戦国山城・滝山城/国史跡・続日本100名城/桜舞い散る名城~500歳を祝う【山・山城②】

【ブログ新規追加306回】

滝山城のいわれ

昭和26年、国史跡の認定を受けた滝山城跡は、中世城郭の最高傑作と言われ続けてきた。その理由は、空堀、土塁、馬出しなどの遺構が現在でも極めて良好なものだからなのだ。

1521年頃、多摩地域一帯を治めていた大石氏により、築城されたと伝えられている。2021年、今年で満500年だそうだ。

後に小田原から勢力を広げて行った北条氏照氏(北条家三代目の三男 )が城主となり主城に収まった。


この頃から滝山城は、北関東への進攻拠点及び、甲斐の武田氏に備える砦としての役割を全うする。城を継承した北条氏照の元で大拡張が繰り返されたのだ。

こうして築き上げられた滝山城は、北を多摩川、南を谷地川に挟まれた東西900mに及ぶ山城となり、平山城としては日本最大級の広さを誇るまでになった。

滝山城の最大の特徴は、その複雑な地形を巧みに活かして構築された縄張りの作り方だ。曲輪、土塁、虎口、馬出し、堀などの縄張り跡が現在も残る。

北条氏照の築城能力の高さが伺える山城だ。1569年頃、武田信玄率いる2万の軍勢からの猛攻を、わずか3千で守り抜いたのである。

戦国屈指の堅城だ。

※ 滝山三城・・・滝山城高月城根小屋城と、この三城を指す。

                ★

年度末の仕事があと2つとなった、23日、朝から絶好の晴天に恵まれた。「これは仕事の前に滝山城跡へ登ろう!」と、朝からソワソワとトレッキングの準備をした。

2020年度の仕事を無事故で終われる喜びと、桜の名所でもある滝山城跡へ登れる嬉しさでテンションが上がる。家からたった15分で得られる至福とも言い換えられる(笑)

今年は、桜の開花がとても早く、気持ちばかりが焦る。

3月に入り曇天、雨が続いたが23日の晴れ渡った日には、朝9時には滝山城跡入口の駐車場(20台程度・無料)があっという間に満車。

                ★

では、写真で追っていこう。

竹林の勾配がきつい山道を登っていく。三の丸~二の丸(千畳敷)~中丸(旧滝山荘と展望台)~本丸へと続く引橋まで。

見事な引橋を渡って本丸へ。

東京都の西端は加住丘陵地域に残る中世の山城、滝山城跡。

500歳おめでとう。




“戦国山城・滝山城/国史跡・続日本100名城/桜舞い散る名城~500歳を祝う【山・山城②】” への2件の返信

  1. 「茎立ちや 当時の遺構 はなと咲き」 清流
     薹がたつという言い方で知られている茎立ち(くくだち)。ぐんぐん伸びた後、水分が抜けて味が落ちます。でもその先には花が咲き葉を茂らす、歴史に無駄はないと感じますね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です