【ブログ新規追加792回】
7月31日。今日は今月の振り返りを簡単に。
2回の演奏会で新しい表現の方法を知ったり、貴重な絵画や植物を観に行ったり、何しろ己の内部充実に努めた7月だった。
今、再びマインドフルネスの再考を模索中だ。
※ マインドフルネスの定義をあげておこう。
現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程である。 瞑想、およびその他の訓練を通じて発達させることができるとされる。
※ マインドフルネスとは、語義として「今この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに捕らわれのない状態で、ただ観ること」である。
とりわけ新しい考え方ではなく、東洋では瞑想の形態での実践が3000年あり、仏教的な瞑想に由来する。
資料元→https://ja.wikipedia.org/wiki/(Wikipediaより)
大筋の定義はこうだ。
「今、この瞬間」に意識を向け、良い悪いの価値判断をせず、ありのままに気づくこと。
今、ここに集中することが、きっと生きやすさや暮らしやすさに一役買うんだろうな。
どんな状況になっても、いったんことの成り行きを静止眼で向き合えるという思考が役に立つ。
マインドフルネスという言葉は、どこか「瞑想」に通づるものが多い。しかし、「瞑想」ばかりしてはいられないのが現実の生活なのだから、「動きながら、考えながら、時おり瞑想を取り入れる」・・・と、こんな具合が望ましい。
わたしが6月~7月の取り入れた、生活を丁寧にするためにやったことは3つで書き出してみよう。
毎週の水回りの掃除(キッチン、トイレ、洗面所、お風呂)
2週間に1回の芸術鑑賞(おもに音楽と絵画など)
平日は呑まない
この3つを丁寧に実践してきた。
その結果、まず、お酒に対する執着が消えた。次に芸術鑑賞で己の小ささ、考えの浅さに気づき、さらに勉強をしようと心に誓った。
そして、毎週、これでもか!と、水回りの掃除を繰り返してきたら、何しろ数年間溜め続けた心の澱から解き放たれたような爽快感を実感できたんだ。
今まで、こんなに丁寧に掃除と向き合ってきたかな?
掃除というシンプルな動作に、己のすべてが含まれている。だから、集中して取り組めば、気落ちのいいことこの上ない。
そう、宇宙よ。だから掃除は偉大なの(笑)
で、もうひとつ。芸術の面だが、プッチーニのグロリアを初めて聴いた。
大合唱と、フルオーケストラを従えた2人の男性ソリストが宗教音楽のグロリアを歌うという志向だ。
曲のクライマックスが驚きだった。
ふたりの男性の歌の掛け合いが凄まじい。向かい合っての掛け合いはまるでちょっとした口喧嘩のよう。その繰り返しを見聞きしていたら、思いがけず一瞬で、シュン・・・と、あっけなく終わったんだ。
セレモニー的なオーケストラの演奏もなく、最後はアカペラに近い、歌声だけがホールに響き渡ったラスト。
そして、ブラボーもアンコールもなし。
まったく歌い手を最高に賞賛したステージに、大感動だった。
そうよね。歌い手やオケや合唱それぞれを褒め讃える散漫な表現(一般的な)を一切捨てた、潔い表現方法に圧倒された。
そして、これも、丁寧な生き方を求めて、大好きなお酒を遠ざけるのにも成功したわたしへの小さなプレゼントだった。
この演奏の本義はこうだろう。
「自分がこうしようと思うことをやるのに、周囲の雑音はいらない」と。
茶道、華道など「道」が名前につく習い事は、すべてマインドフルネスに繋がっているという。
例えば、茶道はとても道具を丁寧に扱う。お茶を点てることそのものに集中し、心をよせる。
とまあ、6月、7月と心を平静に保ち、芸術や掃除に心を寄せ尽くしてきた日常を、簡単に振り返ってみた。
さて、8月。
コロナの感染拡大にまったく油断はできないが、予定通りだと、「山の日」前後に遠出をする。
2ヵ月間、培ったマインドフルネス思考で、行動制限のない夏を、賢明な判断で行きたいと願うものだ。
8月、猛暑が続きそうだが、日常の実践で掃除と平日禁酒は続けて行く。
日常でも、マインドフルネスは実践出来る。
例えば、車の運転。遅刻しそうな時、道がよく分からない時、心はいろんなことが沢山思い浮かぶ。
身体は、前かがみになり、気持ちは焦っている。
そんな時、今は、こう思ってるなと気付く。
そして運転に戻る。
それを繰り返すと段々運転に集中出来るようになってくるのだ。
不思議と前かがみになっていた姿勢がしゃんとしてきて、気持ちが落ち着いてきた。身体は心とつながっている。
こういった、心模様に気づくことが大切。
変わることへの入口なんだ。
日頃から頭の中に思い浮かぶことに振り回されやすいとか、こうしようと思っていても、脱線することが多いとか、悪い想像が膨らみ、未来が不安になり、辞めてしまうとか。
こういった傾向がある場合、マインドフルネスで己を丁寧に顧みてみよう。
きっと、充実した夏になるだろう。
「帰省子の 先担う夢 育てなむ」 清流子
学生候補がごった返すオープンキャンパス。逆に未来を担わんと励んだ学生は田舎へ。様々な若い命が交差する夏のキャンパスは頼もしい限り。やっぱり教育は国のかなめなのだ。