★2024年5月29日更新 『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介監督~アカデミー賞(国際長編映画賞)・カンヌ国際映画祭(脚本賞)受賞作品~180分超大作を一気に観て来た♬【選書・書籍からの長編映画】

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5月の最終週。ずっと観たかった映画『ドライブ・マイ・カー』(R15指定)を無料チケットで夫と観てきた。

場所は図書館視聴覚ホール(椅子とテーブルがついていて視聴しやすい)定員50名の事前予約でGetした。

180分という超ロングな作品だ。このところ、仕事や旅や家族の行事が連続していたので、映画でも観てワンクッション置こうかな・・・というアクションよ(笑)

さっそく、簡単に作品の感想をまとめてみよう。

映画『ドライブ・マイ・カー』では、親しい人を病気や事故で失った人々に真摯な眼差しを向けた作品だ。

家福(西島秀俊)は娘と妻を病気で、みさき(三浦透子)は母を災害で失い、2人とも自分だけ生き残ってしまったという思いと、自分の行動によっては救えたかもしれないのにという後悔を胸に秘めている。

そこには、濱口竜介監督が酒井耕と共に制作した被災者の「声」を聞くことをテーマとしたドキュメンタリー「東北記録三部作」や、2018年の作品『寝ても覚めても』に描かれる東日本大震災の記憶が引き継がれているのかもしれない。

また、「命の尊さ」については、前代未聞の事態であるコロナ禍において、ウクライナ侵攻などで尊い命が奪われている現在の状況を思わず重ねたくなってしまう。

『ドライブ・マイ・カー』では「物語」が重要なテーマとして浮上してくる。子を亡くした夫婦が物語を語り合うことで絆を維持していたように、ときに物語は人々の体に入っていき生きる活力を与える。

若手人気俳優の高槻(岡田将生)が、主人公の家福(西島秀俊)を追うようにオーディションに応募してきたのも、空っぽの自分の体に入っていく音(霧島れいか)の脚本のイメージを追い求めての結果だし、元ダンサーで、流産したために動けなくなったユナはチェーホフの言葉により体を取り戻していく様子がつぶさに観てとれる。

家福とみさき(三浦透子)が徐々に心を開いていけたのも、家福が車内で流すテープとそれに合わせて声を出す台詞を、共有したからこそ。ただ、一緒に車に乗っていただけでは、ここまで心を開けただろうか?。

そして家福もまた、演劇『ワーニャ叔父さん』のワーニャを自身で演じる勇気を持つことで、自己とワーニャの哀しみを重ね、ワーニャがソーニャの言葉に導かれるように、その言葉を自身へと染み込ませていく。

ソーニャであるユナがワーニャの家福を背後から抱きしめるように、手話という言葉で語りかける姿はとても印象的であり靜かなさざ波のような感動を感じた。

人間の実人生と演劇の物語が重ね合わされていき、それらがリンクし交わり、人間が生きていこうとする希望を生み出す瞬間がここには描き出されているのだ。

物語、演劇、そして映画というものが如何に人間の人生に深い影響を与えるのか。それが濱口竜介監督が語りたかった主題であるかどうかは定かではないけれど、本作を見て救われる人も、また確かに存在するのではないか?と率直に感じた。

さて、『ドライブ・マイ・カー』の原作は短編小説集『女のいない男たち』村上春樹・著だ。

この書籍は数年前に読んでいたから、映画を観た瞬間、「あっ!そうそうこの奇妙な作り話を覚えてる~♪」と、ひとり、スクリーンに向かって言いそうになったほど。

短編集『女のいない男たち』村上春樹・著(文春文庫)

簡単レビュー

これらを書いている間、僕はビートルズ「サージェント・ペパーズ」やビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」のことを緩く念頭に置いていた。著者「まえがき」より。


  本書は、緊密に組み立てられ、それぞれの作品同士が響きあう短編小説集である。

「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード」「木野」「女のいない男たち」の6編はそれぞれくっきりとしたストーリー・ラインを持ちながら、その筆致は人間存在の微細な機微に触れる。


現代最高の作家がいまできること、したいこと、するべきことを完璧な形で成し遂げた短編集と言えるだろう   。

  「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード」「木野」他全6篇。

最高度に結晶化しためくるめく短篇集。

                ★

わたしは、村上春樹という作家を、単に小説家としてだけでなく、時にはサスペンスを匂わす推理作家であると、作品を読むたびそう感じてきたんんだ。

~誰もいない他人の家に忍び込む癖も文学~

~強烈なまでの性描写も文学~

~人を殺してきた経験も文学~

など、こういったシチュエーションは村上作品ではすべて文学で括られる。

『1Q84』や『ノルウェーの森』でふんだんに使用され続けてきた。あっ!『騎士団長殺し』もそうだったわ。

物語の伏線が多くそれを回収しないことは、読む人の想像力が試されているんだろう。

誰にでも容易にわかるストーリーを村上作品に求めるのは、毛頭違っているようにも思える。

映画では、村上作品の「わかりにくい描写」も、西島秀俊という若さと渋さが同混するクールさが魅力である俳優の存在感で、すべてが包括されて納得のいく作品となっている。

わからないことをこれほどまでに楽しめる、村上作品。

ぜひ、映画で堪能くださいませ!