【ブログ新規追加526回】
日常には色々な不公平がある。例えば順番待ちの列に平気で横入りしちゃう人とかいる場合。
この時、一言、言えるか?まあ、いいやと、許せるというか見逃すか。
ともすると他人の正義感の問題に片づけられそうだが、不公平に直面した時の反応は、意外なほど心の奥底に残ってしまうと、最近気が付いた。
不公平に感じる振舞いを受けた時のとっさの判断は様々だ。
★
もう6~7年前のこと。
秋の紅葉が素晴らしい風光明媚な場所での飲み会だった。久しぶりに会う男女の仲間たち。年齢も様々だった。
その日、その宴会も終わりの頃、中心的長老が、「今日の飲み代は割り勘で!」と言った。わたしは「はあ?」と、一瞬たじろいだ。
だって、わたしはみんなを車で乗せてきたんだ。(もちろん宿まで送るつもりだから帰りも車)要するに一滴も飲んでないのよ!
だけれど、その場の雰囲気で覆せなかった(言えなかった)のだ。その心は「いい歳をしてお金払いの悪いヤツ」と、思われたくなかったのだろう。
わたし以外の人たちは、新潟の地酒と囲炉裏焼きが美味しい店で、「鳥海山!」「八海山!」「越乃寒梅!」とかを飲みまくったじゃない。
それを見つめていただけのわたしの気持ちはどーなるの?みんなの酒代込みで割り勘だと!あまりにも不公平でしょ(泣)
しかも、その長老、「一番若いメンバーの男子(といっても30代後半・笑)は1000円でいいよ!」と、のたまう。
それに関して、その場にいた酔っ払いは誰も異議なしでスル―。
こんなことってある?
あとで、わたしの後悔はMAXだった。どーして「割り勘に異議あり!それぞれで会計!飲んだ人の分は払わない!」と、言わなかったんだ!
自分の勇気のなさにがっかりした夜。
あれから、そのメンバーと卓を囲むことはなく、平穏で常識的な日常が続いている。
しかし、日常に転がっている不公平の影は、たまたま表に見えないだけなのだ。
いつでも言い返せるように爪を研いでおかないと!と、たま~にこの苦い話を思いだすのよ。
こうしてブログに書き残しておくことで忘れないんだ。
★
この話にはこの言葉が合う。「是々非々」だ。簡単に訳すと、「立場にとらわれず良いことは良い、悪いことは悪いと判断する」という意味になる。
中国は筍子(しゅんし)の言葉。
少し丁寧に解説すれば「是々非々とは、善を善とし悪を悪というのを「智」といい、善を悪とし悪を善とするのを「愚」ということ」となろう。
まさに、割り勘の不公平さをその場で正さなかったわたしの取った行動は「愚」極まりないというわけだ。
「正直者はバカを見る」・・・で書こうと思った話だが、「是々非々」が本質だと気づいた。
少しは日頃の勉強が身についてきたんだと実感するよ。
ちゃんちゃん(笑)
「山ファッション 小春日和の 一歩かな」 清流子
コロナ禍のなか、ライフスタイルの変化が顕著。コロナ後を見据えてWithコロナの準備をしたいところ。諸々の環境の激変に備えて防災を兼ねた生活様式を築く必要性を感じますね。キーはSDGsかな。
山ファッション大好き!( ´艸`)