【ブログ新規追加278回】
● 散歩とは・・・散歩とは、気晴らしや健康などのために、ぶらぶらと歩くことである。散策(さんさく)、そぞろ歩き、逍遥(しょうよう)ともいう。(wikipediaより)
昨日、枝垂れ梅を探して、我が家からは車で15分ほどのある町へ行った。
そこは、高台のハイソな住宅街を抜けて、一気に坂を下った場所にあった。信じられないくらいの昔ながらのあぜ道。
こんな道を最高のお天気の中、梅香とともに靜かに散歩する。これ以上の贅沢はないかも。
人もほとんど歩いていない。広い田畑があるわけじゃないから、その場所はまるで蕎麦打ちをする楕円のお盆のような、ぽっかりと空いた空間みたいだと感じた。
のどか・・・とは、本来こういう場所で発っせられる言葉だろう。枝垂れ梅も素晴らしかったが、あまりののどかさに、「来れて本当に良かった」原風景だった。
これぞ、まさしく、歳を重ねたからこその、目的のある贅沢散歩だ。
若い頃の散歩も同様に、どこか目的の場所を訪ねて楽しむものだった。それは、流行りの名物をたべたり、見たり、買ったり、思索に耽ったり、そのひとつ、ひとつが楽しかった。
結婚前のデートも、はたまたひとりの思索に耽る散歩も、歩くという行為だけで充分だった。
子どもが生まれてからは、散歩の在り方も一変した。彼の機嫌が良くなるように、元気いっぱい遊ばせられる広い公園へ出かけた。
夫もわたしも平日の仕事が立て込んで疲れもピーク。それでも、子どものために頑張って公園や里山で軽いウォ―キングをして、疲れを発散していた。
ここで、思うことは「散歩」という響きの持つ優雅な感覚ではなかったってわけだ。
ただただ、外へ出るそれだけなのに、こんなに子どもが喜ぶんだったら、いくらでも!という挑戦的なものが、我が家の「散歩」だったのだ(笑)
時を重ねてきて、今は多少の目的を作り近場の「散歩」に勤しんでいる。コロナ禍の東京では感染率も下げ止まり傾向にある。
まだまだ、油断はできない。散歩も人の少ない時間を選んで出ている。
仕事や家事で、有り余る時間があるわけじゃないからこそ、何とかひねり出した時間を無駄なく楽しみたいものだ。
昨日は、枝垂れ梅のあと、美濃焼の器を求めて、とあるショップへ。ご飯茶碗を2つ、新調した。
それから、アウトドア専門店で、ランタンを購入し、それだけに留まらず、夫が前から欲しがっていた、ホーローのコーヒーカップ(驚くほど高い!)を買ってあげた(笑)
※ ホーローカップ/メーカー・・・キャプテンスタッグ https://www.captainstag.net/
こんな、散財も、優雅な散歩のお土産。
さあ、最高の季節がもうすぐ到来する。
この春はどこで満喫するか、早めの仕込みが大事よ。
「薄氷を 踏んで散策 何度目か」 清流
春先の水たまりに張る薄氷(うすらい)、こうやって三寒四温を繰り返す中での自然を愛でるささやかな散歩は、この上なく長閑でいいですね。
つかの間ね( ´艸`)