【ブログ新規追加195回】
「365日書き続ける」を続けて一年。
毎日の生活に「書く」をしっかり落とし込んできた。
やってみて「呼吸と一緒」だと知った時は驚きだった。
「呼吸」は、疾患がない普通の状態であれば、まったく気にならない。
「書く」も同じ状況に変化したのはつい最近。
わたしは、まったく頭の中に何も無い状態で、PCを立ち上げるのが常だ。
それでも、すう~っと、書きたい「こと」が溢れてくる。
これが、毎日続く。
こんな幸せなことはない。
で、たったひとつ、「365日書き続ける」ために意識し続けたのが、
「一発当てるという根性を持たない」
これだけだった。
当てる、狙う・・・そんなことばかり考えていたら怠け者になる。書き続ける筋力も絶対につかないだろう。
無名であっても「本物志向」でありたい。
そして、「365日」書くために必要な「こと」がもうひとつ。
「書いたものを発表し続ける」
他人に読んでもらう、無意識に読んでもらう、これが一番いい刺激になる。
例えば、わたしは、不特定多数の目に触れる文章は「である」調で書く。相対して、仕事でのビジネス文書は「です・ます」調で書く、というように完全に切り分けている。
そして、どの場合も無意識に目に入るものだ。
そのなかで、書き手の自分が「どうしても伝えたい!」と願う部分を顕著にするための、書きやすさなのだ。
また、呼吸をするようにスラスラと流れる文章は、誰にでも読める。
「読みやすいはわかりやすい」のだ。
こうして、毎日、文章に対するハードルを下げ続けた結果、「呼吸をするように書く」が叶い、心底気持ちのいいものだと受け止められた。
この感覚が得られたのが一番の収穫じゃないだろうか。
● 最後に
わたしの「365日書く」を支えているのは、豊富な読書量だ。
読み方は「深読」もあれば「流し読み」もあるし、「見出しだけ読み」や「写真、イラストの挿入画」だけを見る場合もある。
ただ、ただ、楽しい「読書」の世界。これがあり続ける限り、わたしは書き続けるだろう。
365日書いているが、常に問い続けているのは、「他人に読んでもらえる文章の極意は、その文章に教養があるかどうか?」だ。
「教養」だけは、積み上げなければ身につかない努力の賜物だ。
わたしは、多大な読書量で精いっぱい努力して、小さな己に一生懸命「教養」という栄養を与え続けている。
そして、「入れたら出す」を繰り返すためにブログというツールを使い始めたのよ。
「365日書く」は、今のわたしにとっては「ケ」でも「ハレ」でもなく、地味に普通のものになった。
これってかなり幸せ。
「小雪は 夫婦の日なり おでんかな」 清流
先日、22日は二十四節気の小雪、冷たい雨が雪へと変わり始める頃。前後しておでんを食した。鍋料理が似合う季節に移り変わるのは夫婦の日とは、ホットなゆうげにしたいね。
急に寒くなって、辛い( ´艸`)