【ブログ新規追加756回】
わたしは、ずいぶんとから日常的に使ってはいけない言葉を決めてきた。
いわゆる「禁句」というやつだ。
例えば、「疲れた」これは、もっとも使ってはいけないマイナスな言葉だと、心底思っているがついつい口走っちゃう。
ちっとも習慣化できない禁句のひとつ。
よく頑張った・・・みたいな活動を讃え励ます言葉はOKだけれど、「よく頑張ったけど疲れた」という言い方は自分にも他人にもしたくないのだ。
「疲れた」と言った瞬間に、もうひとりの自分が「だったらやらなけりゃいいじゃん!」とか突っ込まれそうだし(笑)
無意識に口走ったあとは、軽く反省する。もう、使わないように意識を改めるために反省するのだ。
一方で、絶対に使わないと決めて、本当に使わなくなった言葉がある。
それは「できない」「ダメだ」「でも」「だって」「どうせ」など。
なぜ、使わないのか?
それは、「人は使っている言葉に無意識に引っ張られているから」だ。
「どうせ無理」とか言おうものなら、「どうせ無理」というマインドが心と身体に染みついてしまう。
そして、他人はそういうマインドの人に何かを頼もうとはしないものだ。
営業マンという仕事を15年続けている間に、まったく、マイナスに通じる言葉を発しなくなった。
今さらながら気がついて、会社には心から感謝をしている。
特に仕事の現場では、厳しい状況に遭遇した時、「キタキタ!」と手を叩き、「面白くなってきた!」と、自分を鼓舞し続けてきた。
どんなに厳しく嫌な事柄でも、「面白いチャレンジ」に変えられそうだと直感したら、どんどんそっちへ引き寄せられて行く。
やる気も溢れるしね。
あまりに、マイナスな言葉ばかり使うクセがある、そういう場合は、現実逃避せずに、しっかりと現状を見極めて、納得のいくまで考え尽くすのが一番よいだろう。
その現実をどこまで解釈できるのか?が一番大切。
だから、あまり考えもせず、無用な言葉を自分にも、他人にも発信してはイケナイのよ。
いい言葉、前向きな言葉、感謝の言葉、嬉しい言葉、美味しい言葉などなど。
いい言葉だけを使って生きよう!
「だからこそ 我も啼くなり 時鳥」 清流子
参議院選挙が公示されました。災禍の時代だからこそ、これからの日本を決める選挙に参加する責任が一人一人にあると感じます。おおいに対話し議論し考える機会にし、選択権利を行使しよう。
大切な一票( ´艸`)