【ブログ新規追加209回】
秋になると、紅葉の鮮やかさ、色の奥深さに毎日の外営業が楽しくて仕方がない。
今日、午前中のオンライン会議を終えて、すぐにカメラ片手に近所の都立公園へ紅葉(もみじ)狩りと、しゃれこんで来た。
秋になると、わんさか外国人観光客が京都に押し寄せるのを毎年TVで観ている。そしてその激込みを避けて京都へは出かけてきたものだ。
京都の神社・仏閣ほど管理と手入れが入念にはなされていないものの、この都立公園の紅葉(もみじ)の見事なことったらない。
紅葉(もみじ)が森の古い神社や古池に映えているだろうから・・・と、わくわく、いそいそと、真っ赤に燃える紅葉(もみじ)を撮ってきた。
日本人は万葉の時代から紅葉を愛でてきた。現代でも、桜と紅葉は天気予報でお知らせがあるほど大切な行事。
「紅葉狩り(もみじがり)」という名称も古風極まりないがいい。
● 桜は「見る」・紅葉は「狩る」のはなぜ?
調べてみたところ、諸説は色々あるようだが、いくつかを組み合わせて言い伝えられてきたようだ。
もっとも有名どころの話では、長野県戸隠の「紅葉伝説」で「鬼女」退治をした「紅葉狩」という題材があるのだそう。
能や歌舞伎の演目にもなっている話だが、これは平安時代の平維茂の話なので、紅葉狩りの言葉より後にできたもの。
そこへ行くと、かの万葉集には、すでに、樹の花を愛でる所作について「狩る」と唱えられている。
庶民の最大の遊びであった「花見」を「桜狩り」と言っていたと。
思うに、「桜」は月や雪と同じ、目で見て楽しむ雰囲気がある。一方の紅葉(もみじ)は秋の収穫時期と合いまって、鑑賞することを「狩る」と、表現したのだろう。
様々な、文献をひも解いてみたが、どの説も、ごもっとも!
● 明治の俳人・与謝蕪村の名句を紹介
与謝蕪村は、松尾芭蕉・小林一茶とならんで称される江戸三大俳人の1人。
「江戸俳諧中興の祖」といわれている。
「ハッとして 吐息も白く 冬の月」 清流
冬の月は厳しい。じわじわと近づく感染爆発が想定され、今更ながらGotoトラベルの余波が懸念される。まるで大津波が時間差で襲い来る前の静けさようだ。