【ブログ新規追加717回】
年をとって、何がありがたいか?って。
それは、「経験」があるってことなのだ。
「経験」を重ねると味わい深い「知恵」という副産物が溢れてくるものだ。
「経験」を財産だと考えたら、何憶円も持っていることと同じだろう。(すでに大富豪かも・笑)
困った時、これまでの経験を総動員して考え尽くすでしょ?
そして、たいがいは冷静沈着になって、慌てず、騒がず、問題解決するハズよ。
この溢れる「知恵」そのものが若い人の持ち得ない「魔法」なんだ。
ま、魔法って言っても、怪しい行動や怖い祈祷をするわけじゃない。
長く生きて試練を乗り越えてきた「数々の経験」のことを魔法って言うのよ。
だから、魔法使いっておばあちゃんなんだ!って気づいた。
(不思議なのだけど「おじいちゃん」には魔法使いは似合わない・笑)
良いことも、悪いことも経験をいっぱい重ねてきている分、すぐに飛んでくるぐらい身軽なのも魔法使いの条件だろう。
だから、身体を鍛えておくのもとっても大事なのだ。
ほら、よくいるじゃない?というか未開の地ならではの土地の神様みたいな人が。
ヒマラヤの麓やアフリカの村には床屋のような場所に、歯医者や理髪師、整体師、薬草で身体の不調を直すオールマイティな療養士とか。
しかし、文明が進んでスマホを持つ未開の地の人になっている。
ただ、経験したことのすべてが今に応用できなくったって、その人にすれば、その経験値だけが拠り所だっただろうし。
こういった、未開の場所には経験を魔法に替える優れた村人がいっぱいいたんだろう。
自分が経験して良かったことや助かったこと、恵をもたらした話など、その人が持つ大事な経験から得た知恵を、惜しみなく授けるのが優れた魔法使いなのだ。
(観光客相手の怪しい偽魔法使いは別だよ)
さて、わたしも魔法使いになれるかしら?
経験はそれなりに積んできたけど、何かが足りない気がする。
足りない何かがわかるまで、生き続けて経験を重ねて行こうっと。
経験=魔法だって話よ。
「気が付けば 迷宮入りか 蜘蛛の糸」 清流子
何だか罠にかかったみたいに、巧妙な戦略にハマってしまうことがある。芥川の児童文学作品にあるとおり慈悲心とエゴイズムを蜘蛛の糸に例え、既成概念は再考せよ、結局悪いことをすれば必ず自分に返ってくると。