昨日、読んだある歴史小説でのクライマックスは、吉田茂首相が奄美大島と沖縄、小笠原の「潜在主権」を認めさせたこと。
その吉田茂氏が亡くなった時にフィリピンを外交中の佐藤栄作氏が、国葬を執り行うと決める場面も次いで圧巻だった。
返還の歴史と、返還に尽力した吉田茂氏、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作氏(元総理大臣)の圧倒的な行動論力に魅了された。
2017年5月。初めて訪れた奄美大島の旅をモチーフにしたエッセイをブログに書いていた。女友達との思い出エッセイと、あまりに美しくてびっくりし続けた奄美の海フォトをここに載せる。
~月桃茶と碧き海~
毎年怒涛の年度末、4月からの新年度と息も切らさない仕事の連続をなんとか宥め透かしてやり遂げた5月。
無事に大体を納めてまだその余韻にどっぷりと浸かった体を引きずって飛行機に乗り込んだ。目指すは奄美大島。
真冬の2月、そして3月の夫の連続手術や入院(実際には4月にも)が落ち着いたら何処か、自然の美しいところへ出かけようと決めていた。
やっとこれたんだね・・・と、何だか二人して灌漑にふけった。奄美空港から車を走らせる事25分。
どこへ行っても甘い、ちょっと埃りのまじりあった匂いの素が白い花の月桃だと分かったのは、以前の友人とのやりとりの記憶からだった。
● 音大時代の女友達のこと
音楽大学時代に奄美大島出身の友達(愛称・ハイジ)と仲良かった。なぜハイジかと言えば、髪型がアルプスの少女ハイジみたいだったから。
当時、合コンにハマッたわたし達は毎週のように、六本木や新宿を他大学の男子たちと、飲み歩いていた。
ある日のこと。ハイジが六本木のアマンド前に地味な着物姿で現れたのだ。
当時はわたしもそれがあの高価な大島紬だとはまったく知らなかった。地味だと思ったのもつかの間、合コンではその日、ハイジが一番男の子たちの注目を集めたのだった。
彼女の紬の袂からのぞく白い腕がなんとも言えず妖艶だったものだ。「自分の生れ育った奄美の魅力を1つだけ差し出したんだ」と言って笑うハイジは、わたしなんかよりずっと大人の女性に見えた。
● ハイジからもらったお茶の香りが、遠い記憶を呼び覚ます
月桃の花のお茶も彼女からお土産にもらった事があった。今から30年以上も前の事。香りが記憶の引き出しとなった今回の旅。
碧き海を眺めて、月桃の花の香りで昔を懐かしむ。心も体も浄化された旅。月桃茶の香りは甘やかでやさしい味がする。
ちょっとだけスパイシーなシナモンのような香りがすっと鼻を通り抜ける。疲れ気味だったわたしの心と体が月桃の香りと会いたがっていたのだと思うのよ。
記憶を覚ました身体が教えてくれた素敵な女友達の思い出。
「大島は 数多あれども 夏料理」 清流
奄美を訪れたのは梅雨の時期だったが、天気の合間をかいくぐって楽しくリゾートできた。大島と名つく島は数多あるが、ここ南洋の奄美は一味違ってその雰囲気やホテルの夏料理に酔えた事を覚えている。