【ブログ新規追加1102回】
ネタが思い付かない時にすることといえば・・・ちょっと考えてみた。
現在、TVをつけても非常に重たい国際情勢いわゆる戦争の情報ばかりが先行しているので、
せめて、ここだけは軽めなものを書きたい。
一日おきに、こうしてブログを書き続けているが、ごくたま~に、何を書いたらいいかわからない!というl空白のような日に出くわす。
要するに、脳が思考停止しているわけじゃないんだけれど、文章を編むことを拒否するみたいな感じかしら。
だからな~ンにも思いつかないの。
そういう時はどうするかというと、撮りだめておいた写真(できるだけ最新の)を一枚選んで、
TOPに入れ込んじゃう。そして、その写真の持つ背景を書き起こしたりすれば、たちまち文章を編むスイッチがはいるのだ。
わたしの場合は、「とりあえず書き始めてしまう」という方法で乗り切ってきた。
写真を一枚用意したら、とりあえず書き出してしまう・・・これって本当におすすめよ。
テーマとか目的とかは後から考えることにして、まずはキーボードを打ち始めてしまう。
頭でぐるぐる考えを巡らせても、物事は動き出さないので、とりあえずは、自身の覚書でも雑記でもなんでもいいから書いてみる。
思い付きの文章は公開しなくても構い。ただ、あるていどまとまった長さがあればなおいい。
それは、自分の持つスタイル(1000文字~2000文字程度の情報含む散文エッセイ)を持続するため。
下書きでも何でもいいので、とにかく文章を書いてみることを最優先にしてきた。
そうすると言語化のスイッチが入り、何かしらアイデアが湧いてきて、気がつくと、適当な文章が出来上がっているのね。
かの大作家、村上春樹氏のエッセイに「書きたいことなんて何もないんだ」というのがあったと記憶している。(どの本だったか?忘れちゃった)
もともと、無常を表現するのが得意な村上春樹氏。その無常さみたいなものまでをも、表現の一種であり、大いなる「ネタ」だった。
何も書きたいことなんかないのに、ただ、ただ、無常さの表現を突き付けられて、ついつい引き込まれてしまう。
大作家、恐るべし。
わたしもいつかは、「何も書きたいことがない」という書き出しで書いてみようと。
大作家をリスペクトする気分でね。
まあ、当分ネタに困ることはなさそうだけれど。
それでは、また!
「直裁に 対話推進 無花果よ」 清流子
一日一果実づつ熟すから一熟とも言われる無花果ですが、本来は花なしで実が熟すように見えるのが由来。実際は実の中に小さい花が集まっていて、まるで小さな努力は隠して結果だけ見せているよう。対話も執筆もそうありたいと夙に思っています。
直哉❓( ´艸`)