【ブログ新規追加476回】
この数年、特にコロナ禍で変化した「己の気持ち」を書いてみた。
50代に入ってから3年の間、ブックレビューライターを仕事でやっていた。
それは「本を読んで内容をとりまとめる」という仕事。
自分の感想は一切書かない。というか「本の内容」をわかりやすく書くのがお金となる部分で、個人的な感想はまったく要らないものだ。
ライター3年間のわたしの読書スタイルは、読書そのものを楽しむのではなく、「アウトプットがメイン」の仕事脳読書だったのだ。
それは、本を読み終わってからが「勝負」の世界とも言える。
その本のタイトルが示す場所(急所)を見つけ、急所を中心にそれこそ「秒で内容を書き起こす!」という技を身に着けた。
では、今はもう仕事(お金を目的とした)で文章は書いていないから、本を読む気も、楽しむ気も、うせちゃったのか?
答えはNOだ。
さらにどんどん読みたい本を手元において読み続ける日々。まるで点滴で栄養を注入するかのように。
「仕事じゃなければちゃんと読まない」という人間にならなくて良かった。
コロナ禍という行動制限は、わたしに読書をより楽しむ「本を真読する」という絶大な機会を存分に与えてくれたんだ。
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一方、コロナの影響で仕事先は減少を続けてきた。営業が営業先を失う・・・
この状況がじわりじわりと、わたしの気持ちを苛んだ。
行動制限というか見えない制約の中で、営業活動を自分なりに最適化するしかなかった。
また、行動制限の中で一番苦しいと思ったのは、「自由に遠くへ行けない」という制約だとも感じていた。
窮屈さも2年を過ぎて慣れてはきたが、まったく不完全燃焼極まりないものだよね。
旅が最大の趣味だったわたしの「いじいじとした気持ち」をいなしてくれたのは「本」と「里山を歩くトレッキング」だった。
いつ取り組んでも、必ず「ゴール」という景色が現われる。この素晴らしい趣味=生きがいが、わたしを心底救ったのだ。
もう、遠くに行けなくても、お酒が外で飲めなくても何でもない(笑)
わたしには「本」と「トレッキング」がある。
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夜は早めに寝て、早朝の散歩から一日をはじめる。
一日の中にはリアルに人と会い、話を楽しむ時間があったり、オンラインで人に会うこともある。
コロナで少なくなった仕事も愛おしく丁寧にこなし、夕方にはこうしてささやかな文章を書く。
寝るまでは、ずっと読みたかった本をやっと手に入れたので、それを堪能する。
しかも、今月は家中のモノをぐっと減らし早めの大掃除が終わった。秋の大掃除、これはイケる!
コロナ禍でもたらされた多様性を自分らしく最適化すれば、案外毎日が充実するんだなあ~と、実感している。
こうして、わたしの暮らしも最適化のおかげでどんどんシンプルになり、たくさんの本を読むことで多様性を磨き、街や山を歩く日常が健康を保つと。
書いてみて、楽しいことしかない!って気づいた。
良かった(笑)