【ブログ新規追加532回】
11月2週目。
漠然と、今年年頭に立てた目標とか思い出してみる。
あれ?立ててないかも。
コロナが蔓延中だった2021年幕あけ。もう、仕事も激減し、この先どうやって生活を建てていくのか?やりがいって?とか暗中模索していた。
そんな自分に細やかな目標を与えたんだった。
久しぶりに「山に登って頂きに立って、まだまだ頑張れる!」と、自分の気持ちをさらに鼓舞するようなアクションをしたい!と思い初めた。
しかし、そんな願いも、東京の感染爆発からずうっと「緊急事態宣言」「自粛」「ステイホーム」が続き、木端微塵に吹き飛んだ。
自由に他県へも出向けなくなった。
で、へこんでいてもね!と、8月あたりから年頭に思い描いていた「自分を鼓舞するための登山」を開始したのだ。それも東京都内で。
こうやって、今年を振り返ってみると、単純に目標を立てるとか、そういったことがコロナで思考停止した不毛の年明けだったのが明白だ。
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昨日は、全国でコロナが原因の死亡者数が0人。やっとここまで来た。
それでも、まだ油断してはいない。自分で舵取りのできない状況に陥ってしまった場合の復活の仕方とか、最良の方法を考え続けているんだ。
この2年間の「振り返り=検証」が、何より必要だろう。何についての「検証」か?それは、自分と自分を取り巻く環境(家族や仕事、ライフワークなど)の変化を「検証」してみようと考えている。
コロナで失ったモノやコト、いみじく(良くも悪くも)もコロナのおけげでよくなった事がらなどかしら?
この「検証」を繰り返してやっているうちに、コロナの収束が叶うかもしれないし、そうあってほしい。
コロナに精神的に打ち克つには「検証」が必要だ。収束までの期間に「人生の底上げ」をしようじゃないか(笑)
コロナに「してやられてばかり」じゃあ、気が済まないよ。
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最後に、「収束」の意味を載せておこう。
※ 収束とは?→日常生活において混乱していたモノゴトがいったん収まる(一定の値に入った)という意味。
収束の収は「物事の決着」を表し、また「ある範囲内に入り切る」という意味がある。束はたばねる、まとめるという意味。(資料元;https://www.weblio.jp/content/ 実用標語日本語辞典より)
「君思ふ 我ありてこその 初冬かな」 清流子
”我思う故に我在り”は、デカルトが提唱した命題だが、実は”他人思う故に我在り”が本当。冬の始まりにあたり、改めて振り返りたい周りの事や難題にリベンジできる機会として明記したい。
近い!( ´艸`)