【ブログ新規追加1237回】
(北軽井沢2024年7月25日撮影)
~生き延びた日~
今日、8月26日はわたしが「生き延びた日」。
16年前の2009年、友人宅で突然の強いめまいに襲われた。
そこにいた元看護師の友人が、わたしの動作やろれつの回らない発言を見聞きして「脳が損傷したようです!」「すぐに救急車呼んで!」と、迅速に手配をしてくれ、わたしは発病後わずか46分で大学病院に緊急入院した。
この友人の迅速な対応、大学病院での処置に至る経過を朦朧とした頭で考えていた。
緊急処置の結果「脳出血を起こしていました。早期発見で止血が上手くいき、手術は避けられました!」との主治医からの説明。
「ああ、生き延びたんだ」
友人に迷惑をかけたな・・・家族は心配しているだろうな・・・一人暮らしの母親も心配・・・そうだ!仕事先への連絡!いそがなきゃ!・・・などなど、目まぐるしく頭のなかで、自分の周辺状況の連絡手配に必死になっていた。
そして、わたしはICUにいるにも関わらず、看護師に向かって「今日、何時に帰れます?」と聞いていた。
看護師からは「今日?今日は帰れません!」
わたし「いつになるんですか?」
看護師「正確なことはまったくもうしあげられませんが、数か月かかるかと・・・」と。
わたし「えっ?!」
事態の把握が終わったとたん「そうなんだ、もうこれまでの日常にはすぐに戻れないのか」と、意気消沈した記憶がある。
それから、家族に入院に必要なモノを揃えてもらうために「メモ」を書こうとしたら、右手の感覚がなくペンを持てないし、メモなんて書けない。利き手の右手は完全麻痺していた。
だったら、口頭でと思い、言葉を発するにも言葉が出ない!脳神経損傷による失語症を発症していた。
辛うじて、肢体麻痺は避けられた様子。足は麻痺していなかった。
すべて、一旦リセットされたわたしの体。ここまでが脳出血発症から丸一日の記憶だ。(後日、麻痺損傷の検査結果では全身27ヵ所に及ぶ重症と診断)
朦朧とした頭で、これまでとこれからの人生を考え続けた。それは、経験したことのない道だ。
わたしは、涙も出ず、「さあ、面白くなってきた!」と、瞬間に心が燃えるのを実感し、奥底から漲る勢いに自分自身が驚いた。
生き延びたんだから、さあ、闘えと。
(早朝の美ヶ原高原2024年7月26日撮影)
~そして、今がちょうどいい~
発病から今日で、満16年がたち、わたしもなかなかの歳になってきた。奇跡の現役復帰を果たした仕事も相変わらずバリバリ状態。
先週から、猛暑のなか仕事に邁進していたら、口の周りに口角炎ができ顔や首にまで広がってしまった。
「もう!痛いじゃない!」と、どこにも向けられないイライラを抱えつつ、それでも、やりがいのある仕事が楽しくてしょうがない。
大病からの生還を経験したからであろう、一つ一つものごとに前向きになれる自分を構築できたのだ。
要するに窮地に陥っても「逃げない」とか、嫌な場面に遭遇しても自分を守るための「愚痴をばらまかない」とか。
そういう自分は、決してまだまだ「おばさん」じゃないとしぶとく粘る(笑)
「わたしはもうおばさんだから」と思い込み、口に出した瞬間に本物の「おばさん」になってしまうんだ。
~いったん口に出された言葉にはそれくらいの力がある~
翻って、わたしが生き延びられた背景には、あの8月26日に「どう思い、どう決意したのか?」にすべてがかかっていたのだと思い返している。
「さあ、面白くなってきた!」
と瞬間に思った発病だったから、麻痺の克服から奇跡の復活を遂げた今に至る人生が、面白くて仕方がない。
そう、今がいちばんいい。
(1623文字)
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『SunTAMA Style』2021年8月26日記事
『SunTAMA Style』2022年8月26日記事
『Life Tour21st』2016年8月26日記事
https://lifetour.blog.jp/archives/1060477341.html「思い立って、郷土の遺跡を訪ねる。」
『みいこStyle』2018年8月26日記事
「まだ来なひ 蜩の声 今一歩」 清流子
カナカナカナと、蝉の鳴き声の中ではひときわ美しい蜩の声は、熱帯化の影響か今年はまだ聞こえてこない。夏の終わりのハーモニーとでも言うか、そのもの悲しさが日常よりも旅先や帰りに耳にする感じがする。夏を超え行かんとする象徴のように思われる。さあ人生百年時代、今からが本番だ!
蜩の鳴き声は不思議( ´艸`)