【ブログ新規追加770回】
社会の中で、小さな歯車として汗水して働く・・・これって普通のことでしょう?
ただ、その中で「我を忘れて夢中に取り組んでいる仕事」がある場合、時おり、びっくりするような成果を上げることがあるのだ。
少し前の記事に書いたが、今年、年頭から関わってきた新規事業の四半期売り上げでTOPを頂いた。
さらっと書いたが、毎週毎週、ワクワクとドキドキが続くエキサイティングな売り場を任されてきた。(社長自らがデータを集計下さり関係者のみの共有)
当人のわたしにしてみれば、どんな形であれ売り上げに多大な貢献ができたことは、ここまで14年間「根気よくやって粘り勝ちしてきた営業スタイルの昇華」だと思い、一人感慨に浸る一週間だった。
でもね、あまりうまく行き過ぎると、どこか不安になるものだ。
「こんなこと、続くハズがない」とか、「2年目はない」とか。
こういうことを言ってしまわないようにしたい。
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で、本題だが「何かをやる時や始める時、上手く行かなくてもいい」というある意味、肩の力を抜いたスタンスもありかもしれない。
はじめっから上手くやろうとしゃちこばると、思い切った行動に出られなくなったり、体が動かなくなったりするものだ。
しかし、だからといって、「2番手でいい」とか思ってやってはいないだろう。
誰でも、「ここで一発しっかり結果を出して成果につなげたい!」と、強く願うのが心情ではないだろうか?
そう、上手くできたっていいのだ(笑)
しかも、それが仕事だったりすれば、思いっきり稼げたっていいわけだしね!
注意しておかないと、私たちは自分で自分の可能性に勝手に蓋をしていることがあるのだ。
本当は何メートルもジャンプできるポテンシャルを持ったノミが、しばらくガラスのコップに入れられていると、高く飛べなくなるみたいな感じ。
自分を低く見積もりがちなくせをみんな持っている。それが、謙虚の美徳というわけ。
それでも本当に上手く行った=成果に繋がったことって、絶対に明らかに証明されていくものだから、上手く行った許可を自分自身に出してあげよう。
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さて、「上手く行った時は自分自身を褒め讃えよう!」と話たが、ここでちょっと他人の心情について触れてみよう。
成果を出したことって、他人がみんな喜んでくれるわけじゃないよね。まるで、上手く行った人にいい感情で褒めたりするのは「損!」みたいですらある場面はとても多い。
本当に不思議な「感情」に支配された関係なのよね。 人間の心の在り方は。 しかも、それが時おり「感情」ならぬ「損得勘定」に傾くこともしばしばある。
だから、わたしの成果を見て、ある方は「新規事業は2年目が大事!」といい「初年度は売れるんだよ」と。
ある意味、人の成果には冷酷な態度を示されたりするが、わたしはそんな時、「悪いお手本」だと思うようにしている。
だって、その方からすれば、心情は「損得」に支配されているんだろうから。
「損得」が、己の行動範囲を狭めているのに気づけないだけだろう。本当にモッタイナイ。
成果を出した人には「損得勘定」抜きで、褒めたり励ましたりしよう。
この行為の素晴らしいところは「何の見返りも求めない行動や発言にこそ、ちゃんと返ってくる」
だから安心して人を讃えて行きたいものだ。
「人を讃えること」は1円もかからないんだし、なにしろ相手の人生の一部に関われるし、場合によっては次の展開を見込める行為だ。(選挙の一票と似てるかも・笑)
そうして、一緒に「大きく」「上手く」いくようになって行けるのだとつくづく感じている。
しかし、本当に大事なことって、勘定が役に立たない無償の行動の中にあるんだ。
そのことを知っているだけで、わたしは満足だ。