【ブログ新規追加526回】
日常には色々な不公平がある。例えば順番待ちの列に平気で横入りしちゃう人とかいる場合。
この時、一言、言えるか?まあ、いいやと、許せるというか見逃すか。
ともすると他人の正義感の問題に片づけられそうだが、不公平に直面した時の反応は、意外なほど心の奥底に残ってしまうと、最近気が付いた。
不公平に感じる振舞いを受けた時のとっさの判断は様々だ。
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もう6~7年前のこと。
秋の紅葉が素晴らしい風光明媚な場所での飲み会だった。久しぶりに会う男女の仲間たち。年齢も様々だった。
その日、その宴会も終わりの頃、中心的長老が、「今日の飲み代は割り勘で!」と言った。わたしは「はあ?」と、一瞬たじろいだ。
だって、わたしはみんなを車で乗せてきたんだ。(もちろん宿まで送るつもりだから帰りも車)要するに一滴も飲んでないのよ!
だけれど、その場の雰囲気で覆せなかった(言えなかった)のだ。その心は「いい歳をしてお金払いの悪いヤツ」と、思われたくなかったのだろう。
わたし以外の人たちは、新潟の地酒と囲炉裏焼きが美味しい店で、「鳥海山!」「八海山!」「越乃寒梅!」とかを飲みまくったじゃない。
それを見つめていただけのわたしの気持ちはどーなるの?みんなの酒代込みで割り勘だと!あまりにも不公平でしょ(泣)
しかも、その長老、「一番若いメンバーの男子(といっても30代後半・笑)は1000円でいいよ!」と、のたまう。
それに関して、その場にいた酔っ払いは誰も異議なしでスル―。
こんなことってある?
あとで、わたしの後悔はMAXだった。どーして「割り勘に異議あり!それぞれで会計!飲んだ人の分は払わない!」と、言わなかったんだ!
自分の勇気のなさにがっかりした夜。
あれから、そのメンバーと卓を囲むことはなく、平穏で常識的な日常が続いている。
しかし、日常に転がっている不公平の影は、たまたま表に見えないだけなのだ。
いつでも言い返せるように爪を研いでおかないと!と、たま~にこの苦い話を思いだすのよ。
こうしてブログに書き残しておくことで忘れないんだ。
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この話にはこの言葉が合う。「是々非々」だ。簡単に訳すと、「立場にとらわれず良いことは良い、悪いことは悪いと判断する」という意味になる。
中国は筍子(しゅんし)の言葉。
少し丁寧に解説すれば「是々非々とは、善を善とし悪を悪というのを「智」といい、善を悪とし悪を善とするのを「愚」ということ」となろう。
まさに、割り勘の不公平さをその場で正さなかったわたしの取った行動は「愚」極まりないというわけだ。
「正直者はバカを見る」・・・で書こうと思った話だが、「是々非々」が本質だと気づいた。
少しは日頃の勉強が身についてきたんだと実感するよ。
ちゃんちゃん(笑)