【ブログ新規追加763回】
コロナ禍がまだ終わったというわけではないが、ようやくクラシック音楽界も、コンサートが行われるようになってきた。
海外からも続々とプレイヤーの来日が予定されている。
心待ちにしていたクラシックファンは元より、演奏の機会を大きく損失してきたプレイヤー達も、心置きなくその技術を爆発させてくれるだろう。
今日は、数年ぶりにフルオーケストラの演奏会に出かける。
観客のわたし達も、感染症対策などの警戒を緩めずに、再び活気を取り戻した演奏会会場で、音楽とともにくつろいだ時間を共有したいと思う。
今日の演奏曲紹介
歌劇「ナブッコ」ベルディ作曲
「ホルン協奏曲第3番 変ホ長調 K,477」モーツァルト作曲
「交響曲第8番 ト長調 作品 88」ドヴォルザーク作品
以上3曲を堪能してくる。
「交響曲第8番 ト長調 作品88」
スタートして、数分後に鳴り響く、フルートとピッコロの華麗なデュエットが、ドヴォルザークの壮麗な曲展開へといざなう。
雪解け水の小さな流れがあっという間に集まって岩を削る急流をなす・・・こんな情景が浮かぶ第一楽章。
これがボヘミアの旋律か!と、随所に感じさせるチェコ音楽の神髄だ。
今日は、この曲が楽しみ。
★
さて、「音楽の遠近法」だが、20代のころこんな体験をした。
ピアニスト、内田光子氏のコンサート(演奏会後にディナーがあるホテルコンサートで京王プラザ)に参加する機会を得た。
内田光子氏の演奏にまず、びっくりしたのだ。
音がまったく聴こえてこない。それは、内田光子氏の表現方法だそうだ。
聴くものに、音に集中させるための独特の表現方法だと知った。均等に音を響かせる当たり前の奏法など、どこにもなかったから驚いたのだ。
内田光子氏といえば、かの大ピアニストのマルタ・アルゲリッチの友人として認知されているのだが、アルゲリッチといえば、「音の遠近法」の魔術師とも言われている。
アルゲリッチの奏法は、通常の演奏家であれば、もっと大きな音で表現を前へ押し出すようなところでもそうはしない。
ある書籍で読んだのだが、「シューマンの演奏で時おり見せた、声をひそめるように小さな音の、なんと濃厚だったことか!」という筆者の記述があったのだ。
遠い昔からかすかに呼び掛けてくるような旋律の、なんと優しく心に響いたことか。
音の粒を等価に扱うのではなく、背景で霧のように漂う音と、ぽつんぽつんと全面に浮かびあがって輝く音、アルゲリッチの持つ独特の遠近法が実に見事なのだと、その書籍では綴られていた。
アルゲリッチから内田光子氏の話に戻すが、あいまいな音は一つもなく、すべての細部に決然とした意思が通っている演奏だったのだ。
いったん情熱の火がつくと、自由奔放にどこまでも旋律は駆け抜けて行く。まさにおおらかさとゆとりを感じさせる「癒しの演奏」だったのだ。
こんな演奏家になりたい!と、感じた唯一のピアニストだった。
という思い出話。
こうした美しい時間が持てるのも、コンサートの醍醐味だ。
「囁く音 ぽつりぽつりと 半夏生」
昨日は半夏生、田植えの終了を告げる時。今日は午後からぽつりぽつりと雨が降る予測、半夏草は薬草だが久しぶりの囁くようなお湿りに心も癒されそう。ちょうど耳に繊細な調べに似ているような気がしていい。
ぽつりぽつりがみそ( ´艸`)