【ブログ新規追加799回】
ワクチン熱が下がっても、熱の後遺症でだるくすぐに元に戻れなくて、昨日は少し思考の面で考えを取りまとめてみた。
時間がある時だからこそ、文章があーだ、こーだとか、本当に目指すべき文体など、かなり考えておかないとと、ずうっと思っていたんだ。
そういった、考えのとりまとめをしておかなければ、なかなか使えないし、使えるようにならないのが文章のアレコレ、文体というものなのだ。
改めて「文体」とはどーいうものなのか?調べてみた。
文体とは→文章の様式。和文体、漢文体、あるいは書簡体など。筆者の個性的特色が見られる、文章のスタイル。(資料元;https://kotobank.jp/word/ コトバンク)
そうか。個性がにじみ出る文章表現がスタイルとなり、作品となればそれ自体が文体と言えるのだと改めて知った。
で、今のわたしが考え尽くす文章のアレコレはこうだ。
「ディティール説明が少なく、それでいて情景が浮かぶ文章」
「贅肉の一切ない、彫琢された文体」(※ 彫琢とは→宝石などをきざみ磨くこと。比喩的に文章を磨くこと。)
元々、「中学生がスラスラ読んで理解可能な内容」や「難しい漢字を用いないで書く」のが、わたしの長年のスタイルだ。
これを逸脱すると、文体がめちゃくちゃになってしまうので、おおかた守ってきたかしら。
どんな物を書くかで、文体を決めたり変えることはしないし、何人もの自分がいるみたいで気持ちが悪いものだ。
今後も、没個性にならないように、華美な装飾は避け、硬派なわかりやすさを目指して書くのは変わりないだろう。
昨今、プロとアマチュアの境界線があいまいだ。
文章の世界でも言わずもがなである。
だからこそ、文章の技巧に頼るというよりは、モノゴトを見る眼の深度を上げることが大事だと思う。
細部のリアリティがあってこそ、はじめて揺るぎないノンフィクションが構築されるんだ。
フィクション(創作)の話はまたの機会に。
小さな、情景描写に心血を注ぐ・・・そんな文章を連ねて行きたい。
「夕暮れ時 蜩騒ぎ なお徐ずか」 清流子
カナカナカナと谷間を巡り鳴り響く声、それにも関わらず一瞬シーンと射し込む光が美しく、夕方の印象的なひと時が流れていく。まるで景色が固まっているようだ。平和であってほしいと願う。
せみの鳴き声( ´艸`)