秤にかけるようなあざとい考え方は、歳を越えるたびに無くなっていった。
結局50代後半に入り、人生の重要なキーポイントは「生きがい」や「信頼のおける人間関係」「健康」の3つだという考えに至った。
55歳は果たして若いのか?
わたしから見れば十分若いよ(笑)
•『55歳からのハローライフ』簡単レビュー
晴れて夫と離婚を果たす主人公 ・中米志津子(55歳)
経済的困窮から結婚相談所で出会いを求めている。
そして、もう一人の主人公・富 祐太郎(55歳)は会社の早期退職依頼に応じて、長年の夢だったキャンピングカーで妻と旅をする計画に余念がない。
しかし、その夢もあっけなく妻から拒絶されてしまう。拒絶の理由は「早期退職をして無職となる」夫を案じてのことだ。
みんなため息まじりで必死に生きている。
ささやかだけれども、定年後、もう一度人生をやり直したいひと達の背中に寄り添う「再出発」の物語。
読み終えた時、感動の嵐となるか?パラパラ小雨か?
• 一文を取り上げる
定年後、老後に訪れる困難さは一様ではない。経済的格差を伴って多様化してくる。「悠々自適層」「中間層」「困窮層」など格差は様々だ。だが、すべての層に共通することもある。それは、その人物が、それまでの人生で、誰と、どんな信頼関係を築いてきたかということだ。「信頼」という概念をこれほどまでに意識している現在なのである。村上 龍
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さて、定年後にどんな仕事を続けるのか?
これは、わたしの場合は未知数でしかない。
だいたい、己の身体の状況がどのように変化するかが分からないし。
40代の頃、夫の知り合いの紹介である社団法人のお手伝いを1年間やらさせて頂いた。
業種はエコリサイクル事業(エコ素材でできたカップや皿の提供。イベントなどで出る紙コップ、紙皿の需要を減らすのが目的)だ。
NPOへのステップアップのために10人の理事が互いに資金を出し合って運営されていたが、会の目指す目的やビジョンなどから結局、NPOではなく社団法人に切り替えて運営された。
わたしは1年活動をするも、正直、NPOや法人を立ち上げるなどの事業にはあまり関心が湧かなかった。
しかし、世界的にはソーシャルビジネスという革新的発想のビジネスが登場していた。
ソーシャルビジネスの生みの親、ムハマド・ユヌス氏(グラミン銀行・貧困者救済活動でノーベル平和賞受賞)著書に「ソーシャル・ビジネス革命」がある。
ここでソーシャルビジネスの目的を確認しておこう。
「ソーシャルビジネスとは?」
環境問題や貧困格差などの社会問題を、ビジネスの仕組みを応用して解決を図る新たなコンセプト事業。
平たく言えば、経済的な持続性を保ちつつ、営利活動や企業の社会的責任活動(CSR)も、もちろん伴うものだが、「損失ゼロ」「配当ゼロ」で運営され、NPOやNGOとも異なる革新的なシステムを構築した。
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定年がちらつく50代に向けて書いてみた。
人生の後半に入って家庭も、子どもの入試(や結婚)も、更年期も、親の介護も、み~んな一通り経験済みだろう。
そんな経験豊富なあなた!ぜひ、自分に問いかけてみて。
「定年後、あたらしい仕事につけるか?」と。
社会貢献事業は、比較的門戸が広く定年後であっても始めやすいそうだ。専門的な技術があればなお良いのであろう。
しかし、それ以上に大切なのが「利他の精神」だとも言われている。
ソーシャルビジネスの生みの親、ムハマド・ユヌス氏もこう言われていた。
「利他の心を忘れずに、その事業自体を何より楽しむことだ」と。
一生の仕事を見つける喜びは何も若い人の特権ではない。
わたしも未だ模索中(笑)