【ブログ新規追加304回】
「旅する野帳」って、ご存知?
夫は元SEで徹底したITおたくだが一方で大の文房具フリーク。女子顔負けの可愛いノートや小物を収集している。
そして、目下の課題は、この「旅する野帳」を手に入れることだ(だいたい400円前後だった/amazonでも各種豊富に売っている)
売っている場所は押さえてある(笑)
後は買うだけ。
これが、「旅する野帳」KOKUYOから出ているカワイイ商品だ。
資料先→https://www.kokuyo-st.co.jp/mag/Idea/2020/06/000133.html(旅する野帳で手軽にかわいい旅ノート!~旅行解禁、今こそ旅の行動記録、始めてみませんか~)
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さて、新年度目前。
先日は大量の名刺を整理して、新たにお付き合いの続く方から順に名刺ホルダーに差し替えたばかり。その間にも、毎日異動のお知らせを頂き、挨拶に伺い、後任の方と名刺交換。
新しい年が始まった。
現在、エアポケットみたいに、ちょっとまとまった春休みを迎えている。その空いた時間を自分の原点を見つめなおすノートでも書いてみようかと思い立った。
今まで、原点らしき事柄や家計簿、自分史になるような記録などB6のノートに書き貯めてきたが、7年前の引っ越しですべて処分した。
もう、記録はいらない!真新しい生活になるんだから・・・。
当時は、そう思って思い切りのよい出発をしたんだ。
昔、音楽教室講師をしていた頃、お世話になっていた先輩は「会社の手帳を入社時からすべて取っておいてあるのよ」と、お宅に行った時にその数十冊の手帳を見せてくれた。
「これはすべて、レッスンの記録や自分のことなど日記がわりになっているから捨てられないの」と。
わたしも真似してみよう!と、数年は真似してみたが、やがて年末に新しい手帳に大事なことは全て書き出して、後はきれいさっぱりと処分するようにスタイルを変えて行った。
私はどうも以前から「モノ」に対する執着が人一倍薄いんだと感じているし、記憶に頼ればいいじゃない!と、生意気にも記録に対する価値を異常なほど、低く見積もっていた。
ともあれ、捨てるという行動が、心の大掃除になっていたのは間違いない。
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だから、ブログを毎日書くという行為も、すべて「頭の中にある記憶」と「外部からの知恵や刺激」で成り立っている。
要するに文章を書くための「ネタ帳」は存在しないのだ。
「ああ~~いい言葉だな」とか「忘れたくないな」とか毎日、そんな場面がかなりあるけれど、そんな言葉や文章もすべて「出会い」だから「一期一会」でいい。
忘れちゃったら、後追いはしないし、未練もないしさ(笑)
そんなきれいサッパリのわたしでも、以前はまだ可愛くキーワードやいい言葉を書き写していた。
しかし、かなりの量があったが、これもすべて捨ててしまった。
その時は、目から鱗が落ちるほど感激したり感動したりした言葉や文章でも、今読み返してみるとそうでもなかったりするから。
たぶん、「鮮度」が落ちたせいだろう。鮮度と感動は表裏一体。
歳を取ったせいか、経験が豊富になったためか、考えにしぶとさ?や思い込みが加わって、今の自分に直接響く言葉などが減ってきたのも関係している。
今までの記録が余り役に立たなくなってきたから、その場の判断でエイ!と捨てるに至った。
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さあ、捨てる話はこれぐらいで終わろう。
今、4月からの一年を、冒頭の「旅する野帳」みたいな独自の思考で作りあげるノートを探している。
なぜこういう時代になって、今またノートや手帳に手書き?と思われるかもしれない。
ネットコミュニティの時代だからこそその縛りから自分を開放し、気持ちを和ませて心を落ち着かせるノートを書いてみることも必要だと考えた。
本当の自分を、ざっくりではなく深く知るための需要なアイテムとして、書いていきたい。
お気に入りのノートを買って、何を書いて行こうかな、考えるだけでも楽しい。
小学生だった頃みたいに新しいノートや手帳にワクワクしたい。たとえ、プチプライス!安いものでも自分あやしになること請け合いだ。
また、自問自答し自分対話できるノートの利点を活かして、自分の考えや社会人としての考え方など、どんどん書くことで文章の「基礎力」も身に着けて行くこともできるだろう。
知恵の集約としてのノートづくりはイノベーションのこの時代、何よりおすすめのアクションかもしれない。 けど、ある日、全部捨てるかも(笑)
「花寒の コロナ前線 まだ震ふ」 清流
桜が早くも満開となり、タイミング悪く緊急事態も解除された。それでなくとも未だ東日本大震災の余震が続いているのに、コロナに震える日々はまだ終わらない。