「HIROSHIMA」 故郷を思う日【暮らし・77回 原爆の日によせて】

【ブログ新規追加797回】

わたしの本籍は広島県大竹市新町。

でも、一度も住んだことはない。

夫と出会い、結婚が決まった時、夫の両親から「本籍を東京から広島に移して!」と言われた。

言われるままにそのようにして、早や38年が経つ。

夫やわたしの仕事環境が同居を遠ざけてしまったのは、今でもたったひとつの後悔だ。

もっと本気で向き合うべきだったんだろう。義父も義母も亡くなった今はもう何もできない。

わたしにも、広島県人となってほしいという願望があったのだと考えるのだ。

だから、この本籍だけが、わたしの故郷なのかもしれない。

そして、こうも思う。

ふるさとは、ひとつじゃなくていい。

帰りたい場所は、いくつあってもいい。

美しい⾃然の⾵景があって

その⾃然が育んだおいしさがあって

その⾃然を愛した⼈たちが笑っていて

やってみたい野遊びがいくつもある。

通り過ぎるだけの観光とは違う、

その⼟地に深く根づいた

尊くて濃密な記憶といくつも出会える。

いちど来たら、ああ、ここだったとわかる。

わたしの「⽣きる」が満ちる贅沢な場所。

それが「HIROSHIMA」

8月6日 原爆の日によせて

2020年の夫の記事から(2020年8月6日)

私の叔母も犠牲になりました。出身地の大竹市はこの日、清掃当番で駆り出されたメンバーは8時までに着き、爆心地で作業、ほぼ全滅だったと聞いています。岩国からもきのこ雲が見えたということ、黒い雨は母校のある廿日市にも降り注ぎ、放射能でやられました。父は呉の工場におり、大竹と同じく当番だったのですが、幸い体調不良で休みとなり助かりました。高校の生徒会長は被爆2世で原爆記念日に当時の首相に暴行したことがありました。中学の音楽教師が被爆者でケロイドのひどい顔になっていたのを思い出します。