【ブログ新規追加268回】
先週、隣町の日野市・平山城址を訪れてから、我が街の山城を巡る週末を送りたいと思っていた。
市内の山城は7つ。まずは、30mの超低山である片倉城跡へ出向く。我が家からは、車で15分。国道16号沿いに所在している。
そして、迎えた週末土曜日。日本晴れ。3月下旬の暖かさ。
ただ、緊急事態宣言下の東京では、昼間の人出もできる限り軽減するとの方針で、山歩きであっても、早めに行ってっくるようにしている。
7時~8時 毎週の恒例、北野卸売りセンター市場での買い出し。ここで、一週間分の食料を調達する。
9時~11時には、近くの片倉城跡公園に出向く。ここでは、山城をトレッキングするのが目的だ。まず、もっとも見晴らしのきれいな二の丸まで一気に登る。
ここ、二の丸は、息子が赤ちゃんの頃、おぶって登った記憶がある。たかが30mだけれど、よく登ったな・・・と。
低山トレッキングを1時間ほど楽しんで下山、家に帰る。
で、お昼には、市場で買い出した食品を収納したり、野菜や肉は下処理をして保存したりしながら、ホームメードのお菓子を焼いたりする。
仕事が休みの週末、家事もしながら、山城にも行ってくるアクティブな週末を過ごすのが、この数年、めっぽう気に入っている。
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※ 片倉城の由来・・・片倉城(かたくら-じょう)は、東京都八王子市片倉町にある標高30mの平山城(ひらやましろ)で、扇谷上杉氏の家臣・長井氏が築城したとされている。
もともと八王子は、平安時代中期以降、武蔵七党・横山党の所領であった。
1213年の和田合戦にて横山党が没落してからは、大江広元の領地となる。
そして、室町時代に大江広元を先祖とする大江備中守師親、又は、長井時広が片倉城に在城又は築城したと言われているが、根拠には乏しく諸説あるようだ。
ちなみに、大江広元の4男は所領のうち相模国毛利庄(厚木市)を相続して毛利家の祖となる毛利季光。
武功により安芸国吉田荘の地頭職を与えられると戦国大名の毛利元就、そして幕末の長州藩主・毛利敬親へと繋がって行った。資料先→https://sirotabi.com/12371/
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今日は、頂上の本丸と住吉神社はスル―し、もう少し距離を伸ばして、奥の沢から見返り台まで歩いた。
しかし、見返り台とは名ばかり。まったく普通の低地で、菖蒲園わきにちょこっとプレートが見つかった(泣笑)
1時間もあれば、ぐるっと回れる山城。
今月末には、スプリングフェメラル・春のはじまりを告げるセツブンソウが咲く。
そのあと、一気にキクザキイチゲ、ニリンソウ、この公園の名物カタクリ、バイモユリ、可憐な草花がそこかしこに咲く山野草の宝庫なのだ。
夏場には、菖蒲が咲き誇る菖蒲園と水車小屋が涼を感じさせる。
野鳥も多く、今日は寝ているカルガモを撮ってきた。
見どころの多い片倉城跡公園は、国道16号沿いに所在し、春から夏は、駐車場(10台程度)が開門と同時にいっぱいになる。
片倉城址公園脇には、蔵cafeもある。
タイミングがあえば、ぜひ挽き立てのコーヒーを頂きたい。
【片倉城址公園・アクセスその他】
片倉城跡公園・アクセスなど→http://umoretakojo.jp/Shiro/Kantou/Tokyo/Katakura/index.htmスポット情報)
蔵cafe ブリックス→https://www.happy-town.net/archive/23005(スポット情報)
「蕗の薹 探し近所へ 丘ハイク」 清流
今日は俳句日和、そそくさと出かけたのはいいが、野草探しにはまだ早かった。寒さ残る早春、春告げる蕾の頭はのぞいていない。残念無念!! 結局、出直しの章となった。
どうぞ、ご一緒にコンプリートしましょう( ´艸`)